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2009年1月31日 (土)

教皇様の悩み

放蕩息子について、数年前に日記の中で触れた事があります。日本ではほとんど報道されていないですし、カトリック新聞も締め切りの関係で次号以降に持ち越しになるでしょうが、ヨーロッパではカトリック教会関連で一騒動が持ち上がっているようです。そしてそのために教皇様は、先日の一般謁見で、異例の「お知らせ」をしなければならなくなりました。一体何が起こっているのかを知らないと、その「お知らせ」の意味が良く理解できません。中央協議会のHPで翻訳されていますから、ご一読ください。

教皇様の「お知らせ」には大切なポイントがいくつかありますが、まずは「破門をゆるす」という言葉(なかった事にするわけではありません)、そして「教会との完全な交わりを実現するために必要なさらなる手続きをただちにとり、教皇と第二バチカン公会議の教導職と権威への真の忠誠と承認を示すことを望みます」という言葉でしょう。現時点では達成されていない「完全な交わり」が回復されるための条件が、具体化されなければなりません。

そしてヨーロッパで問題となっているのは、破門を許された当事者のお一人が、過去の歴史についてとても独特のお考えをテレビのインタビューで述べられた事にあります。その方が何を言われたかは、教皇様の次の言葉から明らかでしょう。

「この数日、『ショア(ホロコースト)』のことを思いながら、わたしは何度も行ったアウシュヴィッツ訪問のときに受けた印象を思い起こします。この強制収容所の一つの中で、何百万人のユダヤ人の残酷な殺戮が行われました。彼らは盲目的な民族的・宗教的憎悪による罪のない犠牲者です。わたしは、最初の契約を受けたわたしたちの兄弟であるユダヤ人との完全で議論の余地のない連帯をあらためて心から表明します。そして、『ショア』の記憶によって人類が、人間の心を征服した、予想できなかったような悪の力を反省するよう促されることを望みます。『ショア』がすべての人にとって、忘却と否定と過小評価に対する警告となりますように。なぜなら、ただ一人の人に対して行われた暴力も、万人に対する暴力となるからです(強調と下線は私)」

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新潟でのダルクも、もう一歩先へ

昨日も力士が関係する大麻事件が報道されていましたが、そういった報道を目にする度に、大麻に限らず、薬物への依存が静かに社会に浸透しつつあると感じます。すでに何回かお伝えしているように、そういった薬物依存からの立ち直りを支援する団体としてダルクが社会的にも認知されるようになってきました。教区ではすでに秋田と鶴岡で活動しています。そして新潟でも新潟青陵大学の先生を中心に準備が進められていますが、近頃、新潟市郊外に家屋を取得するめどが立ったという事です。もちろん自己資金があるわけではありませんから、借入金による取得です。

建物が手に入っただけですので、今後の活動に必要だという事で、生活用品の支援のお願いが、カリタス教区担当の町田神父から新潟市内の教会に送られている事と思います。新潟市内の教会の皆様には、どうぞよろしくお願いします。2月9日に町田神父が引き取りに行くという事です。(新潟市内の教会です!)

教区の皆様、どうか今後とも、新潟教区内での「ダルク」や、またアルコール依存からの回復を目指す「マック」などの活動に、ご理解とご支援を賜りますようにお願いいたします。

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2009年1月28日 (水)

ヨハネス23世のあの言葉から50年

Bstp 現代におけるカトリック教会のあるべき姿を決定づけているのは、言うまでもなく1962年から65年の間に開催された第二バチカン公会議に他なりません。教皇ヨハネス23世が1961年12月25日に使徒憲章「フマーネ・サル-ティス」を発表され、公会議を召集されたのでした。私がまだ3歳の時です。

「フマーネ・サル-ティス」に記された、次の言葉が私の心にいつも響いています。

「現在、教会は人類社会が危機に直面していること、大きく変動していることを知っている。人類が新時代への転機に立っている現在、これまでの転換期にそうであったように、教会の任務は重い。教会は現代世界の血管に、福音の永遠の力、世界を生かす神の力を送りこまなければならない

それから40数年が経過した今、果たして教会は「現代世界の血管」に「世界を活かす神の力」を送り込むことに成功しているのか、顧みなければならないと常に感じています。

さてヨハネス23世は、1961年12月25日に、唐突にこの文書を発表して公会議を召集したわけではありません。実は教皇に就任して3ヶ月しかたっていないときに、公会議召集の意向を示されたのです。それが1959年1月25日でした。すなわち、今年の1月25日は、教皇ヨハネス23世が第二バチカン公会議を召集するという意向を明示されてから50周年だったのです。そしてその場所は、ローマの聖パウロ大聖堂でした。

