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2015年9月30日 (水)

新潟・さいたま合同司祭黙想会@中軽井沢

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恒例となっている新潟教区とさいたま教区の合同司祭黙想会が、中軽井沢の宣教クララ会黙想の家を会場に開催されています。新潟教区からは主に教区司祭団から11名ほど。さいたま教区からは教区司祭団と助祭団、そして宣教会などの司祭も合わせて26名ほどが参加。私と、さいたま教区管理者の岡田大司教は、木曜と金曜に司教の会議があるために、水曜日までの参加です。黙想会は月曜の夕方に始まり、金曜のお昼で解散です。

今回の黙想会は、指導者がイエズス会の柳田敏洋神父。長年、広島のエリザベト音楽大学で働かれた後、現在は東京で黙想指導をなさっておられます。

柳田敏洋神父は、ヴィパッサナー瞑想(マインドフル瞑想)の専門家で、今回はその瞑想の実践も行われています。お話のテーマは『キリスト教的ヴィパッサナー瞑想の効用』について。午前と午後の2度の講話の後には、十数分間の瞑想の実践と、そして食事の最中にも、この瞑想の実践が行われています。

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このヴィパッサナー瞑想が何なのかを説明するほど理解していませんが、修道会の修練士の頃に体験した自分の息に集中し、身体の様々な部位に集中し、そして自分の心の動きに気づいて行く黙想と似たところがありました。今ここにあるあるがままの自分を価値判断せずに受け入れ、感覚や感情や思考にとらわれない真の自己に到達する瞑想なのだとか。

「ヴィパッサナー瞑想」で検索されますと、様々なサイトに行き着きます。このリンクは、今回の黙想会でも印刷物で紹介された日本ヴィパッサナー協会のサイトです。柳田神父はこの瞑想に「意識を無償・無条件のアガペの愛の場に戻し、『今、ここ』の感覚・感情・思考と自分自身を切り離し、心の解放(心の自由と平和)を図る」という視点を取り入れ、キリスト教的な瞑想方法として確立されています。

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非常に興味深いお話であると同時に、これからも深めていくことができればと感じる数日間でした。

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2015年9月27日 (日)

堅信式@柏崎教会

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本日の日曜日、新潟県の柏崎教会で堅信式を行いました。7名の方がミサ中に堅信を受けられ、さらに二人の子どもたちが初聖体を受けました。堅信を受けた皆さん、そして初聖体を受けたお二人、本当におめでとうございます。

今日の第一朗読、民数記にはモーセの言葉として、「私は、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になれば良いと切望しているのだ」と記されていました。まさしく、堅信の秘跡を通じて聖霊を受けた信徒は、成熟した大人の信徒としての責任を果たしていかねばならないのですが、その責任の一つは、聖霊を受けたものとして預言者であることがあるのだと思います。

預言者は、よく言われることですが、未来を見通したりする「予言者」ではなく、読んで字のごとく、「神の言葉を預かるもの」です。聖霊に満たされることによって、私たちは神のみ言葉をお預かりします。その預かったみ言葉は、心の内に隠しておけば良いのではなく、旧約の預言者たちに倣って、人々の間であかしされていかなくてはなりません。ですから私たちは、堅信の秘跡を受けることを通じて、神のみ言葉をあかしして生きる責務を担うのです。

人々の前で語る言葉、行いを通じて、私たちは、神のみ言葉を語り、行っていくのです。そのためにも、神が私たちに、何を語るように、何をあかしするようにと託されているのか、見極めていく必要があります。

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今日の第二朗読には一つの方向性が示されています。使徒ヤコブは単に金持ちを戒めているのではなく、自分勝手に自分の思いだけを優先させて生きる生き方そのものを戒めています。

もちろん、教会の社会教説の重要な原理の一つである「富が万人のためにある原理」は、個人の所有権を認めつつも同時に、いかに正当に取得した富であっても自分自身だけのものと考えるのではなく、他者のためにも役立つもの、つまり共通善のために個人の富は存在するのだと説いています。ですから、この世界で生きる私たちは、教皇フランシスコが常々強調されるように、廃棄の文化ではなく、神のいつくしみと愛のうちに、すべての人が包み込まれる道を見いだすことが必要です。

