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2008年11月30日 (日)

今日から待降節です

Hirado すでに本日から待降節。クリスマスへの準備の時期となりました。待降節第一主日の福音は、「目を覚ましていなさい」というマルコによる福音でした。待降節は神の到来を待ち望む季節ですから、神のみことばが人となられて最初に来られたことを想起しつつ、再臨を待ち望む自らの姿勢を問い直す時期としなければなりません。その意味で、「目を覚ましていなさい」という呼びかけは、基本的な態度と言えるでしょう。福音には「その時」を待つとあります。つまり目を覚ましている理由は、「その時」を待つことです。そして「主人が突然帰ってきて」とありますから、「その時」とは主人の帰宅です。そんな当たり前のことですが、焦点は、目を覚ましていることそれ自体が大切なのではなく、何のために目を覚ましているのかを自覚していること、つまり、「その時」とはわたしにとって何なのか、わたしは一体今何のために目を覚ましているのか、一体わたしは何を待っているのか、それをはっきりとしておかなければならないということです。何を信じているのか。それがはっきりと分からないのでは、目を覚ましているのは虚しいことです。本日のミサの中でその列福に感謝を捧げた殉教者たちこそ、何を信じているのかをはっきりと知り、そのために常に目を覚ましていたのです。私たちは「その時」を正しく知り理解しているのでしょうか。本当に神が望まれる「その時」を待って目を覚ましているのでしょうか。虚しい偽りの希望を、誤って「その時」だと勘違いしていないでしょうか。自らの信じるところを、常に見直していきたいと思います。(写真は平戸の街角に立つザビエル像)

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