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2012年12月31日 (月)

この一年に感謝

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まもなく2012年が終わろうとしています。この一年、多くの方に出会い、多くの方から祈りをいただき、また多くの方に協力、助力をいただきました。心から感謝申し上げます。とりわけ、新潟教区と札幌教区の皆様に感謝いたします。

司教職を果たすには、まだまだ足りないところばかりが浮かび上がってくるのですが、どうぞ新しい年においても、皆様のお祈りと助けをお願い申し上げます。残念ながら、2012年中にと想定していた札幌の新司教は決まりませんでした。新しい年にはできる限り早く任命がありますように、お祈りのほどお願い申し上げます。

今朝の新潟日報に、うれしい記事がありました。全文を写して掲載するわけにはいきませんので、一部だけの写真ですが、『歩む結ぶ』という特集記事の最終回に、『被災地の外国人妻』というタイトルで、大船渡で力強く復興に励むフィリピン人の女性たちと、それを支えるカトリック教会の活動が掲載されています。特に彼女たちと歩みをともにしているシスター野上とハルノコ神父について、またカリタス大船渡ベースや教会についても触れられています。こうやって紹介していただけるのはうれしい限りです。多分、新潟日報の独自取材ではなく共同通信の配信記事かと思いますので、全国の他の地方紙にも掲載されているものと思います。何度も繰り返していることですが、わたしは全国にいるこういった海外から来られて定住している信徒の方々は、その来日の経緯がどうであるにせよ、すべてが神様のはからいによる、新しい宣教者の派遣であると信じています。

『忙しい』を口実にして、すべき事を投げ出すことは、これまでの人生で、できるだけしないことにしてきました。記憶している限りでは数回しかありません。しかし残念ながら今年は、本当に年末まで忙しくて、クリスマスカードも年賀状も間に合いませんでした。

例年私から年賀状を受け取られていた皆さん。申し訳ないが、今年は間に合いませんでした。

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2012年12月28日 (金)

グロード神父様帰天@函館

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函館にある高齢者総合施設である旭ヶ丘の家の創立者で、50年以上にわたって札幌教区で働かれたフィリッポ・グロード師(パリ外国宣教会)が、12月25日早朝に老衰のため帰天されました。85歳でした。

神父様は昭和2年にフランスで生まれ、昭和29年に司祭になられてから今に至るまで、札幌教区の函館地区で働かれました。旭ヶ丘の家をはじめとする高齢者の施設のユニークな運営で有名でしたし、函館市ではNPO法人市民創作「函館野外劇」の会理事長としても著名人でありました。この数年は車いすでの生活でしたが、最後までユーモアと明るさを持って、人生は何歳になっても楽しまなければならないことや、自分は「復活教」の信徒だから、明るい天国を楽しみにしているなど、信仰における希望と喜びを身をもって伝えて行かれました。

昨日27日は、函館の宮前町教会で葬儀ミサが行われました。一般の市民の方とのお別れ会は「しのぶ会」として、来年2月5日午後1時半から、五島軒本店で行われる予定ということです。R.I.P.

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昨日は函館地方も大雪で、私は快晴の羽田から午前中の全日空で飛んでいきましたが、函館上空で着陸できずに1時間半も旋回待機。やっと空港に着いたのが葬儀開始時間の午後1時半でした。お集まりの皆さんにはそれから40分も待っていただき、迷惑をかけました。申し訳ありません。帰りの夜7時台の羽田便も雪のため怪しかったのですが、何とか少しの遅れで出発してくれました。札幌からやって来た司祭達も、電車が50分近く遅れていたとのことでした。この時期の北国は、移動にハプニングがつきものです。

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2012年12月25日 (火)

主の降誕@新潟教会

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新潟教区、札幌教区の皆様、そして友人知人の皆様

主の降誕おめでとうございます!