ですから預言職は、自分勝手な独りよがりの思い込みを語りあかしするのではなく、つねにすべての人へ愛といつくしみを示そうとする神のやさしさ、思いやり、配慮、ゆるしを伝えあかしするものでなくてはなりません。

と同時に、神の愛といつくしみに包み込まれることは、心の安らぎを与えてくれるものの、だからといって甘えることを許しているわけではないことが、今日の福音に示されていました。これくらいなら許されるだろう。現実的に考えて、この福音のメッセージは夢物語だ。そういう妥協のうちに甘えるのではなく、明確な厳しさが主の教えのうちにあることも、心に留めておきたいと思います。

なお、今日は柏崎教会で、カトリック看護協会の新潟支部の集まりも行われていました。日本カトリック看護協会は、カトリック信徒の看護師、助産師、保健師などの加盟する全国組織です。ほかのカトリック全国組織でも同じですが(カトリック医師会もそうです)、近年は、若い専門職のカトリック者の加盟率が低下してきています。新潟教区も例外ではありません。新潟教区内に居住するカトリックの医療関係者には、それぞれの専門に応じた協会に加盟されることをおすすめします。

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2015年9月26日 (土)

ミサ典礼書総則講話@新潟教会

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今日の午後1時半から3時半まで、新潟教会を会場に、教区典礼委員会(責任者は高橋学神父)の主催で、ミサ典礼書総則講話が行われました。講師は日本カトリック典礼委員会の委員を務められるフランシスコ会の南雲正晴神父。今回の研修会には50名以上の方が参加くださいましたが、遠くは秋田教会から松本主任司祭と信徒の方、また山形地区からも鶴岡や山形教会から、さらには長岡や南の端の糸魚川教会の信徒の参加もありました。それだけ多くの方が、典礼について深い興味を持っておられると言うことは、素晴らしいことだと思います。

ミサ典礼書は、かつて第二バチカン公会議後に日本語に翻訳されて承認を得ていましたが、最低限に必要なものの翻訳であったため、翻訳されずに残された部分も多々あり、聖座の典礼秘跡省からは暫定的な使用許可をいただいていたものです。

完全な翻訳の必要性が言われ始めた80年代初頭は、いまだパソコンもなく、翻訳作業から訳語の照合などすべてが手作業でもあり、加えて専門家も少なかったことや、数少ない専門家でそのほかにも翻訳すべきことは多々あったため、作業は進みませんでした。

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南雲神父は典礼専門家として教育を受け留学を終えて帰国された86年頃から、日本カトリック典礼委員会の委員として活躍され、今に至るまで、こういった翻訳に関わってこられたいちばんの当事者です。

現在は、2002年に改訂後発行された第3版を使わなくてはならないため、いくつかの部分で、これまでの翻訳改定作業を見直さなければならないところが出てきました。これを現在典礼委員会の専門家チームが鋭意翻訳作業中ですが、聖座によるミサ典礼書全体の最終的認可を前に、ミサ典礼書の冒頭に掲げられている「ミサ典礼書総則」の翻訳には先に認可が下りたことから、この総則に定められている変更箇所を今年の待降節から先に取り入れることになったものです。今後、数年以内に聖座からミサ典礼書全体の認可が得られることになるとみられていますので、それへの移行に関してもスムースに進めるためにと決定されました。

ミサ典礼書については、実際に唱える言葉が聖座の指示で変更になるところがいくつか出てくるので、その対応に時間がかかると思われます。その前に、ミサの、特に基本的に司祭がミサを捧げる姿勢や動作、そして会衆の姿勢や動作の変更をスタートさせるものです。

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聖座が元々定めた総則には、教会共同体の一致のために動作を一致させる必要があることが指摘され、そのために各国の状況に応じて統一の動作を定めるようにと定められています。日本全国に800近くある小教区全体のことを考えて統一基準を定めることにはかなり難しい側面があるように思いますが、このたび日本では、ミサに与る動作を基本的に立つことと座ることの二つに統一するようにし、聖座の認可をいただきました。

