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2016年1月12日 (火)

この冬、初めての積雪@新潟市内

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このところ暖かい冬が続いていましたが、この数日は冷え込み(というか平年並みになったということでしょう)雪もちらつきました。そして今日は朝から雪が降り続き、新潟市内中心部でもこの冬初めての積雪となりました。「新潟市内中心部でも」と書いたのは、新潟県は豪雪地帯ですが、海に面し、さらに沖合には佐渡島がある新潟市内中心部は、雪が積もること自体があまりないのです。それでも前回の冬(2014年から15年にかけて)は12月の初め、ちょうど巡礼に出かけようとしたその日に、すさまじい大雪が降り、空港が閉鎖されたほどでした。しかし今冬はまったく雪が降らず、いつもよりはほぼ一ヶ月遅れで、初めての積雪となりました。

この雪の中、今日は新潟教区の司祭団の新年祝賀会でした。天候のことなどもあり司祭団全員が参加というわけにはなかなか行きませんが、教区司祭と修道会(神言会)の司祭で20人ほどが集合しました。鶴岡の伴神父さんも参加されました。

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11時からカテドラルの小聖堂で新年の感謝ミサ。いつものように、寺尾教会の町田神父様がオルガンを弾いてくださいました。その後、司教館会議室で昼食会。仕出しのお弁当プラスアルファで、楽しいひとときを過ごしました。

特に、1月10日に88才の誕生日を迎えた、新津教会主任司祭の鎌田神父様の米寿を祝って、誕生ケーキが用意され、鎌田神父様には元気に「88」をかたどったローソクの火を吹き消し、そしていろいろと思うところを語っていただきました。鎌田神父様、おめでとうございます。

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年頭の司牧書簡にも記しましたが、わたしたちは長いスパンで先を見通すことの出来ない時代を生きています。経済の見通しは決して明るくなく、少子高齢化が進み、過疎で消える共同体もあるなどといわれる中、将来への見通しは明確ではありません。加えて、世界各地で相次ぐ暴力的な事件と、近隣の国々との不安定な関係。とりわけ正月のこのときに、お隣の北朝鮮は、何を考えているのかまったく理解できませんが、水爆実験をしたと主張している。脅しをかけて相手方から譲歩を引き出そうとする外交戦術は、結局のところ成功することはなく、地域一帯にさらに不安定な状況を生み出すとしか思えないのですが。あの国では国内の状況を顧みれば、国民のためにするべきことはもっと他にあるのではないかと思いますが、それが見えない指導者。司教や司教団は、自らの領域外の問題に関して、勝手に公式な発言が出来ないことになっているので(特に、それを決めるべき地元の司教団が存在しない中国や北朝鮮は、バチカンマターとなっているため)、あまり公式に他国の問題を批判することは慎むべきですが、しかし地域の不安定化を招く今回の行為は強く非難されるべきです。

まったくこういった先行き不透明な中で、わたしたちは漠然とした不安を抱えて生きております。その中で、人間はどうしても安定を求めるがために、見える世界の範囲をどんどん狭めて、自分の周りのわかり得る範囲で安定を求めようとする。それが教皇フランシスコがしばしば指摘する、「無関心」を生み出すのではないのだろうかと思います。世界的な規模で無関心が広がり、多くの人が自分の世界の中での安定を模索し、他者へ手を差し伸べることを忘れていると、教皇はしばしば指摘されてきました。しかし現実は、年の初めから不安定さを増しつつあり、将来への不透明さは、なおいっそうこの「無関心」を深めてきているのではなかろうかと思います。人間は何のために生きるのか、どう生きるべきなのか。それを信仰の視点から語り続けているのが教皇フランシスコですが、この新しい年の始まりにあたり、あらためて、生きる姿勢の中でその信仰の真理をあかししていく決意を固めたいと思います。

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また今日1月12日は、1629年に米沢でルイス甘粕右衛門ら53名の福者殉教者が処刑された日でもあります(典礼暦の祝日は7月1日です)。米沢教会では記念のミサも捧げられたと聞いています。生命を賭して信仰の真理をあかしした殉教者に倣う勇気を、祈り求めたいと思います。

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