24日の夜は寒いとはいえ雪も降らず、多くの方にミサに参加していただきました。ちょうどミサの前の夕方のテレビで放送された(前日記事)効果もあったのでしょうか、新潟教会は集まった方々で一杯でした。夜8時のミサは「しずけき」を歌う中、キャンドルサービスで始まりました。キャンドルの明かりだけの中を侍者と司祭団が入堂。幼子イエスの像を私が捧持し、聖堂前方右に準備された馬小屋まで運びました。聖歌隊も良く準備されて、落ち着いた夜を過ごすことができました。

そして開けて25日は荒れた天気に。朝から風が吹き、時折り雪が激しく吹き付ける朝でしたが、月に一度集まっている英語ミサグループの方々も合同で行われた今日の10時のミサは、これも聖堂がいっぱいになるほどの方々が集まってくださいました。今日のミサでは第一朗読を英語でお願いし、私の説教の要約も英語で行いました。また共同祈願や一部の聖歌など、英語ミサグループにも手伝いをいただきました。ミサが終わった頃にはヒョウのようなものも雷とともに降ってくるなど、新潟の冬らしい天気になりました。

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ミサ後は信徒会館ホールで祝賀会。これも予想以上に多くの方に参加していただき、青年たちが教区100周年に作った歌をあらためて披露したり、教会学校の子どもたちが絵本の読み聞かせをしたり、米国出身の信徒ご夫妻(奥様は日本出身)のすばらしい歌や、フィリピン出身の方々による、いつものように明るく楽しく歌って踊ってのパフォーマンスなど、楽しいひとときを過ごしました。また祝賀会では、新潟教会の女性の会(正式名称は何でしたっけ?)が時間をかけて用意した美味の食事も提供されました。皆さん、ご苦労様でした。

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2012年12月24日 (月)

まもなく主の降誕です

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まもなく12月24日の日も暮れ、いわゆるクリスマスイヴとなります。典礼の暦は日没と共に始まるので、まもなく主の降誕の祝日となります。夜はミサが続くので、ひとまず先に皆様にお祝いの言葉を申し上げます。

新潟教区の皆様、札幌教区の皆様、そして友人の皆様。主の降誕おめでとうございます。世界中の至る所で、多くの方々が、不安のうちに、希望を失った中で、この平和の君が来られる降誕祭を迎えておられます。神の望まれる世界は一朝一夕には実現はしないのでしょうが、しかしその具体化のためには、私たち一人ひとりの信仰におけるあかしが不可欠です。暗やみに輝く一筋の光は、たとえそれが弱くとも、道に迷い闇に彷徨う人にとっては大きな希望をもたらします。暗やみの中に帰宅して、鍵穴が見えなくて戸惑う時、あの携帯電話の小さな光でさえも大きな助けになるではありませんか。神がこの世界を創造された時、世界は希望の光に満ちあふれていたことでしょう。そのような世界を実現するために、私たちが歩むべき道は何なのかを良く黙想し、具体的な行いとして表していきましょう。私たちの手には、掲げるべき希望の灯火が託されています。

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夕方4時頃に偶然テレビをつけたら、なんと新潟教会の主任司祭である江部神父さんが映っておりました。クリスマスイブの特集で、先日、聖歌隊が練習している日に取材があったとは聞いておりました。結構長時間の特集でありました。

今夜は8時から司教司式のミサ、深夜12時から江部神父司式のミサ。そして明日25日は午前10時から司教司式のミサです。どうぞカトリック新潟教会へおいでください。

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2012年12月23日 (日)

待降節第四主日@司教館

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待降節も間もなく終わり、明日の夜からは降誕節に入ります(12月24日の日中はまだ待降節です。教会ではクリスマスは24日の日没以降に始まります)。待降節最後の日曜日、新潟地区でいつも集まってくる青年たちの一部が、司教館の食堂にクリスマスツリーの飾り付けに来てくれました。おかげで殺風景な食堂も、ちょっとクリスマスらしくなりました。あとはいただいたクリスマスカードを、壁にでも飾ろうかと思います。

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教区100周年での青年たちの活躍を見て、青年たちのために寄付をしてくださった方がおられました。その意向を受けて、今日集まった青年たちに代表で、聖画が描かれたロウソクのプレゼントを受け取ってもらいました。

新潟教区、札幌教区の皆様。全国の友人の皆様。良いクリスマスをお迎えください。

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2012年12月22日 (土)

一足先に降誕祭@新潟清心女子高校中学校

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新潟教区にはカトリックの学校がそれほどありません。幼稚園は結構あるのですが、中学と高校は新潟県と秋田県に一校ずつ。新潟清心女子と秋田聖霊の2校のみ。それ以外には、秋田に聖園と秋田聖霊の短大が2校。これだけです。大事なカトリック学校ですから、大切にしたいと思います。

