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2015年2月27日 (金)

司教総会が終わりました

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日本のカトリック司教団は、年に2回総会を開催しています。通常、2月と6月に、月曜の午後から金曜の午前中まで泊まり込みで会議を行います。近年はさらにもう一度、一日だけですが、10月に臨時の総会を開催するようになりました。

会議には日本のすべての教区司教と補佐司教が参加します。現在、さいたま、広島が空位ですから、現役の司教は二人の補佐司教を含めて16名。全員が、2月23日から27日まで東京のカトリック会館に集まり、2014年度の3回目となる司教総会を開催しました。会議は順調に議題をこなし、途中、教皇大使を招待しての夕食会も催されたりして、木曜日の午後に終了しました。

司教協議会というものが何ものかは、こちらの解説をご一読ください(リンク先はカトリック中央協議会HP)。よく、各教区の上部組織だとか、日本のカトリックの総本山だとか言われていますが、そういう存在ではありません。それぞれの教区は独立しており、教区司教は司教協議会(司教団とも呼ばれたりします)から命令を受けることはなく、その意味では教皇様に直結しています。司教協議会は、たとえば日本であれば同じ言葉や文化圏ですので、そこで使う典礼書や法規や諸手続やカテキズムなどといった、翻訳が必要な事柄を、新潟教区単独で処理しろ言われても不可能ですから、そういったことを一括して行います。また全国的な様々な課題に、全国レベルで一括して取り組むための諸委員会が設けられています。カリタスジャパンもその一つで、各教区のレベルでは対応できない全国的な規模の募金献金や、海外への一括した援助に取り組むための16教区へのサービス部門でもあります。ただし、各司教は勝手に独立して存在しているのではなく、ペトロの後継者である教皇を中心に、使徒の後継者として司教は、12弟子の使徒団と同様に司教団を形成しています。その一部分として、日本の司教団は存在しています。

さて今回の司教総会では、様々な課題が話し合われましたが、今年はアジア太平洋戦争が終わってから70年にあたることもあり、50年、60年につづいて、10年ぶりに司教団としての平和メッセージを発表することになりました。

平和メッセージ、「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」はこちらのリンクでお読みください

なお申し添えますが、司教団メッセージは、司教全員の賛成に基づいて作成されるメッセージですから、委員会などの発表するメッセージなどと比較をすればその重みは異なり、教会にとって重要なメッセージです。しかしながら、同時に、それはいわゆる「教え」ではないので、信徒ひとり一人の行動や判断を拘束する性質のものではありません。つまり司教団メッセージを、教会指導層から信徒への命令のように考えるのは間違いです。このメッセージは、信仰と倫理に基づく宗教者の立場から、現時点での日本における平和構築を、司教団がどのような方向性で考えているかを明示しているもので、信徒にはその方向性を見極めて、信仰と照らし合わせて自らの判断をそれぞれにすることが必要です。

また教会で語る「平和」とは、あらためて言うまでもなく、単に戦争がない状態のことではなく、神の望まれる善なる世界が実現している状態のことです。カトリック教会のカテキズム要約には次のように記されています。

481:世界の平和は、人のいのちが尊重され、成長するために断固要求されるものですが、それは単に戦争がないということでも、対立する勢力の力の均衡でもなく、「秩序の静けさ」(聖アウグスチヌス)であり、「正義が造り出すもの」(イザヤ32:17)、愛の結果です。

どう見ても現在の世界において、神がよしとされる秩序が完成しているとはいえません。そうである限り、善の実現を妨げる事象に対しては、常にそれを指摘していくのは、宗教者のつとめでしょう。宗教者は自ら政権を握ったり政党を操ったりして、直接的に政治を動かすべきではないと思いますし、それは政治家のつとめであろうと思いますが、社会全体が進むべき方向性を指摘するのは、倫理的立場から事象を見つめる宗教者の役割です。

パウロ6世教皇が1970年世界平和の日メッセージに、次のように書いています。

平和は、単に受 け取って楽しむものではない。平和は、創造されるものである。平和は、現に到達してしまった水準ではない。平和は、私たち一人ひとりが例外なくつねに熱望しなけれ ばならない。より高度の水準である。平和は、私たちの心をだまして安眠をむさぼらせるような哲学ではなく、私たちすべてに共通善に対する責任を負わせる行動の哲学 であり、平和の大儀 ― つまり人類の真の大儀に向かって私たちの全努力を傾注するよう私たちに義務を負わせる行動の哲学なのである

