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2015年4月30日 (木)

5月は聖母月です

Khaba
カトリック教会では、5月は聖母の月とされています。(写真はシベリアのハバロフスク・カトリック教会聖堂、内陣の聖母子のイコン)

中央協のホームページには、次のように記されています。

「聖母月の信心は近世からのもので、18世紀のイタリアで盛んとなりました。この5月は、四季折々の中で春の訪れとともに自然界の実りをもっとも感じさせてくれ、また主の復活の喜びと希望に満ちた月でもあります。そのような思いをもってこの月をマリアにささげ、マリア崇敬のために祈り続ける信心が伝統としてなされてきたことは当然のように考えられます」

詳しい解説は、こちらのリンクからどうぞ

年間を通じてロザリオの祈りを唱えることは勧められていますが、5月と10月には特にロザリオを祈ることが勧められています。新潟教会では、この聖母月にはいつも、日曜のミサ前にルルド前に集まり、ロザリオを一緒に唱えることになっています。またそのほかの小教区においても、それぞれの独自にロザリオを唱えることになっていることと思います。

主キリストのあがないの業の第1の協力者は、十字架の傍らに立ち、イエスの苦しみを共にされた聖母マリアです。それだからこそ、聖母の取り次ぎには力があります。マリア様を通じて私たちが主イエスに達することが出来るように、その取り次ぎのうちに、あがない主への信仰を深めるときにしたいと思います。

この土曜日には、新潟教区事務局長の大瀧神父が、司祭叙階銀祝を祝います。どうぞ司祭団のためにお祈りください。また新潟教区司祭団には、現時点では後継者がいません。どうか召命のためにも、この聖母月に、マリア様の力強い取り次ぎがあるように、お祈りください。

5月の主な予定を記しておきます。

  • 5月2日 大瀧師、銀祝ミサ (新潟)
  • 5月5・6日 FABC(アジア司教協議会連盟)神学局セミナー (バンコク)
  • 5月7日 HIV/AIDSデスク (東京)
  • 5月8日 常任司教委員会、神学院常任委員会 (東京)
  • 5月11日~18日 国際カリタス総会議 (ローマ)
  • 5月24日 山形教会ミサ (山形)
  • 5月25日 聖母学園理事会・園長会 (新潟)
  • 5月26日 新潟清心学園理事会 (新潟)
  • 5月27日 ゲマインダハウス理事会 (名古屋)
  • 5月28日 新潟カリタス会理事会 (新潟)
  • 5月29日 カリタスジャパン援助部会 (東京)
  • 5月30日 社会司教委員会シンポジウム (札幌)
  • 5月31日 長岡地区信徒大会 (柏崎)

                     

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2015年4月29日 (水)

校長・理事長・総長管区長の集い&宣教司牧評議会

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昨日、4月28日は、お昼から都内某所で、カトリック学校教育委員会主催の「校長・理事長・総長管区長の集い」に参加。集いは毎年この4月28日と29日に開催されていますが、わたしは、後述のように毎年29日は宣教司牧評議会なので、28日だけ参加させていただいてます。

「校長・理事長・総長管区長の集い」とは、全国のカトリック学校の校長や理事長、そしてカトリック学校の設立母体である修道会の総長さんや(日本で出来た女子修道会には日本に総長がおられるところもあるので)管区長さんが集まって、諸課題について意見を交換する場ですが、主催が司教協議会の学校教育委員会(委員長は高見大司教)なので、都合のつく司教もできる限り参加となっております。昨日は200名を超える参加者と、6名の司教が集まりました。6名の司教は、委員長の高見大司教、前田大司教、郡山司教、平賀司教、諏訪司教とわたし。

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基調講演は上智大学教授でイエズス会の瀬本正之神父。教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」を取り上げて、「教皇フランシスコのメッセージとカトリック校」と題して、教皇フランシスコが目指す教会のあり方を、カトリック学校がどのように反映するかについてお話しくださいました。

その後には仙台白百合から、非常に興味深い取り組みの報告が。仙台白百合高校では、2014年4月から、通信制課程「エンカレッジコース」を開設しています。これは様々な理由で全日制に登校することが出来なかったりする生徒を対象に、自由な形で授業や登校日を組んで行う特別コースで、仙台白百合に併設されています。確かに近年の中学高校には様々な人間関係に起因する事由から不登校になったり、障害などがあり普通校に登校するのが困難だったり、芸術家を目指しているので普通校への登校が困難だったり、多くのケースが見受けられます。そういった生徒さんに、一人ひとりに事由を勘案しながら、時には時間をかけてでも、高校を卒業させることが出来る、個別指導の課程です。カトリック学校として、是非とも発展させていただきたい、すばらしい取り組みだと思います。詳しくは、こちらのリンクをご覧ください

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そして本日4月29日は、新潟教区の恒例である教区宣教司牧評議会が開催されました。会場は新潟の司教館。午前10時から午後2時40分頃まで。すばらしい晴天の春の休日でしたが、参加者は全員会議室にこもって話し合いました。