今日は午前9時過ぎから、新潟清心でクリスマスの集いが行われました。集いは体育館での全員参加ミサから。私が司式して、新潟教会助任司祭のナジ神父に共同司式をお願いしました。カトリック校とはいっても、他校と同様でそれほど信徒が在籍するわけでもないのですが、宗教科の教員(長崎南山出身)に日頃からよく導かれているのでしょう。ミサ前には全員でアベマリアの祈りを唱え、ミサのあいだも式次第にしたがって静粛に、そしてしっかりと聖歌を歌ってミサに与ってくれました。クリスマスの集い全体の進行は宗教科教員と信徒の教員が共同で行ってくれました。一番の感激は、聖体拝領の時に生徒の中から二名も拝領に出てきたことでした。信徒がいた!

ミサ後は、クリスマスに向けての各学年の奉仕活動の報告、ハンドベル部の見事な演奏(どうやってベルを持ち替えているのだという早業に、いつも驚愕)、キャンドルサービス(ダンス部がキャンドルを持ちながら見事なパフォーマンス)、降誕のタブロー(静止朗読劇)、最後は高校三年生のAve Verum Corpus合唱と続いて、お昼過ぎに終了しました。写真はタブローの様子です。

準備してくださった皆さんありがとう。奉仕活動の一環として行われた募金活動の模様は、今朝の新潟日報地域版に掲載されていました。

夜にはガーナ出身のマーティン・デュマス神父(神言会)が、昨年に続いてクリスマスを一緒に過ごすために新潟へやって来ました。

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2012年12月21日 (金)

大雪の北海道へ

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大雪の北海道へ行ってきました。水曜日が東京で社会司教委員会でしたので、何となく巡礼からの時差ぼけも引きずって出かけましたが、その翌日、つまり木曜日の午前中に羽田から札幌へ。この時期は、東京から札幌へ移動するのには、靴に困ります。北海道に行くなら、滑り止めで防水の冬靴を履かなくてはいけませんが、それは東京ではちょっと大げさすぎる。

到着した札幌は極寒でした。札幌市内は12月にしては例年にない大雪で、すでに道路は圧雪された雪の道となり、歩道際には除雪された雪が山のように積み上げられています。この日は札幌の最高気温が零下でした。午後2時から札幌教区の顧問会。乗り継ぎに手間取り、また雪で電車も遅れたため、30分の遅刻。

さて昨晩は、いつものようにストーブを点火したままで眠りにつきました。北海道の家は暖かいのです。司教館の私がいる部屋も二重窓で、冬はストーブをつけっぱなしにするので暖かい。ところが夜明け頃に目が覚めると、何とも部屋の中が肌寒い。見ると、なんとストーブが消えているではないか!それでも機密性の良い部屋のおかげで、零下までは落ちていませんでした。

朝6時半頃にミサのため小聖堂へ行ってみると、そこもストーブが停止。加藤事務局長曰く、「司教館の二階は全滅です」。どうも二階に灯油を上げるポンプの不具合のようでした。ともかく寒い朝でしたが、朝食の時にテレビのニュースで今日の札幌の「最高気温」が「零度」と報道されると、地主司教さん始めみなが一斉に「今日は暖かい」。恐るべし北海道。

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そして今日は10時から、藤女子大学などの経営母体である殉教者ゲオルギオのフランシスコ修道女会の日本管区本部の新しい建物の祝福式でした。ドイツから来られているこの修道女会は、北海道で藤女子大学他の学校や福祉施設、そして仙台とさいたま教区でも働いておられます。現在の管区長はドイツ出身ですが、ほぼ日本管区全員が日本出身のシスターになっております。

札幌市内の藤女子大学キャンパス隣接地に建っていたこれまでの管区本部は老朽化し耐震の問題もあったため、今年から改築にかかっておりました。5階建ての新しい建物が昨日業者から引き渡しとなり、今日、祝福式をすることができました。敷地の制約で細長い建物ですが、管区の各事務所他、修練院も併設され、最上階が聖堂です(写真は祝福式後に聖堂で挨拶する管区長)。シスター方のこれからの活躍に期待します。

