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2011年1月30日 (日)

青山教会で堅信式

Aoyamaconf

年間第4の主日にあたる本日午前9時より、新潟市内の青山教会において、堅信式ミサが行われ、7名の方々が秘跡を受けられました。堅信の秘跡を受けられた皆さん、おめでとうございます。新潟市内はクリスマス以来の雪が続き、特に昨晩はかなりの積雪でした。新潟県内の豪雪地帯と比較すればほんの少しの雪だと思いますが、それでも新潟市内としては例年より多い雪の一日です。堅信を受けられた方々7名はすべて女性で、そのうち5名が高校から大学の若者たち。彼らの受堅を祝って、近隣の教会からも青年達がミサに集まってくれました。雪のため若干の空席が見受けられたものの、お隣の聖心の布教姉妹会シスター方をはじめ、たくさんの方が堅信のお祝いのために足を運んでくださいました。(写真はミサ前に堅信式のリハーサルをする受堅者と主任のラウル神父)

そのミサは、ミサ曲が荘厳なグレゴリアンの天使ミサ。30年ほど前ですが、神学生の頃聖歌隊でグレゴリアンの指導をしていた私としては、せめて天使ミサくらいは歌えてほしいと心の奥底では思っておりますので、感謝。オルガンもすばらしいですし、皆さんの歌にも力がある。近くオルガンも新調されるとうかがいましたが、これからも典礼の歌を大事にして、良い典礼を生み出していってください。青山教会といえばいつもは侍者がわんさかといるのですが、その面々が皆うち揃って堅信を受けているため、本日の侍者はひとり。忙しかったことだろうと思います。

本日の福音は山上の垂訓、いわゆる真福八端です。「幸いだ」で始まるイエスの力強い宣言は、聞くものに「いったい何が人を幸せにしてくれるのか」という期待を生み出します。しかしイエスは幸せになる方法を教えるのではなく、今まさにそのような状態にあるものこそが幸いなのだと宣言するのです。「心の貧しい人」。その言葉の意味を説明するかのように、教会は第二朗読にコリントの教会への手紙を持ってきます。そこに記されているのは、絶対的な神への信頼。誇るべきものは人間が持っているものではなく、それを生み出した神ご自身でしかないこと。まずすべての出所、いのちの源は神なのだと認め、それを基にして謙遜のうちに他者との絆を深めていくことこそ成熟した信仰者の生きる姿勢なのではないかと思うのです。

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2011年1月28日 (金)

降り続く雪

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日本海側では大雪が続いています。東北でも北海道でも、短い期間にまとまって降るのは夏場の集中豪雨の冬版と感じてしまいます。それでも新潟市内の海岸沿いはそれほどの積雪ではないのですが、ちょっと郊外に出ると大雪。先日札幌へ出かけたときには、何かアフリカの道を自動車で走っているような感じになりました。除雪はしてあるものの、路面には氷が残り轍もあるため、凄まじくでこぼこなのです。札幌の司教館近く、北一条教会横の路地も厚く氷と化した雪が積もり、車で通過するとそれこそアフリカのでこぼこ道のような感じです。(写真は雪の中の札幌司教館)

昨日は、山形の新庄教会から、信徒の方々が雪掻きをしている写真が送られてきました。スキャナーをセットしていないので写真をお見せできないのですが、凄まじい積雪です。新庄教会の屋根まで埋まるほどの雪。教会の信徒の方々が、一緒になって雪に戦いを挑んでいる写真でした。できれば近いうちに、訪問できたらと思います。自動車では峠を越えるのがちょっときついかも。新庄であれだけ降っているということは、豪雪地帯にある十日町教会や、横手教会などはどうなっているか。どうか雪下ろしで怪我をされることがありませんよう、充分に気をつけてくださいますように。明日からまた数日は大雪との予報です。

ところで今日は聖トマス・アクィナスの記念日でした。13世紀に活躍したドミニコ会の司祭で、優れた神学者・哲学者でもあります。というよりも、カトリックの司祭になるために神学院で学ぶものが、必ず通過しなくてはならないのがトマス・アクィナス。新潟教区の事務局長でもある大瀧神父はまさしくそれを教える神学院の先生なのですが、トマスの手による神学大全を知らずして、神父になることはできません。私も神学生時代、神学大全の原書講読(ラテン語)でかなり苦労しました。