今回は、これまで会議の大半の時間をとられていた地区からの報告を廃し(報告書の配布で代える)、まず一時間、わたしが教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」について話をさせていただきました。そしてこの教皇の福音宣教への招きに、新潟教区は具体的にどう応えていくのか、小グループで話し合っていただきました。参加者を6名から7名の小グループ三つに分け、お昼前のひとときと昼食後にも、話し合いをしていただき、最後にそれぞれのの三つのグループから発表をしていただいて、今回の宣教司牧評議会を閉会としました。

現在の新潟教区の福音宣教の優先課題は、2012年の教区100周年の時に改訂して定めたものです。5年が経過する2017年にはこの優先課題をあらためたいと思います。そこで来年の宣教司牧評議会では、具体的に現在の優先課題に関して話し合っていただき、次の課題を定めるための方向性を見いだしておきたいと考えています。

秋田から来られた方々が、秋田行き最終の電車である午後3時半頃の特急「いなほ」に乗らなくてはならないため(直通も何も、これが秋田行き最終電車です)、毎年会議は午後2時半頃には終わらなくてはならず、ちょっと中途半端な会議となりました。まだまだいい足りないこともあったと思います。来年またお願いいたします。

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2015年4月27日 (月)

ネパールの大地震救援募金開始@カリタスジャパン

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先日発生したネパールの大地震は、時間がたつにつれ、被害の大きさが世界中に伝わり始めています。前掲記事にも記したとおり、国際カリタスの調整のもと、カリタスインドや米国カリタス(CRS)など、インドに拠点を持つカリタスメンバーから、ネパールに向けての救援活動が開始されています。(写真はカリタスネパールの責任者、パイウス神父が指示をしている様子。右端がパイウス神父)

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カリタスジャパンでは、こういった国際カリタスを中心として行われる救援活動を支援するために、本日より募金の受付を始めました。詳しくは、こちらのリンクのカリタスジャパンホームページをご参照ください。(写真は、カトリック教会の被昇天カテドラルの前に設置された避難用のテントの前で、カリタスネパールのパイウス神父)

募金の宛先は以下の通りです。

郵便振替番号:00170-5-95979

加入者名:カリタスジャパン

通信欄に、「ネパール地震」とご明記ください。

なおカリタスジャパンの受け付ける募金は、被災者に直接分配する義援金ではありません。緊急の被災者救援活動や、その後の復興支援事業といった活動のための募金です。活動は国際カリタスが調整しながら、地元のカリタスネパールを支える形で、各国のカリタスがあたります。また活動だけではなく、緊急の物資の購入にも充てられます。皆様の募金は、カリタスの活動と物資の配給を通じて、被災者の方々に渡っていくことになります。

多くの方の協力をお願いいたします。

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2015年4月26日 (日)

ネパールで大きな地震発生

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すでに報道されているとおり、昨日、4月25日の日本時間15時11分頃、ネパールでマグニチュード7.8の大きな地震が発生し、すでに千人を遙かに超える死者が出ていると言うことです。首都カトマンズに80キロほどと近い震源であったため、建物の倒壊も多く、これから死傷者の数が増加する恐れもあります。またエベレストでは大きな雪崩が発生したとも言うことです。(写真は、連絡を取るカリタスネパール職員@国際カリタス。また地震の詳細情報は災害情報専門のレスキューナウのサイトへのリンク

国際カリタスでは、現在、米国カリタス(CRS)がインド駐在事務所を通じて救援物資を送る体制を整え、またカリタスインドも状況を見極めながら、救援活動を開始する準備をしています。さらにカリタスパキスタンも人員派遣などの準備を始めました。ただカトマンズの空港が閉鎖となっているため、現時点ではインドから陸路でネパールへ入ることを模索していますが、インド側でも地震の被害があり、これは現地からの情報待ちです。

カリタスネパールの責任者であるパイウス・ペルマナ神父からは、昨晩遅くに以下のメールがありました。

「地震が起こったとき、わたしは自分の小教区で若者の集いを行っていました。非常に大きなマグニチュード7.9の地震でした。道路は通行不能になり、電気も止まり、一瞬で電話もつながらなくなりました。私たちは無事ですが数千人が亡くなられました。怪我をした人も多く、至る所で家が崩壊しています。これまでに50以上の余震がありました。今晩私たちは被災者を訪れ、テントを配布する予定です。公式には千人の死者と言われていますが、メディアは三千人以上と報じています。」

またカリタスアジアでは、実は4月21日から25日の予定で、ネパールにおいてアジア農民会議(Pan Asia Farmer's Conference)を開催しておりました。わたしも当初は参加予定だったのですが、ほかの急な予定が入ったため、参加しておりませんでした。カリタスアジアのバンコクにある事務局スタッフも全員(といっても3名ですが)がネパールへ出かけておりました。