ただしこれは、共同体全体のミサ典礼に関わることで、個々人や小グループが捧げるロザリオなどの祈りや種々の礼拝、または共同体としても聖体礼拝や聖体降福式、十字架の道行きなどには及ばないことですから、すでにお知らせしたとおり、新潟教区内においては、このためにせっかく存在するひざまずき台を撤去する必要などはありません。

なお聖体拝領に関しては、これとは別に指針が定められ、聖座の認可を受けてすでに公表されていますから、これまで通りその指針に従います。

南雲神父の今日の講話は、1時間半という時間では足りないくらい豊富なものでした。講話後には参加者からいろいろとたくさんの質問も出ましたし、高橋神父も講和後にさらに時間をとって南雲神父から深く学んだようです。単なる形式ではなく、その背後にある典礼神学の伝統と裏付けを知ることには、大きな意義があると感じるお話でした。いずれ日をあらためて、またお話をお願いしたいと思います。典礼に関しての学びは、私たちの信仰生活が共同体を基礎としている限り不可欠ですから、これからも教区全体を通じて、典礼への学びを深めていくように努力したいと思います。

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2015年9月24日 (木)

正義と平和全国大会@東京

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第39回目となる日本カトリック正義と平和協議会の全国集会・東京大会が、この連休中に開催されました。メインとなった会場はカテドラルの関口教会。それ以外にも、主に二日目となる火曜日に、四谷近辺でいくつもの分科会が開催されました。私はこの二日目と三日目に参加。

今回のテーマは、『戦後70年の今こそ、地上に平和を』とされていました。『地上に平和を』の部分は教皇ヨハネ23世の回勅『地上の平和』を意識したものだと思いますが、おりしも教皇フランシスコはキューバを訪問されたばかりです。これは教皇のイニシアチブで、バチカンが仲介役となり実現した米国とキューバの和解をより確固たるものとするために重要な訪問でした。そして教皇ヨハネ23世の回勅『地上の平和』も、1962年のキューバ危機にあたり、同じように和解の働きかけをしたことをうけて63年に発表されたものです。そのようなことも念頭に、世界の平和を教会の立場から考えるために、二日目の分科会は多種多様なテーマで開催されました。

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カリタスジャパンでは、この二日目に四谷で二つの分科会を開催しました。午前中には、幸田司教が担当する啓発部会が「自死と孤立」をテーマに、ワークショップを開催。30人以上の参加者がいくつかのグループに分かれ意見を交換。最後にそれを全体に分かち合いながら、取り組むべき課題を確認し合いました。

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午後からは同じ会場で、私が担当する援助部会が、「貧困と援助」をテーマに学習会を開催。こちらも30名ほどの方に参加頂き、私が世界の貧困問題と援助の課題について1時間半ほどお話をさせて頂き、その後、秘書の瀬戸神父から、実際の現場での話をさせていただきました。

一体どういう援助が本当に意味があるのか、有効なのか、するべきではないのか。具体的な質問もいくつか会場から頂きました。単により豊かな地域からより貧しい地域への資金の移譲だけではよりより解決には近づかないので、それ以上の、人間の心を「開発」する、アニメーションプログラムが重要ですが、これはこれで、目に見える尺度で成功を測るのが難しいのも現実です。またこちらの思いだけで勝手に相手側で何かを始めることもするべきではないことなので、やはり信頼に足る人間関係を築き上げることが重要ですが、その意味で、カリタスの組織は、世界中のカトリック教会をベースにしていますから、信仰における信頼関係の内に、より効果的なプログラムの展開が可能になると考えられています。

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大会の最終日である昨日は、社会司教委員会の現代世界憲章に関するシンポジウムが行われました。会場はカテドラルの関口教会聖マリア大聖堂。松浦司教の司会で、勝谷司教と私が、それぞれの立場から25分ずつ話し、その後、3人で意見交換をしました。