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そして明日、1月29日は神言修道会の最初の宣教師である聖ヨゼフ・フライナデメッツの記念日です。聖ヨゼフ・フライナデメッツは1852年に、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の村オイエスで生まれました。現在はイタリアのチロル地方の山の中です。1875年に教区の司祭に叙階され、自宅近くの小教区に任命されましたが、宣教師になりたいという思いが強く、1878年に聖アーノルド・ヤンセンの創立した宣教神学院に入学しました。1879年に、もう一人の神言会司祭ジョン・バプティスト・アンツァー神父(後に司教)と共に中国に向けて出発しました。発疹チフスの流行に倒れ、1908年1月28日に亡くなりました。中国の宣教師である聖人の記念日に当たり、明日のミサの中で、現在の中国における教会のためにも祈りたいと思います。政府の様々な介入によって完全な信教の自由が確立されず、また司教の任命を巡っては聖座との対立もある中で、信仰を守り育んでおられる信徒の方々、司祭・司教・修道者のために、神様の守りと導きを祈りたいと思います。そして中国において信仰を生き抜いている人たちに、聖フライナデメッツの取り次ぎで、混乱と圧力と困難の中でも信仰を守り抜くことができる力が与えられますように。(写真左手がオイエスの聖フライナデメッツ記念聖堂と生家)

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2011年1月23日 (日)

北広島教会で主日のミサ

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札幌地区の男性の会が一泊研修会をするというので、ご一緒させていただきました。札幌市区の小教区からそれぞれ2・3名ずつ、全員で30名ほどの信徒の方々と、地区長の勝谷師をはじめとして上杉師と新海師も加わり、北広島市郊外のホテルに集まりました。研修は昨日の午後3時に始まり、全員の自己紹介に引き続いて、私が年頭司牧書簡に基づいて福音宣教の使命について話をいたしました。その後ゆっくりと温泉につかり、夕食会は時間をたっぷりととって、それぞれの小教区での日頃の活動や問題について、じっくりと分かち合う一時となりました。(写真は北広島教会聖堂)

そして本日は研修会参加者とともに勝谷師が主任を務める北広島教会へ。9時からの主日ミサを一緒に捧げました。朝から激しく雪の降る天候でしたが、たぶんそんなものは北海道では日常茶飯事なのでしょうから、聖堂はミサに集まった信徒の方々で一杯でした。勝谷師がとても歌の上手な方なので、ミサは一番最初の十字架のしるしからしっかりとした歌ミサでした。ミサ中の聖歌も力強く、すばらしいミサであったと思います。

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ちょうどキリスト教一致祈祷週間中の日曜日でもあり、朗読もその趣旨で選択された箇所ですから、キリスト者における一致と福音宣教について説教をさせていただきました。特に第二朗読のコリント人への手紙の箇所は、現代にも通じる同じ信仰を持ったものの中での派閥に分かれた争いを指摘しているようであります。私たちに与えられている使命、一番大事なことは何なのかをしっかりと見極める信仰の目を持ちたいと思います。

さすがに北海道は寒い。一昨晩、新潟から飛んできて新千歳空港に着いたら、気温はマイナス12度前後でした。外は新潟より格段に寒いですし、主要な道路も、予算が減額されているなどという噂も耳にしましたが、片側2車線が1.5車線分しか除雪されておらず、さらに除雪した雪の排雪が間に合わなくて道路脇に山積みとなっていたりで、自動車はかなりのろのろ運転になっております。これほど札幌市内でも雪が降るのだから、今年の雪祭りには充分に雪があるだろうと思ったら、市内の雪は融雪剤が混入したりで利用できず、結局は山奥から「新鮮な」雪を運んでこないといけないのだとか。雪は、きれいだけれど、大変な存在であると肌身に感じる今冬であります。

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2011年1月21日 (金)