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昨日は安否の確認がなかなか出来ずに心配しましたが、ネパールに滞在中のカリタスアジア・コーディネーターのZar氏から、夜になってホテルの発電機を使ってメールが仕えるようになり、まず最初はバンコクにいるカリタスドイツの駐在員を通じて、次に直接連絡があり、会議参加者とカリタスネパール関係者は全員が無事であることの確認が取れました。ただ空港が閉鎖となっているため、昨日会議終了で帰国するはずだった参加者の帰国は未定です。なお会議参加者たちは、余震による宿舎ホテルへの被害を防ぐため、昨夜一晩を野外で過ごしたとのことです。まだ寒いネパールですから大変だったと思います。(写真は野外で食事をとる会議参加者たち)

詳細が入りましたらまたお知らせいたします。カリタスジャパンの対応は月曜以降にお知らせします。カリタスジャパンでは、募金の適正な活用を図るため、現地において確実に活動がなされるとの情報が得られない場合は、募金の呼びかけを遅らせることもあります。現在、国際カリタスを通じて、調整を行っております。

世界各地で大きな災害が相次ぎ、尊い生命を奪われる方があまりにも多く、その方々の永遠の安息と、残された家族の方々の心の安らぎを祈らざるを得ません。私たちは東日本大震災を体験して、世界中からの善意の中で生かされているのだと言うことをあのとき実感しました。神のいつくしみと愛の手は、自ら創造された人間をすべて救いたいという神の切実な愛に満ちた思いによって、この世界のすべての人にさしのべられています。

ちょうど今日の「良き牧者」の日曜日、第二朗読においてヨハネは、神からの信じる者へと注がれる愛の深さについて語っていました。その愛は、神から信じる者に注がれて、そこで終わってしまうような愛ではなかろうと思います。それは福音で主ご自身が、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊も導かなければならない」と語っていることに現されています。主は、すべての人に、愛といつくしみのみ手をさしのべることを望まれています。そうであれば、主の体として集められている「一致のしるし」である教会共同体は、主の手となってその愛をすべての人へもたらす業を継続していかなければなりません。4年前にその大きな主の愛を、世界の様々な人を通じて受けた私たちは、今度は自分たちからそれを、できる限り多くの人にさしのべる手伝いをしていきたいと思います。

もちろん出来ることには限界があり、神のような全知全能ではなく足りなさを抱える私たちにすべてを網羅することは不可能です。ですからそれぞれが大きな体の部分として、自ら気がついたところへ少しずつでも手をさしのべていくことが出来れば、全体として多様な働きが可能になります。とはいえ、巨大な災害にあっては、多くの小さな力を結集して、早急に行動することも必要となります。ですから、いま日本においても、また各地においても、それぞれが取り組む必要は多々あり、それを続けることは重要ですが、同時に、今回のような大きな災害では瞬発力を発揮することも大切です。今後の支援の情報に、どうか注目ください。

また私たちキリスト者にとって、いの一番にするべきことは、被災された方々への祈りです。どうぞ個人の毎日の祈りの中で、また教会共同体の日曜のミサの中で、または祈りの集いや聖書の研究会などの席で、今回のネパールでの地震の被災者の方のためにお祈りください。またそのことを通じて、世界各地で頻発する災害の多くの被災者のためにも、是非是非お祈りください。さらには、世界各地で、地域紛争やテロ活動の犠牲となっている多くの方のためにも、祈りを広げていただければと思います。特にこの数週間の間、キリスト教徒であることを理由に殺害された多くの方々のことが報道されました。本来、生命の源である神を信じる宗教が、その宗教の違いを理由にして生命を奪うことは赦されるべきではありません。かつてはキリスト教もその間違いを犯してきました。宗教が、宗教の違いを理由に他者の生命を奪うことは、恥ずべきことだと思います。犠牲となった方々のために、祈りたいと思います。

 

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2015年4月18日 (土)

聖マリア学院大学で研修会@福岡・久留米

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福岡県の久留米市にある聖マリア学院大学から、教職員の研修会で話すようにと依頼をいただきましたので、昨日から今日にかけて、久留米へ出かけてきました。久留米は初めて訪れました。

聖マリア学院大学は、2006年に設立された看護師、助産師、保健師を養成する大学で、助産学専攻の修士課程を設置されています。隣接地に社会医療法人雪の聖母会が運営する聖マリア病院があります。カトリック学校であり、またカトリック病院ですが、修道会や教区が創設したのではなく、信徒の方の努力によって現在のような巨大グループに育て上げられた諸施設です。(上の写真は聖マリア病院受付ロビーのステンドグラス)

原点は大正時代に設立された井手内科医院にあるとのことですが、現在の病院は戦後の1953年に聖マリア病院として始まり、その後結核療養を目的とした病院が設立され、様々な発展を経て現在は総合病院として地域の医療に貢献しておられます。また大学は1973年に看護学校として始まり、86年には短期大学、そして2006年には四年制の大学となっています。

