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2015年1月17日 (土)

20年目の今日

阪神淡路大震災が発生してから今日で20年。各地で追悼の祈りが捧げられました。あの大震災で亡くなられた方々、またその後の震災に起因する様々な状況の中で亡くなられた方々の永遠の安息を、あらためてお祈りいたします。また慰めの源である神が、時間を積み重ねてもいえることのない悲しみにある多くの方々に、豊かな慰めを与えてくださるように、お祈り申し上げます。

あの日あのとき、どこで何をしていたかを克明に覚えている出来事は、人生の中にそれほどあるものではありません。しかし多くの方にとって、1995年1月17日の朝どこにいたかは、記憶にしっかりと刻まれていることでしょうし、同じように、2011年3月11日の午後も忘れることが出来ません。それほど衝撃的な出来事でしたし、その衝撃はいまでも消え去ることはありません。

いま、東日本大震災の復興の途上にある東北をはじめとし、日本の多くの方が体験されていることでしょうが、人知を遙かに超え、人間の力を凌駕する巨大な大自然の力の前で、その理由さえも解明できないまま、不条理に身をゆだねなければならないとき、私たちは沈黙のうちに祈ることの大切さを肌で感じさせられます。

教皇様はちょうど本日、2013年の巨大な台風で被害を受けた、フィリピンのレイテ島へ出かけられました。今日のレイテは、今年最初の台風が迫ってきており、ひどい荒天でした。でも教皇様は、今回の司牧訪問の一番の目的がこの地を訪れ、被災された方々とともに祈ることだからと、予定を短くしたものの、タクロバンで大雨と強風の中、ミサを捧げられました。動画をバチカンのYou Tubeサイトからリンクしておきます。

この中で教皇様は、英語で説教を始められ、即座に「スペイン語で話しても良いか」と集まった十数万の人たちに問いかけました。その後、通訳を交えてスペイン語で、原稿なしで説教されましたが、いつものどちらかというとか細いお話の仕方と異なり、とてもとても力強いお話でした。その日の朗読を解説し、「台風から14ヶ月後でもここに皆がしっかりと生きているのは、イエスによって守られていることを信仰において知っているからだ」と話された後に、次のように語りかけられました。

『ローマでこの災害について知ったとき、私はここに来なければならないと思った。その日、私はここを訪問することを決めていました。皆さんとともにいるためにここに来ました。少し遅かったかもしれないけど、でも来ました。イエスは主であると告げるために来ました。イエスは私たちを失望させることはありません。』

非常に厳しい天候の中で、レインコートを羽織ってのミサでしたから、非常に難しいミサであったと思います。でも教皇様は、悲しむ人、苦しむ人とともに歩む教会の姿を自ら示そうとなさっていることを実感させる、すばらしいミサでした。

ところで先ほど教皇様は、今年3月16日と17日に長崎で行われる『日本の信徒発見150周年』の記念行事に、ご自分の特使として、フィリピンのコタバト教区大司教、オランド・ケベド枢機卿を派遣すると発表されました。3月17日には大浦天主堂で日本の司教団もそろって教皇特使のケベド枢機卿と一緒にミサを捧げることになっています。

また、明日から一週間は、キリスト教一致祈祷週間です。各地で様々な行事や祈祷会が行われることかと思います。新潟市内の予定を記しておきます。

  • 1月18日 日本キリスト教団新潟教会(中心集会) 14:00
  • 1月20日 カトリック青山教会 10:30
  • 1月22日 日本キリスト教団信濃町教会 10:30
  • 1月24日 カトリック亀田教会 10:30

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