午後の飛行機で新潟へ。明日は新潟清心女子中学高校のクリスマス会です。

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2012年12月17日 (月)

巡礼(帰国しました)@聖地その8

聖地巡礼の最終日、土曜日のことを最後に。

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最終日は安息日ですから車の通りも少なく、バスはすいすい進みました。巡礼最終日はまず最初に、アッコの遺跡(Acre)へ。ここは十字軍時代の地下都市が残されている遺跡です。地中海沿いにありハイファの近くにあるこの世界遺産は、十字軍の終焉の地でもあります。

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その後カルメル山へ。預言者エリヤがバアル神の祭司たちを打ち破った地であります。聖堂の祭壇前には綺麗なクリスマスの飾りが設けられておりました。

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その後カイサリアへ向かい昔の港の跡やローマ時代の水道橋や円形劇場などを回り、昼食後にテルアビブへ向け移動開始。そのテルアビブの町に飲み込まれるようにして一緒にあるヤッフォの町で皮なめし職人シモンの家を回り、近くにある聖ペトロ教会で最後の感謝のミサ。すでに夕方でしたし、翌日は夜遅くまで飛行機の中なので、この日は翌日曜日のミサを捧げました。

その後夕食を経てテルアビブ空港へ。凄まじく厳しい荷物検査で、全員スーツケースを開けての検査でしたが、一番最初に検査された私が一番最後までかかるということに。その前の巨大なX線機械の映像に映っている何かが見当たらないと、再度X線の指示。それでも見つからず、最後に「死海で石けんを何個購入したか」の質問。二つくらいだったかなあとうろ覚えの回答にも、検査官の彼女は厳しい目つきながらもにこりと微笑み、「じゃあ、オーケー」って、凄まじい脱力感でした。しかしながらこの世界一厳しい検査がなければ、確かにイスラエルから無事飛んで来られるかどうかわからないのでしょうから、それほど気分の良いものではないが、今のイスラエルの地政学上の位置から見て、安全のために仕方がありません。

そういうわけで、そのままほぼ満席の大韓航空直行便でソウルへ。乗り換えて参加者それぞれ、札幌、成田、新潟へ飛んだのでした。感謝の一言の巡礼旅行でありました。手配と添乗のパラダイス村上さんとガイドの西郷さん、そしてドライバーのサイードさんに感謝。

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巡礼(帰国しました)@聖地その7

聖地巡礼から昨晩帰国しました。各地から参加した14名(私と添乗員含む)は全員無事に帰国しております。感謝。

さて現地で掲載できなかった続を少しだけ。

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巡礼六日目の金曜日、ガリラヤ湖畔のティベリアのホテルに三連泊しましたが、この日は朝からカナの婚姻の教会へ。石畳の路地を歩いて行くと、カトリックと正教の教会が向かい合って建っておりました。カトリックの教会の門前には、「カナのワイン」と記されたお土産物屋があり、ここがそれとわかります。祭壇の後ろには、ワインの壺を模した飾りも。

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その後タボル山へ。バスで山頂までは登れないので、途中で地元のタクシーに乗り換えるのですが、この乗り換え所が大混雑。基本的に今回の巡礼中はどこもかしこも空いていたのですが、この日あたりからナイジェリアの大巡礼団とバッティングすることが多くなり、これがまた何台もバスを連ねて大人数で、しかもアフリカン・バイタリティーにあふれている。私は懐かしかったのですが、周囲にはたいそう驚かれている方が多かったように気が。

タボル山からのすばらしい眺めの後、近くのキブツで昼食。キブツの中の共同食堂で、おいしくいただきました。

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そしてあのハルマゲドンの地であるメギドへ。ここは2005年に世界遺産に指定されています。遺跡を見学し終わりには階段を200段近く下りて昔の水路トンネルを通りバスの待つ駐車場へ。

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最後にイエスの育った町ナザレへ足を伸ばしました。この日は安息日の前の日で、様々な用事で出かける人の車で、山の上に立つ狭いナザレの道は大渋滞でした。ナザレにある受胎告知教会でミサ。聖堂内には各国の聖母子のモザイクが掲げられていましたが、日本からは長谷川路可の作品が。以前は地下のグロットの前でミサができたのだそうですが、それが禁止され、なんとミサは大聖堂の本祭壇で。14名の小さな巡礼団ですから、本祭壇を囲む形で椅子を置いていただきミサを捧げました。一日の締めくくりはお隣にある聖ヨゼフ教会でした。