今回私は教職員の方の定例の春の研修会で話をするように学院長の井手信先生から依頼をいただいたのですが、そのテーマが「キリスト教精神に基づく『グローバル展開』とは」という壮大なものでありました。今回実際に出かけていって初めて知ったことでしたが、聖マリア学院大学も、聖マリア病院も、以前から国際展開に広く挑戦され、政府開発援助の技術援助でJICAプロジェクトに専門家を派遣したり、またNPO法人を設立して、実際に途上国での医療支援に当たってこられています。また大学の生徒さんたちには、東日本大震災の被災地におけるカトリック教会のボランティアベースで活躍してくださった方も多くおられ、カリタスのボランティアとしての体験も豊富です。その意味で、今更私がお話をしなくてもなどとも感じましたが、こういった活動がいわゆるNGOとカトリック教会のそれと、いったい何が異なるのかについて、教会の普遍性とイエスの宣教命令の視点からお話しさせていただきました。

教会が普遍である、すべてにおよぶということ、つまりカトリック的であるということの本質は、単に金太郎飴のようにどこでも同じことが形式として存在するという、目に見える点にはありません。それは教会におけるキリストの現存を根拠にしています。すべての人の救い主であるキリストがそこに現存しているからこそ、教会はすべてにおよぶ。だからこそ、対話という形を取りながら、国境や文化の違いを越えて宣教がなされていきます。神の似姿として創造された人間は、すべからく神から愛されている良い存在であり、だからこそすべての人が三位一体の神のいのちの交わりに与るように招かれている。そのことが、教会の普遍性の根本にあります。ですから国境を越えて文化の違いを超えて、最も助けを必要としている人たちのもとへ、また、より弱さのうちにある人たちのもとへ、神の愛を運んでいく業に務めるのが、普遍教会の本質的ありようです。

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昨日は研修会で2時間お話をさせていただいて、その後ミサとなりました。研修会の参加者とともに、近隣の信徒の方も参加してくださいました。ミサは、かつて福岡の大名町教会に建っていたという聖堂を、聖マリア病院の正面玄関横に移設した、雪の聖母聖堂で行いました。聖堂の隣にはルルドもあります。病院を訪れる人たちが、まず目にするのが教会であるようにと、この場所に移設されたと伺いました。煉瓦造りの美しい聖堂(上の写真)です。研修会参加者の皆さんと、また病院を訪れるすべての方々に、聖母マリアの取り次ぎによって、祝福といやしが与えられるように、ミサの中で皆で祈りました。

ミサでは、ちょうど20年前、1995年4月11日の私の体験をお話しさせていただきました。私のカリタスジャパンでの様々な活動の最初の体験であり原点です。当時ザイールのブカブ郊外にあったルワンダ難民キャンプで、その日の夜10時から12時過ぎまで、武装集団による襲撃事件に遭遇しました。大きな爆発音に始まり、銃を撃つ音、爆発音、叫び声、足音、血を流して我々の泊まっていたキャンプ隣接の司祭館に逃げ込んでくる人たち。外では銃弾が花火のように飛び交い、空気をつんざく音があちらこちらに響いていました。30名以上の難民が射殺され、200名近くが負傷しました。武装集団が引き上げてからが大変でした。けが人を治療しようにも、クリニックの薬品倉庫が吹き飛ばされていたからです。

そんな銃撃戦の中、一緒に司祭館に泊まっていたルワンダ人司祭が、弾の飛び交う外に出て行ったのです。イタリア人司祭が彼を連れ戻してきて、私の隣に来たので、なぜかを問いました。すると彼は、「武装集団は難民のリーダーを殺害にきたのだ。私もリーダーの一人だから、このままだと彼らはこっちにもやってくる。そうなると君たちに迷惑がかかるから、自分は早く見つけられるように、外に立っていた」というのです。

すぐに『友のために生命を捨てる。それ以上の愛はない』という言葉が頭に浮かびました。同時に、彼の言うとおりに武装集団がここまで来たらどうしようとも思いました。そして、司祭としてそれまでに何度も『友のために生命を捨てる。それ以上の愛はない』と説教してきていたにもかかわらず、その『どうしたらよいのだろう』という心の逡巡は決意に達しませんでした。そのときつくづく思いました。口で信仰を語ることはたやすいが、そんなものはいざというときには役に立たない。いざというときに信仰に生きるためには、何もない普段から、本当に心を鍛えておかなくては、生命がかかったときに役には立たない。

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今日は新潟に戻る前に、聖マリア病院を見学させていただきました。すばらしい施設が整った、本当に大きな病院でした。救急病棟では屋上にあるドクターヘリ対応のヘリポートも見学させていただきましたし、またホスピス病棟も訪問させていただきました。病院の職員の皆様、ありがとうございます。

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2015年4月16日 (木)