青山教会でキリスト教一致祈祷会

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1月18日からキリスト教一致祈祷週間が始まっていますが、本日は午前10時から、新潟市内のカトリック青山教会を会場に、祈祷集会が開催されましたので、私もご一緒させていただきました。平日の午前中ということもあり、参加者はそれほど多くはなかったものの、それでも30名を超える方が、カトリック、そしてプロテスタント諸派から集まってくださいました。祈りの司式と説教は、青山教会主任司祭のラウール・バルデス神父が担当し、教会でしっかりと準備し印刷してくださったパンフレットを基にして進められました。ラウール師は、「街中で争い事を見たら人はそれに関わりたくないと思う。同じようにキリスト者が一致しておらず争っているのなら、誰が教会に来てみようと思うでしょうか」と参加者に語りかけ、司祭や教職者を含め信徒に至るまで、キリスト者自身が一致に導いてくださる神の力に、より深く信頼することが大切だと説かれました。

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新潟市内には以前から、カトリックとプロテスタントの牧師や司祭、教職者が一緒になって話し合う会が設けられており、この会が中心になって、一致祈祷集会や市民クリスマスを企画してきました。数年前までは、一致祈祷週間の毎晩、どこかの教会を会場に集会を行ってきましたが、さすがにどこの教会も高齢化と信徒の減少が進み夜間に毎日集まることに無理を感じるようになってきました。そのため現在では、平日の午前中に3回と、日曜日の午後に1回の計4回の集会を行う形式に変更されています。カトリック教会ではしばしば信徒の高齢化と若者の不在を指摘する声を耳にしますが、事情はプロテスタント諸派も同じようです。いずれにしても、一年に一度、こうして共に祈る機会を設けることには深い意義があると感じていますから、できる限りの方法で、今後も継続していってほしいと願っています。

日曜日、23日の午後2時からは、カトリック新潟教会で、一致祈祷週間の中心集会が行われますので、お時間のある方は是非ご参加ください。なお私は今晩から札幌に行かねばならないため、今回の中心集会は欠席いたします。

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2011年1月16日 (日)

まもなく一致祈祷週間です。

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新潟市内でもこの数日雪はとどまるところを知りません。今晩から明日の朝にかけて、再び雪と風が強まるとのこと。この二日間、大学の入学試験を受けられた方々は、移動が大変だったと思います。今朝は電車もかなり止まっていましたし。数日前のNHKの夜のニュースで日本海側の大雪を伝えていたのですが、そのときに取り上げられた映像の地域はすべて新潟教区でした。横手や能代、鶴岡に新潟県内の各地。この数日は新潟と鶴岡や秋田を結ぶ羽越線の特急電車もかなり運休になっていますし、新潟空港は連日除雪のために欠航便が相次いでいます。この数日がこの冬で一番厳しい時期となるのかも知れません。どうぞ、雪下ろしなどで怪我をすることがありませんように、皆様お気をつけください。

さて1月18日(火)から25日(火)まで、キリスト教一致祈祷週間です。今年は使徒言行録の2章42節から47節の、初代教会共同体のあり方に関する箇所が取り上げられ、「使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ることにおいて一つ」がテーマに掲げられています。教皇庁キリスト教一致推進評議会(議長はクルト・コッホ大司教)と世界教会協議会(WCC)が共同で作成した冊子を元にして、日本語版の冊子が用意されています。

新潟地区では、次のような日程で合同祈祷会が開催されます。

  • 1月19日(水)午前10時から 日本キリスト教団信濃町教会
  • 1月21日(金)午前10時から カトリック青山教会
  • 1月23日(日)午後2時から カトリック新潟教会で中心集会
  • 1月25日(火)午前10時から 日本キリスト教団東中通教会

特に今回は23日の日曜日が、カトリック新潟教会での中心集会になっておりますので、お近くの方、どうぞご参加くださいますように。

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2011年1月15日 (土)

ヨハネ・パウロ2世、列福へ

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昨日の教皇庁からの発表によると、前教皇ヨハネ・パウロ2世の列福調査が整い、5月1日に教皇ベネディクト16世司式で列福式が執り行われるとのことです。(詳しくは中央協HP)通常の場合、当該人物が亡くなって5年経過しなければ列福の正式な調査は始まらないのですが、ヨハネ・パウロ2世の場合は現教皇によって特別に許可が与えられていました。上の写真は2000年に神言会総会議があった際、会議参加者が教皇様に謁見したときのものです。

