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2008年11月28日 (金)

列福式も終わり

Reppuku ペトロ岐部と187殉教者の列福式も無事終わり、それに伴って行われた巡礼も終わり、やっと先ほど新潟へ戻ってきました。司教正装など持っていかなければならないなど荷物が多かったので、出発間際にコンピュータを置いていく決意をしたのでした。ですから実況中継ブログ更新もなく、本日に至りました。

今さらですが、雨模様の列福式当日は、式が始まると同時に雨も上がりはじめ、ずぶ濡れの中でのミサにならずには済んだとはいえ、開場してから開式までの2時間ほどを、会場内で待って頂いた参列者の方々は、途中で強くなった雨に打たれて大変だったと思います。参加された皆様、お身体の調子などいかがでしょう。またその数日前から、ぐずついた天気の中、雨に打たれながら会場設営をされ、入念にリハーサルをされ、様々なセッティングをされた長崎教区と九州の教会の皆様には、本当に感謝しかありません。あれほど多くの方々が裏方として参加してくださること自体が、長崎の教会のパワーを表していますし、逆に言えば、長崎だからできた式典であったと思います。

式典は直前に雨脚が強くなり、急遽、祭壇上にテントを設営することになり、少々開始が遅れました。その間バックネット裏の通路で並んで待っていた司教団は、外の様子がまったく分からず、先頭にいた幸田司教が何度も外を見に行っては、祭服の上から雨合羽を羽織ってみたり、始まりの鐘が鳴った頃に(わたしはあれは録音だとばかり思って、グランドに出てみたら、本物の鐘が三つも設営してあるので、ビックリでした)、やっぱり多少の雨でもカッパ無しでいこうと決定して慌てて脱いだり、ばたばたとしておりました。あとで写真を見る限りは、カッパ無しで出て行って良かったと思います。赤の祭服が並ぶのは、やはり美しさがありますから。

ミサや式典自体は事前に教皇庁儀典室と打ち合わせて(列福式の主催は教皇庁ですから)作成された、列福式式典書に基づいて行われました。式典書は様々な動きまで細かいところをすべて「ルブリカ(赤字の典礼註記)」でしるし、そのほかすべてが記載されて正式に製本された本格的なものです。とはいえ、日本語の式典書の細部まで教皇庁の承認が必要なため、実物を私たちが見たのも式典当日の控え室です。式直前に高見大司教が司教団に解説をしました。これがまた大変。韓国、ベトナム、台湾、インド、イタリアの司教さんたちと、ベトナムとインド(福音宣教省長官)の枢機卿という共同司式司教全員に細々と伝えるのですから、とにかく高見大司教が話してわたしが英語で説明をしました。それでもあまり混乱もなくスムースに式が進んだのは、枢機卿さんや司教さんたちが、それなりに機転を利かして動く術を身につけてきたこともありましょうが、やはり教会の伝統に従って配置されていた式典長(チェレモニアリス)と3名の式典係の活躍に負うところが大でしょう。バチカンで行われる式典でも、そもそも枢機卿や司教さんたちが事前にリハーサルをするなんていうことはあり得ず、式典の美しさと荘厳さは、式典長の腕にかかっているのです。私たちは式典長のいうとおりに従って動くだけであります。教会の知恵です。初めての列福式、うまく進んだのは式典長と式典係司祭団の活躍のおかげでした。(祭壇上でスータンを来てスルプリを羽織っていた司祭たち)。

巡礼で一緒になった方から聞きましたが、福音を読んだ「イケメン」は誰かと話題になったそうですが、彼は長崎教区の助祭です。もうひとり、教皇代理の通訳をしていた「声のいい」司祭は誰かと話題になったそうです。(教皇代理の回りについていた、同じくスータンにスルプリの四名は、式典係ではありません)あの「声のいい」司祭は、イエズス会の菅原神父。ローマのグレゴリアン大学の先生です。ちなみにわたしと同じ岩手県出身。確か大船渡の人です。

とにかく式典中は風が強くて、わたしは何度もズケット(赤い小さな帽子のようなもの)が飛ばされそうになって冷や冷やしていました。別に特別な仕掛けがあるわけでもなくて、ちょこんと頭に乗っているだけなのに、教皇代理のマルティンス枢機卿のズケットなんか、ぴくりともしなかった。あれは徳性の違いか?はたまた頭の構造の違いか?

ゆかりの9教区の司教が前に出て、それぞれの殉教者について淡々と述べました。わたしはあの時、いうにいわれぬ感動に襲われていました。テレビで見た人には仕切りにズケットを飛ばされないようにもがいていたようにしか見えなかったかもしれませんが、わたしは言いしれぬ感動で震えておりました。殉教者たちの存在を、あの瞬間にとても身近に感じていました。受け継いだものを伝えなくてはならないという思いに駆られました。

白柳枢機卿の説教もすばらしかった。何処にあんな力があるのかと思うほど、言葉の一つ一つに力がこもった、すばらしい説教でした。さすが気配りのすばらしい白柳枢機卿は、ミサの終わりには祭壇のすぐ目の前に座っていた諸宗教関係者やキリスト教諸派、そして来賓の方々に挨拶に行かれました。

スコアボードの超巨大な肖像画はあの後にどうするのだろうかとか、雨に濡れてだめになったのではと心配する向きもあったようですが、あれはもちろんコピーです。実物はあれほど大きくはありません。

兎にも角にも、式典は終わりました。関係者の皆様、参加してくださった皆様、ありがとうございました。

わたしにとっては、その直後に長崎大司教館前庭で行われた、若者たちによる記念植樹に参加して、植えられた木の祝福をさせて頂いたことも、感激でした。ゆかりの地の司教ということで呼んで頂きありがとう。せっかくだから、新潟教区の若者も参加できれば良かったのですが、残念でした。若者たちはローソクリレーの締めくくりとして、雲仙から歩いて巡礼し、列福式のはじめにリレーしたローソクとゆかりの地の土を奉献し、そしてこの植樹をしたのでした。何か一人では寂しかったので、松浦司教様にも一緒して頂きました。珍しく二人の司教が正装で現れたので、終わった後は写真撮影会でした。今回の若者の活動をコーディネートした長崎教区の皆さん、ありがとう。

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