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2011年10月31日 (月)

巡礼の思いで@ルルド

先日の新潟教区創立100周年の巡礼から、写真をいくつか順番にあげていきたいと思います。

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巡礼の最初の二日間はルルド。ルルドは初めて訪れるところですが、私にとっては一度は訪ねてみたい場所でした。というのも、1986年に司祭になりガーナへ派遣され、言葉の勉強が終わって担当司祭として任命されたのがOSONSONという村にあったルルドの聖母教会(Our Lady of Lourdes Parish)だったからです。結局私はその教会に7年いました。聖堂の横にはその地に特有の赤い石を積み上げたルルドがあり、その前で土曜日は早朝からレジオ・マリエのメンバーがロザリオを唱え、12月のはじめには地区のマリア祭が行われていました。金曜から日曜までのマリア祭では、ルルドのようにロウソク行列も行いました(もっとも早朝でしたが)。そんなわけで、本物を是非訪れたいと思っておりました。

訪問された方にはわかりきったことですが、上の写真の手前がガブ川、右手下のロウソクが三角形に輝いているあたりが御出現の洞窟(グロット)、さらに右奥が沐浴場です。聖堂は三層になっており、一番上の大聖堂の祭壇がグロットの上に位置するように作られているため建物は非常に幅が狭くなり、また一番下の左側のロザリオ大聖堂はあとから掘削をして建設したため、かなりの難工事であったとうかがいました。下の写真の広場の正面がロザリオ大聖堂で、その上にさらに二つの聖堂が乗っかる構造です。

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今回の訪問の初日は雨模様。しかし二日目は晴天に恵まれ、上の写真はやっと夜が明けたばかりの、しかしもう朝8時頃に、大聖堂の前を横切り、朝のミサへと向かう巡礼団の一行です。

今回は第一日目の夕方にクリプトで、二日目の朝にガブ川を渡ったところにある聖ベルナデッタ教会の聖パトリック小聖堂でミサをさせていただきましたが、もちろん、御出現のマリア様の命に従い一番最初にグロットの上に建設された聖堂であるクリプトでのミサが、最初のミサであったこともありますが、わたしにとっては感動的でした。

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2011年10月28日 (金)

新潟教区巡礼団は無事帰国

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新潟教区創立100年と私の司祭叙階銀祝の機会を得て企画された、新潟教区巡礼団は、10月18日から28日の予定を無事に終えて、69名全員が二つのグループに分かれて今朝成田空港に帰着しました。旅路の無事をお祈りいただいた方々に感謝します。今回の巡礼ではまた、大震災にあたり寄付と祈りを捧げてくださった教皇様への感謝を込め、また震災からの復興のためにも共に祈りを捧げました。巡礼団は、新潟教区を主に、札幌を始め各地の教区からも参加者をいただきました。参加者の平均年齢は高かったものの、何とか大きな事故もなく予定をこなすことができました。訪問地はルルド、パリ(不思議のメダイ教会)、リジュー、アシジ、ローマでした。

25日にはアシジをバスで離れローマに向かい、アッピア街道沿いにあるサン・カリストのカタコンベを訪れました。全員で70名近いのでカタコンベの中でのミサはスペースがなくてできませんでしたが、内部の説明をいただいたあとで、入り口近くの聖堂でミサを捧げることができました。私自身の霊名が初代教会の殉教者であるタルチシオであることから、一度はカタコンベでミサを捧げて教会の礎である初代教会の殉教者達の取り次ぎを祈りたいと考えてリクエストいたしました。午後には駆け足でしたがバチカン博物館、聖ペトロ大聖堂、ラテラノ大聖堂を訪れました。

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滞在最終日となった26日は朝から大雨。土砂降りの中を、もう一つの日本からの巡礼団と合流し、総勢100名ほどで教皇様の謁見へ。いつもの一般謁見だと思っていたのですが、前日に手渡された入場券がいつものとは違いえらく立派なのが気になっていました。聖ペトロ広場へ到着すると、さすがに大雨のため会場が謁見ホールに変更。入りきれない場合は聖ペトロ大聖堂内での立ち見になるとか。従って謁見ホールに入ろうとする人で、保安検査場前は大混乱でした。しかしよく見ると多くの人が手にしているのは、いつものオレンジの薄紙の入場券です。

