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2014年2月23日 (日)

雪をかき分け山形へ

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昨日の土曜日は、山形県内の二つのカトリック幼稚園を運営する双葉学園の理事会でしたので、山形教会まで出かけました。鶴岡教会と山形教会に隣接して二つの幼稚園があります。理事長は山形教会の本間神父。これまで純粋に幼稚園という教育施設を教会は各地で運営してきましたが、国の政策の変更が相次ぎ、この先がどうなるかちょっと不透明ですが、いずれにしろ2017年頃には幼稚園と保育園を合体した施設が各地に誕生することになります。なんといっても地方都市の私立の幼稚園はいただく保育料だけで経営ができるものではありませんので、公の補助金に頼らざるを得ません。ならば辞めてしまえばよいのかといえば、もともと歴史的に公的設備が不足している中で補完するために各地方で始まり、さらには地方行政の多くが公的施設でさえも民間移管している現状からは、簡単に保育の責任を放棄するわけにも生きません。残念ながら国の方針がどちらかといえば幼児教育よりも保育園的施設を重要視しているために、いきおい補助金は保育園的施設により多く支出されることになります。これまで教会の幼稚園はキリスト教的精神に基づく「幼児教育」を掲げてきたのですが、今後は大きな挑戦を受けることになります。もちろん単純に経営の側面からいえば保育園的施設に移行した方がよいのでしょうが、そこで「幼児教育」をどうとらえるのかが、今のところ制度設計として明確になっていない嫌いがあります。

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山形市内は雪がまだまだたくさん残っているものの、午前中は快晴でした。理事会終了後に山形駅の近くにある27階建てのビルの一番上で皆でお昼を頂きました。写真はそこで撮影。山に囲まれた山形市です。(写真を撮影した午後には雲が広がってくるという変わりやすい天候でもありましたが)

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新潟から山形市に抜けるには、どうしても峠を越えなくてはなりません。昨日は、新潟から沿岸部の高速を村上方面に向かい、荒川で国道113号へ。関川村を通過して山形県の小国へ向かいます。この小国街道が、小国の町あたりから凄まじい雪。小国から長井方面へと抜け、さらに南陽市方面へ抜ける国道の峠は、除雪車が何台も走り回っていました。車も除雪車の後ろでしばし待機(写真)。トンネルの中は零下の気温で凍り付いており、なかなかスリル満点のドライブでした。新潟教区は、まだ冬本番です。

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2014年2月21日 (金)

司教総会は無事終了

17日月曜日の午後に始まった司教総会は、昨日の夕方のミサをもって無事に終了いたしました。司教総会のためにお祈り頂いた皆様に、感謝いたします。議事がかなりスムースに進行したため、予定では金曜日のお昼までとなっておりましたが、昨日で終わることができました。昨日は午後6時から、教皇フランシスコの就任一周年感謝ミサを、教皇大使をお招きして、四谷のイグナチオ教会でささげました。平日の夕方であるにもかかわらず、多くの方に参加して頂き感謝いたします。

司教総会では予定されていた議案の通り、東日本大震災復興支援活動を、全国の教会の総力を結集して、さらに3年間継続することが決議されました。また被災された方々のためにささげてきたお祈りも、3年目にあたり新しい祈りに変更することも決議されました。新しい祈りは、今後カードとして各教会に配布されることになりますので、どうぞ一緒にお祈りください。

東日本大震災被災者のための祈りII

父である神よ、

すべての人に限りないいつくしみを注いでくださるあなたに

希望と信頼をこめて祈ります。

東日本大震災によって今もなお苦しい生活を送り、

原発事故によって不安な日々を過ごす人々の心を照らし、

希望を失うことがないように支えてください。

また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。

すべての人々の苦しみを担われたキリストがいつも共にいてくださることを、

わたしたちがあかしできますように。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン

(2014年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)

