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2010年9月16日 (木)

清泉女学院で研修会

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昨日は、長野市にある清泉女学院大学と清泉女学院短期大学で、教職員の研修会でお話をさせていただきました。シスター宮澤学長(聖心侍女会)の肝いりで一年に一度行われるという建学の精神を学ぶための研修会です。新潟もそうですが、いわゆる地方のミッションスクールでは、修道者の高齢化や後継者の不足から、以前のように修道者が学校内に大勢いるということは実現が難しいのが現状です。そうなってくると、特に信徒以外の教職員が大多数を占める中で、カトリック学校としての特色をどのように具体化し、また伝えていくのかが大きな課題となります。時代はすでに、シスターがいるからとか、神父がいるから、だからカトリック学校だといえるような現実ではなくなっているのです。したがって今回のような、建学の精神を学び深め、カトリック校であるとはどういうことかを学ぶ研修会が、各地で頻繁に開催されています。

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私は、カトリック学校ですから当然カトリックの信仰について語ることは大切だとは思うのですけれど、その大前提としてまず、人間が生きることの根本的な意味だとかの、宗教を超えた基本を大切にして具体化していく。それによってまず学校の共同体を共同体として育て上げていく。その上に初めて、キリスト教の教えが意味を持って伝えられていくのではなかろうかと考えています。人間が人間として生きていく基本を知らないところに、また学校に集まる人たちが全くばらばらに生きているところにキリスト教信仰を伝えても、単なる知識で終わってしまうような気がしています。必ずしもそれが現実的ではないのかも知れませんが、ひとりひとりの心の中にイエスの教えがしみいるためには、人間として生きることの基本にまず取り組んで、大げさに言えば学校共同体を生み出しておくことが大切であるように感じます。

新潟から長野の清泉女学院までは、北陸道と上信越道を利用して、車でおおよそ3時間ほどです。行きはすばらしい天気でドライブ日和でしたが、帰りは雨に降られてしまいました。いつものことですが、講演などで初めての場所に出かけるときは、何となく気が進まないものです。元来子供の頃から私は人見知りが激しく、できれば知らない人と一緒にいることは好まない人間であります。ですから初めての場所に出かけていくのは気が重たいし、初めてお会いする人たちにお話をするのは、これまた非常に苦手とするところです。誰も知っている人がいない会場でパーティーに出るなどというのが、一番の苦手であります。そんなわけで講演などで話をしているときには、顔を上げて周りを見回したりもするのですが、実は目の焦点は30センチくらいのところにあっていて、会場に誰がいるかなんて全く見えていないのです。加えてそんな性格ですから、講演を準備している間は本当にこんな話でよいのだろうかと思いっきり心配になりますから、準備の時間をかけることもさることながら、精神的にどっと疲れ切ってしまいます。もっともミサはこれまた別なのです。ミサでは、例えば初めての人たちを前に説教をしたりするのですが、これは講演とは少し心持ちが違います。講演は自分をさらけ出しているのですが、説教は聖霊の力を受けて福音の心を私が代弁しているという思いで取り組みます。ですから講演のようにハラハラドキドキで精神的に疲れることはないのですが、ミサは、実は、すごく体力を消耗いたします。肉体的に非常に疲れます。来週は札幌での人権シンポジウムや天使大学での講演など、苦手が連続であります。

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