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2009年1月 4日 (日)

葬儀の帰りはユータン・ラッシュ

Okumurasogi1 先日帰天された神言会の奥村功神父様の葬儀は、昨日午前11時から、秋田教会で執り行われました。秋田は雪のちらつく寒い日でしたが、大勢の方が参列して下さいました。特に奥村神父様は長年にわたって、秋田地区での幼稚園教育に指導的立場であった事から、幼稚園関係の方も大勢参列されました。

奥村師は1931年に新潟の新津で生まれ、市役所勤めを始めてから教会と出会い、洗礼を受けて、神学校へ入ったと伺いました。1967年に36歳で司祭に叙階。その初ミサを故郷の新津教会で捧げたときの主任司祭が、現能代教会主任のミュラー神父様。奥村師より二つ年上という年齢の近さもあって、お二人は仲良くされていたようです。その縁で、葬儀の説教はミュラー神父様でした。

奥村師は助任時代を名古屋や東京で過ごされましたが、主任としては2年間の吉祥寺を除いて、秋田地区での司牧に徹しておられました。とにかく独立心の強い方で、何度も大病を患い大手術を受けても、そのたびに自分で何とかするからとあまり他人の手に頼らず、そして幾たびも乗り越えてこられた方でした。しばしばルルドへの巡礼にも巡礼団長として出かけておられました。一体何処にそんな体力があるのだろうと、不思議に思ったものです。数年前に腹部の動脈瘤の手術を受けられた頃から体力の衰えが目立つようになり、本荘教会主任を最後に秋田教会での引退の道を選択されました。しかし引退後も時間を見つけては、聖書の勉強会などを開いていたという事で、最後まで現役にこだわった人生でした。奥村神父様、ありがとうございました。R.I.P.

昨日の秋田から新潟への戻りは、まさしくユータン・ラッシュの真っ直中でした。秋田から東京方面に向かったある司祭も、結局「こまち」には乗れず、立ち席も手に入らないという事で、わたしと一緒に「いなほ」で秋田から新潟へ向かい、そこから夜の上越新幹線で東京へ。最悪立つ事になっても、新潟から東京までの2時間。秋田から東京までの5時間を立つ事に較べればという事でした。しかしその「いなほ」も、指定券売り切れは言うに及ばず、始発の秋田駅ですでに自由席は満席状態。1時間近く早く出かけて、並んでやっと座れました。

これが酒田を過ぎ鶴岡に至って、通路まで満杯状態。こんなに乗車率の良い「いなほ」は初めて見ました。普段これくらいなら、JR東日本ももっと増発してくれる事でしょうし、車輌も多少は新しくしてくれるでしょうに。通路まで満杯になると身動きがとれず、トイレにも到達する事が難しくなりますから、しんどかったです。

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