これ以外の総会決定事項は、カトリック新聞をご覧ください。

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2015年2月22日 (日)

洗礼志願式@新潟教会

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四旬節第一主日の今日、新潟教会において洗礼志願式を行いました。今年から、教区内で復活祭に洗礼を受ける予定の方々を集めて、司教司式で一緒に洗礼志願式を行うことを考えました。もっとも新潟教区は北は秋田の大館から南は新潟の糸魚川まで南北に長い教区ですし、その間の交通の便は良くはないので(北陸新幹線開業で南北はますます不便になりますし)、さすがに全員を集めることは非現実的です。そこで新潟周辺の教会の呼びかけたところ、今年は、新津教会からひとり、青山教会からひとり、そして新潟教会から3人の、5名の方が洗礼志願者として正式に教会に受け入れられました。

四旬節に教会は、その信仰の根本に立ち返り、何を信じているのか、どうして信じているのか、信じているのであればどのように生きるのかを、ともに見つめ直すことを求めています。その上で四旬節は、イエスの受難と死と復活の神秘的な出来事を祝う聖週間へとつながっていきます。言うまでもなく、私たちの信仰の基盤にはこの神秘的な出来事があり、まさしく私たちは水による洗礼を受けることによって、キリストの死と復活に与るものとなり、キリストとともに死に、キリストとともに新しい生命に生きるようになります。

このように各小教区の志願者に集まっていただいたことには、もちろん理由があります。

第一に、洗礼を受けることは、個人的な内心の問題だけではないことを実感していただくためです。ともすれば宗教は個人の内心の問題であると考えられてしまいがちですが、私たちキリスト者にとって、信仰は常に共同体の中で生きられるものだからです。

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共同体のないキリスト教は考えられません。イエスご自身が、まず最初に12人の弟子という共同体を形成して、祈りをともにし、聖体の秘蹟を定め、二人ずつ福音宣教に送り出されました。教会憲章には「教会はキリストにおけるいわば秘蹟、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具で」あると記されています。洗礼を受けることはひとり個人が新しい生命に生きることだけではなく、それを通じて、「神との交わりと全人類一致のしるし、道具」の一部となることをも意味しています。一つの体の部分となるのだという自覚を持っていただくためにも、洗礼志願者として洗礼への最終的準備を始めるときは、それは共同体の中でなされなければなりません。

第二に、それではなぜカテドラルに集まっていただいたかです。教会共同体と言うとき、それは単にある小教区教会だけを限定してはいません。教会は、私がミサに与る教会だけを意味しているのではなく、まさしく「普遍教会」と呼ばれるように、全世界に広がる一つの共同体を指し示している言葉です。洗礼を通して、私たちはある教会のメンバーになるのではありません。それを遙かにこえた神の民の一員となるのです。キリストのからだとしての教会は、民族や文化や国境を越えて、この世界に一つの神の民として存在しています。その一つの群れの牧者として与えられているのが教皇です。この地域にあっては、新潟教区という名称の下に、一つの民が形成されていて、司教がその牧者として任ぜられています。ですから、洗礼を受けて教会の一員となることは、同時に新潟教区という一つの共同体の一員となることを意味しているのですから、このようにその牧者である私と祈りの時をともにすることで、自らが歩みをともにしようとしている共同体の普遍的な広がりの一端を感じていただければと願って、カテドラルに集まっていただきました。

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洗礼志願式の典礼では、まず代父母の方がふさわしく準備をしてきたことを証言し、その後自らの意思でこの道を歩む決意を明確にするために署名をしていただくことや、共同体の一員となることを自覚するために、キリスト者の共同体の皆が信仰のうちに共有している信条の授与があり、さらに悪の誘惑から守られ清められること祈り、加えて洗礼志願者の油を額に受けます。

今日の新潟教会の洗礼志願式では、信条は一節ずつ区切って信徒の共同体が唱え、それを志願者が繰り返して唱えるという形式にしました。また洗礼志願者の方々には、信徒の方からの寄付によって、立派な洗礼式用のろうそくと、先日私がベトレヘムで買い求めてきたオリーブのロザリオをプレゼントさせていただきました。5名の洗礼志願者の方々、そして教区の各所において今日洗礼志願式を受けられた多くの皆様、どうか良い準備をされて、自信を持って復活祭を迎えられますように。

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2015年2月21日 (土)

