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2010年8月24日 (火)

ハバロフスクへ

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明日8月25日から30日までの日程で、新潟教区のハバロフスク交流会の訪問団が、ハバロフスクのカトリック教会を訪問します。今回は若者を中心にして、現地の青年たちとの交流会を企画しています。私も同行しますし、町田正神父と坂本耕太郎神父も同行し、総勢10名の予定です。今回はもう少し長い日程を予定していたのですが、ウラジオストク航空がこれまで月曜と金曜に飛ばしていた新潟とハバロフスクを結ぶ便を水曜日だけに減便し、成田へシフトしてしまったため、予定変更となりました。明日の水曜日に新潟から出発し、月曜日には成田へ戻ります。成田便は現地出発が早朝で、これまでの新潟便のように午後発でないため、現地での活動にはちょっと不便で残念です。コンピュータは持参しませんので、次回のブログ更新は帰国後の30日以降です。

写真は先日のガーナでの叙階式で、福音朗読前に福音書の荘厳な入堂に伴ってパフォーマンスをした子供たちです。ガーナ滞在中はしばしば、 典礼の生き生きとした姿を、体験することができました。

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2010年8月22日 (日)

ガーナの路上販売人

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ガーナの首都アクラを車で走っていると、交差点で必ず目にする人たちがいます。路上販売人です。その昔、20年ほど前に私が働いていた頃、アクラの各所に少しずつですが渋滞が目につくようになり、信号が設置されるようになりました。それまでは交差点はほとんどがロータリー式で、流れに任せられていたのです。信号機がついたことで交差点での待ち時間が長くなりました。それをねらって、路上販売人が増え始めたのです。それまでも道ばたで何かものを売っている人はたくさんいました。ガーナは83年頃に経済のどん底を味わったのですが、私が働き始めた86年頃もまだまだ物資が不足していました。そのため道を走っていても、道ばたで例えばトイレットペーパーを売っていたりすると、車を停めて買っておいたものです。「いま見たときに買わないと、当分手にすることができない」が、当時の原則でした。

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その道路の渋滞も、自動車の数が飛躍的に増加したようで、かなり激しくなっていました。20年前と比べて首都の道路は拡幅されて、車線も増えているにもかかわらず、激しい渋滞のために交差点でかなり待たされることになります。そのため路上販売人もかなり大胆になっていました。停車している車の間を縫って、様々なものを売っています。新聞から始まって、電池やら、菓子やら、ベルトやら、タオルやら。いったい誰が買うのかと思うような工具類とか。昔から主流だったオレンジやジュース類は今も健在です。オレンジは薄く皮をむいておいて、上の方を少し切り取り、あとは手で絞りながらジュースを飲むのであって、食べません。さて車の数はまだ増加しそうですし、渋滞はもっと激しくなりそうな気配でしたから、路上販売人の商売はこれからも繁盛するでしょう。

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2010年8月21日 (土)

Afram Plains へボルタ湖を渡る

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ガーナにて叙階式の数日前、ボルタ湖をフェリーで渡ってアフラム・プレインズ(Afram Plains)へ一泊で出かけました。運転手はドイツ人のマティアス・ヘルムス神父。現在はガーナ北部のトーゴとの国境地帯で働くマティアス神父ですが、2年前まではこのアフラム・プレインズで信徒養成研修所の所長をしていました。彼の古巣でもあります。私もガーナで働いていた頃は、2回しか足を伸ばしたことがなかった地です。しかも同じ教区の中にありながら。実はなかなか行くのが大変なのです。

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アフラム・プレインズは、もともと電力開発のために1965年に完成したアコソンボ・ダムによって発生した人造湖ボルタ湖によって生み出された地域です。ボルタ湖は世界一の人造湖といわれます。決して島なのではなく半島なのですが、北部の地続き部分には人が住んでおらず道路もありません。そのため人造湖によって分断される前の道がそのまま残り、水面下に沈んだ部分である東西地域に、フェリーによる交通が提供されるようになったのです。ローリングス元大統領がまだ軍事独裁を敷いていた頃、アフラム・プレインズの農業開発の可能性を強調して、何度も訪問したり、陸軍工兵隊を長期派遣して道路整備にあたらせたのは有名な話です。そのおかげなのか、完全に舗装が行き届いてはいないものの、アフラム・プレインズの東西を結ぶ道路は、かなり整備されていました。(上の写真はフェリーに乗ってきたバス。屋根の上は荷物が満載ですが、その中にはなんと山羊まで)

