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2008年9月26日 (金)

黙想会終了

Karuizawa0801 伊藤司教様の時代から伝統になっている、新潟教区とさいたま教区(当時は浦和教区)の教区司祭合同黙想会が、本日無事終了しました。それぞれの教区には修道会や宣教会の司祭も働いているわけですが、この黙想会は教区司祭団の黙想会です。隔年でそれぞれの教区が持ち回りで担当していますが、新潟教区担当の今回の黙想会は、中軽井沢の宣教クララ会黙想の家で月曜日から行われました。以前は表通りに面した交差点にジャスコがあったのですが、ジャスコも軽井沢から数年前に撤退し、跡地にはすてきなリゾートマンションが建っていました。おかげで交差点の風景が変わり、危うく道を見失うところでした。総勢で30名ほどが参加した黙想会の指導は、東京教区本部事務局のチェレスティーノ神父様。イタリア人の神父様は、来日された頃から禅に親しまれ、今回の黙想でも、ご自身の禅の体験や瞑想などについて、さらには自然との一体感を祈りのうちに感じるためにと、ご自分が撮りためておられる風景写真を音楽と共に鑑賞する一時も設けられ、新しい発見と静けさと休息の数日間となりました。それにしても私が知らない禅のことや仏教のことを、本当によく知っておられる。驚きました。(写真は、黙想の家聖堂)

Karuizawa0802 宣教クララ会のシスター方には毎日おいしい食事を用意して頂きました。感謝。写真にあるとおり、食事後には当番を決めて皆で皿洗いです。初日から一番率先して皿を洗っていたのは、さいたま教区の谷司教様でした。今回は幸いに、司教団関係の会議や行事が重ならなかったため、私も谷司教様も最初から最後まで司祭団と一緒に過ごすことができました。教区司祭団ですから、基本的には修道者のような共同生活を基本とする生き方ではないのですが、しかし黙想会のような機会に、朝晩の祈りをともにし、一緒にミサを捧げて祈りまた聖歌を歌うとき、「共同体性」の重要性を実感します。イエスご自身が弟子たちを集めて共同体となさったように、私たちも同じくイエスのもとに集められているという自覚を持つことができます。もちろん私たちはあの弟子たちの足元にもおよばない未熟な弟子たちに過ぎませんが、それでも司祭としての召命をこの地で受けた共同体としてのつながりを、互いに実感した数日となったのではないかと思います。ご指導下さったチェレスティーノ神父様に感謝します。(というわけで、この一週間は日記の更新はありませんでした)

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