「秋田の聖母の日」巡礼へのお誘い@聖体奉仕会

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昨年から、新潟教区の祈りの場のひとつである秋田市の聖体奉仕会において、9月の二日間に「秋田の聖母の日」を開催しています。今年の「秋田の聖母の日」は、2015年9月14日(月)と15日(火)に開催される予定です。

これは信仰年にあたってローマ教区が開催した聖母マリアとともに祈りを捧げる特別企画において、秋田の聖体奉仕会も巡礼所の一つとして、衛星中継のロザリオの祈りに参加させていただいたことから考えられたもので、ちょうど9月15日が「悲しみの聖母」の記念日に当たることから、「主の十字架の限りない愛を讃え、悲しみの聖母とともに祈る二日間」として企画されました。

聖母マリアは、イエスの十字架上での受難と死に直接立ち会われることによって、主の救いの業に参与されました。主が私たちの救いのために様々な苦しみを耐え忍ばれたように、聖母マリアの生涯も多くの苦しみによって彩られています。その中にあって聖母マリアは、主と苦しみをともにしながらも、救いへの希望を見いだし、喜びのうちに神の道を生きる模範を示しておられます。二日間の祈りの時をともにすることによって、私たちも現代社会の中で、様々な苦しみを耐え忍びながら、神の道を生きる喜びを見いだすことが出来るよう、聖母の取り次ぎを祈りたいと思います。喜びに満たされて福音に生きてこそ、その福音を私たちの生きる姿をもって証しすることが出来るからです。

今回の「秋田の聖母の日」は、事前の調整が出来ましたので、私も参加いたします。同時に、この二日間に合わせて、東北を巡る巡礼も計画しています。ちょうど巡礼旅行のパンフレットができあがってきたので、お知らせいたします。教区内の小教区には届いているかと思います。

9月14日と15日に聖体奉仕会にて「秋田の聖母の日」に参加した後、岩手県の宮古へ移動。翌16日には岩手県の被災沿岸部にて大震災の被災者のために、また復興のために祈りを捧げるため、田老、釜石、気仙沼などを訪問します。そして最終日の17日は大籠キリシタン殉教地、米川教会などを訪問し、仙台からの新幹線で東京には夕方7時頃に到着解散の予定です。

9月14日から17日までの巡礼旅行に参加ご希望の方は、パラダイス社の村上さんまでお問い合わせください。信徒の方の旅行社です。電話は045-580-0023。Faxは045-580-0024です。四日間で138,000円の予定です。

なお「秋田の聖母の日」のみの参加ご希望の方は、直接、秋田の聖体奉仕会にお問い合わせください。お申し込みは葉書に、お名前、電話、教会(信徒の方は)、人数をご記入の上、〒010-0822 秋田市添川湯沢台1 聖体奉仕会へご送付ください。なお「秋田の聖母の日」の参加費は1,000円。食事や宿泊は各自での手配になります。

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ところで毎年5月頃に恒例となっている新潟の「月曜会」の聖体奉仕会巡礼ですが、今年は、今のところ、6月9日(火)と10日(水)に予定しています。こちらは新潟教会などの月曜会メンバーに直接お問い合わせください。月曜会のメンバー以外でも参加は可能ですが、基本的に新潟教区の信徒の方限定の巡礼です。もちろん私も同行します。

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2015年4月13日 (月)

日本カトリックボランティア連絡協議会@南三陸町

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日本カトリックボランティア連絡協議会(以下「カトボラ」)の第12回総会が、宮城県南三陸町の研修センター「いりやど」を会場に、11日の土曜日と12日の日曜日に開催され、地元と全国から60名を超える方が参加されました。

カトボラは、1978年頃に、「カトリック・ボランティア」について考えようと有志が集まって始まり、1981年3月に、名古屋の愛の実行運動事務局主催で、「第一回カトリックボランティアリーダー交流会」が東京で開催され、いまにつながっています。3年に一度の総会が開催され、私は前々回の新潟大会から、担当司教を務めております。2000年12月には日本カトリック司教協議会の公認団体となり、名称に「日本カトリック」がつくことになりました。

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今回は、2011年3月11日の震災直後から、カトボラ会長の廣岡洋子さんらが中心となって、関西からボランティアを引き連れ支援活動を始め、その後も交流がつづいている南三陸町で行われました。テーマを「痛み・祈り・喜びー災害と共に生きる」として、被災地の方々と歩みをともにする中で、カトリックボランティアの原点を見つめ直すことを目的として開催されました。

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基本的にすべて自発性と無償性で活動を行う団体ですから、若い年代の会員は少なく、今回の会議でも参加者の平均年齢は高かったと思います。しかしその分、活動は徹底した人間関係の構築を基礎にして行うので、一点集中で大きな力を発揮していると感じました。