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後にわかったのですが、この日の謁見は翌日の諸宗教代表者らによるアッシジ平和祈祷集会の準備のための御言葉の祭儀とされていて、そのための特別な席と招待状が用意され、私たち巡礼団はそちらに無事場所を確保していただいておりました。

普段の謁見ではみることもない数十名の枢機卿団が一番前列で、ソダノ枢機卿から始まり、エチェガライ枢機卿やアリンゼ枢機卿など数名の引退されている枢機卿達と続き、ベルト-ネ国務長官も着席。私の席はベルトーネ枢機卿の真後ろとなりました。新潟教区巡礼団など日本に一行も司教団の列のすぐ後ろに場所を確保されました。

謁見は御言葉の祭儀形式で始まり、教皇様の横にはマリーニ師など式典係が。この日のためのすばらし合唱や各国語の共同祈願が終わるとラテン語で主の祈りを唱え、教皇様の祝福をいただき、サルベ・レジナを歌いました。その後、教皇様はストラを外され、おつきも式典係からいつもの二人に変わり今度は各国語でご挨拶をいただきました。英語のご挨拶で真っ先に「新潟教区の巡礼団」と名指しして教皇様ご自身に歓迎していただきました。感謝。今回の巡礼団にとって、いつもの謁見とは違うもっと荘厳な典礼を一緒にすることが出来て、良い体験になったのではと思います。(なお、この日の教皇様の説教の日本語訳は中央協のホームページに掲載されています。また映像はフランスのKTOにありました)

この日の夕方には聖マリア大聖堂でミサを捧げ、巡礼を締めくくりました。聖マリア大聖堂では、右側横のいつも聖体礼拝などが行われる聖堂を使わせていただき、ミサ後には香部屋で、この聖堂の責任者であるロウ枢機卿がわざわざご挨拶に来てくださり、震災の被災者の方々のための祈りの言葉をいただきいました。

と言うわけで、今朝方、成田空港に無事帰り着きました。写真などを掲載しながら、また、巡礼をふり返って日記を記したいと思います。

ところでタイの大雨と洪水のため、バンコクで予定されていた会議は、キャンセルとなりました。

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2011年10月25日 (火)

新潟教区巡礼団@アシジ

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新潟教区巡礼団は無事アシジに到着。昨日は朝早くにパリを出発し、ルフト便エールフランス便とも昼頃にローマ到着。恐ろしく時間をかけて荷物を受け取り、ローマ市内で昼食。そのままバスでアシジへ移動。麓にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の奥、香部屋横にあるその昔は食堂であったらしい聖堂で主日のミサ。その後ホテルへ移動して夕食。山の上、アシジのホテルではひとつで全員を収容しきれず、二つに分かれての宿泊となりました。

今朝は早くから聖フランシスコ大聖堂でミサ。その後コンベンツアルの谷村師から案内を頂きました。谷村師は以前、名古屋教区の春日井教会で働いておられました。本日は午後からアシジで自由行動。明日の朝にはローマへ移動です。お天気にも恵まれ、皆さんお元気で過ごしておられます。

アシジは木曜日に教皇様を諸宗教者との平和の祈りの集いのためにお迎えする準備が、進んでおります。

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2011年10月23日 (日)

新潟教区巡礼団@リジュー

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本日は朝から夜にかけてパリから日帰りでリジューへ巡礼。近頃、ノルマンディー地方へ向かう高速道路は同じ時間帯、日本人の団体客を乗せたバスが連なると言います。ほとんどが今大人気のモンサンミシェルへ向かうツアーだとか。私たちのバス2台は、もう少し近いリジューへ。幼きイエスの聖テレジアが修道生活を送ったカルメル会修道院へ。リジューへ向かう道はすばらしい秋晴れと紅葉で、すばらしい風景でした。そしてこの地方特有のリンゴ畑。真っ赤なリンゴが連なっていました。