勝谷司教は正義と平和協議会の会長の立場で、教会の考える平和について、私はカリタスの立場から貧困撲滅と人間開発は平和を生み出す活動であることをお話しさせて頂きました。それこそ教皇ヨハネ23世の回勅「地上の平和」が冒頭で語るように、神の望まれる秩序の達成こそが平和の達成であり、そのためには、いわゆる基本的人権が確立されていなくてはならない。従って、人間の生きていく環境を改善し、より尊厳ある生活ができるようにする開発は、平和構築のわざであるというお話をさせて頂きました。

3人で話し合った箇所では、松浦司教から、「カリタスで働く原点は何か」というような質問がありました。

会場でお話ししましたが、私にとってはまず第一に、司祭叙階後8年間を過ごし、そのうち7年間主任を務めた教会での体験が原点です。それは西アフリカのガーナの山奥の教会でした。電気も水道もない村の教会で、7年間、ほぼひとりで働いていました。そのとき一緒に生活する中で体験した、アフリカの生活の厳しさと人々の置かれた状況、その歴史的背景や政治経済的現状が、その後のカリタスので活動に繋がっています。

さらに加えて、ガーナから帰国後すぐに、カリタスジャパンに依頼されて派遣された、当時ザイールにあったルワンダ難民キャンプでの2ヶ月半の体験は、私のその後の人生にとって大きな意味を持っています。とりわけ、キャンプ滞在中のある晩に、私たちが働いていた難民キャンプが夜間、2時間にわたって武装集団に襲撃され、銃撃戦の末に30名を超える難民が射殺され、200名近い負傷者が出たあの晩の体験は、大きな意味を持っていると思います。撃たれて血を流す難民の人たちが命からがら逃げ込んできた教会の司祭館の中で(壁がコンクリートなので弾よけのため多くが逃げ込んできた)、私自身も衝撃的な体験をしながら、空から降ってくる小型のロケット弾が、こちらに来たらおしまいだろうと、一時は死を覚悟しました。司祭館は小学校を挟んで難民キャンプのすぐ隣でした。夜でしたので、窓の外には夜空をつんざいて飛んでいく銃弾が、花火のように見えていました。一番最後には凄まじい爆音と共に、カリタスで関わっていたキャンプのクリニックの、薬品倉庫を爆破されました。けが人の治療を阻むためだと思われます。

あのキャンプで出会ったアフリカの多くの兄弟姉妹たち。なぜ人はこのような過酷な運命に翻弄されるのか。あそこで出会った子どもたち、果たして彼らはまだ生きのびているのか。このような状況に人を追い込まないために、何をすべきなのか。そんな体験が、私のカリタスでの活動の原点です。残念ながら同じような状況は、今でも世界各地で頻発しています。

聖マリア大聖堂はコンクリートの巨大な建物で、音響がかなり厳しい。響き渡ってはっきりと話しが会場に届かなかったようで、残念でした。

三日目の11時半から、岡田大司教の司式で派遣ミサが捧げられ、正義と平和協議会の全国集会は閉幕しました。ミサの説教は勝谷司教。ミサには、チェノットゥ教皇大使、韓国の正義と平和担当のラザロ・ユー司教、実行委員長の幸田司教、松浦司教、諏訪司教、そして私と8名の司教が参加したのに加え、東京教区内外から多くの司祭が共同司式に駆けつけました。準備にあたった皆様、本当にありがとうございます。

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2015年9月19日 (土)

悲しみの聖母記念日ミサ説教@聖体奉仕会

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9月14日15日に聖体奉仕会で行われた秋田の聖母の日。二日目の悲しみの聖母の記念日のミサでの私の説教をホームページに掲載しました。こちらのリンクからご覧ください

なお14日の講話については、原稿を起こさなくてはならないので、もう少し時間がかかります。それから写真は、13日に行われた秋田教会の堅信式ミサです。(秋田教会の信徒の方から提供いただきました)

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被災地巡礼の旅@岩手県

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何とも後味の悪い幕切れの国会における安保法案審議でした。教会は信仰の立場にたっているのですから、これまでと変わることなく、信仰に基づいた「神の平和」の実現を目指して、祈り続け語り続けるしかありません。