ホテルに戻ると夕暮れで安息日が始まっており、ホテルは泊まりがけで過ごす家族連れのイスラエルの方々で一杯。子どもの声が響き渡り、エレベーターは必ずボタンを押さなくても各階に停まるものが出現したり(ボタンを押すのも労働なので)、物珍しい光景でした。安息日というと経験に物静かに祈りのうちに過ごすと勝手にイメージしてましたが、そういうことではないと悟りました。

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2012年12月15日 (土)

巡礼中です@聖地その6

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聖地巡礼の五日目、木曜日は、ティベリアに滞在してガリラヤ湖近辺を巡礼して回りました。美しく緑の豊富なガリラヤ湖の周辺です。まず山上の垂訓の教会へ。その後すぐ近くにあるペトロの首位権教会へ。ここは石造りの教会が水辺に建っており、直接湖の水に手を触れることができます。イエスがペトロを召し出したシーンを黙想しながら、多くの人が水辺に佇んでおりました。巡礼団はこの聖堂前にある円形の野外祭壇でミサを捧げました。

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その後五つのパンと二匹の魚が増やされて、五千人が満たされた奇跡を記念する聖堂へ。小さな聖堂の祭壇の前には、有名な二匹の魚とかごに入ったパンのモザイクが。そしてイエスが活躍した、またペトロの家があったカファルナウムへ。ペトロの家の跡には船の形を模した巨大な聖堂が宙に浮いて建てられていました。

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ペトロフィッシュの昼食後、船に乗ってガリラヤ湖巡りへ。他の団体も少なく、静かに私たちだけで一回りできました。湖上では、もちろんこのシーンで考えられる有名な聖歌をいくつか皆で思い切り歌うことができました。

最後にゴラン高原に向かい、上部ヨルダン川の源流の一つであるバニアス遺跡へ。晴天に恵まれ豊かな一日を過ごしました。感謝。

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2012年12月14日 (金)

巡礼中です@聖地その5

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聖地巡礼の四日目、水曜日は、死海湖畔のホテルを朝に出発し、マサダに向かいました。ローマ軍に抵抗したいわゆる熱心党の人たちが最後まで抵抗して3年間も立てこもって抵抗し、最後は壮絶な死を遂げた山の上の要塞後です。山の上と言っても地表が海面下400メートルの死海ですから、実際には50メートルほどにしかならないそうですが、しかしそびえ立つ要塞の山でした。歩いて上る人たちも大勢おられましたが、私たちはケーブルカーで頂上まで。見学の前にマサダの頂上で野外ミサを捧げました。すばらしい晴天の下ので野外ミサとなりました。

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その後、マサダの遺跡を見学して歴史を学び、地上へ降りてお買い物と昼食。その後バスに乗って移動開始。途中、サウル王の着物の端をダビデが切り落としたというエンゲディへ。洞窟のあったというあたりやダビデの滝を遠くに眺めて話を聞きました。

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その後一路、ガリラヤ湖に向かって移動。ティベリアに入る前にヨルダン川の洗礼所を訪問。ヨルダン川は想像していたような大河でなく、小川でしたし。国境の関係上実際にイエスが洗礼を受けたところには近づけないと言うことでしたが、この洗礼所には世界各地から大勢が訪れて水に浸かっておりました。それよりも大きなナマズが大量にいることに驚きましたが。

そしてティベリアに到着しホテルに入って、一日が終わりました。皆元気です。感謝。

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2012年12月13日 (木)

巡礼中です@聖地その4

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聖地巡礼団は三日目となる火曜日、エルサレムを離れて死海へと向かいました。この日は早朝からあいにくの雨。それでも雨具に身を包み、エルサレムをバスで離れ、まず郊外にある洗礼者ヨハネ誕生の教会と、谷を挟んで向かいの丘に建つご訪問の教会を巡礼。朝晩の祈りで毎日唱えるザカリアの讃歌とマリアの讃歌が歌われた場に立ちました。ご訪問の教会でミサを捧げることができました。雨模様の中、ご訪問の教会への坂道は滑りやすくて大変ではありましたが、けが人もなく無事終了。(写真は、ご訪問の教会の庭の壁に、各国語で聖母の讃歌が記されているのを眺める巡礼団メンバー)

