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2010年1月 8日 (金)

二つの葬儀

Tsuruoka1001 この数日の間に、二つの葬儀に出かけてきました。

まず一つ目は5日の11時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた白柳枢機卿様の葬儀。あの巨大な大聖堂が一杯でした。司教団と200名を超える司祭団、そして聖堂には二千人を超える会葬者がおられたのではないでしょうか。司教団のメンバーには航空機が手配しきれずに来られなかった方もおられますし、ソウルの枢機卿様は大雪で飛行機が飛ばずキャンセルになったとうかがいました。香港からは湯(Tong)司教様がFABC(アジア司教協議会連盟)の事務教区長補佐O'Toole師を伴って、また東京と長年に渡り関係が深いドイツのケルン教区からは補佐司教様(名前をメモするのを失念)が参列されました。説教は岡田大司教が行い、告別式では来賓を代表して世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の理事長を務める庭野日鑛(にちこう)立正佼成会会長が弔辞を述べられました。白柳枢機卿様は長年にわたり世界宗教者平和会議のために尽力され、理事長も務めておられました。告別式では司教団が枢機卿様の棺を丸く囲み、司祭団と共にSalve Reginaを歌い別れを告げました。荘厳な典礼でしたが、オルガンの調子が今ひとつ悪いようで、残念でした。

そして7日の11時から、山形県の鶴岡教会(写真)にて、山形教会主任司祭の本間研二師のお母様の葬儀でした。本間師はイエズス・マリアの聖心会会員ですから、山形県や茨城県などで働く同会会員司祭の多く、さらには秋田地区や新潟地区の司祭も加わり、狭い鶴岡教会の内陣は司祭団で一杯でした。20名近くはいたでしょうか。また鶴岡教会の信徒を始め山形県内各地から大勢の信徒が集まり、聖堂は一杯でした。小さな聖堂ですから一杯ということは、150名ほどになったでしょうか。91歳で亡くなられたお母様は、60歳の頃に洗礼を受け、その後聖歌隊などでも活躍されたということで、聖歌隊のメンバーもユニフォームに身を包み、美しい歌声を響かせてくれました。説教は30年前にお母様に洗礼を授けたドネガン師。ドネガン師は現在再び鶴岡の主任となっています。

早朝に坂本神父に運転を任せて新潟を出発したときは、みぞれ交じりの雨でした。天気予報でも雨か雪の寒い一日ということでしたので、覚悟して鶴岡へ向かいました。車で3時間以上の道程です。ところが鶴岡に近づくにつれ天気は回復。温海温泉を過ぎたあたりの海岸沿いからは、遠く秋田県との県境にそびえる鳥海山が、雲一つなくくっきりと海に浮かぶように見えました。珍しいことです。そして鶴岡は一日中の晴天。夕方に新潟へ戻ってきたら、新潟は再び雨でした。不思議な天気の一日でありました。

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