« 東日本大震災復興支援教区担当者全国会議終了しました | トップページ | 東京教会管区会議@山形 »

2014年7月 4日 (金)

神学院常任会議と常任司教委員会声明

今週は二つの『常任司教委員会』に出席してきました。そもそも今週は、その前の週の郡山での全国会議後に秋田の聖体奉仕会に行き、年に一度の会員の集いに参加して、日曜日はその締めくくりのミサでした。その後、車で秋田から新潟へ戻りました。

火曜日は主に新潟地区や新発田地区で働いている教区司祭が参加する月例の静修。現在は、教区と修道会との個別契約で教区司祭と一緒に働いていただいている4名の神言会員も参加してもらっています(鶴岡、長岡、新潟)。ちょうど7月1日でペトロ岐部と187福者殉教者の祝日。もちろん新潟教区の53名も含まれております。ちなみに今年は7月13日(日)の午前中、天気が良ければ米沢の北山原殉教地で記念ミサ。雨天は米沢教会の予定ですが、大丈夫でしょう。私が司式します。

そして2日の水曜は午後から東京で、HIV/AIDSデスク会議。啓発グッズを作成したり、啓発のための研修会を企画したりしております。

そして3日の木曜日は司教協議会の『常任司教委員会』でした。司教全員が集まる総会は年に2度または3度の開催ですが、常任は6名の委員と事務局担当司教の7名の司教が参加して8月以外は毎月開催されています。

その日の午後3時からは社会司教委員会。終了後に大塚司教さんと一緒に羽田へ向かい、そのまま一緒に福岡へ。福岡空港到着は夜9時半過ぎで、他社便で移動してきた梅村司教さんと合流し、神学院の白浜院長の出迎えを受けて、そのまま神学院へ。

4日、今朝は、神学生達と一緒に朝の6時15分から朝の祈り、その後、大分の浜口司教司式でミサ。そして二つ目の常任である『神学院常任司教委員会』に出席。ご存じのように日本の教区司祭を養成する神学院は現在一つですが、キャンパスが東京と福岡にあります。東京が哲学1年と2年、そして助祭。福岡が神学1年と2年と3年。全体の院長が白浜神父です。この常任司教委員会は長崎・大阪・東京の3教会管区からそれぞれ二人ずつ2司教が代表として参加し、神学院の運営に関する諸般の事柄を定期的に話し合っています。その中でも年に一度は、それぞれのキャンパスで神学生に実際にあって話をすることを目的に、福岡と東京で開催されてきました。今年は今回が福岡、12月が東京キャンパスです。現在神学生の養成は、司祭養成のスペシャリストでもあるスルピス会に委託すると共に、各管区から養成者として司祭を派遣することになっています。たくさんの教区司祭が、両キャンパスでの養成に協力してくださっております。そして司祭養成は、簡単な仕事ではありませんから、協力してくださっている司祭のご苦労に、感謝するばかりです。

会議は神学生と一緒の昼食で終了。その後福岡から新潟へ夕方の便で飛んできました。

さて、司教協議会の常任司教委員会は3日の会議で話し合った結果、政府の集団的自衛権行使容認の閣議決定をうけて、声明を出すことにいたしました。声明の本文はこちらからリンクをご覧ください。(中央協議会のホームページです)

いろいろな議論があることは承知していますが、少なくとも主にカリタスの仕事や修道会の仕事でこれまでいわゆる途上国を中心に50近い国を訪れた体験に基づいて考えますと、世界の多くの国が日本に期待しているのは、一番の同盟国である米国と一緒になって目に見える形での『力』を行使することではなく、まさしく人の手による『力』によって平和を構築することが可能であることを、まさしく米国を始めとした目に見える形での『力』を行使しようとする国々に見せつけ、いさめる立場をとることであるように思います。残念ながら『いさめる』ところまでは到達していませんが、少なくともこれまでも例えば『人間の安全保障』という概念を国際社会で推し進め、世界をリードして実行してきたのは日本政府でありました。