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それは今回の会場となった南三陸町の、南三陸さんさん商店街での、地元の店舗開設者の方々との交流の深さからも、感じ取ることが出来ました。ボランティアという概念が広く浸透しているいま、「カトボラ」が、カトリック教会のすべてのボランティアを網羅する団体ではありませんが、しかしカトリック教会のとってのボランティアの基本はどこにあるのかをあらためて考えさせる理念を発信できる場であると思います。

さて今回の大会には、仙台教区の平賀司教、小松事務局長も参加してくださり、初日は、教育の現場から、外国人の立場から、そして原発災害被害者の立場から、三名の方の発題があり、その後、地元の小学校の教頭先生や校長先生も交えて、子供たちの現状について、パネルディスカッションが行われました。

日曜日は全体会として参加者が発言し、最後に次回の開催地として大分教区、また会長代行をおくことや、事務局を名古屋から徐々に関西に移設することなどが報告されました。

最後に平賀司教司式で派遣ミサ。私が説教させていただきました。ミサ終了後は、参加者全員、近くの南三陸さんさん商店街に出かけ、昼食を始め様々二時間を過ごして解散。

今回も会長の廣岡さんの年齢を感じさせないダイナミックさに感銘を受けた大会でした。

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2015年4月 8日 (水)

新潟清心女子入学式@新潟

 復活の月曜日、4月6日の午後1時半から、新潟市内にある新潟清心女子中学高校で、入学式が行われました。新潟清心女子は、新潟県内で唯一のカトリック学校であり、さらに聞くところでは唯一の女子校であるとか。生徒のために寮が設置されているのも特徴です。新潟教区全体(新潟、山形、秋田)をみても、カトリックの中学高校は、あとは秋田聖霊があるだけですから、教区にとっては貴重な存在です。

数年前にそれまで運営母体であったナミュール・ノートルダム修道女会が撤退され、地元の経済界の方々を中心にして学校法人が設立され経営を引き継いでくださいましたが、いまに至るまでカトリック校としてのアイデンティティをしっかりと保つ努力をしてくださり、宗教の授業もこれまで通りに継続されています。私を始め近隣の司祭も定期的にミサに訪れたり、教区司祭も非常勤で宗教の授業に関わっております。私自身も法人の理事として務めさせていただいております。

全体としてみれば小規模な生徒数の学校ですが、そのぶん、きめの細かい指導が行き届いているのではないでしょうか。今年から制服も新しくなりました。入学式の模様は、同校のホームページに写真付きで紹介されています。どうぞご覧ください。新入生の誓いの言葉は、中学高校ともにとても立派で希望を感じさせるものでしたし、在校生代表の歓迎の言葉は、この学校の教育が心を豊かにはぐくんでいることを感じさせる暖かいものでした。また新しい制服の紹介はこちらのリンクです。

4月7日火曜日には、そのもう一つのカトリック高校である秋田聖霊高校で入学式があったのですが、移動の関係で時間的に無理があり、出席できませんでした。申し訳ない。秋田聖霊に入学された皆さん、おめでとうございます。

なお、聖週間の説教を私のホームページに掲載しました。ご覧ください。

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2015年4月 5日 (日)

御復活の主日@新潟教会

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雨模様の少し肌寒い日曜日となりました。新潟では桜もやっと咲き始め、満開まではまだ時間がかかるようで、やっと冬を抜け出して春に移り変わろうとしている時期です。

愚図ついた天気にもかかわらず、昨晩洗礼を受けられた3名とその御家族を始め、今日の新潟教会聖堂はミサに参加する方でいっぱいでした。皆さん、主の御復活本当におめでとうございます。

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ミサの後には信徒会館ホールで復活の祝賀会。これまた、近年まれに見る大勢の参加者で、二階ホールもいっぱいになりました。いつも以上に子供さんの参加が多かったように感じます。なんと言っても普段は、子供の声をほとんど聞くことがないのが、新潟教会ですから。洗礼を受けられた方のご家族・ご親戚は、北海道、静岡、長崎などからも集まられ、本当に大勢で受洗の喜びを分かち合いました。

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また今日は、これまた新潟教会では珍しく、シスターの姿が。受洗された方のご親戚のシスターと、それとは関係なく、たまたま要務のあとに立ち寄ってくださったイエスのカリタス会(昔の宮崎カリタス会)の3名の「若い」シスターたち。昨日は糸魚川教会で復活徹夜祭に参加されたそうで、東京から自動車を運転してこられたとか。3名は召命募集チームでもあり、元気に挨拶をし歌を披露してくれました。さすが上手でありました。

今日の第一朗読は、復活の体験を通して力強い福音宣教者に変えられた使徒ペトロの姿を描いています。私たちはこの数日の典礼を通じて、この同じペトロが、いかに情けない姿をさらしてしまったのかを耳にしてきました。もちろんそれはペトロに固有の『情けなさ』ではなく、人間の本質です。口では偉そうなことを言っていても、大きな恐怖に直面するとき、あれほど慕っていた先生のことでさえも『知らない』と裏切ってしまうペトロ。心の闇の中で、不安と悲しみにさいなまれていたことでしょう。

