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2009年5月18日 (月)

信仰の先達に倣う

Yonezawakansha05 昨日写真で紹介した山形教会の教会報特別版には、5月16日の米沢における列福感謝ミサに参加された多くの方々を、ミサ直後から祝賀会の最中まで広報担当者が手分けをしてインタビューした『声』が、紙面を数ページにわたって埋め尽くしております。その中の多くが、ミサに出席されて感動を覚えられたと語って下さっております。わたし自身もあのミサの最中、大きな感動に包まれておりました。それは、まさしくルイス甘糟右衛門たちが380年前に処刑されたその場所で、彼らが最後の瞬間に求めてもかなえられなかった聖体祭儀に、感謝ミサを通じて、一緒に与り祈っていると感じたからです。まさしく信仰の先達たちが、後に続く私たちのために、天国において取り次ぎの祈りを捧げて下さっていると、肌で感じたからです。

ミサの説教で触れたことですが、教皇様の回勅「希望による救い」には、「人間であることの根本的要素」という指摘があります。私はこれを引用させて頂いて、説教でこう述べました。

「殉教者たちは、その人生を通じて、まさしく『人間であることの根本的な構成要素』を明確に表現したのです。
 殉教者たちは、人とともに、人のために苦しみ抜きました。
 殉教者たちは、真理と正義のために苦しみ抜きました。
 殉教者たちは、愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために、苦しみ抜きました。
 殉教者たちは、イエス・キリストの福音に従い、神の招きに信頼して信仰生活を生き抜きました。
 苦しみ抜き、生き抜いたとき、その真摯な姿が、多くの人から尊敬を集める生き方となったのです」

列福を感謝した今、私たちには次のステップでもある列聖に向けて祈ることが求められています。と同時に、信仰の先達たちの模範に倣って、信仰生活を生きることも求められています。私たちも信仰のゆえに苦しみ抜き、生き抜きたいと思います。

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