2005年4月20日に当時の町村外務大臣は、バンドン宣言50周年を記念してインドネシアで開催されたアジア・アフリカ閣僚会議における演説で、「我が国は『有言実行』の国です」と宣言した上で、人間の安全保障の視点から開発援助を推進し、アジアやアフリカにおける地域協力への積極的関与を確約しました。「人間の安全保障」とは、外務省の説明によれば、「人間の生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り、人々の豊かな可能性を実現するために、人間中心の視点を重視する取り組みを統合し強化しよう」とする考え方です。この考えに基づいて日本政府はすでに1999年当時、5億円を拠出して国連に「人間の安全保障基金」を創設したのです。「人間の安全保障」が外交政策の重要な柱となっているのです。イラク紛争を見るまでもなく、究極的には地域の不安定要素を軍事力で押さえ込むことによっての平和達成は、非常に難しいどころか大きな犠牲を伴います。それよりも平和の達成には貧困の撲滅が不可欠だとして、国際社会が2000年から2015年まで取り組んでいるミレニアム開発目標(MDGs)に見られるように、貧困対策に積極的に取り組む日本政府の姿勢は高く評価されていると思います。

貧困にあえぐ国々に援助を注ぐだけで、日本のためには何にもならないと思われる向きもあろうかと思いますが、しかし、そういったこれまでの日本政府の地道な努力と、問題解決に武力を持ち出さない姿勢に対して、高い評価があることは間違いありません。それは同時に、いわゆる途上国の奥地の現場で働く日本のNGO関係者が、日本のパスポートを持っていることで得られる『ある程度の』安心感にもつながっていたと私は思っています。

今般の閣議決定によって即座に日本が戦争をするなどとは思ってはいませんが、徐々にボディーブローのように時間をかけて日本の立場と日本への評価を変えていくであろうと思われます。私は日本政府は、目に見える形での『力』を行使する国々と同盟関係にあるとはいえ、その立場にべったりと寄り添うのではなく、もう少し中立的立場から、国際社会の中で果たしていく役割を模索していくべきだと思いますし、そのためには、今回の政府の決断はあまりにも日本の自己都合を前面に押し出したものとしか見られないだろうと思いますし、これまで特に自民党政府が長年にわたって国際社会で築きあげてきた日本の尊敬されるべき地位を、自ら捨て去る結果につながるような気がしてなりません。

そういった国際援助や貧困問題の立場以上に、宗教者としては、国民のみならず他の国々の方の、一人ひとりの生命の尊厳を考えた時、それを危うくするような可能性を生み出す国家の政策には、疑念の声を上げざるを得ません。それが今すぐの戦争につながらないとしても、少なくともその可能性をはらんでいるのであれば、やはり是正を求めていくのは宗教者の役割であろうと思います。

とりわけ、首相の閣議決定後の記者会見での言葉をそのままきけば、一体、現行の個別自衛権を行使できる状況とどのようにまた何が異なるのかが良く理解できません。まるで何も変更していないのですと言わんばかりの記者会見には驚きました。もし仮に仰る通りであるならば、それではここまで国論を分断して、しかも多くの方が指摘するように拙速に事を運んだ理由が想像できません。

加えてどこにも明文化されていないものを、「・・のようなことはない」とか「・・のようなことは考えていない」とか、そのときの首相がいくら言って下さったとしても、その後に続く人物が同じように考えるという保証は全くない。つまり明文化されていないそれ以上の内容は、裁量権を持った人物によっていくらでも変えることができるのだから、それは将来への安心の保証にはなりません。そもそも憲法9条の解釈がここまで変わってしまった事実がそのことを証明しているではないですか。

今こういう決定をせざるを得ない本当の理由は何なのでしょう。何度も言うようにたしかに政府が今すぐ戦争をしたいと思っているわけではないのでしょう。首相が説明してくださったケースが今すぐ発生するとも考えられません。なぜならばそれはまさしく日本外交の敗北を意味するからです。しかしそうであるならば、いったい何が政府をしてここまで突っ走らせているのでしょう。その背後にあるものの方が、よほど恐ろしい気がします。

|

« 東日本大震災復興支援教区担当者全国会議終了しました | トップページ | 東京教会管区会議@山形 »

司教の日記」カテゴリの記事