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2012年6月 8日 (金)

聖体奉仕会の会員の集い@秋田

新潟教区司教が創立した奉献生活の会である聖体奉仕会は、毎年この時期に全会員を集めて集会を開いています。聖体奉仕会は本部修道院で祈りの生活を送る会員と、社会の中で働きながら奉献生活を営む会員から成立していて、後者は全国各地に居住しています。そこで一年に一度、全員が秋田の本部に集まり、祈りと黙想と食事をともにし、また総会を開いて会の様々な課題について話し合います。会の最高上長は会員から選ばれる会長ですが、教区の会であることから新潟の司教が全体の責任者でもあります。集いの際には、特に日頃顔を合わせる機会の少ない社会の中に暮らす会員を中心に、できる限り多くの会員と面接もいたします。

というわけで、昨晩から秋田へ来ております。このまま日曜日の午後からは月曜会の秋田巡礼もありますので、月曜日に巡礼団と一緒に新潟に戻るまでは秋田です。

今夕、野田首相が記者会見を行い、大飯原発の再稼働の決意を表明されました。日本のカトリック司教団は昨年11月、原発の即時廃止を求める立場をメッセージで明らかにしています。もちろんその立場からいえば、今夜の首相は決断は非常に残念です。しかし同時に、首相の立場を考えればそう言わざるを得ないであろうこともよく理解できるところです。

司教団の発言は神からのたまものである生命を徹底的に守るためには、どういう姿勢でこの世の生を全うするべきなのかを示す倫理的原則を述べた発言です。倫理的原則には良いか悪いかの両極端しかあり得ず、現実をみたらまあ仕方ないかという立場はありません。宗教的な原則とはそういう者ですから、そういう判断を公にするとき司教団の言葉は一般的には妥協のない極論とみられることでしょう。もちろん現実には即座にそうなることが難しいことは十分に知っているのですから、全体の方向性が教会の主張と轍を一にしているのかどうかが問題です。つまり、倫理的判断として主張したことが即座に実現しないこと自体を批判するのではなく、全体の方向性が主張していることと異なるときに批判をするのです。

司教団の原発廃止の主張は、後半で強調されている生活全体のあり方の見直しや環境への配慮を抜きにしては成立しません。つまり今の社会のあり方に何も変化を生じさせる努力が無くては、当然のように原発は再稼働しなければならないという結論になることでしょう。それは今の政治の限界ですからどうしようもありません。ですから残念だなと感じるのは、その後にどういう方向に進みたいと野田首相が考えているのかが、今ひとつ明確にならなかったことです。エネルギー政策全般についての検討に関しては言及がありましたが、どういう社会を目指すのか、新たな生活のスタイルをもたらす社会を構築しようとするのか、そういった方向が見えてこないことが、今の段階ではとても残念だと感じています。

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