« あれから10年も経ちました | トップページ | 新潟司教館竣工式を明日に控えて »

2014年5月 6日 (火)

糸魚川から山形まで

5月4日の復活節第三主日は、新潟県の一番南の端にある糸魚川教会の司牧訪問でした。ゴールデンウィーク中でしたので、お出かけの方もおられただろうと想像いたします。

Itoigawa140504

糸魚川教会の主任司祭は、フランシスコ会のブルーノ神父様。長く、長岡の教会におられこちらに転任に。イタリア出身の宣教師ですが、同じフランシスコ会の地区はお隣の富山県にも広がっているので、この日も午後からお手伝いに出かけられました。ちなみに富山県は新潟教区ではなく、名古屋教区です。新潟教区のほとんどの地域はJR東日本の管轄ですが、糸魚川はJR西日本。いろんな意味で、新潟教区の一番南の端です。

この日は、普段集まる信徒の方々(フィリピン出身の信徒の方々も含めて)に、この教会の協力司祭を務めてくださっている東京教区の伊藤幸史神父の関係で、島根県のプロテスタント系高校の生徒さんたちも8人ほど朝9時からのミサに参加。それ以外にも、連休の旅行途中でミサに立ち寄られた他教区の信徒の方など、いろいろな方が参加してくださいました。ミサの初めは外に出て、幼稚園の玄関前からマリア様の行列です。マリア様の小さな御像を輿に乗せて、子どもたちが担いで聖堂まで園庭を歩きました。晴天の日曜、フローレス・デ・マヨ(Flores de Mayo 5月の花)というフィリピンの聖母月の行事です。ミサ後には一階の集会室で(聖堂は二階です)、持ち寄りの昼食会に。

そして午後12時過ぎには糸魚川教会を失礼し、北陸自動車道を一路新潟方面へ戻り、そのまま新潟を通り越して日沿道の荒川胎内まで。そこから国道113号に降りて、山形へ向かいました。高速道路はさすがに連休中だけあって、普段よりも多い交通量ですし、県外ナンバーのオンパレード。

糸魚川から山形までは、だいたい350kmほどの距離です。12時半に糸魚川を出発して、山形駅前に到達したのは午後5時半頃。

Honma1403

山形まで移動の理由は、翌日5月5日に開催された、山形教会主任司祭の本間研二神父の司祭叙階25周年(銀祝)のお祝いに出席するため。その前晩に、本間師と彼の所属するイエズスマリアの聖心会の管区長さんや、本間師の神学院時代の恩師である元院長やら、そのほかの方々と会合のため、糸魚川から直行しました。

Honma1402

翌5月5日は11時から、山形駅前のホテルを会場に、イエズスマリアの聖心会の日本のほとんどの会員を始め、新潟や秋田の司祭も参加して、感謝ミサをいたしました。司式は私で、説教は神学院時代に共に学んだ新潟教区の大瀧神父。会場には、山形の諸宗教関係の方々も含めて、県内外の信徒の方が300人以上集まりました。

Honma1404

その後、同じホテルを会場に祝賀会。いや、これが、本当に、時間が足りないほどの大演芸会で。山形の信徒の方々は、才能のある方々が多くて、次から次に歌や踊りの披露。秋田ダルクのコーラスもありました。さいたま教区からの出張フラダンスもありました。水戸黄門の体操までありました。そして当然最後は、花笠が配られて、全員で花笠音頭で締めとなりました。本間師の感謝の挨拶中には、彼の招きで司祭を目指している人が手を上げて決意を述べる一幕も。二人の候補者がおりました。なんと明るい希望のあることか。表明してくださった決意を保ち強めることができるように、お祈りしますし、皆で支えます。

もちろんいつものように、新庄教会を初めとして、フィリピン出身の方々が歌や踊りで大活躍。本当にこの方々が、山形の教会に『勢いの力』を注ぎ込んでいるように感じます。

本間神父様が次は金祝を目指して、さらに25年以上活躍されますように、お祈りしたいと思いますし、同時に、それに倣って司祭職を目指す青年が現れますように、心から祈ります。新潟教区は、神学生がゼロを更新中ですから。

本間神父様、おめでとうございます。

|

« あれから10年も経ちました | トップページ | 新潟司教館竣工式を明日に控えて »

司教の日記」カテゴリの記事