カリタスジャパン四旬節黙想会@大阪

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カリタスジャパンでは昨年から、四旬節中に黙想会を企画するようになりました。これは四旬節の愛のわざとして全国の教会にお願いをしている四旬節愛の献金を、これまでカリタスジャパンは担当してきましたが、単に募金を頂くだけではなくて、霊的な振り返りの場をも積極的に提供するべきではないかという議論が委員会などであり、その結果として始めたものです。

カリタスジャパンには責任司教の私と担当司教の幸田司教の二人の司教がおりますが、この二人に加えて委員会の援助部門担当秘書であるレデンプトール会の瀬戸神父にも加わって頂いて、四旬節中に各地で開催しております。

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私の今年の四旬節の担当は二回。今日がその最初で、大阪は梅田にあるサクラファミリアを会場に、開催いたしました。私の担当のもう一回は、もともと個人的にお約束していた黙想会をカリタスジャパンとの共催にして頂きましたが、3月14日と15日に静岡の城内教会で行います。

今日の黙想会は、国際カリタスが世界中のカリタスと一緒になって行っている、反貧困キャンペーンの一環として、「五つのパンと二匹の魚」をテーマにお話しさせて頂きました。昨年、東京のニコラバレで行った黙想会と同じような内容です。

午前10時から始まった黙想会には120人を超える方に参加頂きました。大阪教区のシナピスの方々に協力を頂き、司会進行はその担当者である大阪教区の吉岡神父。午前中は私が二回の講話を行い、昼食を挟んで、午後には吉岡神父の振り返りと祈り、そして2時半から派遣ミサを行いました。

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インターネットがこれだけ発達した近年の日本では、一見、情報が豊富に提供され、皆が良くものを知るようになったと思われますが、実際には、あまりに多すぎる情報量に圧倒され、結局は自分の周囲の狭い範囲の情報に拘泥してしまっている嫌いがあります。そのため、世界全体という枠でものを見ることが難しくなっています。教皇フランシスコはこのことを、ランペドゥーサ島でのミサ説教で、「無関心のグローバル化が進んでいる」として警鐘を鳴らされています。

カリタスの反貧困キャンペーンは、貧困という言葉の包括する範囲があまりに広すぎるので、特に食糧問題など飢餓問題に焦点を当てています。そうしてみると、世界では今でも8人に一人が飢餓に苦しんでおり、アフリカだけに限定すれば4人に一人が飢餓に苦しんでいる。そして世界中の飢餓人口の実に98%が、いわゆる途上国に集中しているという現実が忘れ去られていることに気がつかさせられます。

見ようとする範囲が狭まるほど、自己本位な価値判断に走ってしまいがちです。難しいことですが、機会を捉えて、視野を広く世界に広げる努力をしたいと思いますし、なによりも自分が知っていることには限界があるのだという事実の前に、謙遜にありたいと思います。

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「出向いていく教会」であれと呼びかける教皇フランシスコに倣い、福音の光を世界の隅々にまで届ける勇気を持つことができるように、四旬節にあらためて信仰の基礎を振り返りたいと思います。

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2015年2月17日 (火)

四旬節がはじまります

明日、2月18日は、灰の水曜日です。明日から四旬節が始まります。今年は復活の主日が4月5日です。明日灰の式を伴うミサが行われる教会も多いことだと思いますし、または次の日曜日に灰の式が行われる小教区もあることでしょう。

是非、灰を身に受け(頭に受け)、それによって人間という存在が神の前でいかに小さなものであるのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心で感じていただければと思います。司祭は灰を頭や額にかけるときに、「回心して福音を信じなさい」、または「あなたはちりでありちりに帰っていくのです」と唱えます。

前者は、四旬節の持っている意味、つまりあらためて自分たちの信仰の原点を見つめ直し、神に向かってまっすぐに進めるように軌道修正をするということを明示しています。後者は、すでに触れたように、神の前で人間がいかに権勢を誇ろうとも、小さなむなしい存在であることを自覚して謙遜に生きるようにと諭しています。

四旬節は信仰の原点に立ち返る見つめ直す時期ですから、これに合わせて、洗礼を志願する人たちも歩みをともにし、復活祭に洗礼を受けることが勧められています。このことから四旬節第一主日には洗礼志願式が多くの小教区で行われます。新潟教会では、近隣のいくつかの教会の志願者とともに、司教司式の洗礼志願式が日曜日に行われます。

