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2011年8月 5日 (金)

新潟は夏

Niigatamatsuri11

新潟は夏。新潟祭りが今日始まりました。今夕は新潟の象徴である萬代橋から街の真ん中を貫くメインストリート一本を全部使って、民謡流し。様々な市内の企業が、グループで参加して、そろいの浴衣で踊りまくる。お祭りは、日曜夜の花火大会まで続きます。残念ながら、日曜の夜は東京へ移動して、そのまま羽田からバンコクへ飛ばなくてはならないため、今年はゆっくりと花火を鑑賞することはできそうにありません。

さて明日8月6日は広島の原爆の日。日本のカトリック教会では明日から8月15日までを平和旬間と定めています。司教協議会会長の池長大司教様から、談話が発表されています。(全文はこちらをクリック)

談話の中で池長大司教は今回の大震災に触れ、その発生した理由を知ることは不可能だろうとしながらも、次のように述べています。

「私たちはこの現実の前に、ただ謙虚に頭を垂れ、大自然の前でどれほど人間が無力であるかを、素直に認めたいと思います。同時にその無力さこそが私たちを、人間の知恵を遙かに超えた偉大な神の力をあらためて実感させるのです。私たちには、これまでの生活のあり方を見直し、神の創造されたすべてのものの前に謙虚である生き方を模索することが求められています」

先日の研修会でも語られたことでしたが、脱原発や減原発など、実際のニーズを前提にして非常に現実的なアプローチから語られていることが多いのですが、やはり生活のあり方を考え直さない限り、結局は同じ事になってしまいます。今のままの生活を維持しながら原発反対を唱えることは非現実的ですし、原発を止めることだけがすべての解決にはならない。しかしながら同時に、今回実際に起こってしまったことの生活全般への影響を考えるとき、単純に安全を追求しさえすれば良いともいえそうにはない。たった一度発生しただけで、社会全般が背負わなくてはならなくなったコストは膨大です。そうであれば、単純に原発が悪いと糾弾しても何も始まらない。その存在が不可欠であり必要と信じた私たちの生活のあり方の見直しがない限り、何も先には進まないと感じます。従って、何をどのように見直すのかを真摯に考える必要があると、池長大司教の談話は指摘しています。

そして談話では、「愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか」という広島での福者教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージの言葉が引用されています。震災後に、被災地において互いに助け合い困難にある人へ愛の手をさしのべている多くの人の姿を目の当たりにして、神の愛の実践が様々な形で具体化していることにふれ、これこそが神の平和への道だと指摘しているのです。

この未曾有の災害に立ち向かうときに、愛のうちに平和を目指すとはどういうことか、しっかりと考えてみたいと思います。明日は主の変容の祝日でもありますが、広島での平和の祈りに心を合わせて、ともに助け合いながら平和を築き上げることの大切さを、あらためて黙想してみたいと思います。

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