今年の1月25日、教皇ベネディクト16世はその同じ聖パウロ大聖堂に於いて晩の祈りを行いました。聖パウロの回心とともに、キリスト教一致祈祷週間を締めくくるための祈りの集いでした。その中で説教された教皇様は、最後の部分でこのヨハネス23世による公会議召集の意向発表の出来事を、「ここにいる私たち年輩のものは、確実に忘れる事はない出来事」と形容して、特にエキュメニズムに関連してコメントを述べられれました。教皇様はヨハネス23世の公会議を開催するという決断は、「聖霊の働きによる摂理的決断」であり、その後のエキュメニズム運動の基礎を築きあげたと述べ、困難はあるけれども「完全な一致の地平は、まだ私たちに開かれている」との希望を示されました。

教会の長い歴史、そして神の目における時間の流れから考えれば、50年というのはあっという間に過ぎません。第二バチカン公会議の歴史はまだ始まったばかりで、すべてが完全に実現しているわけではありません。未だに試行錯誤が続いている分野も少なくありません。残念ながら人間の時間は限られているため、どうしても結果が見たいと焦ってしまうのかもしれません。神の時間の流れの中に第二バチカン公会議の実りを委ねる事ができるかどうか、それはすなわち、「聖霊の働きによる摂理的な決断」に身を委ねる信仰があるかどうかと言うことではないかと思います。(写真は聖パウロ大聖堂)

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2009年1月26日 (月)

この冬一番の大雪

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Yuki0901_2 新潟はこの数日雪模様でしたが、昨日から今朝にかけてかなり降りました。いつもはそれほどつもる事がない新潟市内でも、今日は20センチほどの積雪に。新潟県でも雪が多い地域では、主な道路には融雪装置が装備されています。大雪になっても道路の積雪とは関係のないと豪語する長岡などが有名ですが、道路の中心部には雪を溶かすために水が出続けるパイプが埋めてあるのです。ところが新潟市内にはこれがありません。従って除雪車が出てこない事には、道路は雪だらけ。新潟日報夕刊によれば、新潟市内の市道の除雪は積雪が10センチを超えると除雪車出動となるそうですが、昨日の段階の予報では5センチほどだと言われていた事もあり、今朝は除雪の出動が遅れてしまったとの事。そのため今朝の出勤時には、雪に備えのある雪国とは思えない、道路の積雪による大渋滞になったとか。

道路の管轄によって除雪に出動する基準が違うとの事で、確かに今日の午後、新潟日報へ出かけたときに、国道はきれいに除雪されていましたが、市道はまだまだ。路地に入るともう車をまっすぐ走らせるのが困難な程度の積雪でした。新潟教会前の路地には、午後3時を過ぎた頃に、除雪車がその勇姿を見せてくれたのでありました。(上の写真は教会前の路地に現れた除雪車。その次は教会前の雪かきをする大瀧主任司祭)

ところでまったく関係のない話ですが、1月25日の新潟日報朝刊国際面の下段にある「海外こぼれ話」の欄に、ナイジェリアの話がありました。「こぼれ話」ですから、ちょっとおもしろ可笑しい話が集められている欄であります。

25日の同欄には「そこまでやるか」と題して、ナイジェリアで警察が山羊を逮捕した話が載ってました。なんとなれば、窃盗犯の一人が捕まらないように変身したのがその山羊だからだとか。「同国の一部では魔術を信じる人が多く」と記事は伝えますが、西アフリカに長く住んだ事のある人間なら、あながち冗談とは思わない話であります。本当にそうかどうかは別にして(というか、私は信じてはいませんが)、こういう話は、時に大まじめに、一般紙の一面トップに写真入りで報道されたりするのであります。結構、こういった魔術の存在は広く信じられていると思います。なにか、懐かしいお話でした。

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新潟日報へ

「新潟日報」は地元の新聞です。本日の午後、大瀧事務局長と一緒に新潟日報の本社へ出かけてきました。目的は、NHKの大河ドラマ「天地人」で上杉家の歴史が注目を浴びているときなので、それならばその直江兼続の時代に続く米沢の上杉家における殉教者たちの存在を取り上げては頂けないかと、宣伝に出かけたということであります。

事前にお願いをしてありましたので、新潟日報の高橋社長さんと小田編集局長さんにお会いする事ができました。みなさん双塔で有名な新潟教会聖堂の存在はよくご存じで、また以前にはその前にあった聖園幼稚園に何らかの関係がある方がいたりで、こちらからすると、かなり積極的に話を聞いて頂きました。先日山形の筒井さんたちが尽力して完成させた絵本「サムライたちの殉教」も贈呈させて頂きました。もしかしたら、今後何らかの形で、紙面で取り上げて頂けるのかもしれません。

直江兼続がなくなったのが1620年(旧暦1619年)です。上杉家の家臣としてかなりの上級武士でもあった甘糟右衛門が洗礼を受けたのは、1610年頃だと言われています。米沢藩の二代目藩主となる上杉定勝の筆頭家老志駄修理が直江兼続の跡を継ぐような形で藩主を支えます。その定勝が、幕府の圧力に抵抗できずにキリシタン弾圧を決めようとしていたとき、志駄修理は、藩内には三千人を超えるキリシタンが存在するので大変な事になると言って、何とか思いとどまらせようとしたと言います。つまり直江兼続が生きていた時代に、すでにキリシタンの共同体が米沢には存在していたという事になり、彼らが「組」を作ってさまざまな慈善事業にあたっていた事も周知の事実であったという事になります。米沢藩にはそういう行動を育む素地があったのではないでしょうか。そういったあたりを、天地人に全国的な注目が集まるときに、少しでも触れて頂けたらと思います。