それ以外の決議事項については、カトリック新聞などを参照ください。

なお司教総会中に列聖列福特別委員会から報告がありましたが、現在、殉教者として列福調査が進んでいるユスト高山右近について、長崎教区の古巣馨(かおる)神父様が書かれた本が、ドンボスコ社から発刊されました。タイトルは「ユスト高山右近 いま、降りていく人へ」。一冊700円です。是非お買い求めください。

また信仰年で始まった私たちの信仰のふり返りをさらに深めるため、司教団では第二バチカン公会議の公文書のあらためての学びを深めていきたいと考えています。先日、第二バチカン公会議の公文書を全体として改訳し、発行いたしました。その中でも典礼、教会、啓示、現代世界の四つの憲章は重要な意味を持っていると考えています。そこで、版教会などによりよく利用できるようにと、この四つの憲章を分冊で発行することになりました。中央協議会から2月28日に発行となります。教会憲章は税込み683円。現代世界憲章も税込みで683円。典礼と啓示は合冊で税込み578円です。こちらも是非ご活用ください。

さらに、ご存じのこととは思いますが、今年の夏にはアジアン・ユース・デーが企画されています。日程は8月10日~17日。会場は韓国の大田(テジョン)です。テーマは「アジアの若者よ。目覚めよ!殉教者の栄光があなたに輝く」で、日本からは参加枠が100名とされています。参加可能なのは18才から35才までで、申込期限は4月15日です。詳しくはこちらのリンクの中央協HPをご覧ください。まだ最終決定はしていませんが、17日には教皇フランシスコによるミサが行われることが期待されています。なお、新潟教区の青年担当の窓口は、青山教会の坂本神父です。参加希望者は、まずご相談ください。

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2014年2月16日 (日)

大雪の中、シンポジウム@御茶ノ水

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この週末は大雪で、大変な被害を被った方々も多いかと思いますし、北海道ではまだまだ荒れた天候が続く模様です。これ以上、被害が広まりませんように。

週末の東京の大雪を体験しました。土曜日に御茶ノ水で行われたシンポジウムで、発表をするようにと依頼を受けておりましたので、金曜の夕方の新幹線で東京に出ました。新潟県内はいつものように雪をものともせずに走っていた上越新幹線でしたが、群馬県側に入ると事情が一変。越後湯沢から大宮までノンストップのはずが、上毛高原、本庄早稲田、熊谷に臨時停止。線路の点検との車内放送でしたが、ポイントの凍結防止だったのではと想像しています。とにかく群馬県側は、いつもと全く違って、凄まじい雪でした。

到着した東京駅も在来線が止まったりして大混乱。それを避けて地下鉄で御茶ノ水へ。丸ノ内線の駅から予約していたホテルまで、坂道の激しいこと。そして雪の半端無いこと。雪靴(防水、滑り止め)を履いていって正解。

翌土曜の朝は雪こそ止んでいたものの、激しい雨と風。そして除雪されていない道路は水浸しで滑る。びしょびしょになりながら、9時には会場のお茶の水クリスチャンセンターへ到着。

シンポジウムは、東日本大震災救援キリスト者連絡会(DRCnet)、聖学院大学総合研究所、東京基督教大学の主催になる、第三回目の東日本大震災国際神学シンポジウム。米国のプロテスタント系大学からも研究者が来訪することや、そもそも米国側のイニシアチブで始まったシンポジウムなので「国際」です。三回目テーマは「苦難を通し、壁を越えて、次の世代へ」。この苦しみの体験をどのように信仰から意味づけ、そして将来へ語り継いでいくかを考えるシンポジウムでした。

私は神学者ではないのですが、カトリック教会の取り組みについて話すようにとの依頼でしたので、カリタスジャパンやオールジャパンの取り組みを話すために出かけました。昨年の第二回では、同じくカリタスジャパンを担当する幸田司教が話をしたとのこと。

シンポジウムは米国のフラー神学大学院のフアン・マルティネス博士による英語の講演ではじまりました。テーマは「イエスの示したように苦しみ、また仕える」。

その後、私を含め三名が15分ずつ話をしました。本来はもう一人おられるはずが、都内の移動が困難を極め、間に合わず、残念でした。時間に余裕ができたので、発表後のディスカッションでは、カトリックはどう考えるのかなど、私宛にいくつも問いかけがありました。

