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2015年1月10日 (土)

教会の普遍性と現実の世界

新しい年が始まって早々に、フランスで悲しくなるほどに残忍なテロ事件が起きてしまいました。無残にも殺害された新聞社の関係者、人質となる中で生命を落とされた方々、そして職務執行中に殉職された警察官。亡くなられた方々の永遠の安息を祈ります。また負傷された方の回復と、大きな傷を負った地域社会の方々の心の安らぎのためにも祈ります。

言うまでもなく、言論の自由を封殺するためにテロに走る行為を正当化することは許されることではありません。それ以上に、問答無用で人間の生命を暴力的に奪う行為は、その生命の創造主の前で正当化できるものではありません。このような残忍な事件が、新しい年の幕開けに起きてしまったこと、そして多くの人を恐怖の暗闇に引きずり込んでしまったことは、本当に残念で悲しいことです。

同時に私たちは、同じようにして問答無用で生命を奪われてきた多くの方々の無念に心を向けざるを得ません。今回はその事件がフランスという先進国の首都で発生したこともあり、世界中に衝撃を与え注目を浴びましたが、教皇様が何度も呼びかけておられるように、聖地をはじめとした中東地域やウクライナ、そして中央アフリカをはじめとしたアフリカ各地では、何らかの理由付けによって行為を正当化しながら、多くの人の生命が奪われ続けています。

そういったことを考えるとき、あらためて神の平和の実現を訴えていかなくてはならないと感じますし、生命の尊厳を、その始まりから終わりまでの尊厳を、さらに訴え、またそのために祈らなければならないと感じています。

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さて、上の写真です。1月8日の新潟日報朝刊に加茂教会(新潟県加茂市)の信徒である阿部ジュリアさんの記事が大きく掲載されていました。ご覧になった方もおられるでしょう。新潟教会の昨年のクリスマス会でも、他のフィリピン人信徒の方と一緒に、歌とダンスを披露してくださいましたが、いつもその笑顔で本当に周りを明るくしてくださる方です。また記事に紹介されているとおり、英語を教えることだけでなく、地域において、様々な災害などの支援のためにチャリティー活動を行っており、私が担当するカリタスジャパンなどでも、ジュリアさんたちのグループから募金をいただいたことが何度もあります。

あらためて言うまでもなく、新潟教区には各地にたくさんの外国出身の信徒がおられます。その多くが結婚を通じて地域の一員として定住されています。常々申し上げていることですが、神様は本当に私たちの想像を超える仕方で福音を告げようとされます。私はこういった海外から来られた信徒の方々は、生活を通じて福音を証しするようにと遣わされた福音宣教者ではないかと感じています。明るい笑顔で地域の中で様々な活動に携わっているその姿こそが、福音を証しする生き方、つまり福音宣教者の生き方です。

それ以上にその存在は、教会の普遍性を私たちに肌で感じさせてくれています。教会は、もちろん国境で定められた国の単位を基盤として存在していますが、その国境の枠組みにとらわれて存在をするものでもない。教会憲章はこう書いています。

「したがって、地上のすべての民族の中に神の一つの民が存在している。それは地上的ではなく天上的性格をもつ自国の市民をすべての国民から受け入れているからである。実際、世界中に散在しているすべての信者は、聖霊において他の信者と交わっており、こうして『ローマに住んでいるものは、インド人が自分のからだの一部であることを知っている』(教会憲章13)」

教会は地理的な広がりの中で、国境に規定される国家や異なる文化のうちに存在する中で、「その国の教会」として存在するものの、その地上的制約によって分断されているのではなく、天上的性格を持つものとして国境を超越し、神の一つの民として存在しています。それが教会が「普遍的(カトリック)」であるという意味です。

様々な国から来られた信徒の方々と。一緒になって福音を証ししながら生きていくとき、私たちは教会の普遍性を肌で感じるのです。それは単に海外からきた人たちがたくさん一緒にいるという、いわば『国際的』とは少しばかり異なり、同じ一つの体を一緒に形作っているという意識としての普遍性です。教会共同体は『国際的』なのではなくて、『普遍的』なのです。

現実の世界はどうでしょう。国や民族による違いをことさらに意識し、それによって対立が増加しているという雰囲気が重くのしかかりつつあるように感じます。その中では、異質な存在を排除しようとする動きすら頻繁に見受けられるようになりました。現実の世界から互いを受けいれる寛容さが姿を消してしまっては、何とも住みにくい空気が支配するようになるでしょう。その中にあって、教会は神の民としての普遍性をあらためて私たちに考えさせます。そして異なるもの同士が、互いに兄弟姉妹として一つの共同体を作っているのだという意識を、夢物語のように感じるかもしれませんが、少しずつ浸透させる努力を続けたいと思います。

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