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2009年1月24日 (土)

聖パウロの回心

明日、1月25日は例年ですと「聖パウロの回心」の祝日に当たります。この祝日は通常は主日に勝るものではありませんから、本来であれば明日は年間第三の主日であって、今年は「聖パウロの回心」の祝日は祝われない事になります。

ところが今年はちょうど教皇様が定められたパウロ年である事もあり、すでに昨年、2009年の1月25日には日曜日であるにもかかわらず「聖パウロの回心」を祝っても良いとのゆるしが与えられておりました。典礼秘跡省によって、今年に限り、次のように定められています。

「 したがって、教皇ベネディクト16 世から当省にゆだねられた権能に基づき、来る2009年1 月25 日の年間第3 主日に、それぞれの教会が『ローマ・ミサ典礼書』に記載された「聖パウロの回心」の式文に従って一度だけミサをささげることができることを例外的に承認する。この場合、ミサの第2 朗読は年間第3 主日のためのローマ典礼の『朗読聖書』から取り、信条を唱える」

ですから小教区で、例えば朝昼晩と三回のミサが日曜にあるのであれば、そのうちの一回だけは「聖パウロの回心」のミサを捧げても良いという事です。それ以外は年間第三主日です。

新潟教会では、朝6時半と夕方6時のミサは年間第三主日ですが、午前9時半のミサは「聖パウロの回心」のミサで、私の司式となります。どうぞおいで下さい。

新潟は一日中大雪となりました。本日の夕方にはカトリック医師会の新潟支部と、信徒使徒職協議会新潟地区の両方が別々のところで新年会を開いておりました。医師会は現在、外国人を対象とした医療相談会の開催を計画して、話し合いを進めているところだという事です。で、どちらにも招待頂きましたが、後者の方にお邪魔して参りました。とにかく外は寒い。明日も雪のようです。

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2009年1月22日 (木)

そういえば

Fuji0801 そういえば忘れておりましたが、お正月に大阪へ足を伸ばす前に母親のいる静岡へ出かけました。行きは時間がなかったので静岡駅からタクシーに乗りましたが、帰りは駅まで静鉄ジャストラインのバスに乗車。そして気がついた事が一つ。

バスは今流行のアイドリング・ストップ車です。低床バスとともに近頃増えましたよね。このアイドリング・ストップ車に乗車されて、なにやら気まずい雰囲気を味わった事はありませんか。しばしば新潟駅から新潟教会付近まで新潟交通のバスに乗るのですが、ここにもアイドリング・ストップ車が結構あるんです。まさしく信号待ちなどでバスが停車したとたん、アイドリングがストップするのであります。そうすると皆様、どうなりますか。そう、静寂がバスを包み込みますでしょう。ものすごく静かになって、いやはやバスの中というのは実はこんなに静かなのかとビックリするくらい、さっきまでの騒音とはかけ離れた落差の世界。静かなだけならまだしも、何かそこに多数の人たちと一緒にいると、声一つ発してはならないような気まずさが支配しませんか?そこで無情にも食事前で、お腹の一つでも「グー」と唸ってみなさい。この世のものとは思えないほどの恥ずかしさを味わう事ができます。

(とはいえ、そんなもの、なんのその、とばかりに、平気でトーンを変えずに会話を続けている人たちがいるのも事実ですけれど。

じゃあ静岡ではどうなのか。静鉄ジャストラインのバスは、アイドリング・ストップするやいなや、車内のスピーカーから録音された音楽が流れ始めるのです。きっとアイドリング・ストップのシステムと連動しているのでしょう。それは見事に音楽が流れ始め、その気まずい雰囲気が醸成される事を見事に防いでいるのでありました。すばらしいアイディア。

とはいえ、そういった音楽でさえもうっとうしい、公共の場では静寂こそがふさわしいと感じられる方がおられる事を知っていますし、確かに鉄道の駅などはやかましい。が、しかし、これはこれでなかなか良いと感じたのでした。

とはいえ、そのバスで録音されているバス停とバス停の間に流されるはずのコマーシャルは、どうみても長すぎて時間に収まっておらず、結局何のコマーシャルか判然としないというのも、可笑しくありました。(写真は東海道新幹線から見た、1月はじめの富士山)

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ロシアのキリスト教会の歴史講演会へ

新潟市では、今年のキリスト教一致祈祷週間の関連行事として、講演会が日本キリスト教団東中通教会を会場に本日開催されました。講演のタイトルは「ロシアにおけるキリスト教会の歴史と現状」で、講師は新潟聖書学院院長の中村敏牧師。新潟聖書学院は「日本同盟基督教団、日本伝道福音教団をはじめ、諸団体の教職試験に見合った神学教育を行って」いる学校だそうです(同校HPより)。