その後バスでエリコ方面へ移動。途中、死海写本が発見されたクムランにより、エリコの遺跡を見学して昼食。その後死海のほとりのホテルに泊まるため一路エンポケックを目指しました。(下の写真はエリコの遺跡で説明を受ける巡礼団)

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この日は夕方から、死海での浮遊も何人かが体験し、私も泳いで参りました。まさか12月に泳ぐとは思いませんでしたが。標高が400メートル以上海抜よりも低くなるこの地域は、暖かな陽気でありました。寒かったエルサレムと違い、コートもセーターもいらなくなりました。

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2012年12月11日 (火)

巡礼中です@聖地その3

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巡礼二日目の月曜日、天気予報は雨でしたが見事に晴れ渡り、無事一日を過ごすことができました。

二日目はまず朝からバスでオリーブ山に向かい、そこからエルサレム旧市街を眺め、そのまま山を下って主の嘆きの教会、ゲッセマネの園などを訪れました。今回は幸いなことにそういった聖堂に入るたびに我々しかおらず、ゆっくりと祈りを共にし歌を唄う余裕までありました。

その後ステファノ門から旧市街に入り、ベセスダの池へ。ここでも聖堂には我々しかおらず、祈って聖歌を歌ったら、たまたま居合わせた白衣宣教師会の神父さんが、「クリスマスの歌を歌ってほしい」とリクエスト。音響効果がすばらしく、エコー効きまくりの聖堂でしたので、合唱団なみにきこえたものでした。

その後昼食を挟んで、眠れるマリアの教会とペトロの裏切りの現場でもある鶏鳴教会。この鶏鳴教会の中で、我々のガイドさんの説明に耳を傾けていた女性が終わってから日本語で声をかけてきました。彼女はアメリカの若い女性でしたが、お母さんが、新潟の三条出身の方で日本語も堪能。その後地下のイエスがとらえられていた牢獄へ行ったら、ここでもポーランド人の青年が日本語で「どちらから来ましたか」と声をかけてくる。この青年も東京に2年間いたことがあるとか。珍しい体験でした。

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その後バスでベトレヘムへ。巨大な隔離壁に到達し、そのまま検問所を通過して、向こう側のお土産屋さんへ。ここでマイクロバスに乗り換え御降誕の聖堂まで。ここでも長大な列はなく、ミサ前に無事生誕の場所に入ることができました。その後、カトリックセクションの聖堂の地下にあるヒエロニムスの聖堂でミサ。これで一日終わりました。火曜日の朝は死海方面へ移動です。(すぐ上の写真は、生誕の場所の隣にある飼い葉桶の前)

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2012年12月10日 (月)

巡礼中です@聖地その2

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巡礼一日目となった昨日の日曜日は、天気にも恵まれ、寒すぎず暑すぎず、旧市街を朝から夕方まで歩き回ることができました。

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昨日巡った主な場所は、まずダビデの墓(その上が最後の晩餐の広間と言われる)からはじまり、旧市街を歩いて聖墳墓教会へ。普通は十字架の道行きの最後でここに到達ですが、今回は主日のミサの予約が午前10時と言うことで、まず聖墳墓教会へ。ゴルゴタの丘やイエスの葬られたところまで、巡礼客も少なかったこともあり、ほとんど並ばずに訪問。最後に聖墳墓教会内のカトリック聖堂でミサ。香部屋係のフランシスコ会士から、「ミサは45分以内で」と念を押されました。その後、旧市街のユダヤ人地区で昔のエルサレムについて学び、嘆きの壁を見下ろす高台からその歴史を学び、昼食後には実際に嘆きの壁まで降りていきました。

その後にビア・ドロロザをはじめからたどり、キリストの苦難を黙想しながらあらためて聖墳墓教会まで歩きました。ちょうどロシア正教のグループがたくさん巡礼に訪問されており、皆、手に十字架を握りしめながら、熱心に歩いて祈っておられました。

