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2010年7月13日 (火)

カーティス・ワシントン神父

自分の修道会(神言会)では、毎日の聖書朗読や典礼について修道会独自の典礼暦を含めてまとめた小冊子ORDOが、毎年総本部で製作されています。たぶんどこの修道会でも独自のORDOを持っていることだと思います。神言会のそれには、毎日の項目に、命日を迎えた神言会員、聖霊会員、そして永久礼拝会員の名前が記されています。だんだんと知っている人の名前が増えつつあるのですが、数日前、7月11日には懐かしい名前が記載されていました。P. Curtis Washington, 1985 GHA (68)と記されています。カーティス・ワシントン神父は、1985年7月11日に68歳で亡くなられた、ガーナ管区所属の会員です。私が彼に初めて「会った」のは、1986年7月。場所はアメリカ合衆国南部のニューオリンズ郊外にあるベイ・セントルイスの修道院墓地でした。つまり生前のワシントン神父には一度もあったことがありません。

その頃私は86年3月に叙階され、ちょうどガーナへ派遣され、その準備の研修のためにノートルダム大学のサマーコースに出席し、それが終わったので、この際にと友人を訪ねてベイ・セントルイスまで来ていました。この神言会の修道院は、かつて米国内で初めてアフリカ系アメリカ人の神学生を受け入れた神学校として知られる聖アウグスチン神学校です。裏手に墓地がありました。まだ新しいひとつの墓の前に、友人が連れて行ってくれました。「そういえば君はガーナに行くのだったね。ここに君の大先輩が眠っている」。そういって連れて行かれたのが、その一年前になくなったワシントン神父の墓でした。

そのときは気にもとめていなかったのですが、それから1ヶ月後の8月15日にガーナへ到着して、言葉の勉強のためにコロボ族という人たちが生活している地域に連れて行かれました。そこで毎日のように、出会う多くの人たちの口から、「ワシントン神父」という名前を聞くことになりました。教会で働き始めてからは、とにかく「ワシントン神父」に洗礼を受けた人の多さに驚きました。同時にいろいろなエピソードも耳にしました。夜中に村について、その場で教会の鐘を鳴らしてミサを始めたとか、とにかく時間の観念が全く普通と異なっていることだけは、何度も耳にした話です。しかし多くの人たちが彼を慕っていることだけはよくわかりました。ワシントン神父は、自分の祖先はコロボ族で、奴隷として新大陸に連れてこられたのだと確信していたという話も何度も耳にしました。病を得て、愛するガーナではなく、自国へ戻って療養中に亡くなられたのです。何度も何度も、多くの人から話を聞かされるうちに、そのお墓に何の脈絡もなく訪れたことも相まって、まるで何度も出会った人のように感じたのは事実です。そういう宣教師となりたいと感じるところまでに至っていました。

さて、カリタスジャパンの会議がこれから二日連続であり、東京へ出かけて参ります。昨日は月曜会でした。10名を超える方が、愚図ついた天気でしたが元気に新潟教会小聖堂に集まり、ミサを捧げロザリオをともに祈りました。

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