さて四旬節に当たり教皇様はメッセージを発表されています。今年は「心を固く保ちなさい」というタイトルです。こちらのリンクをどうぞ

四旬節には、祈り、節制、愛の業が、伝統的に勧められています。その教会の伝統に倣って、四旬節には特別の愛の献金が行われてきました。日本の教会ではカリタスジャパンが、この四旬節愛の献金の担当になっております。詳しくはこちらのリンクをご覧ください

各小教区にも、カリタスジャパンからの資料が配付されていると思いますので、ご活用ください。今年の小冊子は、カレンダーになっていて、四旬節の間に使うことが出来るようになっています。カリタスジャパンは四旬節愛の献金を、国内外の様々な支援事業のために活用していますが、カリタスジャパンの支援活動の3分の1が、四旬節献金で支えられています。災害などの発生時にいただく特別な募金は、その災害などに指定された募金ですから、それ以外に利用することはありません。災害以外にも、カリタスジャパンには年中、世界の教会から様々な分野での支援要請が寄せられます。そういったリクエストに応えていくために、四旬節献金は重要です。その活用状況も、小冊子に報告されていますので、ご覧ください。

そして祈り、節制、愛の業ですから、その節制です。灰の水曜日は小斎と大斎の日と定められています。

大斎は、「1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。」

小斎は、「肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。」(中央協HPより)

病気や妊娠など理由のある方は免除されています。詳しくはこちらのリンクを。

四旬節に当たり、自らの信仰を見極め深めていくとき、私たちが信じている福音に従って、イエスの呼びかけに従って、いったいどういう生き方をしていったら良いのかを考えるときにしたいと思います。特に、私たちの信仰は、ひとり隠れて生きるものではなく、イエスが弟子を集めたときから、共同体の中で生きる信仰です。教会における人間関係の中で、社会における人間関係の中で、家族の人間関係の中で、福音をどのように生きていくのかをあらためて考えてみたいと思います。そして私たちは、「全世界に行って福音を告げ知らせよ」という主からの宣教命令を、誰か他の人への命令で自分とは関係がない、とはいえないことも、あらためて自覚いたしましょう。

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2015年2月14日 (土)

カリタスアジア地域委員会@バンコク

寒い毎日がつづきますが、その中、日中が気温32度にもなる場所へ、一日だけですが出かけてきました。タイのバンコク。責任者を務めているカリタスアジアの地域委員会です。

9日の月曜日は、新潟市内も雪が降り気温も上がらず寒い一日でした。この日は新潟県内17のカトリック幼稚園を束ねる学校法人聖母学園の理事会。午後からは同じ聖母学園の各幼稚園の園長会。若手司祭の後継者もなかなか生まれない中、園長先生にも司祭ではなく一般の先生方が増えてきました。今後、幼稚園や保育園の制度が改定されていく中で、兼任園長も減らさなければならない模様ですので、司祭園長は減っていくことは避けられません。その分、法人本部の体制を整え、しっかりと園長先生を支えることが出来るようにしていく必要があります。学校法人としての出だしは、先にそれぞれの教会の幼稚園があって、それを法人としてまとめていったという歴史があるので、そもそも法人本部がすべてを束ねて経営にあたってきたという歴史ではありません。これまでは各幼稚園の園長を務める司祭の個々人のタレントに任せてきた部分が大きかったのは事実です。それを今後どのように変えていくのか。本部機能の充実は、そのために欠かせない取り組みです。と書くのは簡単ですが、現実はなかなかそう簡単に運びははしませんけれど。

さて翌日、新潟の天候にらみながら、成田への移動は、新潟空港から成田空港へ飛ぶ全日空をあきらめ(プロペラ小型機なので、天候が悪いと遅れる可能性が大きい)、昼食後に新幹線で移動することに。上野で降りて京成で成田空港へ。夕方6時過ぎに成田を出発する全日空便でバンコクへ移動。この便は全日空の運航ですが、ユナイテッド便との接続がとられているため、乗客のほとんどが米国の方々で、機内はほぼ満席、いっぱいでした。

バンコクには現地時間(日本の2時間遅れ)夜の11時過ぎに到着。ターミナルの一階にまで降りてタクシー乗り場へ。

あれ、いつもと違う。写真を撮れば良かったのですが、なにか、急に、近代的になっています。これまでは人力で乗車表を記入していたデスクが消えて、液晶のマシーンが登場。そこから、タクシーの停車レーン番号と、車のナンバーと、運転手の名前が記載されたカードが発行されます。タクシーに乗り込むと、その先には、なにやら検問所が。

