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2016年8月 4日 (木)

ブーゲンビル訪問旅行から、その2

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先日、7月末に訪問したパプアニューギニアのブーゲンビルへの旅。すでに記したように、太平洋戦争の戦跡を訪れて過去の歴史を振り返りながら平和を祈り、また独立後の混乱が未だに尾を引いているこの地の今の出来事を学んでまた平和を祈り、そして数年後に独立かどうかの住民投票を行って道を選択するという島で未来の平和のために祈りました。(写真上:道ばたに残された日本軍の戦車)

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とりわけ、山本五十六長官の搭乗機撃墜現場を訪れたこともそうでしたが、太平洋戦争中の戦跡を島のあちらこちらに見るにつけ、過去の出来事の持つ、その後の歴史への大きな影響を感じざるを得ませんでした。(写真上:山本五十六長官搭乗機残骸の前で)

日本から遙かに離れたこの熱帯のジャングルの中で、過酷な環境の中で必死に戦争をしなければならなかった多くの人たち、特にこれからの未来への希望を持っていた多くの青年たちが、数多く生命を失い、また苦難を味わったあの出来事。またその敵として立ちはだかった米軍を初めとする連合国側の多くの人たち。同じように未来への希望を抱いていた青年たち。さらには突然そんな国々の戦いの舞台になってしまったがために、様々な形で戦争に巻き込まれていった地元の人たち。

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ジャングルの中に残されているコンクリートの要塞の数々が、70年以上を過ぎた今でも、そしてこの過酷な熱帯の気候の中でも、しっかりと残されているのをみて、もちろんその当時の技術の高さを思いながらも、それがまったく使われずに何十年もジャングルに放置されている現実を目の当たりにして、なんともったいなかったことかと。(写真上:ブイン近くの海岸沿いに残されたコンクリートの要塞)

結局、戦争は、人的にも資金的にも、大きな損失を人類に強いるものなのだと、思わざるを得ませんでした。

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そしてどうしてそんな状況に、日本をはじめとした当時の国々は自分たちを追い込んでいったのか。国際情勢は簡単に善悪、白黒と峻別することができるほど簡単な現実ではなく、様々な思惑とタイミングが絡み合った複雑な実態であるのは確かでしょうから、だれが原因なのかを突き詰めることは出来ないのだろうと思います。結局はそうならざるを得ないところへ、どんどん突き進んでいったのでしょう。であればこそ、その当時の国際情勢を、国家間の関係をあらためて見つめ直し、そこから現代は何を学ぶことが出来るのか、突き詰めることも大切であろうと思います。(写真上は、アラワの町近くに展示されている日本軍の火器や零戦)

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カトリックの島であるブーゲンビルでは、初めての日本人の司教というだけではなく、初めて外国の司教が訪問してくれたというので、当地のベルナルド・ウナバリ司教(写真上)はじめ多くの方に歓迎していただきました。同時に独立か否かの選択が迫る中で、これからも困難を抱えるであろう当地の現状の詳しい説明もいただきました。8割以上がカトリックの島で、教会は重要な立場にあり、また日本との過去の歴史もありますから、これからも長期にわたって、ブーゲンビルの動きに注目し、またその地の平和のために祈りたいと思います。ベルナルド司教をはじめ、ブーゲンビル教区の皆さんのために祈り続けたいと思います。

なおブーゲンビルでは青年協力隊員も活躍し、JICAが日本の技術で何十本もの道路橋建設工事を進めていました。

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