何度も繰り返しになりますが、このことはしつこいほど強調しておかなくてはなりません。すなわち、私たちのキリスト者が語る『平和』とは、そもそもどういう状況を指しているのかという問題です。

教会が語っている『平和』というのは、単に戦争がないことや、または『抑止力』と呼ばれる戦う能力の均衡によってもたらされる緊張感の内にあるバランス状態が保たれていることを指しているのではありません。さらには、世界の人がとりあえず仲良く生きているというような状態のことでもありません。教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を、次のような言葉で始め、教会が考える『平和』の意味を明らかにしています。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」

教会が語っている『平和』とは、神の定めた秩序が実現している世界のことであり、そもそも「平和」とは神が望まれる被造物の状態が達成され完成されている世界のありかたのことを意味しています。

そうであるならば、キリストの信仰に立脚する宗教者は、神の定めた秩序が乱される可能性があるときに、本来、私たちが選択するべき方向性とその究極の目的をしっかりと示すことが不可欠です。それが教会の信仰に立脚した倫理的つとめです。

その中でも最も重要なのは、神から与えられた最高の賜物である生命の尊厳に関わる選択に他なりません。生命はその始めから終わりまで、神から与えられた固有の尊厳がないがしろにされるようなことがあってはなりません。その意味で、宗教者の語る倫理的方向性は、現実社会にあっては極論として響かざるを得ません。倫理的方向性には、現実に対応した中途半端な選択はあり得ないからです。生命の尊厳を守るのか守らないのかの二者択一しかあり得ません。現実社会には、人間としての矜持と倫理的規範を保ちながらも、具体的な選択において、宗教者が語る方向性を尊重されることを願うばかりです。

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さて聖体奉仕会における秋田の聖母の日が終わった9月15日の午後から17日の夕方にかけて、東日本大震災の被災地である岩手県の沿岸部を、祈りのうちに訪ねる巡礼の旅をしてきました。(上の写真は宮古教会)

横浜にある信徒の旅行社「パラダイス」の企画で、26名の方々と一緒に、私の生まれ故郷でもある宮古を中心に被災地を訪れ、亡くなられた方々の永遠の安息を祈り、同時に復興に取り組まれている多くの方々に勇気と希望の力が与えられるように祈りを捧げました。

15日午後はバスで秋田から盛岡に移動し、私が小学生時代に生活していた(実際にその地に住んでいました)盛岡の四ツ家教会を訪れました。担当のミゲル師(グアダルペ会)をはじめ信徒の方が数名待っていてくださり、祈りの後に楽しい茶話会のひとときを持ちました。ちょうど盛岡の八幡様のお祭りで、昔懐かしい山車の引き回しのお囃子が町中に響いていました。

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その後宮古にバスで移動。翌16日はまず宮古教会でミサ。田中師(仙台教区)と信徒の方数名が待っていてくださり、一緒にミサで祈り、交流会を持ちました。私が幼稚園に通っていた頃からの信徒の方々が、元気にしておられました。(上の写真)

四ツ家教会、宮古教会の皆様、ありがとうございます。

その後、宮古市田老に移動。宮古市観光協会の震災ガイドの方の説明を聞き、残された防潮堤の上で皆で祈りを捧げました。(この記事の一番上の写真が、田老の防潮堤。地盤沈下のため70センチのかさ上げが施され、町もかさ上げ整地中。この防潮堤以外の防潮堤は、津波で破壊された)

その後は釜石に移動。釜石教会で再び田中師と信徒の方に迎えられ、カリタス釜石の活動についてお話を伺いました。この日はさらに予定外でしたが大船渡教会にも寄り、聖体礼拝をすることも出来ました。そして巨大なベルトコンベアーがその前日に仕事を終えたという陸前高田を通り気仙沼で宿泊。

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最終日は気仙沼から大籠のキリシタン殉教地へむかい、高橋師(仙台教区)の説明をいただいた後に神父様と一緒に米川教会へ移動。ここでも数名の信徒の方に迎えられ、一緒にミサを捧げました。米川教会の皆様、感謝いたします。(上の写真は大籠の殉教地)