さて1月15日は私の所属する修道会、神言会の創立者、聖アーノルド・ヤンセンの記念日です。ドイツの教区司祭であったヤンセン師は、ドイツにも外国宣教会が必要だと考え、学校の教師として任命を受けていましたがそれと同時に様々な挑戦と模索を続け、1875年に神言会を創立しました。一番最初の宣教師は中国へ派遣され、後にヤンセン師と一緒に列聖された聖ヨゼフ・フライナーデメッツ師でした。日本宣教は創立者が亡くなる前の最後に自分で決めた最後の宣教地で、最初の宣教師は1907年に来日して秋田で働き始めました。1909年1月15日に亡くなられました。

新潟は昨日も今日も、雪が降り続いています。

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2011年1月12日 (水)

米沢殉教の日

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新潟はこの冬一番の降雪の一日となりました。今年は、まだまだ降り続きそうです。写真は新潟教会のルルドと司教館と、そして右手に新潟教会。今朝の様子です。

さて1月12日といえば、1629年1月12日。米沢の北山原で福者ルイス甘粕右衛門をはじめとした信徒たちが、その命を捧げた日であります。北山原、糠山、新藤ヶ台の三カ所で、53名が殉教したその日であります。ペトロ岐部と187殉教者の全体の典礼暦における祝日は7月1日ですが、1月12日はその中の新潟教区の福者たちの記念日として大切な日でもあります。しっかりと信仰に目覚め、それを自分たちの手で伝え、また社会の中で実践することで周囲からの深い尊敬を勝ち得ていたキリスト者共同体の存在は、現代に生きる私たちにも力強い模範を示しています。共同体が力強くあるためには、ひとりひとりが神と自分との関係をしっかりと深め、祈り、学ぶことが大切です。その土台の上に初めて、共同体として友に祈り、学び、分かち合い、支え合って、行動していくことができるのだと思います。より良い共同体を生み出す信仰を深めることができるように、福者殉教者の取り次ぎを願いましょう。

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2011年1月 9日 (日)

主の洗礼の主日

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本日は主の洗礼の主日でした。降誕節はこれを持って締めくくられ、典礼の暦は年間に入ります。すなわちこの年間の季節に、主イエスの公生活における言葉と行いに触れていくのですが、その始まりにあるのが洗礼者ヨハネによる洗礼を受け、同時に父である神から『これは私の愛する子、私の心に適う者」という宣言を受けるという出来事です。神のみ言葉が人となって私たちのうちに住まわれたという出来事と、イエスの公生活とをつなぎ合わせる重要な出来事を黙想する主日です。(写真の左側は新潟教会の洗礼盤)

第二朗読に記されたペトロの言葉が印象的でした。「この方こそ、すべての人の主です」という確信に満ちた言葉のあとに、ヨハネの洗礼から始まったイエスの公生活について、ペトロは簡潔に述べています。簡潔だけれども確信に満ちているのは、ペトロの言葉から、まさしく彼自身が見聞きしたことを伝えているのだという力強さが感じられるからだと思います。ペトロが心に秘めた確信の力強さが、神の言葉の持つ力を充分に働かせているのではなかろうかと思うのです。

神の言葉には力があるということを、先日の降誕祭の日中のミサ説教やほかの機会にもたびたび触れさせていただきましたが、私たちはこの神の言葉の持つ力そのものにもっと信頼するべきではなかろうかと思います。神のみ言葉がなかなか多くの人の心に伝わらない現実を目の当たりにしていろいろと悩むのですが、一つには伝える役割を受けた私たちひとりひとりの力不足が、確信を持って語ることをためらわせ、それがために神の力が十分に発揮されることを妨げているのではないかと思うことがあります。そこで根本になければならないのは、ペトロの信仰の根底にある確信のごときイエスに対する思いです。「他ならないあのイエスを私は知っている。そして信じている」という確信が、知識としてではなく肌で感じる実感として私たちにあるのかどうか。そこを問わなければならないと思います。

遅ればせながら、1月の主な予定を記しておきます。

  • 1月13日 常任司教委員会(東京)
  • 1月17日 月曜会ミサとロザリオ(新潟)
  • 1月18日 カリタスジャパン委員会(東京)
  • 1月19日 HIV/AIDSデスク会議(東京)
  • 1月22・23日 札幌地区男性の会行事(札幌)
  • 1月24日 札幌教区司祭月例会(札幌)
  • 1月30日 青山教会堅信式(新潟)

新潟市内でもこの数日は雪が降り続いております。もっとも市内ではそれほど積もってはいませんが、しかし充分に寒い毎日です。皆様もお体には十分にお気をつけください。

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2011年1月 6日 (木)

