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2015年10月25日 (日)

鶴岡教会で堅信式@山形県

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本日の日曜日、山形県の鶴岡市にあるカトリック鶴岡教会で、三名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。三名のうちお二人はご夫婦でした。

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鶴岡の町の中心部、市役所の裏手あたりに位置する鶴岡教会は、地元でも鶴岡天主堂として有名で、明治36年に建てられた国の重要文化財指定の歴史的建造物です。聖堂内の黒い聖母像でも有名です。

もちろん最初はパリ外国宣教会の司祭によって始まり、その後は神言会の担当から戦後にイエズスマリアの聖心会の担当に。そして現在は再び神言会員の伴神父が主任司祭を務めています。伴神父は、鶴岡教会と酒田教会の兼任です。

土曜の晩は、山形大学に留学している三名のインドネシア人の留学生も加わり、伴神父とほか数名の信徒の方と夕食会。三名のインドネシア人留学生も信徒で、そのうちの一人は今日のミサで侍者を務めてくださいました。お一人はまだ来日したばかりですが、後の二人は博士課程にいるだけあって日本語も不自由なく、インドネシアの興味深いお話をいろいろ聞かせていただきました。

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今日の福音は目の不自由なバルティマイの癒やしの話でした。あの福音の物語には、興味深い点があります。それはイエスを一目見ようと集まった群衆のバルティマイへの態度の変化です。当初は、バルティマイをしかりつけ黙らせようとしていた群衆は、しばらくすると彼に対して「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と呼びかける。つまり、ビフォー・アフターでいえば、ビフォーはバルティマイという人物の存在を認めない、彼の願いを認めないというかそれにさえ気がつくことのない人々が、アフターでは彼の存在を認め、その希望に理解を示し、その希望が叶えられるようにと後押しをするのです。

このビフォーとアフターの間には何があったのか。それはたった一言のイエスの言葉です。「あの男を呼んできなさい」

神のことばには力がある、といってしまっても良いのかもしれません。ほかのだれでもない。大勢集まっているあなた方のだれでもない。わたしは皆から忘れ去られているあのバルティマイにこそ会いたいのだ。皆が無視している人物こそ、わたしにとって大切な人なのだ。主イエスの深いいつくしみのまなざしを、そこに感じ取ることが出来ます。

教皇フランシスコの、神のいつくしみはすべての人にという思いや、忘れ去られて良い人は一人もいないという主張、そしてすべての人が神のいつくしみのうちに包まれ手ほしいという願い(それがいつくしみの特別聖年につながっています)を思い起こします。まさしくイエスのたった一言は、神のいつくしみの向かう先はどこにあるのかを、群衆に明確に示し、その人々の心を、それまで忘れ去られて人へと向けさせました。

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さまざまな意味で困難に直面している多くの人たちに向けて、教会は、神のいつくしみがすべての人々を包み、とりわけ困難のうちにある人に向けられているのだということを、改めて強調しなければならないのではないでしょうか。そしてそれがこれから始まる特別聖年において、心に留めなければならないことではないでしょうか。もちろん神のいつくしみはわたしたちを包み込んでいるので、それをしっかりと心で感じ感謝することも大切ですが、いただいたいつくしみを教会としてすべての人へ告げ知らせる使命をもわたしたちは受けているように思います。

堅信のミサの後は信徒会館で、庄内風味の芋煮をいただいてお祝いをいたしました。山形県は芋煮会で有名ですが、山形市方面と庄内とでは味が異なるのだとうかがいました。祝賀会の最後は、教会の歌(本間神父様作らしいです)の大合唱。これは実は動画を撮りましたが、公開するかどうかは思案中。

鶴岡教会の皆様、ありがとうございました。

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