秋田の聖母の日は、来年以降も9月14日と15日に続けられます。そして今回その直後に被災地巡礼をしていろいろと感じるところもありましたので、是非来年以降も、秋田の聖母の日にいただく霊的な恵みを心に、大震災被災地で祈る巡礼を継続したいと思います。

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2015年9月14日 (月)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会

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昨日の日曜日は、秋田教会で堅信式を行いました。あいにくの雨模様で、しかも市内各所で学校や町内の行事が相次ぐ日曜でしたが、それでも100名を超える方がミサに参加されました。(秋田教会の写真は撮影を忘れてしまいましたので、ありません)

秋田教会の松本勝男神父様が長崎から秋田教会に異動してこられて初めての司教訪問でした。お二人の助任、ホー神父とパサラ神父とともに、四人で共同司式のミサを捧げ、このミサの中で4名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。ミサ後には、信徒会館二階で堅信のお祝いの茶話会が開催され、その中では私への質疑応答の時間もあり、福音宣教への具体的な取り組みなどについて、たくさんの質問を頂きました。

さてその後曜日の夕方には秋田市内の聖体奉仕会に移動。昨晩は修道院の姉妹たちと夕食を共にし、ちょうど訪れていた名古屋の神言会員七種師の司祭叙階金祝と修道院のひとりの姉妹の90歳の誕生日のお祝いをいたしました。

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そして今日は秋田の聖母の日。信仰年の2013年10月に、ローマ教区の呼びかけで行われた聖母と共に祈る夜の祈りの集い(世界10カ所の聖母の巡礼所を結んで衛星中継されました)をきっかけに、昨年から始まった祈りの二日間です。これは来年以降も継続して行いますが、基本的に十字架称賛の9月14日と悲しみの聖母の9月15日に聖体奉仕会で開催します。

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今年の秋田の聖母の日は午後2時25分に私の挨拶で始まり、その後ロザリオの祈り、午後3時からは土崎教会の飯野神父様司式で聖体降福式。午後3時半から私の講話。午後4時半頃から外の子羊の苑と聖堂内の二カ所で十字架の道行き。最後に午後5時過ぎから私が司式、松本神父様説教でミサを行い一日目を終わりました。

今回は200名を超え、300名に近い多くの人が全国から参加して下さいました。司祭団は、名古屋から来られた七種神父(もと秋田教会主任です)、遠野のニコ神父。横手のマルティン神父。秋田の松本神父、パサラ神父、ホー神父。すべて神言会員です。

私の講話は、『聖母に倣って出向いていく教会』と題して行いました。これは『出向いていく教会』を基本的な教会の姿勢として教皇フランシスコが求められていることに基づき、使徒的勧告『福音の喜び』に見られる、教皇フランシスコの聖母マリアの生き方に倣おうとする考えを紹介するものです。

教皇フランシスコの福音に従って生きようとする姿勢の柱となる考え方においては、「神の愛といつくしみ」と「喜びを持ってあかしする」という二つが強調されています。それに基づいて福音を告げ知らせるために、安住の地を離れて周辺へと出向いていくことを教会に求めている教皇は、『教会の宣教活動には、マリアという生き方があります』と説かれます。そしてマニフィカトを取り上げ、その中にいかにマリアが謙遜とやさしさという神の目において強いものの徳に生き、即座に行動し出かけていくことで福音宣教への模範を示しているのかと説いています。

今日のお話の概要は、後日文章にまとめてホームページに掲載します。

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昨日は大雨の秋田でしたが、今日は晴天に恵まれ、朝晩はちょっと寒いほどです。明日も晴天とのこと。十字架の道行きは、これまでここで見たこともない大勢での行列になり、本当に十字架を担って進まれるイエスの後を皆で追いかけているようでした。

二日目の明日は午前9時からロザリオの祈り。そして午前10時から、再び私の司式・説教でミサが捧げられ、ミサ終了後に解散です。

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2015年9月12日 (土)