そして最後に、イスラエル博物館へ出かけ、死海写本について学び、巨大な昔のエルサレムのジオラマで、当時の様子を学びました。しかし、聖書で自分が勝手に描いている風景と、実際の風景が異なっていることに、特に初めて訪れたものは感銘を受けておりました。

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巡礼中です@聖地

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土曜日の朝から、14名の皆さんと一緒に、聖地巡礼に来ています。大韓航空がソウルから直行便を飛ばしているので、それで来ました。満席でした。今日明日はエルサレムを中心に巡礼。今日の主日ミサは聖墳墓教会で。明日はベトレヘムでミサの予定です。寒くはありませんが、朝晩はコートが必要。ガザでの問題があったためか、観光客は少なく、並ばずに予定が順調に進んでいます。

写真はエルサレム旧市街の嘆きの壁を見下ろす展望スペースにて。巡礼は土曜日まで。私は以前会議でエルサレムに来たことがありましたが、巡礼は初めてです。

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2012年12月 7日 (金)

12月の予定

時期を逸してしまいましたが、12月の主な予定です。すでに7日が過ぎましたので、その分は省略します。

  • 12月8日~16日 聖地巡礼
  • 12月19日 社会司教委員会 (東京)
  • 12月20日 札幌教区顧問会 (札幌)
  • 12月21日 聖ゲオルギオのフランシスコ修道会本部建物祝別式 (札幌)
  • 12月22日 新潟清心女子中学高校クリスマス行事 (新潟)
  • 12月24日 主の降誕 夜半のミサ 20時 新潟教会
  • 12月25日 主の降誕 日中のミサ 新潟教会
  • 12月31日 平和祈願ミサ 深夜12時 (新年とともに始まります) 新潟教会

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日本と聖座の外交関係樹立70周年

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今年は日本の再宣教から150年ですが、地方教会が設立されたことからすでに早い時期に聖座から使節が派遣されていました。最初の教皇使節は1919年に派遣されたビオンディ大司教ということです。その後ジャルディニ大司教、ムーニィ大司教と続いて、パウロ・マレラ大司教が1933年に派遣されます。マレラ大司教はその後フランスの大使を務めている時に枢機卿になっておられます。マレラ大司教が日本に在任中の1942年。日本政府は駐フランスの原田参事官を駐バチカン特命全権公使に任命。聖座もマレラ大司教を大使級の特命使節として任命し、ここに日本と聖座の外交関係が正式に樹立します。それから70年が過ぎました。

現在のローマ法王庁大使館は、戦後の1952年に国交再開によって公使館に昇格したので、このときから歴史を数えて、外交関係60年と見る考え方もありますが、日本政府は70年説を採用しています。

というわけで、今年は日本と聖座の外交関係の節目の年であり、それを記念して記念誌が作成され、昨日そのお披露目が教皇庁大使館で開催されました。(ちなみに私たちは教皇庁大使館と呼んでますが、日本側の正式名称は「法王庁大使館」です。これは一度登録された国家の日本語名称は、その国家が正式に名称変更でもしない限り継続することになっているからです。ただしバチカン側の国家の正式名称は「Holy See(聖座)」です)

ちょうど常任司教委員会が開催された日なので、池長大司教以下私を含めて数名の司教が参加しました。外務省からも欧州局の課長さんが参加され挨拶されていきました。それ以外にも、数カ国の大使、中でも日本の外交団の長を務めるサンマリノの大使が挨拶をされました。

今後とも良好な外交関係を保っていくことが期待されます。

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2012年12月 3日 (月)

司牧訪問@長岡・福住と表町

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待降節第一日曜日の昨日、長岡にある二つの小教区を司牧訪問しました。二つの小教区はJRの線路をはさんで建っていますが、最初にできたのは福住教会で現在の建物は100年ほど前に神言会の宣教師が建てたものです。もう一つが戦後に長岡地区の宣教を委託されたフランシスコ会によって建てられた表町教会。現在はフランシスコ会から教区に返還され、教区司祭の高橋学師が主任司祭、神言会のロレンゾ師が助任です。現時点で二つの小教区は、発展的に合併することを検討中です。