確かにカトリック教会では、震災への対応はまず行動から始めているので、それらを全体的に神学の目から総括するという作業はほとんどしていません。ただ今回のシンポジウムで感じたことは、確かに、現場でボランティアの方々を通じて行っている奉仕のわざを、信仰の立場からどう見るのかという側面を、支援の背後に控える教会共同体に伝え切れていない嫌いがあります。すると、どうしても活動全体を教会共同体が共有しきれない。やはり信仰の立場からの総括的な解釈を教会共同体に伝える作業が不可欠であろうと思ったところです。

さてシンポジウムは参加者一同での昼食会で私は失礼させて頂き、名古屋へ移動。東海道新幹線は、小田原と三島で臨時停車して、雪落とし。

同じ土曜の夕方5時半から、名古屋市守山区の社会福祉協議会を会場に行われた、社会福祉法人ゲマインダハウス「青空の家」の20周年記念祝賀会に参加。名古屋にいた頃から法人のお手伝いをしていましたが、新潟に移った今も、理事をさせていただいています。知的障害の方々の通所での生活支援施設です。困難を抱えたこどもたちの親たちが、ゼロから自分たちで立ち上げ、育てていった施設で、20年前の法人発足以前に長い歴史があります。私は本当に名前を連ねて理事会に出席するくらいしかできず、現場でのボランティアなどはできないのですが、できる限りのお手伝いはしたいと思っています。以前、名古屋にいる頃には、定期的に職員の方に聖書の話などをさせて頂いていましたが、新潟に移ってからはそういうこともできませんが。

法人名のゲマインダは、神言修道会の大先輩のドイツ人宣教師。名古屋で愛の実行運動を立ち上げた人物ですが、それ以前に、聖母カテキスタ会(現在は聖マリア在俗会)を創設し、さらにカテキスタ学院を開設した人物です。私の父親がその昔、カテキスタ学院で学んだことがあり、そのことが、私がその後神言会に入ることの背景にあります。その意味で、ゲマインダ師は私にとっても恩人の一人です。

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2014年2月14日 (金)

来週は司教総会

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新潟は曇り空の金曜日ですが、太平洋側はまた雪だとのこと。明日は東京で少し話をしなくてはならないので、交通機関がちゃんと動くのか心配です。(写真は先日、2月9日の新潟教会です)

さて、来週、2月17日の午後から21日の昼まで、司教総会が開催されます。司教総会は、現在は年に二回、または三回開催されています。6月の総会をその年度の定例司教総会、2月を臨時司教総会と呼びますが、どちらも必ず開催されます。一つには、決算と予算の審議のためにはどうしても年度内に二回は必要であるためです。さらにこの数年は、10月に一日だけの特別臨時司教総会も行っております。なるべき司教全員が集まって、様々な課題に意見を交換することが大切だからです。

中央協議会のホームページに掲載されていますが、今回の臨時司教総会では、私が担当している東日本大震災復興支援担当から提出した議案も取り上げて頂く予定で、「まもなく3周年を迎える、東日本大震災への司教協議会としての復興支援継続について、またいくつかの典礼関連の議題などについて話し合われる予定」となっています。「典礼関連」とは、この数年、継続しているミサ典礼書の翻訳のことです。翻訳の準備と、それから全体を一度に校閲することができないので、どうしても司教総会ごとに、順番に取り上げられることになります。かなりの部分をすでに取り上げました。あともう少しで、ミサ典礼書を司教総会ですべて取り上げたことになると期待していますが、そのあとで、日本語のミサ典礼書が全体として、バチカンの典礼秘跡省の承認を受けられるかどうかということになります。

東日本大震災への取り組みに関しては、現在の全国の教会をあげての取り組みを、さらに継続していくことを、三年目にあたり決議する予定でいます。なお、司教団としては、3月10日の午後6時から、元寺小路教会(仙台教区カテドラル)で、追悼と復興祈念のミサを、ほぼ全員の司教が参加してささげることを予定しています。

