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2016年7月17日 (日)

寺尾教会堅信式、そして平和旬間行事へ

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本日の日曜日、新潟市内にある寺尾教会を訪問し9時半のミサを一緒にして参りました。本日のミサの中で、お二人の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。これからも寺尾教会共同体の積極的なメンバーとして、活躍されることを期待しております。

暑さはそれほどでもないものの、曇り空で湿度が高く、何ともすっきりしない梅雨の日曜日でした。寺尾教会の聖堂は、冷房はないものの、それでも天井が高いので、それほど暑くは感じませんでしたが、ミサが終わるとさすがに祭服の下は汗でびっしょりでした。

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年齢構成的には新潟の他の小教区と同じく若い年代が極端に少ない共同体ですが、しかしそれでも聖歌を歌う声には力がありました。やはり良いオルガンのリードは必要だと感じました。

マリアとマルタのお話は、いろいろな解釈が成り立ち、今日も全世界でいろいろな説教がなされたことだと思います。私にとっては、今という「とき」が神の目にあってどんな「とき」であるのかを識別し、その「とき」にあった生き方を選択することの重要性をイエスが説いているように思います。祈りと労働のどちらが大切なのかという二者択一や価値判断の問題ではなく、それ以前の、今という「とき」を識別するのかどうかという点に重要性があるのではないでしょうか。福音の話で言えば、今はまさに「主と共に過ごすとき」であるという識別が出来ているのかどうかの問題ではないでしょうか

その意味で、今の時代に生きているわたしたちは、まさしくいま、神の目においてどのような「とき」をわたしたちは生きていて、それに見合ったどのような生き方が信仰者として求められているかを、信仰のうちに見つめ直す必要があると思います。

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ミサ後には、聖堂に残られた方々からの質問に答える対話集会。新潟教区の今後の宣教体制のあり方についての質問もいただきました。司祭の高齢化と召命の減少、そして信徒の高齢化の中で、小教区をどのように運営していくのかは、常に考えていかなくてはならない問題ですが、これ以上拠点教会を閉鎖するつもりは私にはまったくありませんが、それよりも地域において教会が多くの人の心身の良い生活のために貢献できる場となっていくように、教会共同体がどのように時代の必要に合わせて変化していくのが良いのかを、これから模索していきたいなどと考えています。ただ将来的に、一人の司祭が複数の小教区を担当するという体制は、避けて通ることは出来ないだろうとは思います。

対話集会の後、サンドイッチなどをいただきながらの茶話会で、楽しいひとときを過ごさしていただきました。寺尾教会の皆様、ありがとうございます。

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さて日本の教会は毎年、8月6日から15日までの10日間を、平和旬間と定め、平和のために考え祈るときとしています。新潟教区では以前より、諸般の事情から7月の末の日曜日に平和を考える行事を行ってきています。今年も7月31日の日曜日、午後1時半から講演会と午後3時半からミサが新潟教会で行われます。

今回の講演会は、受刑されて出所した方々の社会復帰などを支援するマザーハウスの五十嵐弘志さんのお話です。東京のイグナチオ教会の信徒です。どうぞ参加ください.またその後の平和祈願ミサは、私が司式する予定です。多くの方の参加を期待しております。講演会は新潟教会の信徒会館1階で行われます。タイトルは「神の憐れみと愛の証し人として生きる」となっています。

なお平和旬間にあたり、日本カトリック司教協議会の会長である高見大司教から、会長談話が発表されています。中央協のこちらのリンクからご一読ください

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