とはいえフェリーは20年前に使われていたのと全く同じ代物。当時でさえすでに中古だったのですから、すでにかなりくたびれています。一日4往復するとのこと。朝一番の便に乗船することにしました。

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朝8時半出発とのことでしたが、予約などもないのでとにかく順番を取りに並ばないと乗れません。朝6時に近くの町、クワフ・タフォの教会を出発し、30分ほどで湖の近くへ。すでに何台も車が並んでいます。それから待つこと3時間。8時半のはずがいっこうに動く気配がない。やっと9時半頃になってゲートが開き、乗船が許されることに。すると我先にと車が一斉にフェリーめがけて競争を始める。それからが大変です。一応、係がいるものの、そこはもう闘い。ドライバーの怒鳴り声だけが響いていました。下船のことを考えてバックで車を乗り込ませます。一台でも多く乗せるため、これでもかというところまで車同士を寄せる。マティアス師はこの日、迫ってくるバスに二回バンパーでタタ・スモーを突かれました。

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30分ほどのフェリーの旅はあっという間に終わり、アフラム・プレインズに。そこからさらに1時間ほど走って、ドンコクロムの町に到着。目的地です。今年の1月に教皇様はアフラム・プレインズを独立した代牧区とされ、神言会員のガブリエル・クモジ師を代牧区長に任命し司教とされました。ガブリエル司教は今年の4月に叙階されました。彼は20年前に同じ地区で一緒に働いていた仲間です。その新司教に会いに行きたかったことと、彼の本拠地を訪ねて激励したかったのが訪問の理由です。ガブリエル司教はちょうど、カテドラル教会の建設に取りかかったところで、基礎だけができていました。私と会った直後に一ヶ月の予定で合衆国へ出かけ、日曜毎に教会を訪問して資金集めをしてくるのだといっておりました。新しい教区を整えていくことは、さぞかし大変なことだろうと感じた次第です。(上の写真、真ん中がガブリエル・クモジ司教、右は聖マーティン高校の校長を務めるアチャンポン師)

ドンコクロムに一泊し、翌朝は再び6時頃に出発。10時のフェリー便乗船を目指します。昨日と打って変わってこの日は時間通り。フェリーの中にはお手製の拡声器を持って、なにやら怪しげな肌クリームを打っているお兄さんがおりました。どうも聞いていると、「どんな肌の病気でもこれで一発で治る、たったの1セディス」と。怪しい。しかし結構繁盛しておりました。

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2010年8月20日 (金)

そして6時間の初ミサ

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ガーナ報告の続きです。朝9時過ぎに定刻よりも「早く」始まった8月7日の叙階式が4時間ほどで終わり、写真撮影の大混乱から抜け出し、ちなみにその際に撮影してもらったはずの集合写真はなぜかメモリーに残っておらず、それはさておきやっとの事で午後2時過ぎに水分と食事にありつきました。アベカ教会のホールは信徒会館の2階にあり、ホールの前方ステージ横にある台所で食事の用意が。セルフサービスで、ご飯(チャーハン的なもの)や魚をおいしくいただきました。食事もそこそこに3時半頃には旧友ドイツ人若手司祭マティアス・ヘルムス神父運転のインドはタタ・モータースの「スモー」に、新司祭のひとりであるマーティン・デュマス師を乗せ、一路ふるさとのオソンソンへ。

