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2015年8月 7日 (金)

広島へ巡礼@2015年平和旬間始まる

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日本のカトリック教会は,広島に原爆が投下された日である8月6日から,長崎に同じく原爆が投下された8月9日を経て、太平洋における第二次世界大戦の終わりとなる終戦記念日である8月15日までの10日間を、「平和旬間」と定めています。

新潟教区では、すでに7月最後の日曜日に,平和を考える講演会と平和祈願ミサを新潟教会で開催しましたし,また各地区でも,平和を祈願するミサや行事が行われています。また平和旬間にあたって、司教協議会会長や社会司教委員長名でメッセージを出すことを通例としていますが、今年は戦後70周年の節目の年と言うこともあり、すでに2月の司教総会の折に司教団としての平和メッセージを発表しております。(そのメッセージはこちらのリンクです

毎年この時期には、広島教区と長崎教区において、それぞれ平和行事が企画されてきています。新潟からはどうしても距離があるので、実際に参加することは難しいところです。しかし今年はその70周年と言うこともありましたから、8月5日の夕方に開催されている集いを司教団主催として、日本の司教が全員でその場に集まり、平和のために祈ることを企画しました。

そしてこの企画には、日本の聖公会の主教様たちも賛同してくださり、8月5日に行われる広島のカテドラル世界平和記念大聖堂での祈りの集いを共催することにしました。

加えて戦後70年の平和巡礼として来日されていた世界教会協議会(World Council of Churches)のリーダーの方々7名も一緒に祈ってくださることになり、WCCのVice Moderatorである米国メソジスト教会のSwenson司教が平和メッセージをくださることになりました。

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日本のカトリック司教団のほぼ全員と、日本聖公会の主教会全員は、まず8月5日の夕方5時半に、平和公園の原爆供養塔の前に集まり、カトリックと聖公会の合同プログラムとして祈りを捧げました。カトリックの前田大司教(大阪)と聖公会の植松首座主教(北海道)のお二人の挨拶につづいて、教皇大使や岡田大司教も加わって、供養塔に献水。その後一緒に歌で祈り、6時頃から世界平和記念聖堂に向けて、参加者全員で平和行進を行いました。行進中は「アーメン・ハレルヤ」と「ウォーク・イン・ザ・ナイト」を交互に合唱。暑い夕方でしたが、行進の大半はアーケードの屋根の下でしたので、それほどの厳しさでもなく助かりました。

そして7時から世界平和記念聖堂で祈りの集い。シンボルとして「平和の灯」がランタンにともされて運ばれてきました。平和記念公園で1964年8月1日に点火されてから燃え続けている火です。祭壇前にはカトリックの司教が18名。聖公会の主教が12名並びました。カトリック側には、日本の司教団に加え、教皇大使、米国カトリック司教協議会国際正義と平和委員会議長のオスカー・カントゥ司教、ゲルニカ出身のスペインはビルバオ教区のマリオ・イセタ司教、そして韓国済州島の姜司教。聖公会側にもソウルの金主教。そして平和メッセージをくださった米国メソジストのスェンソン司教。さらに平和の灯のランタンを掲げて入場くださった三名のチベット仏教僧。

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諸聖人の連祷のあと福音が朗読され、平和メッセージ、そして奏楽がいくつかあった後、三名のチベット仏教僧がダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォによる「真実の請願文」と題された声明で祈ってくださいました。2008年には教皇ベネディクト16世の復活メッセージでの呼びかけに応えて、教会は中国政府に対してチベットへの宗教弾圧を止めるようにアピールをしたこともありますし、聖座は現在でも中国国内における信教の自由に、大きな関心を寄せ、世界の信徒に常々祈るように呼びかけています。もちろん中国国内には多数のキリスト者がおり(その現状は、2007年の情報ハンドブックに詳しく現状は変化があるものの基本的構造は変化がありませんので、リンクからご参照ください)、教会としてはいわば「人質」をとられている状況ですから、その対応には難しいところがあります。他国の司教団は、基本的に自らのテリトリー外の外交的問題は、聖座の指示がない限り発言できませんし(いわゆる、バチカンマターです)、いたずらに兄弟姉妹を危険にさらすような行動も慎まなくてはなりません。中国共産党の宗教政策や、本来はお家芸であるはずの「民族自決権」を無視するような政策には、教会はまったく同調することが出来ませんが、同時に、そこにいる多くのキリストを信じる人たちのこと、また宗教に生きる人たちの日々のことにも思いをはせなければならないので、非常に微妙で複雑な、しかし重大な「平和」の課題のひとつです。そのため声高に語らないまでも、祈りのうちに忘れずにあることは大切であると思います。

翌朝、8時からは、平和のためのミサが捧げられました。同じ時間にすぐ近くにある聖公会の広島復活教会では、聖公会の主教会によって平和を祈る聖餐式が行われていました。

ミサは入堂行列を行わず司教団と司祭団は8時前に着席して、15分間の黙想の時を過ごします。そして原爆が投下された時刻である8時15分に、市内の様々な鐘などと一緒に聖堂の鐘が鳴らされ、沈黙のうちに亡くなられた方々の永遠の安息を祈り、グレゴリアンのレクイエムを唄ってミサが始まりました。司式は大阪教会管区の前田大司教(広島教区司教は現在空位)。説教はイエズス会の林神父。その間、教皇大使は平和公園で開催される公式行事に参加されていました。

ミサ終了後、米国のカントゥ司教から、米国司教団がこれまでどのように米国政府に対して核兵器の廃絶を働きかけてきたのか。そして現在の司教団は核兵器廃絶をどのように捕らえているのかについての講演がありました。さらに続いてスペインのイセタ司教からも、平和を生み出すためのヒントについて話がありました。

ここら辺ですでに11時過ぎ。私は夕方の飛行機で伊丹から新潟へ戻るため、お昼頃の新幹線で広島を離れましたが、私自身が参加できた以外にも、様々な行事がこの数日の間行われておりました。是非来年は、新潟教区からも参加されますように。暑い時期の野外でも催しもありますので、体力に自信のある方は是非、来年の平和旬間に、広島へ出かけられることをお考えください。

下の写真は、世界平和記念聖堂前にある聖ヨハネパウロ2世の胸像の前で。近くにいた青年に撮影していただきました。お名前も伺わずに失礼しました。

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