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2011年10月28日 (金)

新潟教区巡礼団は無事帰国

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新潟教区創立100年と私の司祭叙階銀祝の機会を得て企画された、新潟教区巡礼団は、10月18日から28日の予定を無事に終えて、69名全員が二つのグループに分かれて今朝成田空港に帰着しました。旅路の無事をお祈りいただいた方々に感謝します。今回の巡礼ではまた、大震災にあたり寄付と祈りを捧げてくださった教皇様への感謝を込め、また震災からの復興のためにも共に祈りを捧げました。巡礼団は、新潟教区を主に、札幌を始め各地の教区からも参加者をいただきました。参加者の平均年齢は高かったものの、何とか大きな事故もなく予定をこなすことができました。訪問地はルルド、パリ(不思議のメダイ教会)、リジュー、アシジ、ローマでした。

25日にはアシジをバスで離れローマに向かい、アッピア街道沿いにあるサン・カリストのカタコンベを訪れました。全員で70名近いのでカタコンベの中でのミサはスペースがなくてできませんでしたが、内部の説明をいただいたあとで、入り口近くの聖堂でミサを捧げることができました。私自身の霊名が初代教会の殉教者であるタルチシオであることから、一度はカタコンベでミサを捧げて教会の礎である初代教会の殉教者達の取り次ぎを祈りたいと考えてリクエストいたしました。午後には駆け足でしたがバチカン博物館、聖ペトロ大聖堂、ラテラノ大聖堂を訪れました。

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滞在最終日となった26日は朝から大雨。土砂降りの中を、もう一つの日本からの巡礼団と合流し、総勢100名ほどで教皇様の謁見へ。いつもの一般謁見だと思っていたのですが、前日に手渡された入場券がいつものとは違いえらく立派なのが気になっていました。聖ペトロ広場へ到着すると、さすがに大雨のため会場が謁見ホールに変更。入りきれない場合は聖ペトロ大聖堂内での立ち見になるとか。従って謁見ホールに入ろうとする人で、保安検査場前は大混乱でした。しかしよく見ると多くの人が手にしているのは、いつものオレンジの薄紙の入場券です。

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後にわかったのですが、この日の謁見は翌日の諸宗教代表者らによるアッシジ平和祈祷集会の準備のための御言葉の祭儀とされていて、そのための特別な席と招待状が用意され、私たち巡礼団はそちらに無事場所を確保していただいておりました。

普段の謁見ではみることもない数十名の枢機卿団が一番前列で、ソダノ枢機卿から始まり、エチェガライ枢機卿やアリンゼ枢機卿など数名の引退されている枢機卿達と続き、ベルト-ネ国務長官も着席。私の席はベルトーネ枢機卿の真後ろとなりました。新潟教区巡礼団など日本に一行も司教団の列のすぐ後ろに場所を確保されました。

謁見は御言葉の祭儀形式で始まり、教皇様の横にはマリーニ師など式典係が。この日のためのすばらし合唱や各国語の共同祈願が終わるとラテン語で主の祈りを唱え、教皇様の祝福をいただき、サルベ・レジナを歌いました。その後、教皇様はストラを外され、おつきも式典係からいつもの二人に変わり今度は各国語でご挨拶をいただきました。英語のご挨拶で真っ先に「新潟教区の巡礼団」と名指しして教皇様ご自身に歓迎していただきました。感謝。今回の巡礼団にとって、いつもの謁見とは違うもっと荘厳な典礼を一緒にすることが出来て、良い体験になったのではと思います。(なお、この日の教皇様の説教の日本語訳は中央協のホームページに掲載されています。また映像はフランスのKTOにありました)

この日の夕方には聖マリア大聖堂でミサを捧げ、巡礼を締めくくりました。聖マリア大聖堂では、右側横のいつも聖体礼拝などが行われる聖堂を使わせていただき、ミサ後には香部屋で、この聖堂の責任者であるロウ枢機卿がわざわざご挨拶に来てくださり、震災の被災者の方々のための祈りの言葉をいただきいました。

と言うわけで、今朝方、成田空港に無事帰り着きました。写真などを掲載しながら、また、巡礼をふり返って日記を記したいと思います。

ところでタイの大雨と洪水のため、バンコクで予定されていた会議は、キャンセルとなりました。

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