後で調べてわかりましたが、この変化は、現地在住の日本人のある方によるアピールでおこった出来事らしい。その方があるとき、深夜の空港タクシーに高額な値段をふっかけられたことをネット上に掲載したところ大きな騒ぎとなり、それから必ずメーターを使うように、そして運転手名を明記するように制度をあらためたのだとか。対応が素早い。確かに私も何度か、『そこまでなら全部込みで○バーツね』といわれて、メーターを使ってくれなかったことがありました。行く先がいつもだいたい同じなので、タクシー代(メーター+空港チャージ+高速代)がだいたいわかりますから、それと大きく変わらないときはそのまま黙って乗ることも多かったのは事実です。現時点では、どのドライバーも、しっかりとメーターを使ってます。

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さて、そんなわけでその日の真夜中に会議会場の小さなホテルに到着。翌朝8時半からのミサで早速会議開始。今回は3月に同じくバンコクで開催するカリタスアジアの総会の準備と、昨年の決算(1月から12月)の承認が主な議題でした。

3月の総会では、カリタスアジアの総裁の選挙があります。現在私は4年任期の一期目。もう一期務める可能性があります。どうなるかは3月の総会で。またアジアを現在三つに分けているサブ地域の代表カリタスの選挙も行われます。現在は東アジアが香港、東南アジアがインドネシア、そして南アジアがスリランカです。

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3月のカリタスアジアの総会での選挙を経て、5月にローマで開催される四年に一度の国際カリタスの総会で、まず全体の総裁の選挙や事務局長と会計の選出、さらに副総裁の選出などが行われ、新しい理事会と代表委員会のメンバーが確定します。現在の国際カリタス総裁ロドリゲス・マラディアガ枢機卿はすでに2期を務めていますので、今回は新しい人物が総裁に選出される予定です。現在国際カリタスの候補者委員会が、各地からのノミネーションに基づいて、聖座の認可を得るための手続きを行っています。聖座の認可が得られ次第、候補者名は公開されることになります。マラディアガ枢機卿は、教皇フランシスコを補佐する例の「C9」の責任者であるので、超多忙を極めており、いずれにしてもこのタイミングで国際カリタスの任期が終了することにほっとされている模様でした。

さてこの地域委員会は、昼食を挟んで丸一日かかり、夕方5時過ぎに終了。参加者全員で近くの陸軍の保養施設にでかけ夕食。

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翌12日は朝食後にホテルを歩いて出て、近くの高架鉄道の駅から満員電車に乗車。二駅先で乗り換えて、今度は空港電車に乗車。この電車システムはドイツのシーメンス製で結構新しいはずなのですが、なにやら問題があった模様で、最初は途中一駅にのみ停車する特急があったのですが、それがすでに姿を消し、現在は各駅停車のみに。沿線の方々や空港で働く方々が、朝の通勤に利用されているので満員です。それでも朝の時間に、交通渋滞の中をタクシーで空港に向かうのはリスクがあるので、この電車を乗り継いで1時間以内に空港へ到着。今度は全日空の羽田便に。午前11時過ぎにバンコクを出発し、羽田には夜7時前に到着。そのまま新幹線で新潟へ帰着。

出発と帰着の空港が違うので、この時期大変なことが一つ。真冬から真夏へ行くので、その間、セーターやコートを自分で持ち運ばなくてはなりません。そんなの当たり前ですが、なにぶん荷物は小さなリュック一つで行くので、そこに詰め込む。出発と帰着が同じなら、預かってもらえるサービスがありますから。

というわけで、一日だけの真夏に満たされて、再び真冬の新潟に戻りました。

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2015年2月 8日 (日)

『いこい、安らぎ』は教会共同体にこそ

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先日もお知らせしましたが、教皇様は今年正月の世界平和の日のメッセージに込められたテーマに基づき、奉献生活の年である今年の行事の一つとして、本日2月8日の日曜日を、『世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」と定められました。

主日と重なったので今日は祝われてはいませんが、2月8日はスーダン出身の聖ジョゼッピーナ・バキタの祝日です。彼女は1869年にスーダンのダルフールで生まれ、1876年、まだ幼い頃に奴隷として売買され、様々な体験の後イタリアにおいて1889年に自由の身となり、洗礼を受けた後にカノッサ会の修道女になりました。1947年に亡くなった彼女は、2000年に列聖されています。カノッサ会のホームページに聖バキタの次の言葉が紹介されていました。