リジューはこぢんまりとしつつも、整然とした美しさを持った田舎町です。修道院は美しく改修され、中に入ると聖堂脇に聖テレジアのご遺体がガラスケースの中に安置されていました。しばし皆で祈りを捧げる。聖堂の隣はちょっとした資料館となり、聖テレジアの修道生活について写真や動画を使った解説が豊富にありました。

その後リジューの町の丘の上にそびえる聖テレジア大聖堂でミサ。ここには数年前に列福された聖テレジアのご両親の聖遺物が安置されています。ミサは小聖堂で。小聖堂と行っても新潟教会より遙かに大きな聖堂でした。この教会で聖テレジアについての雑誌を編集しているシスターが、日本からの巡礼団と言うことで取材に来ていました。

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ミサと昼食後はリジューの町中にある聖テレジア一家の家へ。写真は、一度に入る人数が制限されるため順番待ちの巡礼団です。この地方の秋には珍しい晴天に恵まれて、教会の宣教の保護の聖人である聖テレジアの取り次ぎを祈った一日でした。

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2011年10月22日 (土)

新潟教区巡礼団@パリ

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新潟教区100周年巡礼団69名は、昨日朝早くルルドを出発し、ポーの空港からパリのオルリー空港へ移動。そのままパリ市内でノートルダム大聖堂などを訪れ、夕方から不思議のメダイの聖母聖堂でミサを捧げました。ミサには巡礼団以外にも、ちょうど聖堂を訪れている各国の方も大勢参加してくださり、日本語のミサでしたが、祈りの一時を一緒にして頂きました。

参加者は皆さんお元気です。参加者の平均年齢が高いので疲れるのではと心配しておりましたが、私よりもかえってお元気な参加者もおられます。

昨日のパリは快晴。一昨日のルルドも寒いながら快晴。おかげさまで聖体礼拝や夜のろうそく行列にもゆっくりと参加できました。

本日は朝からバスでリジューへ一日巡礼です。

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2011年10月20日 (木)

新潟教区巡礼団@ルルド

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新潟教区創立100周年公式巡礼団は総勢69名となりました。二つに分かれて順次成田を出発。第一陣には名古屋教区の早川神父、第二陣には私と大瀧神父が同行しております。阪急交通社から、それぞれのグループに添乗員が一名ずつ。第一陣は18日朝のルフトハンザでフランクフルトからトゥールーズへ。第二陣は18日夜の夜行便でパリからポーへ。特に第二陣は夜行便で早朝4時前のパリ到着、その後4時間ほど待ってポー行きは、私自身にも大変でしたので皆さんお疲れだと思います。

しかしその疲れも何のその、早速ルルドを巡礼。写真は二泊するホテル前での集合の様子。グロットなどの聖域に一番近い場所にあるホテルです。

残念ながらルルドは雨模様で肌寒いのですが、その分巡礼者も思いのほか少なく、ゆっくりとお祈りをすることができております。昨日はグロット(洞窟)の上に三層に渡って建設されている聖堂の真ん中、クリプトで日本語ミサを捧げました。

とにもかくにも、参加されている全員がお元気ですのでご安心ください。本日以降、インターネット環境がある場所です、できる限り、日記を更新するように努力はいたします。無事のためにお祈りください。

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2011年10月16日 (日)

堅信式@亀田教会

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本日は新潟市内の亀田教会で堅信式でした。亀田と言えば、「亀田のあられ、おせんべい」で全国的に有名な亀田製菓がある町です。数年前に新潟市と合併して新潟市江南区になりました。主任司祭は山頭師。

本日は5名の方が堅信を受けられました。そして来年小学生のかわいい少年が、侍者をしてくれました。堅信を受けられた方々、おめでとうございます。

亀田教会を訪問と言えば、毎度のことですが前晩の鍋パーティー。信徒の多くが集まり、土曜日の夕方から鍋を囲んで話が盛り上がりました。明後日から始まる10日間の新潟教区創立100周年巡礼旅行には、亀田教会からも7名が参加してくださるとのことです。

亀田教会と言えば、日曜のミサ参加者も30名ほどの小規模教会であるにもかかわらず、数年前に聖堂を自己資金で新築したことでも知られています。信徒の結束の強い教会です。