途中ガーナ大学正門付近(レゴン)の道路は拡幅工事の真っ最中で抜けるのに時間がかかりましたが、それでもなんとかドドワ・ロードへ。その昔23年前くらいに仕事を始めたばかりの頃、このドドワ・ロードで車が故障し立ち往生したのを鮮明に覚えています。その頃は通過する車も少なく、助けてもらうのにかなり時間がかかりました。とにかく今は車の数が飛躍的に増加しています。すさまじい渋滞が各地で引き起こされている。で、しばらくドドワ・ロードを行くと、なんと料金所が現れました。その昔、道路の穴ぼこを勝手に修理して(といってもスコップで土を埋めるだけ)、道路に立ちはだかり勝手に料金を徴収する輩はたくさんいましたが、これは正式な料金所。マティアス神父によれば、今ではガーナ各地でこのような料金所が主要道路には設置され、補修などのために使われているとか。すばらしい。

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ソマニャを抜け、マニャ・コロボ族の首都オドゥマシの町に入り、懐かしの山奥へ入る道へと進みました。このあたりは以前と全く変わりません。結局、夜の7時過ぎにオソンソンへ到着。教会の人たちが、村の入り口で歌を歌いながら、新司祭をずっと待っていてくれました。そのままオソンソンの信徒会館で長老たちの出迎えを受け、夜遅くまでダンスや歌が続きました。

翌日の初ミサは、これまた定刻通り9時半にスタート。オソンソンでのお祝い事の定番ですが、聖堂横にあるルルド前のホール(屋根だけ)でミサです。数年前からルルドの前に祭壇が設けられ、テントの屋根もついた立派なステージができています。加えて今の主任司祭になったからは、周辺にフラワーポットが設けられ、格段に環境が美化されています。上の写真がステージから見たホール方面。左に座っているのがデュマス師のご両親。

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初ミサにはオソンソン小教区出身のアイザック・マオンゲ師(アクラ教区司祭)、セファス・メンサ師(トーゴ・アタパメ教区司祭)も駆けつけ、周囲の司祭たちやコロボ族の司祭たちも加わって、14人ほどの司祭団による共同司式ミサとなりました。説教はまた私。ミサ自体は3時間ほどで終わり、その後に二回目の献金やらプレゼントやらスピーチが続き、結局すべてが終了したのは午後3時半。都合6時間の初ミサでした。一番上の集合写真はミサ終了直後ですが、私の表情が至って憮然としているのは、6時間ものミサに耐え抜いた直後だからです。ところで考えてみれば、オソンソン小教区出身の司祭は都合3名いるのですが、その3名とも私は初ミサに出ていることになります。マオンゲ師とメンサ師とも、私が主任の頃の叙階でした。(上の写真は第二献金で並んで踊りながら前に出る青年たち)

マーティン・デュマス師が双子であることから、コロボ族の双子のための踊りも披露されました。これが女性たちが手にした木の枝でバシバシとたたきつけたりして、かなりワイルドでした。いやそれにしても、疲れました。

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2010年8月19日 (木)

ガーナで再会

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今回のガーナ訪問の初日、首都アクラにある教皇庁大使館に駐ガーナ教皇庁大使を表敬訪問しました。現在ガーナに駐在しているのはカレンガ大司教。コンゴ出身の教皇大使は、そうです、つい先日まで日本の教皇庁大使館で参事官をしていたカレンガ師です。ちょうど私が司教に叙階された頃、2004年に日本に赴任してきた方でした。久しぶりの再会はガーナでとなりました。

私にとっても懐かしいガーナの教皇庁大使館。ガーナへ派遣された1986年当時、大使は現在の福音宣教省長官ディアス枢機卿。縁あって何度か食事に訪れたことがありました。今回もカレンガ大使のご好意で、昼食を一緒にいただくことができました。カレンガ大使はちょうどアフリカとマダガスカルの司教協議会連盟(SECAM)の総会がアクラで開催されている忙しいときにもかかわらず、時間をとって歓待していただきました。旧友にあった気分でした。感謝。カレンガ大使から、日本のすべての友人にくれぐれもよろしくとの伝言でした。

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2010年8月18日 (水)

新潟教区保育者研修会

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第39回目となる新潟教区のカトリック保育者研修会が、昨日17日、見附天使幼稚園を会場に開催されました。新潟県内だけではなく秋田からも参加者があり、総勢170名を超える研修会となりました。