なお司教総会中の木曜日、2月20日には、四谷のイグナチオ教会で午後6時から、司教全員と教皇大使と共に、教皇フランシスコ就任一年の感謝ミサをささげる予定でおります。当日、共同司式を希望される司祭は、アルバ・ストラ(白)の持参をとのことでした。

どうぞ、皆様の毎日のお祈りの中で、またはミサの意向として、2月17日から21日に開催される司教総会のためにお祈りくださいますように、お願いいたします。 

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2014年2月 9日 (日)

雪・雪・雪@新潟市内

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東京など、普段はあまり降雪のない地域でも、昨日は雪で大変だとニュースで聞きました。ちょうど受験シーズンでもあり、大変な思いをされた方も大勢おられると思います。本当に大変な天気でした。車での移動も、歩道を歩くのも大変だったと思います。まだ朝など、凍結にご注意ください。

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新潟といえば即座に雪国と思われるのではないかと思いますし、全国の天気予報では、新潟はたいてい雪が降っています。実は、新潟市内は、それほど雪が降らないのです。何か明確な理由があるのだろうと思いますが、海岸沿いは基本的に雪が少なく、新潟市内ではこの冬、ほとんど降雪がありませんでした。それがやはり、関東にまで大雪をもたらすこの状況では、新潟市内も大雪になりました。新潟市内では、この冬初めての明確な積雪です。

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昨晩も雪はしんしんと降り続き、夜に電気を消して外を見ると、雪明かりで何か微妙に明るい新潟の夜でした。今朝、日曜の朝はかなりの積雪。新潟教会では、九時半の主日ミサ後に、信徒の有志が、久しぶりに除雪機を出して、除雪に取り組まれました。そして司教館の前庭は、子どもたちがリーダーに引率されてみんなで除雪。寒い中、みんなありがとう。

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年間第五主日の今日、福音は、「塩は塩気を、光は光を」と、与えられた使命をふさわしく果たすことの大切さを私たちに問いかけていました。「地の塩、世の光」はしばしば引用される聖句です。私たちは、それならば、自らに与えられた使命を見極める必要があります。つまり、自分は「塩」なのか、「ろうそく」なのか、何なのか。「塩」なのに、光り輝こうと思ってもそれはふさわしいことではありません。

福音の終わりには、「あなた方の立派な行いを見て、あなた方の天の父をあがめるようになるため」と記されていました。私たちが与えられた使命に忠実に生きる時、その行いは、使命を果たす私たち自身を輝かせるのではなく、その背後におられる神を輝かせるものでなくてはならない。そうであれば、「塩」なのに光を輝かせようとする行いとは、結局、使命を与えた神を輝かせているのではなくて、自分自身を輝かせようとする、自分の立場を見誤った行為なのではないか。私が私の能力を見せつけようとしている時、私たちはとんちんかんな行動をもって、背後におられる神を隠してしまっている。

パウロのコリントの教会への手紙には、「優れた言葉や知恵を用いませんでした」とも記されています。神をストレートに現す生き方をすべきところを、頭でこねくり回した人間の知恵を前面に出す時、背後にいる神は隠れてしまうのです。

それならば、私たちは自分が「塩」なのか、「ろうそく」なのか、一体何が与えられた使命なのか、見極める必要があります。

イザヤの預言は、まるで教皇フランシスコが今私たちに示している模範を表しているような言葉です。「飢えた人にパンを与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」

教皇フランシスコもしばしば、同じような行動を私たちに促します。そうであるからこそ、あえて申し上げますが、同じようにできない人はどうしたらよいのか。できる人もいればできない人もいるでしょう。違いますか。誰しもが、いまから通りに出て、貧しい人に直接手を差し伸べる業ができるのかといえば、そういうわけではない。それが私たちが生きている現実です。

それではどうするのか。問題は、「あなたの光は、闇の中に輝き出て」いるのかどうかです。すべての人がすべからく同じ事をすることはあり得ません。皆が皆、すべて「塩」であるのではなく、それぞれに与えられた使命があり、能力があります。キリストの一つの体における、多様性です。与えられた使命を、与えられた能力を、見極めましょう。