というわけで、明後日から10日間の巡礼。ルルド、リジュー、パリ、アシジ、ローマと盛りだくさんで、最終日のローマでは教皇様の一般謁見にも参加する予定です。実は私はフランスは初めてです。参加者は70名ほど。無事をお祈りください。

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2011年10月13日 (木)

マニラに新しい大司教誕生

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教皇様は先ほど、フィリピンのマニラ大司教区のガウデンシオ・ロザレス(Gaudencio B. Rosales)枢機卿の定年による引退を認め、後任にイムス教区のルイス・アントニオ・タグレ(Luis Antonio Tagle)司教を任命しました。上の写真は昨年5月に台湾での研修会で講演するタグレ司教です。

タグレ司教は1957年生まれ。アジアにおける有数の神学者として知られ、教皇様が枢機卿時代に主宰しておられた国際神学委員会のメンバーでもありました。同時にタグレ司教は話が上手なので有名です。難しいことをわかりやすく話ができる才能の持ち主で、私も何度も話を聞きましたが、本当に上手な話し手です。

マニラ大司教区はアジアでも有数の巨大教区で、信徒総数は280万人。教区司祭総数は642人を数えます。ロザレス枢機卿はあの有名だったシン枢機卿の後任として難しいかじ取りを迫られてきたと思います。しかしとても温厚な司教様で、一度ゆっくり話をするとその魅力がすぐにわかる人物です。

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仙台へ

明日は月例の仙台教区支援会議が仙台教区本部で。それに合わせて、司教協議会の復興支援担当で打ち合わせをするため、ちょっと早めに本日午後に仙台へ。今日は新潟は晴天ですが、途中の磐越道の天気がよいことを願ってます。そろそろ紅葉の時期なので。

来週は新潟教区創立100年を記念した10日間の巡礼に出かけます。ルルド、アシジを巡り、最後の日には教皇様の一般謁見に参加。すでに登録したので、当日は名前を呼んでいただけると思います。70名を超える巡礼団になる予定。

その準備やら、その前に亀田教会で堅信式があるし、帰国したら即座にバンコクへ飛ばなくてはならないしと、頭の中はバタバタしているのですが、そんなとき、来年の四旬節小冊子の原稿締め切りが11月頭であることを失念していたことが発覚。これは巡礼旅行中に原稿を考えなくてはならない。クリスマスもまだ先なのに、印刷の関係もあり、頭の中はもう四旬節です。

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2011年10月10日 (月)

メリノール宣教会創立100周年@苫小牧

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アメリカ合衆国起源の宣教会、メリノール宣教会は今年で創立100周年を迎えます。1911年6月29日に、二人のアメリカ人教区司祭によって創立された宣教会は、ニューヨーク郊外にある丘を本拠地として定められ、その地を『メリーノール』すなわち『マリアの丘』と名付けたことから、メリノール宣教会と呼ばれるようになったということです。日本には戦前に派遣され、1937年には、大阪教区から一部を割譲されて京都教区が設立され、メリノールに司牧が任されました。そのときに教区長になったのが、メリノール会員で、当時平壌の代牧区長であったバーン司教です。バーン司教は米国との開戦が不可避となったことから辞任し、戦争中は軟禁状態であったと言います。戦後は教皇使節として韓国に派遣され、今度は朝鮮戦争に巻き込まれとらわれの身となります。そして1950年に北朝鮮軍に捕らわれたままなくなられました。戦後は、京都教区を中心に活躍し、その後、京都教区司祭から新設の札幌教区司教に任命された富沢司教の招きで、札幌教区でも働くようになり、現在に至っています。現在は苫小牧地区などで、4名の会員と1名の準会員が活躍されています。

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本日は苫小牧のニュー王子ホテルを会場に、札幌におけるメリノール会100周年の感謝ミサと祝賀会が行われ、道内から多くの司祭と修道者、信徒が参加して、これまでの宣教会の働きに感謝しつつ、宣教師たちの模範に習って自らも宣教者へと変えて頂けるようにと、祈りをともにいたしました。