これまでは新潟市内のホテルを会場として、一泊二日で行ってきましたが、恒例の会場としていたホテルが閉鎖となったことを契機に見直しを進め、今回からは現場の幼稚園を会場として一日のみの研修とすることになりました。ちなみにその関係で昨年はお休みとなりました。また一日の中でも参加者自身が発言する機会を十分に確保するため、グループ討議の時間を多くとりました。今回の研修会では、秋田県の土崎教会で幼稚園長を務める飯野神父様(神言会)に講師をお願いし、午前中9時半から、「あなたがそばにいてくれたから」というテーマで、幼稚園の現場での子供たちとの交わりの体験からお話をいただきました。その後は分かち合いを行い、天使幼稚園の給食スタッフが用意してくださったカレーの昼食をいただき、午後からは三つに分かれて分科会となりました。

分科会は、「キリスト教のカリキュラム・宗教教育について」、「子育て支援について」、「発達障害や保育で気になる子供について」のテーマで、現場の先生たちが発題し、活発な意見交換が行われました。

最後に参加した園長の司祭団と、私の司式で、派遣ミサを捧げ、午後4時半には終了となりました。秋田組はこの後夕方6時過ぎの特急「いなほ」でまず酒田まで行き、その後各駅停車で秋田を目指すとのことでした。お疲れ様です。研修会を準備してくださった見附天使幼稚園の皆様に、心から感謝いたします。来年は上越(高田)が会場です。

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訃報:ブレシ神父様

以前、新潟教会でも活躍された神言会のフランシス・ブレシ神父様(Fr. Francis Bures, SVD)が、今朝方、名古屋において亡くなられたという連絡が、神言会日本管区からありました。神父様はこの数年間、前立腺がんと闘っておられたということです。83歳でした。

通夜は8月19日午後6時より、葬儀は8月20日午前10時より、名古屋の南山教会で執り行われるということです。神父様の永遠の安息のために、どうぞお祈りください。 R.I.P.

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2010年8月15日 (日)

ガーナでの叙階式(その3)

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ガーナでの叙階式など大きな教会の行事に欠かせないものの一つは、Knights of St.John(聖ヨハネ騎士団)の存在でしょう。ちょうど上の写真で、退堂する司祭団の周りをガードしている一団です。ミサ中も随所でガードにたち、聖変化には敬礼をし、聖体拝領時にも司祭に付き添います。合衆国発祥の国際的な騎士団のようですが、入団するのにどのような規定があるのかはよく知りません。男性の騎士だけではなく女性や子供たちのグループのあるとのこと。20年以上前に私が働いていた頃にもすでに盛んでした。階級がしっかりあるようで、ユニフォームにもその違いが現れています。

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そしてガーナでの典礼に不可欠なのが子供たちによるダンスなどのパフォーマンス。この写真は奉納の行列を先導してきた子供たちですが、この日はこれ以外にも、福音朗読前に朗読福音書を先導して子供たちがダンスを披露しました。

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そして最後に説教する私の写真。考えてみればこうしてガーナでこの会員の司祭叙階式を司教として司式していること自体が、不思議な出来事だと思います。24年前にOsonsonに赴任した当時、まさかそこの教会の侍者の一人を将来司祭として自分が叙階することになろうとは思ってもみませんでしたし、そもそもさかのぼって83年にシカゴでガーナ人会員Boi Nai師(現在はガーナで司教)に隣の部屋の住人として出会っていなければ、ガーナにも来ていなかったのではないかと思います。人知を遙かに超えて、神は何かを成し遂げようとする、その不思議さをこの日説教で分かち合いました。

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ガーナでの叙階式(その2)

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叙階式ミサで私は牧杖(バクルス)を使っています。当然自分の教区外では使わないのですが、前日にアクラ大司教区のチャールズ・パルマー・バックル大司教に挨拶に行き、彼から使用してよいという許可をいただきました。バックル大司教はかつて私自身の司教でもありました。上の写真は叙階式の一番の大切な部分である按手を行っているところです。この後に共同司式する司祭団の按手が続き、締めくくりに叙階の祈りを司教が唱えます。

