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2011年9月 7日 (水)

OFM会員と黙想会中@札幌

Ca390308

月曜日の夜から土曜日の朝まで、札幌教区で働くフランシスコ会員の年次黙想会を「指導」するために、札幌に来ています。修道者や司祭は年に一度、一週間の黙想をするように定められています。通常、小教区などで「黙想会」と言えば、日曜日のミサ前後に講話があったり、その前日の土曜にも講話があったりと、日常生活の必要を考えれば二日くらいの時間が最大の可能性なのだと思います。司祭や修道者が「黙想会」と口にするとき、それは大概、一週間という時間を念頭に置いています。ですからこういった人たちが「ちょっと黙想会へ」と言えば、それは「私は一週間はいないのだ」と宣言しているということなのであります。

札幌市郊外の花川にある藤女子大学の裏手の修道院に、札幌教区で働いてくださるフランシスコ会の司祭修道士17名が集まり、昨晩は管区長様も顔を見せられました。

一応私の一日二回の講話のテーマは、「日本における新しい福音宣教を考える」としました。修道会員が教区で働くことへの示唆があればという事前のリクエストでもあったので、来年のシノドスのテーマとそのリネアメンタ(提題解説)に基づいて、新しい福音宣教を日本の現実の中でどう考えるのか、数日間一緒に考えていこうと思っています。とはいえ、私自身の時間の制約がこの数ヶ月は厳しくて、じっくりゆっくりと準備ができてはいないので、なにやらお話も自信が無く、しどろもどろになりがちであります。しかも司祭修道者相手に話をすると言うのは、結構難しいのであります。自分で話しながら、「そんなことは、司祭修道者であれば、とっくに知っているはずだ」などという思いが心に浮かんでくると、どうも話に自信が無くなるのです。先日、教区の保育者研修会で講演してくださったあの名説教家司祭のように、「だいじょうぶだよ」とどんなときでも揺るぎない自信を持って話をできるようになりたいものだと切に願望いたします。しかしながら、与えられたもの以上のものをやはり手には入らないのです。「それで十分」と言われる主の面前で、与えられた能力を最大に生かしていこうと思います。

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