写真上は、祝賀会で歌を披露するメリノール会員たち。下は祝賀会で歴史を語る前札幌教区長の地主司教。地主司教はご覧の通り、ますますお元気です。

メリノール会の皆さん、おめでとうございます。これからも札幌教区のためによろしくお願いいたします。

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2011年10月 9日 (日)

晴天の休日、また札幌へ移動

連休中で新潟はすばらしい秋晴れの一日です。市内ではマラソン大会が行われたと言うことで、朝から空はヘリコプターでいっぱい。フルマラソンと10キロがあったようです。今日は日本海もきれいに見えて、爽快なマラソンだったことでしょう。

私は今からまたまた札幌へ移動。滞空時間は一時間ほどですが、その前後も合わせると、ご存じのように結構時間がかかりますね。数日前から冬のダイヤで札幌と新潟の間の便は一便減って3便に。一日の最後は北海道国際航空の15時45分便。もう少し遅い便になると、昼間の新潟での時間を有効に使えるのですが、残念。

明日は苫小牧で、メリノール宣教会の創立100年記念ミサ。札幌教区の苫小牧地区はメリノール会の宣教地区になってきました。どこかの記事で見つけましたが、たしかケニアで働くメリノール会会員のインタビューでしたが、『我々は教会の海兵隊だ』というのがありました。困難な状況の中に真っ先に乗り込んでいく勇敢な宣教師たち。いかにもアメリカの宣教会らしい一言です。

先週はHIV/AIDSデスク、常任司教委員会や特別臨時司教総会で、3日間東京におりました。水曜日がちょっと涼しすぎて、それ以降体調が今ひとつであります。特別臨時は別に何か『特別』なことを『臨時』に集まって決めなくてはならない、非常事態だったのではなくて、規約上6月を定例、2月を臨時の総会としているため、それ以外はすべて特別臨時です。このところ毎年10月に一日開催するのが恒例となっています。今回は主に、11月が締めきりとなっている、来年のシノドスの準備文書であるリネアメンタへ回答書を作成するため。担当は宮原司教。みんなで8月末までに提出した、新しい福音宣教に関する80近い質問への回答を宮原司教がまとめてくださり、それについて時間をかけて討議しました。新しい福音宣教について日本の実例をいくつか挙げましたが、その中に山形県の新庄における教会創立とフィリピン人信徒を中心に農村部で進む、生きる姿を通じたあかしによる福音宣教に関して、かなりの分量を触れて頂きました。これが本番のシノドスでも取り上げられるとよいのですが。

それから、今回の総会の間に、シャルトル聖パウロ会のシスターから、その昔、私が宮古から盛岡に引っ越して、一年だけ通った盛岡の白百合幼稚園の担任であったシスターの消息を伺うことができました。現在のお姿は写真を見てもわかりませんでしたが、40年近い前の写真を見せて頂いたら、そのお顔にははっきりと記憶がありました。時間を見つけて会いに行かなくてはなりません。

次に司教が顔をそろえるのは、11月の日韓司教交流会。今回は仙台での開催となりました。

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2011年10月 3日 (月)

札幌地区使徒職大会開催@札幌

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昨日の日曜日、札幌市内の藤女子大学を会場に、札幌教区の札幌地区使徒職大会が開催されました。いわゆる地区の大会です。今回の大会は、国際ミサを一緒に行ったことが最大の特徴でした。一週間前の日曜日に教区の国際デーが北一条教会で行われ、通常はこちらの催し物の前に国際ミサが行われます。今年は、その日を催し物だけの日として、ミサを使徒職大会で一緒に行い、日本人と外国籍の信徒の交流を図ろうと企画されていました。テーマは「世界のみんなきょうだいさ!」

そこで今年の使徒職大会では、私が講師となり、山形県の新庄における、主にフィリピン出身信徒を中心とした教会誕生の物語を、30分の日本語と10分の英語でお話しさせていただきました。時間が限定されていたので日英ともしっかりと原稿を用意して読み上げたので、ぎこちない講演となったかも知れません。お話の結論は、神様は成し遂げようとするご自分の計画があり、必ずそれを成し遂げられる。そして日本の、特に農村部に住む外国籍信徒は、まさしくこれまで教会が手を伸ばしてこなかった地域へと神ご自身によって派遣された宣教者である。さらに教会共同体全体が、福音を証しする存在とならなければならない、というあたりです。

