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2011年4月10日 (日)

宮古、そして田老へ

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土曜日の朝、盛岡は雨模様。朝8時には盛岡駅前のホテルを出発。国道106号線を一路宮古へ。たぶん普段の倍以上の交通量でしょう。前を自衛隊の車輌が何台も連なって走っていきます。それ以外にも岩手以外の他県ナンバー車輌の多いこと。2時間で宮古市内へ。というよりも合併があったらしく、区界(くざかい)あたりで、表示はすでに宮古市になっていた。つまり盛岡と宮古は、今や隣町同士。海岸線までは宮古市に入ってからが遠い。

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国道は閉伊川沿いを進みます。津波はどこまで川をさかのぼったのでしょう。右手にラサ工業の煙突が見えてくると、間もなく宮古市中心部に。八幡様の小高い丘があって(昔は巨大な山と思っていた)その下に裁判所。その裏が宮古カトリック教会です。このあたりは津波の被害はほとんど無し。教会に着くと司祭館で主任司祭のマルコ神父(グアダルペ会)と小百合幼稚園の加藤園長が待っていてくださいました。マルコ神父はちょうど故郷のメキシコに戻っていて、つい数日前に戻ってきたばかり。園長は田老のお住まいなので、家を失ったものの、家族は皆無事とのこと。地震当日に、園児達をつれて八幡様へ避難したときの様子をうかがいました。その後、信徒の方々が数名あつまってくださる。車のまま流されて奇跡的に助かった方。家を流された方。被災者を支援するために朝から晩までボランティアに取り組んでいる方。みんな本当に、本当に、大変でした。この日も、近くの小学校で、盛岡の四ツ家教会の有志が炊き出しをしてくださっていたと聞きました。

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宮古教会には、現在私が教区管理者を務める札幌教区から、管理者代理の上杉神父が、宮古教会を二度ほど訪れ、宮古の神父様や信徒の方々と協力して、支援プログラム立ち上げを目指しています。今週くらいから、仙台教区サポートセンターとの連携のうちに、札幌教区としての支援ベースを宮古に設置する計画を上杉師が進めてくださっています。

加藤園長に案内されて、田老に出かけました。途中、宮古港を通過。道路が通れないので、普段は入れない港の埠頭の中を抜けるルートが、自衛隊によって設置。港は壊滅的状況でした。陸に乗り上げている船。浄土ヶ浜へ向かう道路沿いに立ち並ぶ住宅地で、自衛隊員が大勢、重機を使って被害を受けた家屋の解体作業にあたっていました。

田老に入ると、全くの別世界。ここに町がひとつあったとはとても思えない惨状です。町の中を一本貫く道路だけが、がれきを撤去して開かれ、その左右はがれきの山。ぽつんとローソンの鉄塔の上につけられた看板が残っていました。たしかここから先にはあの巨大な防潮堤の水門をくぐらないと行けないはずだったのに、それはもう存在しておらず、ホテルから先の丘へ上る道へ。港には破壊された防潮堤の、巨大なコンクリートの塊が点在していました。そのまま丘を登っていくと、頂上付近にまで車が打ち上げられている。目の前にそびえる漁協の製氷施設も、かなり背の高い施設ですが、屋根近くまで破壊されている。陸の上には展望台があり、港と反対側の海岸沿いに、山王岩を望むことができます。長年の浸食でひょろりと背の高い岩がそびえており、景勝地とされています。もちろん津波の被害を受けているはずなのですが、これはそのままの姿でしっかりと残っている。園長が、「人間が造ったものはどんなに頑丈でも自然の力の前にはひとたまりもなかった。でもこの岩はもろそうに見えても、自然が生み出したからとても頑丈だった。人間の力の小ささを教えられた」と話してくれました。(田老の写真は別掲)

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その後、市内に戻り、園長ご夫妻と一緒にカレー屋さんへ(写真は、店前の看板と、店長さんと坂本神父)。海沿いの磯鶏(そけい)のあたりで、周囲は津波でかなり被害を受けています。この店にも津波が押し寄せたものの、何とか持ちこたえ、即座に開店へ。復興のためにカレーライスを、現時点では350円で提供中。とてもおいしいカレーでした。食事をしながらいろいろと話を聞きました。とにかく被害の大きさ。仕事を失った人はどうなるのか。ひとりひとりのニーズに応えて行くには何が必要か。現場のニーズをもっとしっかり見て知って、それから援助してほしい。

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宮古教会の皆さん。もっと時間を取って一緒に過ごすことができずに申し訳ない。札幌教区のメンバーが入ることになると思いますから、また必ず、すぐに、出かけていきます。

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