しかしそのときに、必ずや心に留めておかなければならないことは、まず第一に、自分の行動は、闇に輝く光となるのか、それとも闇を深めるのか。第二に、私の自己顕示なのか、背後にいる神への道を開いているのか。そして第三に、先ほどのイザヤの預言にこうありました。「軛を負わすこと、指をさすこと、呪いの言葉を吐くことあなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら」。相手の立場を、心を思いやることは言うに及ばず、弱い立場におかれている人に特段の配慮をし、重荷を負わせたり、呪ったり、罵倒したりなど他者を見下すような行動をしないこと。

この事柄を心に留めて、私たちが生きている現実の世界をよくよく見るならば、ああ、なんと、私たちは、闇を深めて、深めて、さらに深めていることでしょうか。

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2014年2月 4日 (火)

司祭団の月例会@新潟

昨日月曜の夕食から始まって、本日火曜日の昼食まで、主に新潟・新発田地区で働く司祭団の月例会(新潟教区では静修と呼び習わされています)が行われました。参加したのは新潟地区、新発田地区で働く司祭団に加え、長岡教会で働く神言会員の二人や十日町の司祭。

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主に教区司祭団が中心ですが、毎月一度は顔を合わせるようにしています。先月1月の集まりは新年のお祝いということで、ミサと昼食だけでしたが、今月は時間をとって話し合いとなりました。

昨日の夕食後と、本日の午前中に行われた話し合いでは、もちろん通常の情報交換もありましたが、加えて、司教団に先頃設置された新福音化委員会からの要請にこたえて、信仰年のふりかえりをいたしました。新福音化委員会は、教皇庁の新福音化推進評議会に対応し、これからの日本の新しい福音宣教について働きかけをする委員会ですが、この委員会から、今年の五月末までに信仰年のふり返りや、福音宣教にあたっての困難や課題などを、各教区からまとめるように要望されています。3月の司祭評議会でもまた話し合いますし、4月の教区宣教司牧評議会でもこの課題について意見交換を使用と考えています。

司祭団からは、この一年の信仰年の取り組みについての分かち合いや、日々の小教区での信仰養成への取り組み、また司教団が信仰養成の具体的なプログラムを示し切れていない事への苦言など、様々な指摘が司祭団からありました。

確かに、自分がその昔ガーナで働いていた当時、私はアクラ教区のカテキズム養成委員会に属していましたが、そこでは大人のための信仰入門過程(RCIA)を具体的なプログラムとして分冊のテキストを作成し、順番に歩みを共にしていくことができるようなものを提供していました。

私たちの信仰は、徹頭徹尾、共同体における信仰です。信仰はまず個人的なイエスとの出会いから始まるのですが、それは共同体の中で育てられていきます。ですから共同体が一緒になって信仰の道を歩んでいくことが不可欠です。それは、残念ながら、日曜日の数時間をミサのために共に過ごすだけでは充分ではありません。共同体は、共に祈るだけではなく、共に学ぶ共同体であることも求められています。もちろんそれぞれの方にはそれぞれの都合があるので、全く同じ事を同じと気にするなどということは不可能ですが、できる限り時間を工面して、教会共同体をその場として行われる、聖書研究や要理研究や、祈りの集まりに、主日のミサに加えて参加することはとても大切です。

また共同体は、互いに祈りの内に支え合う共同体でなければなりません。祈りで支え合うためには、やはりどうしてもお互いにより良く知り合っている必要もあります。

初代教会の様子は、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録 2.42)と描写されます。その共同体は、多くの人から好意を持ってみられ、そのために日々メンバーとして加わる人が出現したと記されています。すなわち、共同体が共に学び、共に交わり、共に分かち合い、共に祈る時、福音宣教を外に向けてするあかしの共同体に育っていくのです。何か一つ、苦労は前提に、教会共同体で取り組んでみませんか。

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