『人々は私の過去の話を聞くと、「かわいそう!かわいそう!」と言います。でも、もっとかわいそうなのは神を知らない人です』

聖バキタの人生に象徴されているように、現代の世界において、人間的な尊厳を奪われ、自由意思を否定され、理不尽さのうちに囚われの身にあるすべての人のために、またそういった状況の中で生命の危険にさらされている人たちのために、教皇様は祈ること、その事実を知ること、そして行動することを世界平和の日のメッセージで呼びかけられました。

今日は、カテドラルである新潟教会の9時半のミサを、この意向で捧げさせていただきました。ちょうど主任のラウル師が休暇で不在でしたので、久しぶりに新潟教会の主祭壇でひとりでミサを捧げましたが、新潟教会には侍者をしてくださる青年から壮年のグループがあって、写真のごとく侍者に支えられて落ち着いたミサを捧げることが出来ました。

今回の日本人を巻き込んだ残虐な事件も心に留めながら、今日の祈りを捧げました。また新潟と言えば隣国による国家的犯罪の拉致問題もありますし、加えて問題は日本人が巻き込まれた特定の事件だけに限るものではなく、教皇様が指摘されているように、様々な形態をとって世界中に現存しています。その意味で、日本社会も、つまり私たちも無関係な問題ではありません。今回日本人が巻き込まれた国際テロ事件が発生したことで、私たちは現代の奴隷制、人身売買の一端に触れることになりました。そこに留まってしまうのではなく、その先にさらに人類全体の問題として、人間の自由意思を奪い、理不尽な状況のうちに閉じ込め、生命を危険にさらす様々な問題が存在していることに心を留めていきましょう。

教皇様の正月の世界平和の日のメッセージは、このリンクから読むことが出来ます。

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またそのうち詳しく書きますが、昨日東京で行われたHIV/AIDSデスク主催の研修会で、講師の方が、「知識を正しく広めてそれを知っていれば問題は解決すると思ったが、そうではなかった。人間は個人的な体験やつながりの中で、正しい方向へと進む決断をしていく。従っていまの状況の中で一番必要なのは、しっかりとしたリアルな人間関係を構築することだ」というようなポイントを言われたことが心に残りました。

確かにインターネットがこれだけ発達し、ありとあらゆる情報があふれている世界の中で、私は、多くの人が取捨選択が出来ずに正しい道を発見できずにいると思っていました。そうではなくて、実は豊富な知識それ自体は人を動かす動機になり得ない。知識の蓄積ではなくて、人は他者によって動機づけられて、初めてその知識を生かして行動しようと動機づけられる。豊富な知識があふれる中で、人はそれに埋没し、自分の周りにだけ居心地の良い世界を構築して、満足してしまっている。それが、たとえば他者の生命へのリアルな感情を失わせる原因となってしまっているのではないでしょうか。

生命を大事にしようと教会が世界に向かって呼びかけるのであれば、教会はその生命がリアルな存在であると言うことを肌で感じる場を提供しなくてはいけない。私は教会共同体にはその力があると思います。これだけ様々な年代の人が、様々な文化的背景の人が、そして右から左までありとあらゆる思想の人が、見事にそろって一緒に同じ神の方向を向いて祈っている共同体はそうはありません。この教会共同体の中に、本当に生きている人の交わりの世界があり、生命が息づいていることを、その交わりの中で感じる可能性があります。ああ教会に来て、生きていると感じることが出来る場を提供する力が、教会共同体にはあると思います。

簡単に言えば、教会には『いこい、安らぎ』がある。日曜日の午前中のほんの一時間ほどですが、様々な人と出会いともに祈るこの場にこそ、生命を真摯に生きる人々の交わりのうちに、心の安らぎが存在しています。

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2015年2月 6日 (金)

ユスト高山右近帰天400年記念ミサ@神戸

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神のしもべユスト高山右近が、その信仰を守ったがために徳川家康によって国外追放になり、1615年に追放の地マニラでその生涯を閉じてから今年で400年。現在列福に向けたバチカンでの手続きも最終段階に入っていると伝えられ、あらためて信仰者としてのその生涯が注目されている高山右近の、帰天400年記念ミサが、日本の司教団の主催で、2月3日午後、神戸文化ホールで行われました。

高山右近は織田信長や豊臣秀吉に仕えていましたが、秀吉のバテレン追放令以降も信仰を守り抜くために、領地や財産などをすべて放棄し、金沢で前田家の庇護の元に暮らしていました。しかし1614年、家康によって国外追放となりマニラへ。大変な旅であったのでしょう。到着後に病を得て、ほんの40日ほどのマニラ滞在でしたが、1615年2月3日に帰天されました。その当時からすでにマニラにおいて列福運動が起こっていたのだそうですが、その後紆余曲折を経て現在に至っています。

