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2008年6月 7日 (土)

週の終わりに

司教総会の長い一週間がやっと終わります。昨日は会議を午前中にすべて終え、午後2時から四谷の麹町教会(イグナチオ教会)で、パウロ年公開講座が行われ、それに参加してから新潟へ戻りました。今回の講座は、そもそもパウロ年にあたり、まず司教団としてパウロについて学び直そうという趣旨で計画され、教皇様の意向に沿ってエキュメニカルな要素も取り入れて、カトリックとプロテスタント両方の講師をお呼びすることにしたのでした。その過程で、せっかくだから信徒の方々にも公開にしてはどうだろうかというアイディアが出て、イグナチオ教会のご協力を得て行われたのでした。

イグナチオの聖堂がいっぱいになるほどに集まって下さった聴衆を前に、一番最前列に司教団が陣取って講演会は始まりました。総合司会はエキュメニズム担当の押川司教。まずパウロ会の澤田豊成師が、「キリストがすべてにおいてすべてとなるように」と題して50分ほど講演。その後、朴憲郁師(東京神学大学教授)による「パウロが捉えた福音と私たちの生」と題した講演が50分。そして岡田、池長、高見の三大司教とお二人の講師とでパネルディスカッションが50分ほど。予定通り5時には終了となりました。お二人の講師のお話は、わかりやすく、しかもたぶん厖大な資料に基づいて、一年間くらいかけて話しても良いような内容を、コンパクトにまとめて下さり、パウロ年のすばらしい導入となりました。

パウロの人生は私たちにとって様々な不思議と魅力に溢れたものです。ダマスコ途上での回心の出来事、実際には出会ったことのないイエスについて力強く語る生き方。「私は福音を告げ知らせずにはいられないのです。福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです(1コリント9章16節)」とまで言い切る徹底的な福音宣教への姿勢。わたし自身はいつも教会で語るとき、「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです(1コリント1章17節)」を引用します。福音を告げ知らせる生き方、しかも難解な言辞を弄してのことではなく、イエスご自身の十字架上での死という「あかし」と同じく、生き方をもって、語る言葉を持って、行いをもって、福音を「あかし」していくことが大切であろうと思っています。パウロに倣って、現代社会のコンテキストの中で、福音を告げ知らせる生き方を徹底的に追求していきたいと思います。

明日の日曜日は新潟市内の青山教会訪問と堅信式です。月曜の午後から水曜までは山形県の鶴岡近くで新潟教区の司祭の集いが行われます。新潟教区で働く教区司祭と修道会司祭すべてを対象にして、毎年一回開催される研修会です。今年は神学院でも教えている白濱師(スルピス会)においで頂き、典礼について学び直す一時といたしました。

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