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ガーナに限らずアフリカのミサの豊かさは歌であり踊りでもあると思います。上の写真はミサの中で歌の一番重要な部分を担当する聖歌隊(これが典型的な聖歌隊のユニフォーム)が、献金のために前に出てきたところです。リズムをとりながら献金箱の周囲を回っていくところです。(献金箱は左端のブルーの聖歌隊メンバーとの間にかすかに見える木箱)

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そしてもう一つの重要な要素は奉納です。献金だけではなく様々な農作物やパンや水が奉納されていきます。今回の旅行中、叙階式前の日曜日に、アクラ市内の他の小教区を訪問したのですが、そこで献金の額を聞いて驚かされました。その前の週のミサ献金総額を、お知らせの時に報告していたのですが、『先週は5,000ガーナセディス』というのです。『ガーナセディス』とは2007年7月に1万分の1のデノミを実施して以降の、現行通貨を呼ぶときの言い方となっているそうです。これによって当初は1セディが1米ドルと等しくなったそうですが、現在では1.4セディスが1米ドルとのこと。ということは、先週のミサ献金の総額は30万円を軽く超えているではありませんか。聞き間違いだと思って、主任司祭に何度も確認しました。「つまり4千米ドル程度ということか」。「その通り」。信徒総数が日本とは桁違いに多いとはいえ、ガーナ都市部における経済成長には著しいものがあると感じました。 続く・・・。

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ガーナでの叙階式(その1)

8月12日に予定通りガーナから帰国しました。とはいえ、後述するような、なかなかハードなお務めだったものですから、少々体調を崩し、金・土と寝込んでおりました。本日、聖母の被昇天の祝日には何とか回復し、9時半から新潟教会でミサを司式いたしました。ミサ後は恒例のバーベキュー大会。天気が心配されていましたが、なんとミサが始まる頃から晴天に。すばらしい一日を過ごすことができました。また本日は私の霊名であるタルチシオの本来の祝日です。多くの方々からお祝いのメッセージやカード、また多くの霊的花束をいただきました。お一人お一人に直接御礼を申し上げたいところですが、今の状況ではちょっと不可能です。ここで心から御礼申し上げます。

さてそのガーナ行き。すでにお知らせしたとおり、今回の主目的は8月7日に神言会のガーナ管区司祭叙階式を司式することでした。叙階式前の数日は、以前の同僚で今年4月に司教となった友人を訪問するためにちょっと遠出をしましたが、それについてはまた機会を見て報告しましょう。叙階式は結局4時間。最後の派遣の祝福あたりでは、あまりの暑さに多少もうろうとしておりました。その翌日の初ミサはミサとお祝いスピーチなどを含めて、なんと都合6時間。すべてつきあったので、かなり体力を消耗したと思います。実際、疲れました。

そして叙階されたのは下の写真の5名。左からHans Gerber Agbebafa師(ベネスエラへ派遣)、Elorm Akpatsa師(フィリピンへ派遣)、Francis Dolagbenu師(エクアドルへ派遣)、Martin Dumas師(日本へ派遣)、Peter Kabutey師(ガーナへ派遣)。

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すでに書きましたが、Martin Dumas師は私が87年から94年まで主任を務めたOsonson教会の出身で、当時は小学校から中学校の時期で、侍者団でも最年少の方でした。父親はカテキスタ。この侍者団からは数名が神学校へ進みましたが、司祭までたどり着いたのはMartinだけとなりました。それでもほかのものたちも今では教員や会社員、そして警察官や役人などになり、今回もしっかりと集まって迎えてくれました。すでに全員が30代後半で、父親や母親になっていました。

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叙階式のミサは首都アクラ市内アベカ地区にある神言会担当の聖チャールズ・ルワンガ教会で行われました。いったい何人の方が集まっていたのか皆目見当がつきませんが、それでも巨大な聖堂には入りきれないということで、聖堂横、信徒会館と学校の建物の間の広場が会場となりました。共同司式には神言会員を始めアクラ教区の司祭を中心に80名ほどが参加。新司祭はそれぞれ様々な部族の出身となりますから、叙階式ミサは英語で行われました。私の説教も英語で行いましたが、部族語への通訳を行わなかったので、その分時間が短縮となったと思います。(上の写真は、司教への忠誠を誓うMartin Dumas新司祭) 続く・・・。

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