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数年前に聖座の『殉教者』についての定義が見直され、必ずしも迫害の上に殺害されることだけではなく、信仰を守るために人生のすべてを失った人物も殉教者と認定することになっておりました。そのため、高山右近も、かつては殉教者から証聖者に変更され、さらに殉教者へと変更されるという道をたどりました。

実際には手続きの過程はもっと複雑ですが、簡単に言えば、証聖者の場合は列福のために奇跡が一つ、列聖のためにはさらに奇跡が二つ必要とされています。殉教者の場合は、殉教という出来事が認定されれば列福に奇跡は必要がなく、列聖のためには一つの規制が必要とされているようです。

列聖列福特別委員会の大塚司教によれば、手続きはかなり進んでおり、今年の半ば頃には、列福のために最終的に必要な教皇様の裁可が得られる見通しだとか。そうなると、来年にも列福式を行うことになります。

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今回はそういう気運が盛り上がりつつある中で、帰天400年を記念して行われました。会場の神戸文化ホールにはほぼ満席の二千人以上が詰めかけ、多くの司祭団、また日本の全司教が共同司式をして、ミサを捧げました。またマニラで最後を迎えたこともあり、さらにはマニラ教区が最初の列福申請を行った縁もあり、マニラ大司教のアントニオ・タグレ枢機卿が出席。教皇大使のほか、引退されている池長大司教、地主司教、溝部司教も参加。溝部司教は、長年この列福調査に携わってこられたこともあり、その現代的意義について説教をしてくださいました。溝部司教は、当時のキリシタンがイエズス会宣教師の『霊操』の影響の元に、いかに聖書を読み、黙想し、祈ることを大切にしていたか。そして高山右近のような信徒のリーダーたちがそのことをいかに大切にして、信徒の共同体をはぐくんでいったのかを語り、その上で、現代社会にあっても、聖書を読み黙想し祈り、それを行動につなげていくことの重要さを説かれました。

神戸のミサは、大阪教区の多くの方々の協力で、すばらしい行事となりました。大阪教区の皆さんありがとうございます。今回のブログのミサ中の写真は、大阪教区の田中さんの提供です。感謝。会場では、右近のゆるキャラである「うーこんどの」も大活躍しておりました。

高山右近の人生は、もちろん当時の戦国時代の枠組みの中でのことであり、現代の私たちの価値観や信仰の倫理観から判断すれば肯定できない事柄もあったことでしょう。しかしそういう時代の制約の中で、右近がどういう社会を目指していたのか、また信仰を守り抜くために妥協することなく、周囲からのいさめる声にも耳を貸さずに、どれほど必死になって信仰に生きたのか。そういった姿勢そのものを、現代社会の枠組みの中で見つめ直したいと思います。ともすれば現実の要求の前で簡単に妥協を重ねている現代の信仰者にとって、右近の生き方は大きな道しるべとなるものだと思います。

月曜日は夜に新潟の司祭団にお話をしていたので、前日には出発できず、当日朝に新潟空港から伊丹へ移動。余裕を持ってでかけたのですが、なんとANA便が1時間半以上の遅れ。同じ頃伊丹に飛ぶJAL便に至っては欠航。焦りました。伊丹からバスに乗って、神戸の三宮に到着したのは、すでに13時過ぎ。いただいていた予定表では式の開始は13時半。これは間に合わないかと、タクシーに乗って神戸文化ホールに着いたのが13時20分頃。ぎりぎりセーフかと待合室に滑り込むと、司教様がたはまだまだ歓談中。なんとミサの開始は14時半頃でした。それまでは歌やDVDの上映。まあ、間に合って良かったです。

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その晩はタグレ枢機卿を囲んで夕食会。翌朝は東京へ移動して、二日間会議でありました。なお今回タグレ枢機卿は仙台、東京で、フィリピン出身信徒のためにミサを捧げ、大阪でも会合を持ちました。どこも大勢のフィリピン出身信徒でいっぱいだったそうです。人気者です。神戸のミサの翌朝には、大きなスーツケースをもって、ローマへ出かけていきました。このままいくつかの会議に出て、その後新しい枢機卿の親任式がある枢機卿会に出席とのことでした。

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2015年2月 1日 (日)

