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2009年1月11日 (日)

釜ヶ崎へ

写真で何度も見て知っていたはずの場所だったのですが、実際に初めてそこへ出かけていって、かなりの重さを心に抱え込みました。先週末、東京での会議が終わってから、金曜日と土曜日にかけて、大阪の釜ヶ崎へ出かけてきました。イエズス会社会司牧センターである「旅路の里」で開かれた一泊研修に参加してきました。JR環状線の新今宮駅を降りると道路を挟んで目の前に、何度も映像で見てきた「あいりん総合センター」が異様を放ってそびえていました。

2008年後半から続いている世界的な経済危機は、日本に於いても特に非正規労働者の解雇などの問題として、多くの人に直接影響が及び、同時に大多数がその勢いを現実に肌で感じる問題となっています。カリタスジャパンで社会福祉部門を担当して、現在特に自死の問題にも取り組んでいる幸田司教によれば、日本の自殺者は企業の経営破綻が急増した1997年度末以降、つまり1998年3月以降に急増している事が明らかだと言います。そして現在の経済状況は10年前よりも悪いのです。ここで宗教が何らかの役割を果たせなければ、その存在意義がないとまで思ってしまいます。

日比谷公園での「年越し派遣村」で、職も住むところも奪われた非正規雇用者の存在はクローズアップされ、政治においてもさまざまな動きがあるようですから、その意味であの行動は影響力を発揮したという事でしょう。そうであれば、長年にわたって日本の建設業を支えてきた日雇い労働者の存在は、その本家本元として注目されるべきであろうと感じました。

釜ヶ崎支援機構代表の山田実さんに、歴史的背景や現状、今後の見通しについてお話を聞き、夜間緊急避難所(シェルター)や、支援機構のさまざまな活動を見学させて頂きました。また夜の釜ヶ崎もぐるりと見て回りました。推定で三万人はいるといわれる釜ヶ崎の居住者のうち、三分の二が日雇い労働者だといいます。何とか仕事があり収入があれば、簡易宿泊所に泊まる事ができるものの、この経済状況では当然に仕事も減っている事から、野宿をせざるをえない人も多いのだといいます。

その対策として設けられているシェルターはこの地区で二カ所で、合計1,040人収容。食事はなく乾パンを支給。プレハブの中には二段ベットが整然と並んでいました。そのチケットを求めて多くの人が夕方5時頃に、あいりんセンターをぐるりと囲んで並んでいました。それでもこの越年期、野宿となる人も多く、数日前にはこの地域だけで164人を数えたといいます。

日雇いの仕事も確実に減少しており06年11月には1日の平均現金求人数が2500件以上あったものが、07年11月には2000件。そして08年11月は1792件と、徐々に減っています。非正規労働者の雇用問題が深刻化する中、これから夏にかけてその影響が、目に見える形で釜ヶ崎に現れるのではないかという指摘も耳にしました。

さまざまな歴史的政治的経済的背景がそこにあり、一人ひとりの人のさまざまな事情が複雑に絡んで出来上がっている現実ですから、簡単に理解する事はできませんが、しかし、この日本の大都市の一角に、ひとりの人間が路上で死んでいても、たいしたニュースにもならない。そんな街が存在している事が、わたしの心に重くのしかかります。

土曜の朝5時少し前に、もう一度あいりんセンターへ出かけ、シャッターが開くと同時に始まる求人の様子をみせて頂きました。そしてお昼前には、三角公園で行われる炊き出しに足を運んでみたりと、ほんの少しの間だったのですが、釜ヶ崎全体とその周囲を何度も何度も回る事ができました。

二日間だけの体験ですから、それですべてが分かるわけもありませんし、背景もまだ良く理解していませんから、何かをコメントできるものではないのですが、とにかく今の日本の現実の一つとしては、重く心にのしかかる現実でしたとだけ、報告させて頂きます。

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