« 聖パウロの回心 | トップページ | この冬一番の大雪 »

2009年1月26日 (月)

新潟日報へ

「新潟日報」は地元の新聞です。本日の午後、大瀧事務局長と一緒に新潟日報の本社へ出かけてきました。目的は、NHKの大河ドラマ「天地人」で上杉家の歴史が注目を浴びているときなので、それならばその直江兼続の時代に続く米沢の上杉家における殉教者たちの存在を取り上げては頂けないかと、宣伝に出かけたということであります。

事前にお願いをしてありましたので、新潟日報の高橋社長さんと小田編集局長さんにお会いする事ができました。みなさん双塔で有名な新潟教会聖堂の存在はよくご存じで、また以前にはその前にあった聖園幼稚園に何らかの関係がある方がいたりで、こちらからすると、かなり積極的に話を聞いて頂きました。先日山形の筒井さんたちが尽力して完成させた絵本「サムライたちの殉教」も贈呈させて頂きました。もしかしたら、今後何らかの形で、紙面で取り上げて頂けるのかもしれません。

直江兼続がなくなったのが1620年(旧暦1619年)です。上杉家の家臣としてかなりの上級武士でもあった甘糟右衛門が洗礼を受けたのは、1610年頃だと言われています。米沢藩の二代目藩主となる上杉定勝の筆頭家老志駄修理が直江兼続の跡を継ぐような形で藩主を支えます。その定勝が、幕府の圧力に抵抗できずにキリシタン弾圧を決めようとしていたとき、志駄修理は、藩内には三千人を超えるキリシタンが存在するので大変な事になると言って、何とか思いとどまらせようとしたと言います。つまり直江兼続が生きていた時代に、すでにキリシタンの共同体が米沢には存在していたという事になり、彼らが「組」を作ってさまざまな慈善事業にあたっていた事も周知の事実であったという事になります。米沢藩にはそういう行動を育む素地があったのではないでしょうか。そういったあたりを、天地人に全国的な注目が集まるときに、少しでも触れて頂けたらと思います。

|

« 聖パウロの回心 | トップページ | この冬一番の大雪 »

司教の日記」カテゴリの記事