中村牧師はこれまで二回にわたってハバロフスクの極東ロシア聖書大学で、専門の「世界宣教史」を集中講義されたり、新潟から同行した学生と伝道実習をされたりと、交流を深めてきたのだそうです。

わたし自身もハバロフスクへは数度出かけていますし、現地のカトリック共同体との交流を始めたところです。そして今年の年頭司牧書簡にも記したとおり、今後、交流を深めていきたいと考えていますから、今日のお話は大変興味深く伺わせて頂きました。私はどうしてもカトリック教会の視点から見たロシア分析となってしまいがちですが、プロテスタント教会側から見たロシア分析にはまた違う側面がありました。極東ロシアにおけるカトリック教会は、基本的にポーランドやドイツからのかつての移民の子孫を中心とした小さな共同体であり、ロシア人の中に十分に入り込んでいるとはいえないところがあります。ところが今日のお話では、プロテスタント教会は、ハバロフスクに於いても結構大きな共同体を形成しているようで、ロシア人の中にもしっかりと足がかりを作り上げているような印象でした。

いずれにしろすぐお隣の国の教会共同体ですから、ロシアの教会とできるだけ交流を深めていきたいと思います。

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教皇様の期待

オバマ大統領の就任式にあたり、世界中の政治リーダーが祝福のメッセージを送りましたが、教皇ベネディクト16世も祝福の電報を送っています。その中で教皇様は次のように、新しい大統領への期待を表明されました。

「世界中の多くの兄弟姉妹が、貧困や飢餓、そして暴力といった災いからの解放を切望している今、あなたが理解と協調と平和を諸国間に於いて促進しようとするご自身の決意を確固たるものとされる事を祈ります。それによって、神が人類家族すべてのために備える事を望まれたいのちの食卓に、すべての人が与ることができるのです(私訳)」

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2009年1月21日 (水)

そこまで燃えなくても

Whitehouse 1998年の8月、私はルワンダの首都キガリに数日間滞在していました。その時に感じた違和感を、今朝もちょっと感じてしまいました。(写真は1984年2月のホワイトハウス)

キガリでのある朝、朝食に降りていったホテルの小さなレストランでは、テレビのニュースが大音量で流れていました。当時のクリントン大統領が、その前日の大陪審での証言の後に行った米国民向けのスピーチを繰り返し放送していたのです。話題になっていたのはクリントン氏とモニカ・ルインスキーさんのスキャンダルです。このレストランにいるすべての人の注目を集めているらしく、店員さんもなかなか注文を聞きに来てくれなかった事を思い出します。このニュースに注目していたのは店員さんを始め、ウガンダから来た現地のビジネスマンやNGO関係者が主だったのですが、そんな話題より、もっと逼迫して緊急な人命に関わることが今まさに起こっている当時のルワンダの地で、あたかも世界の一大事のように皆が注目しているニュースが、まったく関係のない外国の大統領のスキャンダルだとは、とても不思議に感じました。それくらい、アメリカ合衆国というのは世界に影響力を持っているという事なのでしょう。

そして今朝も。というよりも昨年来、まるで自分たちの大統領選挙であるかのように、合衆国以外でも大いに盛り上がり、就任式に於いてもまるで世界の救世主が現れたかのように、そこここで熱狂する。それもまた不思議に感じました。

オバマさんひとりの力で何か大きく世界が変わるほど、世界は単純でないのはたぶん皆分かっているけれど、でも何かその魅力にでもすがらなければならないほどの危機感や閉塞感を感じているのが今の世界なのかもしれません。

その意味では、前日のリンカーンメモリアルの前でしたかの演説で、オバマさんが、「俺に任しとけ」ではなく「力を貸してくれ」とか「一緒に」あたりを強調したところに、ちょっとは熱狂を冷ます鍵があるのかなとも思いました。

それにしても早口でまくし立てた就任演説でしたが、良くできたスピーチでした。内容がどうのということではなく、とても上手なスピーチでした。才能のある若いスピーチライターがいるのだそうですが、その意味でうらやましいなと思って聞いておりました。

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2009年1月19日 (月)

挑戦する青年

新潟の地域密着型インタビュー雑誌を昨年創刊した、小林弘樹さんという20代後半の青年に、本日の午後インタビューを受けました。雑誌は「Life-mag」というタイトルで、昨年は二度発行されています。彼がひとりで取材・編集・販売しているのだそうです。すでに発行された雑誌を見せて頂きましたが、なかなか硬派な出来です。これまでに、政治家や農家、NGO活動家、宗教家のインタビューを掲載してきたそうです。地元の人物にこだわるのは、読者がその人に会ってみたいと思ったときに、容易に可能になるためだとか。すてきでまっすぐな好青年でした。

