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2015年4月18日 (土)

聖マリア学院大学で研修会@福岡・久留米

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福岡県の久留米市にある聖マリア学院大学から、教職員の研修会で話すようにと依頼をいただきましたので、昨日から今日にかけて、久留米へ出かけてきました。久留米は初めて訪れました。

聖マリア学院大学は、2006年に設立された看護師、助産師、保健師を養成する大学で、助産学専攻の修士課程を設置されています。隣接地に社会医療法人雪の聖母会が運営する聖マリア病院があります。カトリック学校であり、またカトリック病院ですが、修道会や教区が創設したのではなく、信徒の方の努力によって現在のような巨大グループに育て上げられた諸施設です。(上の写真は聖マリア病院受付ロビーのステンドグラス)

原点は大正時代に設立された井手内科医院にあるとのことですが、現在の病院は戦後の1953年に聖マリア病院として始まり、その後結核療養を目的とした病院が設立され、様々な発展を経て現在は総合病院として地域の医療に貢献しておられます。また大学は1973年に看護学校として始まり、86年には短期大学、そして2006年には四年制の大学となっています。

今回私は教職員の方の定例の春の研修会で話をするように学院長の井手信先生から依頼をいただいたのですが、そのテーマが「キリスト教精神に基づく『グローバル展開』とは」という壮大なものでありました。今回実際に出かけていって初めて知ったことでしたが、聖マリア学院大学も、聖マリア病院も、以前から国際展開に広く挑戦され、政府開発援助の技術援助でJICAプロジェクトに専門家を派遣したり、またNPO法人を設立して、実際に途上国での医療支援に当たってこられています。また大学の生徒さんたちには、東日本大震災の被災地におけるカトリック教会のボランティアベースで活躍してくださった方も多くおられ、カリタスのボランティアとしての体験も豊富です。その意味で、今更私がお話をしなくてもなどとも感じましたが、こういった活動がいわゆるNGOとカトリック教会のそれと、いったい何が異なるのかについて、教会の普遍性とイエスの宣教命令の視点からお話しさせていただきました。

教会が普遍である、すべてにおよぶということ、つまりカトリック的であるということの本質は、単に金太郎飴のようにどこでも同じことが形式として存在するという、目に見える点にはありません。それは教会におけるキリストの現存を根拠にしています。すべての人の救い主であるキリストがそこに現存しているからこそ、教会はすべてにおよぶ。だからこそ、対話という形を取りながら、国境や文化の違いを越えて宣教がなされていきます。神の似姿として創造された人間は、すべからく神から愛されている良い存在であり、だからこそすべての人が三位一体の神のいのちの交わりに与るように招かれている。そのことが、教会の普遍性の根本にあります。ですから国境を越えて文化の違いを超えて、最も助けを必要としている人たちのもとへ、また、より弱さのうちにある人たちのもとへ、神の愛を運んでいく業に務めるのが、普遍教会の本質的ありようです。

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昨日は研修会で2時間お話をさせていただいて、その後ミサとなりました。研修会の参加者とともに、近隣の信徒の方も参加してくださいました。ミサは、かつて福岡の大名町教会に建っていたという聖堂を、聖マリア病院の正面玄関横に移設した、雪の聖母聖堂で行いました。聖堂の隣にはルルドもあります。病院を訪れる人たちが、まず目にするのが教会であるようにと、この場所に移設されたと伺いました。煉瓦造りの美しい聖堂(上の写真)です。研修会参加者の皆さんと、また病院を訪れるすべての方々に、聖母マリアの取り次ぎによって、祝福といやしが与えられるように、ミサの中で皆で祈りました。

ミサでは、ちょうど20年前、1995年4月11日の私の体験をお話しさせていただきました。私のカリタスジャパンでの様々な活動の最初の体験であり原点です。当時ザイールのブカブ郊外にあったルワンダ難民キャンプで、その日の夜10時から12時過ぎまで、武装集団による襲撃事件に遭遇しました。大きな爆発音に始まり、銃を撃つ音、爆発音、叫び声、足音、血を流して我々の泊まっていたキャンプ隣接の司祭館に逃げ込んでくる人たち。外では銃弾が花火のように飛び交い、空気をつんざく音があちらこちらに響いていました。30名以上の難民が射殺され、200名近くが負傷しました。武装集団が引き上げてからが大変でした。けが人を治療しようにも、クリニックの薬品倉庫が吹き飛ばされていたからです。

そんな銃撃戦の中、一緒に司祭館に泊まっていたルワンダ人司祭が、弾の飛び交う外に出て行ったのです。イタリア人司祭が彼を連れ戻してきて、私の隣に来たので、なぜかを問いました。すると彼は、「武装集団は難民のリーダーを殺害にきたのだ。私もリーダーの一人だから、このままだと彼らはこっちにもやってくる。そうなると君たちに迷惑がかかるから、自分は早く見つけられるように、外に立っていた」というのです。

すぐに『友のために生命を捨てる。それ以上の愛はない』という言葉が頭に浮かびました。同時に、彼の言うとおりに武装集団がここまで来たらどうしようとも思いました。そして、司祭としてそれまでに何度も『友のために生命を捨てる。それ以上の愛はない』と説教してきていたにもかかわらず、その『どうしたらよいのだろう』という心の逡巡は決意に達しませんでした。そのときつくづく思いました。口で信仰を語ることはたやすいが、そんなものはいざというときには役に立たない。いざというときに信仰に生きるためには、何もない普段から、本当に心を鍛えておかなくては、生命がかかったときに役には立たない。

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今日は新潟に戻る前に、聖マリア病院を見学させていただきました。すばらしい施設が整った、本当に大きな病院でした。救急病棟では屋上にあるドクターヘリ対応のヘリポートも見学させていただきましたし、またホスピス病棟も訪問させていただきました。病院の職員の皆様、ありがとうございます。

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