ガーナの写真を追加しました

昨年8月にガーナで神言修道会ガーナ管区の司祭叙階式を執り行ってきました。そのガーナ旅行の写真をアルバムにあげてあります。この「司教の日記」右側の欄の真ん中あたり、「GHANA2010」をクリックしてアルバムにお入りください。

なお、2011年の年頭司牧書簡と、昨年末の降誕祭夜半と日中のミサ説教も、「司教のページ」に掲載しました。

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2011年1月 2日 (日)

主の公現の主日

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今年は曜日の関係もあり、1月2日の今日は「主の公現」の主日となりました。東方の三博士の来訪という出来事が象徴するのは、イエスを通じて現実のものとなった救いの神秘が、民族という壁を乗り越えて、すべての人に示されたということ。すなわち、イエスを通じてもたらされる神の救いは、すべての人に向けられたものであることを教えています。イエスによる救いの神秘は、諸国民に対して光り輝いているのです。この輝きを、隅々まで伝えていくのが、私たちに与えられている福音宣教の使命です。伝えるためには、私たち自身がその救いの喜びによって輝いていなければなりません。年頭司牧書簡にもその類のことを記しましたが、私たちが集う小教区の共同体が、教会の外の人たちに輝きを見せているのかどうか、人間の絆をしっかりと大切にしているのかどうか、何度も振り返ってみたいと思います。

ところで教皇様は1月1日のお告げの祈りの際に、今年の10月にアシジにおいて諸宗教のリーダーに呼びかけて、世界の平和のために祈る集いを開催されることを発表されました。これは特に、前任であるヨハネ・パウロ2世が1986年に、アシジに諸宗教のリーダーを招いて世界平和のための祈りの日を開催して25年になることを記念して開催するとのことです。お告げの祈りの前の言葉の中で教皇様は世界平和の日のメッセージに言及して、あらためて信教の自由の大切さを訴えました。その上で、世俗主義と原理主義の二つの傾向を、両極端な傾向であるけれど、現代の宗教が直面する重大な危機であると指摘されています。(なお教皇様の世界平和の日メッセージは、カトリック中央協議会のホームページから読むことができます)

すでに触れたことですが、12月のはじめに沖縄を訪問しました。太平洋戦争末期の沖縄での戦いで、多くの人が巻き込まれ命を落としていったまさしくその現場を訪れ、また今もまた、世界のどこかで発生する武力紛争の現場と直結する米軍の基地の存在の圧倒的迫力を身に感じ、あらためて、宗教者として理想であっても平和を語ることは義務だと感じました。それとともに、平和構築のためには、地域に根ざしたミクロの視点と世界的な規模で考えるマクロの視点の両者が同時に必要だとも感じました。沖縄の人たちにあれだけの負担を押しつけておきながら、それを沖縄だけの問題であるかのように見てしまう。しかしそこには、地理的にも、そして歴史という時間的にも、グローバルに広がった世界とのつながりの中で発生している様々な問題がある。沖縄の基地問題は、まさしく世界平和の問題と直結するということを、過去の歴史の事実も含めて、あらためて心に刻みました。(写真は辺野古浜の座り込みテント)

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年

新潟教区の皆様、札幌教区の皆様、「司教の日記」を訪れてくださる皆様。

新年、明けましておめでとうございます。

2010年は多くの方々のお力添えで、二つの教区を担当する司教の務めを何とか果たすことができました。新しい年、2011年もどうぞ皆様よろしくお願い申し上げます。

昨晩の新潟は荒れ模様の天候でした。新潟市内は雪とはならなかったものの、風が吹き荒れ冷たい雨が降っておりました。それでも30人近い皆さんが深夜のミサに参加し、共に世界平和のためにお祈りいただきました。本日の午前中は新潟市内の天候は回復し、お昼には明るく太陽も顔を出しました。2011年が本当に神の祝福に満ちた一年となることを祈っております。

年頭に当たり司牧書簡を書いております。新潟教区では本日以降、各小教区で印刷した司牧書簡をお受け取りください。札幌教区ではすでにニュースの巻頭言の形で発行されております。どちらも前半はほぼ同じ内容となっております。またこちらにも掲載しておりますので、是非ご一読ください。

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