ところがそのペトロは、その後まもなく大きく変わります。ヨハネ福音は、まだ理解していないペトロの様子を描きますが、復活の朝にこの話をもってくることによって教会は、復活の出来事が、単に死人が息を吹き返したのではないのだということを強調します。イエスの復活は、私たちが想像もつかない全く新しい生命への蘇りであって、殺されたイエスが息を吹き返した話ではありません。その証左に、復活を表現するのに福音は、あえて『空(から)の墓』の話を用います。それまでのイエスとは全く異なる存在となったことを明確にするためです。

そのイエスと出会ったペトロは、恐れと悲しみの闇のうちから解き放たれて、喜びと希望に満ちあふれながら、光の福音を伝える宣教者となったのです。人間を180度大きく変える偉大な力。しかも悲しみの淵にある者を希望にあふれた者へと変革する力、それが復活の栄光です。

昨夜の復活徹夜祭で、3名の女性が洗礼を受ける姿を目の当たりにしました。新しく教会の一員として生きることになった3名の方は、私の目の前で、本当に喜びに満ちあふれる表情をしていました。もちろん典礼的な意味もありますが、復活祭に洗礼式を行うことの意味がここにもあると、そのとき感じました。それまでの自分に死んで、新しい生命に生きる喜びに満たされた人を目の当たりにすることで、福音の力、喜びと希望の力を目の当たりにし、自らもそれに与りたいと感じさせてくれる。そのためにこのとき、洗礼式が行われる意味があるのだなと、感じました。私たちも喜びに満たされ、希望を掲げて、福音をあかししていきたいと思います。

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ミサの最後には恒例の、復活の卵の祝福も行いました。教会の皆さんが、昨日一生懸命にたくさんの卵を用意してくださいました。

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2015年4月 4日 (土)

3名の方が受洗@復活徹夜祭@新潟教会

主イエスの復活、おめでとうございます!

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新潟教会では、午後7時から復活徹夜祭でした。すべてが終了したのは9時近くでしたから、今日は2時間近くかかった典礼でありました。

いつもの通り、正面玄関で火の祝別とろうそくの祝別。『キリストの光』は主任のラウル師が三回歌い、復活賛歌は助任のナジ師が歌いました。

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今日のミサ中には、3名の女性が洗礼を受けられました。(まだ本人確認してないので、正面からの写真は未掲載)成人洗礼ですから、洗礼に引き続いて堅信の秘跡も。

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洗礼に先立って洗礼の水の祝福があります。儀式書には、祈りの言葉の途中から歌うように旋律がついています(現行の儀式書は、高田先生が考案された、典礼書の縦書き文章の左右に黒点で何度上がり下がりするかわかるようになっているものです)。今回はしっかりと歌いました。その途中で復活のろうそくを水につけるところもあります。これも今回は忘れずにしっかりと。

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洗礼を祝って全国各地から受洗者の親族や関係者が参加してくださり、新潟教会の夜の典礼としては、いつもより遙かに多い参加者でした。

洗礼と堅信を受けられた三人の方、本当におめでとうございます。そしてこれからも教会共同体の一員として、活躍されますように。そして皆様、あらためて、復活おめでとうございます。

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聖金曜日@新潟教会

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昨日は聖金曜日でした。この日にはミサが行われません。厳密に言えば、聖土曜日の夜に行われる復活徹夜祭は、日没後なので翌日の典礼ですから、聖土曜日にもミサはありませんが、感覚的には1年で一度だけミサのない日が聖金曜日です。午後3時からは、十字架の道行きが行われ、多くの方が参加してくださいました。そして夜7時からは主の受難を黙想する聖式です。

新潟教会では、聖週間の典礼の中で、聖金曜日だけは主任司祭に司式をお願いしてきました。昨晩は主任司祭のラウル師が司式。助任のナジ師が一緒に執り行い、私は会衆席から参加いたしました。

典礼は前日の主の晩餐のミサの終わりから引き続き、すべての装飾が取り払われた祭壇で始まります。最初の挨拶の言葉もなく、司祭は床にひれ伏してしばらく祈り、招きの言葉(祈りましょう)も言わずに、集会祈願を唱えます。

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その後、旧約と新約の朗読があり、ヨハネの福音による主の受難が三名で朗読されます。いつ頃からなのかは記憶がないのですが、十数年前から、会衆も声を合わせて朗読に参加することになり、例えば『十字架につけろ』などと声を出します。何となく心に重くのしかかるかけ声です。そう叫びながら、歴史の過去の瞬間でなく、いまの私自身の生活の至らない点が、まさしく主を十字架につけているのだと思い知らされます。完璧ではない私たちの犯す様々な罪は、まさしく主を十字架につけよと叫ぶ声なのです。