それにしても教会の事を、まったく予備知識のない人に説明する事の難しさ。どうしても当たり前のように教会用語を使ってしまうのですが、それを分かってもらえるように説明する事が難しい。またあまりにかみ砕いて、また単純にして説明すると、本来の意味合いと異なってしまう危険性もあります。でも本気で宣教を考えるのなら、初めて聞く人にも分かる言葉で信仰を語る事ができなければいけませんね。

次号がいつ発行になるのか分かりませんが、楽しみにしたいと思います。すべて自己資金でこなしているという事で、ちょっと心配になりましたが、部数を出す事で広告収入を計る事ができるように頑張って欲しいと思います。

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2009年1月18日 (日)

召命

年間第二主日にあたる本日の朗読は、全体を通じて「召命」について語ります。サムエル記は、少年サムエルへの神からの直接の呼びかけ。コリントへの手紙では私たちがキリストの身体の一部とされていること。そしてヨハネ福音は最初の弟子の召し出しの話です。

私たちは「召命」を、単に特別な役割、例えば司祭や修道者への召命とだけ考えているのではありません。神はすべての人をそれぞれの役割に呼ばれると私たちは考えます。司祭・修道者だけではなく、すべての人には、この恵みである「いのち」を生きる中で、神が与えられた役割があると考えています。しかし世俗化の進んだ社会の荒波の前には、そんな考えは力を持ちません。合理的な説明のつかないそんな神がかりな「召命」なんて、今の時代には説得力を持っていないのかもしれません。しかし聖書は、神からの召し出しは、不合理で不可解だと教えています。

「何を求めているのか」というイエスの質問に、ヨハネの二人の弟子は「どこに泊まっているのですか」という、何ともかみ合わない回答をします。それに対してイエスもまた、「来なさい。そうすれば分かる」というかなり激しい回答です。しかしそれも、「召しだし」という視点から見れば、当然かもしれないと思いました。

つまり、弟子たちが求めていたのは、イエスが誰であるのか、何ものなのか、何を与えてくれるのかということの、合理的な説明ではなかったという事です。その場でイエスの講釈を聞いた上で、当時の先生であったヨハネの指し示してくれた方が「本物」であると十分に納得したいと願っていたわけではなかったのです。そうではなくて、そのイエスの「現実」を目の当たりにしたかったのです。体験したかったのです。そのイエスのリアリティを自分のものにしたかったのです。だから、イエスのベースが何処なのかを尋ねたのではないかと思うのです。「あなたのすべてを私たちに見せて下さい」という問いかけではなかったかと思います。

だからイエスの答え、「来なさい。そうすれば分かる」が生きてきます。二人の弟子は、まだ納得も何もないところで、とにかく主の懐に飛び込んでいくのです。この不合理の世界で展開する召命は、翌日、もうひとりをさらに誘うという行動へアンデレを駆り立てます。まさしく第一日目から、アンデレは、福音を告げるという自らに与えられた使命を、召命を、理解し行動へと移したのです。

私たちが合理的にすべてを納得できるレベルと、神の世界のレベルはまったく異なっている事を、心しておく必要があるのではないかと思うのです。不合理の中に、私たちへの呼びかけがあるのではないでしょうか。

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2009年1月17日 (土)

「それらはあなたの手の中で一つとなる」

明日1月18日から25日まで、全世界でキリスト教一致祈祷週間が開催されます。今年のテーマはエゼキエル書からとられた「それらはあなたの手の中で一つとなる」です。

新潟市内では、数年前まで各教会を巡回しながら毎晩の祈祷集会が行われていましたが、さまざまな事情から現在はこの週間の間に3回の集まりを持つ事に変更されています。今年の最初の集会は、明日、18日の日曜日、午後2時からカトリック新潟教会で行われます。説教は私です。

それぞれの教派がすでに長い歴史を背負って存在していますから、すべての違いを乗り越えて一緒になり、一つの教会を形作るというのは夢物語かもしれません。しかしできる事はあるはずです。同じ神を信じ同じ救い主を信じているのですから、召されている目的は同じはずです。生きる事の目的も同じはずです。志しは同じ方向を向いているのだと思います。そういう意味で、一緒に協力しながら行動をしていく事は可能でしょう。特に途上国などで、戦争被災者救援や平和構築などのために、教派を越えた連携が実現しています。日本でも、現在の厳しい社会情勢の中で、教派を越えた連携が模索できるのではないかと思います。

合同の祈祷集会がない地域でも、どうぞ明日のミサの中で、キリスト教一致のためにお祈り下さい。

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2009年1月14日 (水)

