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2008年4月15日 (火)

教区司祭復活の集い

Echigoyuzawa 毎年恒例ですが、教区司祭の復活の祝いの集いを、越後湯沢で昨日夕方から本日午前中まで行いました。締めくくりは全員でのミサ。昨晩、町田師が食事の際に、「せっかくこうやって皆が集まっているのだから、仕事の話ばかりでなく、自分について分かち合ったらよいのでは」と提案されたこともあり、ミサの中でわかちあいの時間をとってみることに。一応私が福音後に少しお話をさせて頂き、「それでは何か分かち合いたいことがある方、どうぞ」と申しましたら、しばしの沈黙が。このまま何も起こらずに終わるのかと思ったその刹那、三崎師が口火を切って下さいました。ご自分の、この頃思うことのわかちあいをいただき、そこから始まって全員に一回りしました。少なくとも私が新潟に来てから、教区司祭の集まりのミサでこういったわかちあいは初めてでしたので、それぞれ何となく本音が聞けて、そして宣教司牧活動への熱意も感じ取れて、貴重な一時であったと感じ入りました。今後も折を見て同じように、集まりの時にこういった一時を持ちたいと思います。そういえば、年末に秋田へ出かけていった新潟の若者たちも、秋田でのわかちあいに感動して帰ってきておりました。単なるおしゃべりに終わらず、いろいろなテーマについて感じたことを語り合うとき、祈りのうちにあるならば聖霊の導きによって良いわかちあいになるのだと思います。わかちあいはわたし自身にとっても容易なことではないのですが、でもそこには力があると感じ入ることがしばしばあります。

さて、帰りは大瀧師の車に便乗せず、越後湯沢駅に向かい、せっかく晴天なので、在来線で帰ることにしました。越後湯沢の在来線ホームには初めて足を踏み入れ、ほくほく線経由で金沢へ向かうJR西日本の「はくたか」を初めて「目撃」しました(写真)。乗車したのは長岡行きの上越線下り普通電車。長岡まで1時間と少しの各駅停車の旅は、とても快適でした。普段は新幹線ですから、越後湯沢を出るとトンネルの連続で、そこにはどんな風景が広がっているのかまったく知らなかったのです。美しい山並みと咲き始めた桜。風景の美しさを感じながら長岡へ到着。途中何度も繰り返された「本日からドアは自動となっておりますので、ご注意下さい」というアナウンスが、北国の春の訪れを感じさせます。長岡にて次の信越線下り新潟行きまでは40分以上あるというので、駅ビルでおそばの昼食。ここから新潟まではスイカが使えます。長岡から再び出発すると、今度はちょうど咲き誇っている桜がそこら中に。そしてこれが新潟に近づくにつれて葉桜が混じり始める。新潟の中でも季節の流れを感じます。新幹線の高架から見る風景と、地べたを走っている電車から見る風景がこんなにも違うものかと感じました。新潟の地理をよく理解していないものとして初めて気がついたのは、昔の宣教師は信越線沿いに教会を造っていったのですね。初めて気がつきました。長岡、見附、三条、加茂、新津、亀田と信越線に沿っていたのでした。新幹線からでは気がつきません。高速でも分かりません。初めての越後湯沢からの在来線の旅は、すばらしいお天気のおかげもあり、気持ちの良いものでした。

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