FABC気候変動セミナー@香港

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9月9日と10日の二日間、香港のカノッサ会黙想の家を会場に、40名ほどが参加して気候変動セミナーが開催されましたので、参加してきました、移動日がそれぞれ前後につきますので、9月8日から11日までの旅でした。(上の写真は、レポートを発表するカリタスマカオのポール・プン氏)

この気候変動という問題についてアジアの教会は、すでに教皇フランシスコの新しい回勅「ラウダト・シ」が発表される以前から、アジア各地における気象災害の巨大化という現実に鑑み、気候変動について理解を深め行動を促すために何らかの対応が必要だと考え、アジア司教協議会連盟(FABC)の中に気候変動デスクを設置してきたところです。今回は教皇フランシスコの回勅を受けて、さらに理解を深めようと言うことで、アジア各地の地域ごとに開催されてきたもので、香港のセミナーは東アジアが対象でした。

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参加呼びかけは東アジアの司教と、各司教協議会の正義と平和、カリタスの担当者向けに行われました。今回の参加者の中で司教は、韓国と台湾がそれぞれ2名ずつ。日本と香港がそれぞれ一名ずつの6名。日本からは私以外にカリタスジャパンの田所事務長と、社会司教委員会の顧問などを務めるシーゲル神父の三名が参加。香港からは、教会の様々な部署で働く多くの方が、聴講に訪れました。(上の写真は参加者の一部)

アジア以外からも、オセアニアや太平洋諸島司教協議会連盟事務局長のローチェ神父(同じ神言会の神父でした)と、アフリカ・マダガスカル司教協議会連盟事務局長のコマコマ神父(ザンビアの方)も参加し、各大陸の司教協議会連盟の連携を話し合いました。

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9月9日の朝7時に、香港教区補佐司教夏(ハー)司教の司式ミサで始まり、初日はFABC気候変動デスクのアーヴィン・ダシルバ神父の「ラウダト・シ」についての講演、香港大学のガブリエル・ラウ教授による気候変動についての解説。フィリピン政府の顧問を務め、気候変動に関する世界的交渉にも関わるマニラアテネオ大学のアントニオ・ラ・ヴィーニャ教授とのスカイプでの質疑応答。今年末に開催されるUNFCCC(国連気候変動枠組み条約)の締約国会議(COP21)にむけて、世界各地で各国政府への働きかけが行われており、今回何らかの合意を見ることが出来るかどうかは、将来に向けて重要な意味を持っているとのお話。そしてマレーシアのクラレンス・デバデス神父(FABC神学局秘書)による神学から見た環境問題についての講義とつづきました。

二日目は、まず私がカリタスアジアがアジア各地の11のカリタスと協働で行っている持続可能な農業のプログラムについて解説。その後、各国からのレポート(日本はシーゲル師が担当)。世界的にこの問題に取り組んでいるNGOのOne Voicesのアジア担当者キアラ・シャノンさんからの講演。香港のアントニー・チェン師による香港での取り組みについての講演と続き、夜7時頃にすべてが終了しました。(下の写真は夏司教に資料を渡す、カリタスジャパンの田所事務長)

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ちょうどこのセミナーの間に、日本では栃木県や宮城県を中心に甚大な被害をもたらした集中豪雨が発生しました。被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。

同じように強烈な豪雨の例は、アジア各地で頻発し、各地で本当に多くの方が洪水の被害に遭っています。海面の上昇は多くの国で人々の生活に大きな影響を及ぼし始めています。確かにこの十年間くらいは、過去の記録と比較しても年間の平均気温の記録を毎年塗り替えるほど地球は暑くなっており、今年もその記録は更新されそうです。

気候変動だけからではなく、被造物としての全体をどのように守っていくのかを考えることが、神から与えられた人間の使命ではなかろうか。いまいちど、創世記の冒頭にある創造物語における神から人間への命令の意味を、神学的に考察し直すときではないか。そう考えさせられました。