「いのちを守るための緊急アピール」発表

社会司教委員会では、昨日、「いのちを守るための緊急アピール」を発表しました(全文は中央協議会のHPのこちらへどうぞ)。社会司教委員会とは、「日本のカトリック教会として、時のしるしを見極め、社会の中にあって予言的な役割を果たすこと、また社会の非福音的な事象に対して、教会の内外に福音の立場を明示し、社会の福音化に寄与することを目指」すために設けられている委員会です(中央協のHPより)。社会系の各委員会の担当として司教協議会会長から任命されている司教さんたちがメンバーとなっています。私もカリタスジャパンの責任司教として任命されていますので、担当司教の幸田司教とともに、社会司教委員会のメンバーとなっています。(なお一部ドラフト段階の文面が出回っているようですが、正式な文章は中央協のHPを参照下さい)

アピールの一番訴えたい事は、次の一文に述べられています。

「この緊急事態にあたり、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、多くの人がいのちの危機に直面しているということを訴え、今、特にその最悪の結果である「路上死」と「自死」を出さないためにわたしたちに何ができるか、教区・小教区・修道会・信徒の団体で考えていただきたくこのアピールを出すことにしました」

このアピールは決して、教会として何もしていないからこれから新しく何かを開始しなくてはならない、というスタンスではありません。もちろん必要なところでは新しく始めなくてはならないでしょうが、すでにこういった問題に対応して活動を始めた方々や、これまで何十年もの長い間にさまざまな支援活動を行ってきた方々の働きに対して、協力と支援を強めていこうと(そして感謝も)呼びかけるものです。

問題は突発的に発生したものではなく、長年の歴史の中で積み上げられてきたものですから、おいそれと解決が見いだせるものではないのでしょうけれど、まず小さな問題に一つ一つ取り組んでいくところから、全体へと波及していく事を望みたいという姿勢です。全体としての大転換は政治にしかその力がないのかもしれません。宗教としては個々の方々の心の転換から入り込んで行ければ、とも思います。

とはいえ、「 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです(ヤコブ2章15節から17節)」と聖書にあるとおり、目前の事態に具体的に行動しない限りは意味がありません。自分にできる範囲をわきまえて、取り組みを考えていきたいと思います。

それから、カリタスジャパンの社会福祉部門で取り組んでいる「自死」の問題についても、経済情勢と切り離せいない相関関係があるという指摘もありますから、これについてもこれまでの啓発への取り組みを強めていきたいと思います。

いずれにしても問題の現実とその背景を知らない限りはふさわしい対応をとる事はできないのですから、常に学ぶ姿勢も持ちたいと思います。

アピールにもあるとおり、今後カリタスジャパンでは募金を呼びかけ、さまざまな支援活動に対する援助を行っていきたいと考えていますので、今週中にも具体策を検討して参ります。

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2009年1月12日 (月)

そして大阪

釜ヶ崎へ出かけた先週の金曜日、その前に大阪司教館で社会司教委員会が開催されました。経済と雇用という社会全体を包み込む問題にどう対応するのか、個別対応や普遍化ができないので難しい課題ですが、まず現状を見つめて良く理解し、それぞれの現場での行動を促したり、またはすでに取り組んでおられる多くの方々の活動を支援する意味も込めて、社会司教委員会からのアピール文を発表する事になりました。現在、文章を整えていますので、明日、火曜日には公表となる予定です。全国一律に同じ行動をとる事はのできないでしょうし、それぞれの地域における状況にも違いがあります。教会が立ち位置を何処に置くのかを考えたいと思います。またカリタスジャパンでもこのアピールに呼応して、募金を開始する予定です。カリタスジャパン自体が実働部隊を持っているわけではないので、具体的に行動をとる事はできませんが、どのような形の援助となるのかは、これまでの災害救援を参考にしながら、それぞれの教区の担当者の皆さんと詰めていきたいと思います。

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2009年1月11日 (日)

釜ヶ崎へ

写真で何度も見て知っていたはずの場所だったのですが、実際に初めてそこへ出かけていって、かなりの重さを心に抱え込みました。先週末、東京での会議が終わってから、金曜日と土曜日にかけて、大阪の釜ヶ崎へ出かけてきました。イエズス会社会司牧センターである「旅路の里」で開かれた一泊研修に参加してきました。JR環状線の新今宮駅を降りると道路を挟んで目の前に、何度も映像で見てきた「あいりん総合センター」が異様を放ってそびえていました。

2008年後半から続いている世界的な経済危機は、日本に於いても特に非正規労働者の解雇などの問題として、多くの人に直接影響が及び、同時に大多数がその勢いを現実に肌で感じる問題となっています。カリタスジャパンで社会福祉部門を担当して、現在特に自死の問題にも取り組んでいる幸田司教によれば、日本の自殺者は企業の経営破綻が急増した1997年度末以降、つまり1998年3月以降に急増している事が明らかだと言います。そして現在の経済状況は10年前よりも悪いのです。ここで宗教が何らかの役割を果たせなければ、その存在意義がないとまで思ってしまいます。

日比谷公園での「年越し派遣村」で、職も住むところも奪われた非正規雇用者の存在はクローズアップされ、政治においてもさまざまな動きがあるようですから、その意味であの行動は影響力を発揮したという事でしょう。そうであれば、長年にわたって日本の建設業を支えてきた日雇い労働者の存在は、その本家本元として注目されるべきであろうと感じました。

