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2014年8月10日 (日)

(初めての試み)青年たち、司教館でBBQ

Youthbbq02
夏のこの時期、ちょうど新潟祭りが行われる時期ですし、お盆の休暇という方もおられるでしょう。新潟を離れて各地で働いている青年や、普段は仕事で忙しい青年たちも、ちょっと時間がとれる土曜の午後、司教館の中庭でバーベキューが開催されました。車で来ている人も多いので、みごとにノンアルコールです。

新潟市内だけではなく近隣の教会や山形からも参加者があり、遅れてきた人も入れれば15・6名ほどが参集。これでも新潟教区では「大勢」です。

8月9日の長崎での原爆の日でしたから、初めにはしばし沈黙して祈りを捧げて始めました。新潟からだとかなりの距離になりますが、来年はできれば広島の行事に参加できないだろうかという話も出ました。移動は何とかなるが、広島での宿をどうするかなど、ちょっと具体的に。ぜひとも実現することを願います。

今年の夏は台風の影響でみょうな天候となりました。広島の平和記念式典が激しい雨の中で行われたのを見たのは、私は初めてでしたし、長崎も厳しい天候でした。どちらもからりと晴れた青空の下で行われてきたようなイメージがあります。いまの「平和」を取り巻く状況を象徴しているかのような雨模様でした。

広島では被爆者の方々が首相に集団自衛権の閣議決定の撤回を求めておられました。それに対して首相が「戦争をする国になるという考えはない」という趣旨のことを回答しておられるのをテレビのニュースで見ました。多分本当にそう考えておられるのだろうと思います。でも問題の本質はそこにはないのではなかろうかと思います。つまり、戦争をする気があるのかないのか自体は、実はそれほど重要ではない。なぜなら、よほどの好戦家がリーダーになるか、国家がよほど追い詰められていない限り、国家の指導者が「戦争する国になりたい」などとは言うはずがありません。国民の不利益になる可能性が大きいからです。太平洋戦争に突入していった時にも、戦争がしたくてそうしていったのではなくて、様々な国際関係の事由と国内問題からそこに追い詰められていって突入したのではなかったでしょうか。ですから重要なのは、そういった状況に追い込まれていかないためのセーフガードをどのように構築していくのかにあろうと思います。気がついたら武力の行使しかとるべき手段がなかったのではどうしようもないからです。国際関係は単純な善悪論で片がつくものではなく、複雑な事象が積み重なって深まっていくものですが、偶発的な武力行使に追い込まれることのないよう、より平和へつながる道を選択してくださるように、国家の指導者の英知を祈りたいと心から思いました。

一人ひとりに与えられた生命には神からの願いがこめられています。残念ながら社会の様々な障壁が構造的悪としてその前に立ちはだかります。その結果、多くの生命が神からの願いを実現することができずに、時に残酷な終末を強制されていきます。失われて良い生命はありません。それは人間が価値判断できることではなく、すべて神のみ手の中にあることです。神がすべての生命がより良く十分に生きることを望んでおられるのは、イエスご自身が「すべての人」の罪のゆるしのため十字架上でその身をささげられたことから明らかです。その判断は私たちには任されていません。この生命は殺されるべきで、この生命は生かされるべきだと決める権利は、同じ被造物である人間には任されていません。したがって私たちは、すべての生命が尊厳の内に生かされ、神からの願いが全うされるような世界を生み出す努力をしなければなりません。たとえそれが夢物語であったとしても、です。そこには生命を奪う武力の行使が入り込む余地はないはずです。平和旬間にあたり、心をこめて世界の平和のために、そして国家の指導者のために、祈りたいと思います。

先週初めに10年ぶりに人間ドックに行きました。新潟第二済生会病院の検診センターで、生まれて初めて胃カメラを飲みました。おかげさまで、全般的には異常はなし。とはいえすでに10年以上にわたって高血圧と緑内障などの治療を受け続けていますから、薬のおかげで正常値であるところも多々ありますが、まだ当分は働けそうです。

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