教皇様はすべての教会に行動を求められています。まもなく米国に渡り、米国議会や国連の場で、教皇様は世界に呼びかけられます。いわゆる先進国に生きている私たちが、生活全体を見直すことは避けては通れないことになろうかと思います。それは個人の努力というレベルもあろうかとは思いますが、それ以上に国家全体としてどう考え行動するのかに大きな課題があろうと思います。教皇フランシスコが回勅で述べているように、そのときには今の私たちの生活だけではなく、将来の世代への責任という倫理的な側面を決して忘れてはならないのではないでしょうか。将来の世代に負の遺産を残さないような社会のあり方。それを考える国であってほしいと思います。

カノッサ会の黙想の家は、香港島の西の外れにありました。中心街の喧噪から離れ、大型船が行き来する海を眺める素晴らしいところでした。

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2015年9月 2日 (水)

環境保護のために祈る日でした@高田教会

教皇フランシスコは6月18日に、地球温暖化や気候変動に関する教会としての取り組みと人類全体への警告ともなる回勅「ラウダト・シ」を発表されていますが、それにあわせて、今年から9月1日を環境保護のために祈る日と定められました。

その発表は8月6日付の正義と平和協議会議長タクソン枢機卿とキリスト教一致推進評議会議長コッホ枢機卿宛の手紙で明らかにされました。急な発表であったため日本の教会全体としては、今年は準備が間に合いませんでしたし、それぞれの教区には今のところ公式な通知が行われていないので、取り立てて特別の典礼などは行いませんでした。来年以降は何かの取り組みがあると思います。

バチカン放送によれば、教皇様は「この祈願日が、信者一人ひとりと共同体に環境保護への召命を新たにし、神の素晴らしい創造の業に感謝しつつ、自然を守るためのの助けを祈り、私たちが生活する環境に対し行った罪に神のあわれみを請うため、貴重な機会となることを願われた」とのことでした。

ちょうど今年は8月31日と9月1日かけて、新潟教区の顧問会を高田で開催したこともあり、9月1日の環境保護のために祈る日は、午前10時から顧問団と一緒に高田教会でミサを捧げることが出来ました。平日の午前中でしたが、20名を超える人が集まってくださり、教皇様の意向にあわせて皆で祈りを捧げることが出来ました。教会の隣に住まわれる高藪神父様もおいでになり、久しぶりに一緒にミサを捧げました。

さて9月になりましたので、今月の主な予定を記しておきます。

  • 9月1日 教区顧問会 上越高田
  • 9月3日 常任司教委員会ほか 東京潮見
  • 9月4日 カリタスジャパン会議 東京潮見
  • 9月8日~10日 アジア司教協議会連盟(FABC)気候変動セミナー 香港
  • 9月13日 秋田教会司牧訪問 秋田
  • 9月14日15日 秋田の聖母の日 聖体奉仕会
  • 9月15日~17日 巡礼 岩手県内
  • 9月22日 正義と平和東京大会カリタスジャパン分科会 東京
  • 9月23日 正義と平和東京大会シンポジウム
  • 9月25日 仙台教区サポート会議 宮城県内
  • 9月27日 柏崎教会堅信式 柏崎
  • 9月28日 月曜会ミサ 新潟
  • 9月28日から月末 新潟教区・さいたま教区合同司祭黙想会 長野県内

なお前掲の通り、典礼の研修会が9月26日(土)午後1時半から新潟教会を会場に行われます。これは新しく改訂された典礼の総則に関して、それぞれの部分教会で適応を求められていた箇所について、日本の適応をバチカンの典礼秘跡省に提出して認められ、今年の待降節から実施することになったことによります。なおミサ典礼書の翻訳自体は、典礼秘跡省によるすべての翻訳の審査が終了しておらず、改訂はもう少し先になりますが、直接翻訳と関連しない部分で、先行的に実施するものです。

テーマは「ミサ典礼書総則」で、講師は日本カトリック典礼委員会委員の南雲正晴神父様(フランシスコ会)。新潟教会を会場に9月26日(土)の午後1時半から3時半まで。

この典礼の研修会は、教区典礼委員会の主催で、参加申し込みなどは不要ですが、不明な点などありましたら、花園教会の高橋神父様までお尋ねください。

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