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2008年4月27日 (日)

ハバロフスク訪問、その1

Khava0811 ハバロフスクを4年ぶりに訪問して驚いたのは、なんといってもショッピングセンターなどが増えたことでした。確か4年前に出かけたときには、初めてのショッピングセンターが出現したばかりで、街はちょっと殺伐とした感じでした。そういえばそのさらに数年前、ロシアとして歩み始めてまだ数年の頃、何度かバイカル湖のほとりのイルクーツクへ出かけましたが、お店を訪ねても「売ってやるからありがたく思え」的な雰囲気でした。ところが今やハバロフスクでは、にこやかに応対してくれる店員さんがいる店があちこちにあるのです。加えて近頃は背の高い新しいマンションも建ち始め、アムール川沿いには公園や遊歩道まで整備されて、美しく活気のある街に変身していました。そして何よりも驚いたのは、横断歩道を歩行者が渡り始めると、自動車が止まってくれるのです。このマナーの向上には、感動しました。(写真は、彼方にロシア正教のカテドラルを臨む交差点で、歩行者のために一時停止するバス)

Khava0812 ロシア正教が絶大な影響力を持っているこの国で、カトリック教会は本当に小さな群れに過ぎません。シベリアにおいても、革命以前に家族がカトリックだったからとか、祖父母の遺品の中にロザリオがあったのでカトリックのはずだとか言う理由で、教会に来る人が多かったと言います。そもそもソ連崩壊後、東シベリアではポーランド系の人たちがカトリック教会再建に乗り出し、当時、アンカレッジの大司教がメリノール会宣教師を沿海地域に派遣してカトリックを再建した経緯があります。ハバロフスクでは、市中心部に土地を確保することができず、メリノール会宣教師が、市街地の南と北のはずれに二つの教会を設立しました。それも外国人には新しい建物を建てる許可が出ないため、北の教会は本屋の建物を買い取って改装。南も朽ち果てたような一軒家を買い取って改装したものです。(写真は、ハバロフスクのロシア正教カテドラル教会)

Khava0807 現時点では両方の教会あわせて、名簿上では信徒が300人ほど。日曜日のミサには北の教会に20人ほど、南の教会に60人ほどが参加しているとのこと。この人数で、二つ合わせて年間600万円ほどかかる教会の維持管理費を捻出することは容易ではないと、昨年から主任を務めるアルゼンチン出身のマルセロ・ブランダン師(37)が語ってくれました。カトリックとロシア正教との関係も微妙であったため、97年に教会を再開してからも地域に受け入れられる存在ではなく、法律的にも様々な困難に直面してきたと言います。それが、昨年の濱尾枢機卿とロシア正教のマルク大主教との会談以降劇的に改善し、今ではハバロフスク市の会合などにも、マルセロ師が呼ばれるようになったとも言います。(写真は、ミサ後の持ち寄り昼食会を楽しむ、カトリック南の教会の信徒の方々)

Khava0813 マルセロ師が所属するのは創立25年ほど経ったアルゼンチンの修道会で、日本語に訳せば「受肉した御言葉の会」。司祭が350人ほど、シスターが600人ほど所属しており、近い将来シスター方がハバロフスクへ派遣される希望があるとか。今後、この地においてカトリック教会が根を下ろしていくことができるように、土台を堅固にすることが、マルセロ師の課題です。マルセロ師は、ロシアに来る前まではタジキスタンで働いていたと言うことで、ロシア語を流暢に操ります。どうしてロシアに来たのかと聞いてみたところ、子どもの頃母親がロシアの回心のために毎日ロザリオを祈っていたのをよく記憶していて、必ずロシアに行って働くと、子供心に誓っていたのだというのです。優しい顔の彼の中に、どんな困難にも勇気を持って立ち向かう宣教師魂を感じました。(写真の中央が主任のマルセロ師。左端はロシア正教の大神学院院長ピョートル師)

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