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2011年1月 9日 (日)

主の洗礼の主日

Xmasniigata10

本日は主の洗礼の主日でした。降誕節はこれを持って締めくくられ、典礼の暦は年間に入ります。すなわちこの年間の季節に、主イエスの公生活における言葉と行いに触れていくのですが、その始まりにあるのが洗礼者ヨハネによる洗礼を受け、同時に父である神から『これは私の愛する子、私の心に適う者」という宣言を受けるという出来事です。神のみ言葉が人となって私たちのうちに住まわれたという出来事と、イエスの公生活とをつなぎ合わせる重要な出来事を黙想する主日です。(写真の左側は新潟教会の洗礼盤)

第二朗読に記されたペトロの言葉が印象的でした。「この方こそ、すべての人の主です」という確信に満ちた言葉のあとに、ヨハネの洗礼から始まったイエスの公生活について、ペトロは簡潔に述べています。簡潔だけれども確信に満ちているのは、ペトロの言葉から、まさしく彼自身が見聞きしたことを伝えているのだという力強さが感じられるからだと思います。ペトロが心に秘めた確信の力強さが、神の言葉の持つ力を充分に働かせているのではなかろうかと思うのです。

神の言葉には力があるということを、先日の降誕祭の日中のミサ説教やほかの機会にもたびたび触れさせていただきましたが、私たちはこの神の言葉の持つ力そのものにもっと信頼するべきではなかろうかと思います。神のみ言葉がなかなか多くの人の心に伝わらない現実を目の当たりにしていろいろと悩むのですが、一つには伝える役割を受けた私たちひとりひとりの力不足が、確信を持って語ることをためらわせ、それがために神の力が十分に発揮されることを妨げているのではないかと思うことがあります。そこで根本になければならないのは、ペトロの信仰の根底にある確信のごときイエスに対する思いです。「他ならないあのイエスを私は知っている。そして信じている」という確信が、知識としてではなく肌で感じる実感として私たちにあるのかどうか。そこを問わなければならないと思います。

遅ればせながら、1月の主な予定を記しておきます。

  • 1月13日 常任司教委員会(東京)
  • 1月17日 月曜会ミサとロザリオ(新潟)
  • 1月18日 カリタスジャパン委員会(東京)
  • 1月19日 HIV/AIDSデスク会議(東京)
  • 1月22・23日 札幌地区男性の会行事(札幌)
  • 1月24日 札幌教区司祭月例会(札幌)
  • 1月30日 青山教会堅信式(新潟)

新潟市内でもこの数日は雪が降り続いております。もっとも市内ではそれほど積もってはいませんが、しかし充分に寒い毎日です。皆様もお体には十分にお気をつけください。

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