釜ヶ崎支援機構代表の山田実さんに、歴史的背景や現状、今後の見通しについてお話を聞き、夜間緊急避難所(シェルター)や、支援機構のさまざまな活動を見学させて頂きました。また夜の釜ヶ崎もぐるりと見て回りました。推定で三万人はいるといわれる釜ヶ崎の居住者のうち、三分の二が日雇い労働者だといいます。何とか仕事があり収入があれば、簡易宿泊所に泊まる事ができるものの、この経済状況では当然に仕事も減っている事から、野宿をせざるをえない人も多いのだといいます。

その対策として設けられているシェルターはこの地区で二カ所で、合計1,040人収容。食事はなく乾パンを支給。プレハブの中には二段ベットが整然と並んでいました。そのチケットを求めて多くの人が夕方5時頃に、あいりんセンターをぐるりと囲んで並んでいました。それでもこの越年期、野宿となる人も多く、数日前にはこの地域だけで164人を数えたといいます。

日雇いの仕事も確実に減少しており06年11月には1日の平均現金求人数が2500件以上あったものが、07年11月には2000件。そして08年11月は1792件と、徐々に減っています。非正規労働者の雇用問題が深刻化する中、これから夏にかけてその影響が、目に見える形で釜ヶ崎に現れるのではないかという指摘も耳にしました。

さまざまな歴史的政治的経済的背景がそこにあり、一人ひとりの人のさまざまな事情が複雑に絡んで出来上がっている現実ですから、簡単に理解する事はできませんが、しかし、この日本の大都市の一角に、ひとりの人間が路上で死んでいても、たいしたニュースにもならない。そんな街が存在している事が、わたしの心に重くのしかかります。

土曜の朝5時少し前に、もう一度あいりんセンターへ出かけ、シャッターが開くと同時に始まる求人の様子をみせて頂きました。そしてお昼前には、三角公園で行われる炊き出しに足を運んでみたりと、ほんの少しの間だったのですが、釜ヶ崎全体とその周囲を何度も何度も回る事ができました。

二日間だけの体験ですから、それですべてが分かるわけもありませんし、背景もまだ良く理解していませんから、何かをコメントできるものではないのですが、とにかく今の日本の現実の一つとしては、重く心にのしかかる現実でしたとだけ、報告させて頂きます。

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2009年1月 6日 (火)

東京などへ

今年の会議が、早速水曜日からスタートしますので東京へ。その前にちょっと静岡の母のところに足を伸ばし、新潟へ戻るのは土曜日に。次の更新はたぶん土曜以降になるでしょう。11日の日曜日「主の洗礼」の主日は、新潟教会でミサの後、ヨゼフ会とマリア会合同での新年会があるそうです。わたしも出席して一曲は歌うようにとのリクエストをいただきましたから、そういたします。おいで下さい。

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2009年1月 5日 (月)

ガーナでも新大統領

Ghana 今年のオソンソンのマリア祭について先日書きましたが、クリスマスにいただいたガーナの友人からメールに書いてありました。今年も盛大に行われたようですが、いつもより一週間早めに行われたと。というのも、12月7日には大統領選挙が行われたためだとか。そういえばガーナの大統領の任期は合衆国と同じ。つまり合衆国が大統領選挙で盛り上がっているときには、ガーナでも同じ事が起きているはずでした。

J.J.ローリングス氏によるPNDC(暫定国防評議会)政権が1981年から続いた独裁をやめ、民政移管を決意した1992年11月の選挙には、わたしもオソンソンの小学校投票所で立ち合いました。懐かしい思い出です。識字率がそれほど高くない事もあり、投票はそれぞれの候補の所属する政党のシンボルマークの横に拇印を押す形で行われました。ですから選挙期間中は、それぞれのシンボルマークの連呼でした。朝から晩まで、「傘・傘」やら「象・象」と叫ぶ声が、村中に響いていました。今はどうなっているのでしょう。

さてローリングス氏の跡を継いだクフォー大統領も2期目が終わりに近づき、3選は憲法で禁止されていますから、今回は新しい大統領の選出でした。一回名の投票では過半数を獲得した候補がおらず、12月28日に野党のジョン・アタ・ミルズ氏と与党のナナ・アクフォ・アド氏の決選投票となったそうです。結局選出されたのはジョン・アタ・ミルズ氏。1月7日の就任式には、小泉元首相が日本政府代表で出席するとのこと。

ミルズ新大統領は92年に民政移管されて、PNDCがNDC(国民民主会議)と衣替えをして政党となり、ローリング氏が大統領に選出されたときの副大統領でした。2000年までローリングス氏と一緒に国政に当たってきた人物です。ガーナの名門であるアチモタ・スクールを卒業してガーナ大学に進学。その後ロンドン大学でPh.D.を取得し、フルブライト留学生として合衆国のスタンフォード大学で法律を学び、それから25年間にわたりガーナ大学の法学部で教鞭を執っていたそうです。