今日の朝9時のミサは福住と表町の合同ミサとして行われ、福住の聖堂にいっぱいの方が集まりました。福住の聖堂内部は、仏壇などを制作していた専門家の信徒の方が制作した、「和」の趣にあふれた祭壇や聖櫃を始め、豊かな装飾が施されています。

ミサ後には幼稚園ホールに集まり茶話会。写真はそのときのものです。寒い日曜でしたが雪が降ることもなく晴天でした。寒い中多くの方に集まっていただき、ありがとうございました。

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2012年12月 2日 (日)

社会司教委員会シンポジウム@大船

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司教団の社会系委員会を包括する社会司教委員会は、一年ほどの準備期間を経て、今年の2月に「なぜ教会は社会問題にかかわるのか」という小冊子を発行しました。第二バチカン公会議以降、教会が社会の問題にかかわる機会が増えていますが、それが単なる政治的関心や、ましてや政治的意図に基づくのではなく、福音的生き方の根本に立つ時、当然するべき行動であることについて、様々な側面からQ&Aの形で応えている内容です。

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この小冊子の発行を記念して、社会司教委員会では全国の3管区のそれぞれ1カ所で、司教が直接語るシンポジウムを企画しました。すでに10月には長崎で行われ、2回目が昨日の土曜日午後1時から、横浜教区の大船教会で行われました。

今回のシンポジウムは、私が委員長である高見大司教に代わって挨拶し、その後イエズス会のマシア師が基本について解説。そして溝部司教が「殉教と殉国」というテーマで、その後谷司教が「奄美のカトリック排撃運動とカトリック教会」というテーマで話をしました。最後にいくつかの質問に答え、4時過ぎに終わりました。全体の司会は諏訪司教でした。会場の聖堂には大勢の方が集まってくださいました。また入り口では中央協の出版部が、回勅やカテキズムなどを販売し、好評をいただいたようです。おいでくださった皆さん、ありがとうございます。

次回は3月16日に大阪梅田教会で開催され、私と平賀司教がお話をすることになっています。

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2012年12月 1日 (土)

仙台復興支援会議@仙台教区本部

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定例の仙台教区復興支援会議が、30日金曜日の午後に仙台教区本部で開催されました。またそれに先だって午前中には、仙台教区サポートセンターの直轄とそれ以外の管区などが管轄している者も含めて、全ベース8カ所のベース長会議も開催され、私も幸田司教と一緒にオブザーバー参加しました。

12月から福島の課題に徹底的に取り組むために福島デスクを二本松教会に設置することも決まり、その代表も今回から参加です。それぞれのベースでは、震災から時間が経つにつれボランティアの集まりなどで課題が見えてきていますし、スタッフの疲労もかなり蓄積しています。さらに現場の状況は刻々と変化してもいます。そんな中で、地域社会との密接な関係を生み出しつつある釜石のベースは、今後、NPO法人として独立の方向に持って行くことが報告されました。これによって釜石での活動が、さらに地域社会に密着して幅の広い長期的な取り組みとなることが期待されます。

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午後の復興支援会議では、2年目に入って隔月になっていた会議を、やはり毎月開催することが決まり、1月から実施することになりました。さらに現場の実情を肌で感じるために、会議は毎月順番に、仙台と福島と岩手を巡回することも決定しました。3年目に間もなく入るのですが、さらに徹底して、全国のカトリック教会をあげて復興支援に取り組む姿勢を明確にしていきたいと思います。

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京都で宣伝する名古屋、(だがね)

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木曜日に京都教区司祭の集いで話を終えて、一緒に昼食のお弁当をいただき、さて今度は復興支援会議のために仙台へ飛ばねばならぬので伊丹空港へ移動しようと、京都カテドラルの近くの地下鉄市役所駅へ向かいました。下へおりようとすると、なにやら大音響が。何事かとのぞいてみると、地下街の特設ステージで催し物が。近づきますと、武将のような格好をした若者が歌って踊っておりました。「武将ダンサーとは何とも京都であることよ」と思ってよく見ると、なんとそこには「名古屋」の文字が。アレれと思ってその背後を見てみると、懐かしい名古屋の銘菓を販売しているではありませんか。なんということでしょう。京都のど真ん中で、名古屋の宣伝をしているのであります。あとで知ったところでは、この若者たちが「名古屋おもてなし武将隊」らしい。名古屋、恐るべし。

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