私の講演後、国際ミサを捧げました。10名を超える地区の司祭団との共同司式。大勢の侍者のみなさん、ご苦労様でした。聖歌隊も組織され、日本語の歌と英語などの歌が交互に歌われました。奉納の時には、各国の子どもたちが、花などを持って登場。BGMはアフリカの音楽だったでしょうか。これでダンスがあれば、まさしくアフリカの教会のミサでした。

何名ほどおられたか数えませんでしたが、藤女子大学のホールは一杯でした。(上の写真は始めに挨拶をする勝谷地区長と通訳するマイレット師)

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ミサ後には昼食を共にする交流会も行われました。交流会で一番盛り上がったのは、「オバマ大統領」の登場でしょうか。会場のそこここに、黒服にサングラス姿のSP風外国人男性陣が立ちはだかり何事かと思わせたところへ、オバマ大統領の登場。皆に「抹茶アイスクリーム」を配って消えていきました。もちろん全員が札幌に住む留学生などの外国籍信徒です。(写真は「オバマ大統領」やSPたちと)もちろん上杉神父指揮で歌った聖歌も盛り上がりました(写真下)

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準備してくださった札幌地区(宣司評)の皆さん、ご苦労様でした。

北海道は急に寒さが増しました。今日は旭川で初雪も。札幌の司教館の私の部屋では、昨日すでにストーブを点火。それほど寒かった。今年の冬はどうなることでしょう。いまから恐ろしい。

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2011年10月 1日 (土)

10月の主な予定

10月になりました。今年も残すところあと3ヶ月です。月が変わって、急に涼しくなりました。これから札幌へ出かけますが、寒い模様です。それではいつもの通り、今月の主な予定を記しておきます。

  • 10月2日 札幌地区信徒使徒職大会 (札幌)
  • 10月4日 フランシスコの祝日ミサ (長岡)
  • 10月5日  HIV/AIDSデスク会議 (東京)
  • 10月6日 常任司教委員会 (東京)
  • 10月7日 臨時司教総会 (東京)
  • 10月10日 メリノール宣教会100周年ミサ (苫小牧)
  • 10月11日 聖母学園理事会 (新潟)
  • 10月14日 仙台教区支援会議 (仙台)
  • 10月16日 亀田教会堅信式 (新潟)
  • 10月17日 月曜会ミサ (新潟)
  • 10月18日~28日 新潟教区創立100周年巡礼 (海外)
  • 10月31日 カリタスアジア地域委員会 (バンコク)

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司祭団研修会

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9月最後の一週間、さいたまと新潟の司祭団の合同研修が、仙台教区内で開催されました。数日間にわたって、両教区から参加した司祭と終身助祭の合計20名ほどが、仙台教区内各地を巡り、教会でミサを捧げ、現地の方々からお話を伺い、被災地で祈りを捧げました。

その研修会の中で、宮城県の亘理教会を訪れてミサを捧げる機会をいただきました。亘理教会のある地域は津波の被害を免れたものの、少し海に近づくと、多くの住宅が被害を受けたことが一目瞭然でした。その地域にお住まいの信徒の方が、あまりの風景の変貌に、「中学校のフェンスとか信号機とか、目印がなくなってしまったので、車を運転して自分の家に行こうとしても道を間違えてしまう」と言われていたのが印象的でした。実際、そのあとに、津波で流されてしまい不通になっている常磐線に沿って、山元町の坂元駅まで足を伸ばした際にも、地元の方が、そこがどの駅なのかナビで確かめるまでわからないほどに、地域の風景が変貌を遂げている。というよりも、あったはずのものがすべてなくなってしまっている現実。変わり果てた地域の風景が、元に戻るためには凄まじいまでの時間とエネルギーが必要だと感じました。

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写真は、一番上が、駅舎も駅前の商店も何もかも流されて、何もなくなった中に残されている坂元駅のホーム。下が、亘理の海岸沿いに山積みとなっている流されたすべての残骸。この処理にも、時間とエネルギーが必要でしょう。

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