「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」

いわゆる『イスラム国』と称する過激派集団による日本人人質事件は、悲しいほどに残酷な結末を迎えてしまいました。理不尽にも殺害されてしまった二人の永遠の安息を祈るとともに、深い悲しみのうちにあるご家族と友人の方々に、慰めのあることを心からお祈りいたします。また未だ消息が明らかにならないヨルダン人パイロットの無事のために、祈り続けたいと思います。

すでに触れましたが、過激派集団は『イスラム』という宗教の名称を名乗っているものの、その実態は生命の与え主である神を恐れ、その神の前に謙遜に生かされていると自覚する宗教者の行動とは全くかけ離れたものです。宗教の名の下に、また神の名の下に、神が与えられた生命をないがしろにする行動を、認めることは出来ません。

今年の新年の教皇様の世界平和の日のメッセージは、「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」というタイトルで、世界で横行する人身売買を批判する内容でした。人身売買というと、いまの日本には関係のない事柄と感じるのかもしれませんが、その意味合いはかなり幅の広い出来事を含んでおり、今回の人質事件を含めて、日本人が無関係というわけではありません。教皇様はこの世界平和の日のメッセージで、次のように触れています。

「わたしは、さまざまな分野で正規または非正規の労働を強いられている未成年を含む多くの労働者のことを考えます。・・・わたしは、多くの移住者の生活状況にも思いを寄せます。・・・わたしは、その中でもとりわけ、恐怖と不安のうちに過酷な旅をして目的地にたどりついたのに、収容され、しばしば非人道的な扱いを受けている人々のことを考えます。また、さまざまな社会的、政治的、経済的理由から、人目を避けた生活を強いられている移住者に思いを寄せます。また、法に準ずるために、屈辱的な生活条件や労働条件を受け入れている移住者のことも考えます。とりわけ問題なのは、国の法律によって移住労働者が雇用者に構造的に依存する状況が生み出されたり、それが許されたりしている場合です。たとえば、法的な在住許可が労働契約に左右される場合です。そうです。わたしは「奴隷労働」について考えているのです。

 わたしは、売春を強いられる人々、性奴隷とされる男女のことも考えます。・・・ わたしは、臓器売買のため、兵士にするため、物乞いをさせるため、麻薬製造取引のような違法行為のため、偽装された国際養子縁組のために取引や密売の対象にされている子どもや大人など、すべての人々のことも考えずにはいられません。 

 最後にわたしは、テロ組織によって拉致・監禁された人々、戦闘員として服従させられている人々、とりわけ性的な奴隷として酷使されている少女や女性のことを考えます。彼らの多くは行方不明になったり、何度も売り買いされたり、拷問されたり、からだを切断されたり、殺されたりしています」

暴力的過激派集団によって人質となる人たちも、国家権力によって自由を奪われ他国で強制的に生活させられている人たちも、この『人身売買』という言葉は含んでいます。日本語の訳には『売買』が当てられているので商売的なイメージがつきまといますが、英語の単語は「Human Trafficking」ですので、人身取引とか人間の密輸とか言う意味合いです。

教皇様はご自分の世界平和の日のメッセージに基づき、奉献生活の年である今年の行事の一つとして、来る2月8日の日曜日を、『世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」とされることを呼びかけられています。この日はちょうど、スーダン出身の聖ジョゼッピーナ・バキタの祝日です。彼女はスーダンのダルフールで生まれ、奴隷として売買され、後に自由となってカノッサ会の修道女になった方です。1947年に亡くなった彼女は、2000年に列聖されています。

いま世界において、人間的な尊厳を奪われ、理不尽さのうちに囚われの身にあるすべての人のために、今回の日本人を巻き込んだ残虐な事件も心に留めながら、2月8日の主日のミサの中で、お祈りくださるように、お願いいたします。

2月の主な予定

  • 2月2日 月曜会ミサ、教区司祭団静修
  • 2月3日 高山右近殉教400年記念ミサ (神戸)
  • 2月4日 カリタスジャパン委員会 (東京)
  • 2月5日 常任司教委員会・神学院委員会 (東京)
  • 2月7日 HIV/AIDSデスク研修会 (東京)
  • 2月9日 聖母学園理事会・園長会 (新潟)
  • 2月11日 カリタスアジア地域委員会 (バンコク)
  • 2月18日 灰の水曜日
  • 2月21日 カリタスジャパン四旬節黙想会 (大阪)
  • 2月22日 新潟地区洗礼志願式 (新潟)
  • 2月23日~27日 司教総会 (東京)
  • 2月27日 (社福)新潟カリタス会理事会 (新潟)

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