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2014年5月20日 (火)

国際カリタス代表委員会終了

国際カリタスの代表委員会は、昨日、月曜の夕方に無事終了しました。今回は主に来年5月にローマで開催される4年に一度の総会の内容について話し合いましたが、それ以外にも、現在教会が国際社会の中で求められている様々な規約を国際スタンダードに適合させることを、同じ教会の組織であるカリタスにも求められていることが重要な議題のひとつでした。そのため今回は、いわゆる組織運営の基準や会計の取り扱いに関する基準、さらには職員やボランティアに至るまでの服務規程と倫理規定が大きな議題でした。これは国際カリタスだけではなく、160を越える世界各地のカリタスは言うに及ばず、教区内でもカリタスを名乗る組織にはすべからく適応されるものです。もちろん各地のカリタスには組織形態に大きな違いがあるので、まずは四年ほどの試行期間を経て問題点を洗いだし、その後に最終決定することになりました。

こういった規定の審議は膨大な量の資料に目を通さざるを得ないので、それだけでも大変ですが、私の立場は日本だけでなく、アジアの23のカリタスを代表する立場ですから、それぞれのカリタスの現状を考慮しながら、意見をのべることも求められます。6月にはアジアのカリタス総会が開催されますが、そこで皆に納得してもらわなくてはなりません。

会議の始まりには、前掲記事で触れたように、エルサレムへバスで国境を越えて出掛け、ラテン典礼総大司教の話をうかがい、さらにベトレヘムで市長(カトリックの女性市長)のお話もうかがいました。

もちろんイスラエルにはイスラエルの言い分があることでしょうし、多くの場合、報道ではイスラエルの立場が強く反映することがしばしばです。今回は反対側から見た話を十分に聞くことができました。その話の内容はともかく、例えばベトレヘムで生まれるパレスチナのキリスト者は、イエス降誕の地で信仰を営み始めながら、イスラエルが築いた分断の壁に遮られ、結局イエスの受難と復活の地に足を踏み入れることが叶わない。そのような中で、様々な困難からパレスチナを離れるキリスト者も少なくなく、聖地のキリスト教会は危機に瀕しているという声が多く聞かれました。たしかにあの分断の壁を見る限り、そしてそこを通過することがパレスチナのひとに日々困難を伴う現実を見る限り、パレスチナの人は隔離されていると感じました。今回の教皇フランシスコの訪問はパウロ六世とコンスタンチノープル総大主教との50年前の歴史的和解の出会いを記念するもので、当時と同じ場所で同じ出会いが予定されています。ですから教皇フランシスコが中東和平について積極的な言動をすることは期待されていません。しかしあのサプライズに満ちた教皇のことです。ベトレヘムでのミサでどんな発言があるか、注目して待ちたいと思います。

会議の最終日前日には、会議参加者全員でアンマン郊外にある「平和の聖母センター」でシリアからの避難民の方々400名ほどと出会うことができました。教区が運営するこのセンターは、もともと障害を持った子供たちのための施設ですが、シリアの不安定な状況の中で避難する人が急増し、このセンターでもカリタスヨルダンが対応を始めたものです。現在は避難民の方々はアンマン市内の各所に別れて滞在していますが、このセンターが様々な活動の拠点になっています。どこに行くこともできず、働くことも許されない現状を、多くの方が語ってくれました。この方々や、カリタスヨルダンのスタッフやボランティアと一緒にミサを捧げ、その後夕食を共にしました。教皇フランシスコの訪問の最初の目的地はこのアンマンですから、シリア問題についての発言が注目されます。

会議もすべて終了したので、火曜の朝にアンマンを出発。イスタンブールを経由して、水曜の朝には成田へ戻り、そのまま仙台へ。そして木曜と金曜は新潟の月曜会の方々と整体奉仕会へ巡礼です。

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