説教の後に、盛式共同祈願が行われます。普段の共同祈願と異なり、招きの言葉の後に、司祭がそれぞれの祈願を唱え、皆でアーメンとこたえます。

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引き続いて十字架の崇敬式。『見よ、キリストの十字架、世の救い」は、復活徹夜祭の『キリストの光』と同様、三回繰り返しますが、歌う場合そのたびに音程が一度ずつ上がっていきます。これがなかなか難しい。特に以前は、完全に鳴り物禁止だったので、最初の音を高くしすぎると、三回目が高すぎて歌えないなんてこともありました。近頃はオルガンで音出しをするようになったところも多いと思います。昨日の新潟教会もそうでしたが、十字架をもったナジ師は、緊張のためかオルガンよりもかなり低く歌い始め、『ともにあがめたたえよう』を歌って答える音程がメロメロになっておりました。

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その後全員が列に並んで十字架の崇敬。これも以前は、十字架の前に到達するまで三回お辞儀をすることが慣例でした。昔、私が子供の頃は、侍者二人で跪き、十字架を支えて、皆さんの礼拝が終わるのを待っていたものですが、人数が多いと膝は痛い、寒い、ついでに身を乗り出して接吻する方も結構おられたので、この侍者担当はなかなか苦行でした。

そして最後は聖体拝領。拝領祈願をもって、再び挨拶も祝福も何もなしで、静かに聖金曜日の典礼は幕を閉じます。

今夜はまた7時から、新潟教会で復活徹夜祭。洗礼式も予定されています。教区内の諸教会でも、今夜、または明日、洗礼式が行われることでしょう。新しく洗礼を受けられ、共同体の一員となられる皆さん、おめでとうございます。これからの信仰生活のために、神様からの祝福を祈ります。

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2015年4月 2日 (木)

聖木曜日主の晩餐@新潟教会

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聖なる三日間が始まりました。聖木曜日は主の受難、死、そして復活という私たちの信仰の根幹となる出来事の始まりである主の晩餐を思い起こす日です。そしてこれらの出来事は連続して起こったのですから、それを記念する典礼も、今夜から始まって復活徹夜祭まで連続しています。今日のミサには派遣の祝福がなく、明日の典礼には始まりの挨拶も派遣の祝福もなく、そして復活徹夜祭は始まりの挨拶もなしに始まります。

新潟教会の主の晩餐のミサは、今夜7時から始まりました。ミサは毎日繰り返し行われていますが、その中でも聖木曜日の主の晩餐のミサは、まさしくイエスが万感の思いを込めて聖体の秘跡を制定された、その偉大な愛の業を思い起こす特別なときです。2000年前のあの一瞬の過ぎ去るときだけではなく、聖体において現存されることによって、主は世の終わりまで私たちとともにおられ、霊的糧で私たちを常に養ってくださいます。聖体の秘跡を通じて主は、最後の晩餐の席で弟子たちに伝えたかった思いを、時を超えて私たちにも直接伝えておられます。

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その席で主は弟子たちの足を洗われました。先生が弟子の足を洗うという行為は、弟子たちにとって衝撃的な出来事であったと思います。常識を覆す行動でした。しかし人間は、衝撃を受けるような体験を忘れることはありません。しっかりとそれを心に刻み込みます。イエスが足を洗おうとしたとき、ペトロはそれを拒否しようとします。『私の足など、決して洗わないでください』。そういったペトロにとって、尊敬すべき先生が、弟子の足を洗うなどと言うことは非常識きわまりない行動だったのでしょう。しかしそのペトロの言葉に対してイエスは、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもないことになる」と諭します。

イエスに足を洗ってもらわないと、イエスと何の関わりもないものとなってしまう。つまりそれまでの3年近いイエスとの生活の中で、弟子たちが自ら耳にし、目の当たりにし、体験したイエスとの出会いは、足を洗われなければ完成しないのです。仕えられる者ではなく、互いに仕える者となるその謙遜の姿勢、生き方にこそ、イエスの教えの基礎があるのです。

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今夜のミサは、近年の少子高齢化の傾向によって、新潟教会でも平日夜の典礼に集まることが難しくなっている現実を反映して、いつもの日曜日より少ない参加者でした。それでも6名の男性が、洗足式のために前に出る程度には、集まってくれました。洗足式を通じて、あの晩の弟子たちの思いに心をはせたいと思います。そしてこれから起こる受難を前にして、すべての集大成として弟子の足を洗うイエスの思いにも心をはせたいと思います。その弟子たちとイエスの思いを、私たちはいま生きるキリスト者として受け継いでいるでしょうか。

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聖体拝領のあと、御聖体に献香し、小聖堂まで行列しました。小聖堂に安置された御聖体の前でタントゥム・エルゴを歌い、今宵の典礼は終わりました。その後、9時過ぎまで、聖体の前で個人的に祈りを捧げる聖体礼拝の時がもうけられました。

明日は午後3時から十字架の道行き、午後7時から聖式です。また聖金曜日は、大斎・小斎の日です。(こちらの中央協HPを参照

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