« 秋田滞在の一週間 | トップページ | 新潟市消防局の行方 »

2010年3月14日 (日)

直江津教会で四旬節黙想会

Naoestu01

四旬節第四主日の今日、上越市の直江津教会で、四旬節黙想会を行ってきました。朝6時半に出かけようと司教館の玄関を出て、昨日秋田から戻って停めたままにしておいた車を見てびっくり。そういえば昨日は天気が悪く、雨が降るわ、風が吹くわ、海岸沿いの国道は波しぶきをかぶるわだったのですが、おかげさまでブラックの私の車は見るも無惨な汚れようです。しかし時間的にもう洗っている暇はなし。今日の新潟は晴天で、光り輝く朝の高速道路を無残に汚れきった車でドライブの朝となりました。

さて新潟から直江津までは高速道路で1時間45分ほど。本日の第一部、日本語のミサは朝9時からです。二人のかわいいお嬢さんの侍者と、主任司祭のフーベルト神父と一緒です。直江津教会にはすばらしいオルガニストがおられるので、しっかりとした歌ミサが行われます。日本語ミサに集まったのは20数名の信徒の方々。ミサを捧げ、その後45分ほど講話をさせていただきました。引き続いて十字架の道行きとゆるしの秘蹟。締めくくりは聖体降福式。そのご参加者の方々と一緒にお弁当をいただいて、第一部が終了。

午後1時半頃からは、第二部です。今度は主にフィリピン出身の信徒を中心にした英語での黙想会。参加者は35名ほど。高田教会で活躍するフィリピンのシスター方のリードで祈りが行われ、始まりです。まず私が45分ほど英語で話をしました。その後、十字架の道行きとゆるしの秘蹟。高田教会のマリオ神父様もゆるしの秘蹟の手伝いに駆けつけてくださいました。締めくくりは英語ミサ。これまたかわいい二人のお嬢さんが侍者をしてくれました。写真は英語ミサの後に皆で記念撮影。プログラム終了後はいつものように持ち寄りで食事です。私も少しいただきました。直江津を出たのはもう夕方5時近くになってからでした。

第四主日の福音は有名な放蕩息子の帰還の話でした。もちろん戻ってきた息子を優しく迎える父親の話ですから、罪のゆるしの話であることは確かですし、私たちを無条件にゆるし迎えてくれる父なる神様の話でもあります。しかし同時に私たちの信仰の基礎的なポイントも指摘している話です。父親の言葉が象徴的です。「死んでいたのに生き返った。失われていたのに見いだされた」。単純に息子が戻った話であるのなら、「失われていたのに見いだされた」だけですむところを、「死んでいたのに生き返った」と言う父親。何に死んでいたのか。それは息子が、家庭という共同体から切り離されることで、本来生きるべき命を生きていなかったことを意味しているのではないでしょうか。家庭という共同体に戻ることで、あらためてふさわしい命を生きることになったことを祝っているのではないでしょうか。私たちの信仰も徹頭徹尾、共同体に生きる信仰です。共同体に結ばれることなく私たちの信仰はふさわしく生かされることはありません。自らも生かされ、またほかの人たちと共に生きる信仰。私たちの共同体はそれにふさわしいあり方でしょうか。

|

« 秋田滞在の一週間 | トップページ | 新潟市消防局の行方 »

司教の日記」カテゴリの記事