ガーナは1981年のクーデターを最後に、一応これまで平穏を保ってきた西アフリカの優等生です。新しい大統領の手腕に注目したいと思います。(冒頭の写真はガーナの首都アクラで見かけたサッカーユニフォーム的シャツ屋さん)

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2009年1月 4日 (日)

葬儀の帰りはユータン・ラッシュ

Okumurasogi1 先日帰天された神言会の奥村功神父様の葬儀は、昨日午前11時から、秋田教会で執り行われました。秋田は雪のちらつく寒い日でしたが、大勢の方が参列して下さいました。特に奥村神父様は長年にわたって、秋田地区での幼稚園教育に指導的立場であった事から、幼稚園関係の方も大勢参列されました。

奥村師は1931年に新潟の新津で生まれ、市役所勤めを始めてから教会と出会い、洗礼を受けて、神学校へ入ったと伺いました。1967年に36歳で司祭に叙階。その初ミサを故郷の新津教会で捧げたときの主任司祭が、現能代教会主任のミュラー神父様。奥村師より二つ年上という年齢の近さもあって、お二人は仲良くされていたようです。その縁で、葬儀の説教はミュラー神父様でした。

奥村師は助任時代を名古屋や東京で過ごされましたが、主任としては2年間の吉祥寺を除いて、秋田地区での司牧に徹しておられました。とにかく独立心の強い方で、何度も大病を患い大手術を受けても、そのたびに自分で何とかするからとあまり他人の手に頼らず、そして幾たびも乗り越えてこられた方でした。しばしばルルドへの巡礼にも巡礼団長として出かけておられました。一体何処にそんな体力があるのだろうと、不思議に思ったものです。数年前に腹部の動脈瘤の手術を受けられた頃から体力の衰えが目立つようになり、本荘教会主任を最後に秋田教会での引退の道を選択されました。しかし引退後も時間を見つけては、聖書の勉強会などを開いていたという事で、最後まで現役にこだわった人生でした。奥村神父様、ありがとうございました。R.I.P.

昨日の秋田から新潟への戻りは、まさしくユータン・ラッシュの真っ直中でした。秋田から東京方面に向かったある司祭も、結局「こまち」には乗れず、立ち席も手に入らないという事で、わたしと一緒に「いなほ」で秋田から新潟へ向かい、そこから夜の上越新幹線で東京へ。最悪立つ事になっても、新潟から東京までの2時間。秋田から東京までの5時間を立つ事に較べればという事でした。しかしその「いなほ」も、指定券売り切れは言うに及ばず、始発の秋田駅ですでに自由席は満席状態。1時間近く早く出かけて、並んでやっと座れました。

これが酒田を過ぎ鶴岡に至って、通路まで満杯状態。こんなに乗車率の良い「いなほ」は初めて見ました。普段これくらいなら、JR東日本ももっと増発してくれる事でしょうし、車輌も多少は新しくしてくれるでしょうに。通路まで満杯になると身動きがとれず、トイレにも到達する事が難しくなりますから、しんどかったです。

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2009年1月 1日 (木)

09年、年頭司牧書簡と世界平和の日説教

新潟の元旦は、天気予報と異なり、とても落ち着いた穏やかな日となりました。皆様の地域はいかがでしたか。明日は神言会の奥村功神父様の葬儀などに参列するため秋田へ移動するのですが、この時期は本当に天候頼みです。教区の中を移動するだけなのに、予定通り到着できるか、戻ってこられるか、不安です。日本海沿いの鉄道は、風に弱いのです。

さて元旦に発表させて頂いた年頭の司牧書簡を、私のホームページにも掲載しておきました。それから新年一番の深夜ミサとして行った世界平和の日のミサ説教も同じく掲載してあります。こちらをクリックすると、「司教のページ」へ飛びますので、その左下、スクロールすると「2009年」のところがありますから、そこの各タイトルからお入り下さい。

それではよい正月をお過ごし下さい。

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あけましておめでとうございます

新潟教区の皆様

新年、あけましておめでとうございます。

2009年が皆様お一人お一人にとって、豊かな神の祝福に満たされた充実した一年となる事をお祈りいたします。新潟教区のためにも、司祭、修道者、司教のためにも、どうぞ皆様の変わらぬお祈りをお願い申し上げます。一緒になって、よりふさわしく福音宣教の業に励んでいく事ができるように、皆様のお力添えをお願いいたします。

「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません(使徒20:24)」

年頭司牧書簡「あかしに生きる」を、皆様の小教区にもお届けしてあります。本日以降、それぞれの小教区で、是非一部おとりになって下さい。上に掲げた聖書の言葉で、司牧書簡を書き始めました。私たちは殉教者を福者として頂く教区となりました。殉教者たちとその時代を生き抜いた多くのキリシタンの生き方を通じた信仰のあかしに倣い、私たちも日々の生活の中で、福音をあかしする生き方を選択して参りましょう。

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