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2009年12月21日 (月)

バングラデシュから・その1

Bangla01 先週の月曜日から金曜日、12月14日から18日まで、バングラデシュを訪問する機会に恵まれました。タイ航空のバンコク乗り換えで出かけましたから、旅行期間は13日の日曜日から19日の土曜日まででした。成田からバンコクまで6時間弱。その後バンコクからバングラデシュの首都ダッカまで、2時間半弱。あっという間に真冬の日本から、熱帯地方へ到達です。とはいってもバングラデシュも「冬」。乾期の真っ最中で、地元の人たちは、特に訪問した北部のラジャヒでは、「寒い、寒い」と、セーターを羽織りマフラーを巻いた人が目につきました。真冬からきた私にはちょうど良い季候ではありました。真夏には40度を超す猛暑になるのだとか。

バングラデシュといえば洪水です。インドから流れてくるガンジス川が海に注ぐ一帯に広がっている平らな国ですから、雨期には国土の半分近くが水に浸かるのだとか。今回首都のダッカから北部のラジャヒまで、新しく開通したという6キロにも及ぶ橋を通って自動車で4時間強の移動でも、道路の両サイドは雨期には水に浸かり、まるで海の中を走る道のようになるのだとか。どこに行っても水の存在を肌で感じる国でした。

バングラデシュは日本の半分以下の面積に、日本より多い一億五千万人以上が暮らしているという、人口密度の非常に高い国です。訪問中の12月16日はちょうど「戦勝記念日」で、国を挙げての祝日でした。至る所にさまざまなスローガンを掲げた飾りのアーチが、道をまたいで設置されておりました。1971年に当時のパキスタンから東パキスタンが独立を宣言。パキスタン軍が軍事力で制圧しようとしたために、インドへ大量の難民が流入し、それをきっかけにインド軍が東パキスタンを支持して介入。最終的にパキスタン軍がインド軍に降伏してバングラデシュの独立が確実なものとなったのが、1971年12月16日であったということです。当時は10代の少年たちまでが独立のために闘い、インドへ出かけていって訓練を受けてきたのだと聞きました。この闘いに身を投じた人たちは「自由のための闘士」と呼ばれ、さまざまな年代の人たちがいるのですが、今でも尊敬を集めているのだとか。

昨年末に行われた総選挙の結果、国民から国父として敬愛されているラフマン(ラーマン)初代大統領の娘であるハシナ女史が首相に就任し、その政党であるアワミ連盟(BPL)が野党から与党に返り咲いています。前政権はどちらかといえばイスラム教を中心とした国家像を描いていたようですが、現在の政権はイスラム協を中心とするものの世俗的な政権運営を目指しているともいわれ、教会関係者の期待も聞かれました。しかしいずれにしても国民の8割がイスラム教徒であり、それ以外では1割程度のヒンズー教徒、そして残りのその他の中に0.3%程度のカトリック信徒が存在しています。小さな教会です。全国に信徒が二十八万人ほど。教区が6つ設立されています。首都のダッカが大司教区です。

今回訪問したラジャヒ教区はバングラデシュで一番信徒の少ない教区ですが、とはいっても信徒数は四万五千人ですから、新潟教区より遙かに多い。教区長のジェルバス・ロザリオ司教様は、「召命が多くて困っている」とまで仰る(写真下左がロザリオ司教様と私)。教区センターは巨大なビルでしたし、すぐ裏には宿泊も可能な四階建て研修センターを建設中です。うらやましい。

さてそんな国の中で、カリタスバングラデシュは、専従職員3,563人、非常勤職員を3,445人と七千人もの人材を雇用して、全国に63ものプログラムを展開している巨大「NGO」です。加えてスタッフの6割がイスラム教徒であることから、政府からの信用も厚く、単に教会の開発援助団体としてではなく、国家レベルでの開発援助団体としての地位を確立しています。そのカリタスバングラデシュと一緒に、カリタスジャパンでは、先住民族の子どもたちの教育支援を2005年から行ってきました。その対象教区の一つが、ラジャヒ教区です。

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