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2016年8月12日 (金)

聖クララのお祝い@上越高田修道院

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8月11日は聖クララの祝日。毎年恒例ですが、上越市高田にあるクララ会上越修道院で、お祝いのミサが行われました。今年からは『山の日』と言うことで祝日になったこともあるのでしょうが、修道院の小さな聖堂はシスターたち以外にも、周辺の教会から多くの方が駆けつけ、一杯になりました。また長岡地区のフランシスコ会員だけでなく富山からもフランシスコ会員が駆けつけ、さらに教区司祭も数名加わって、これまた、聖堂の狭い内陣は司祭で一杯に。

ミサ後には、面談室にテーブルを入れて、参加者全員でお弁当をいただき交流会。

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今年から、高田のクララ会はメンバーが増えました。といっても新人が入会したのではなく、東京の八王子のクララ会修道院から会員が異動してきたためです。八王子修道院は現在閉鎖に向けて最後の手続きが進んでいると聞いています。もともと八王子から分かれる形で高田が出来たので、今度はその高田に集約されるという現実に、多少の複雑さを感じます。クララ会は観想会の中でも、大きな修道院ではなくて、街中の小さな観想修道院を掲げていますので、大所帯になる必要はないとは言え、やはり新潟教区を霊的に祈りのうちに支えてくださる存在として重要な共同体ですから、少しずつでも、新しい召命の実りがあるように祈っています。

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さて、ちょうど平和旬間の真っ最中で、教会は『平和』についてじっくりと考える時期です。薄れつつあるとは言え、71年前の戦争の記憶や、また広島と長崎の原爆を初めとした日本本土爆撃の悲惨な記憶などがしっかりと残されているため、わたしたちの平和への視点はどうしても、『あのような武力による戦いは二度とごめんだ』という立場から語られることになります。もちろん、武力を行使する戦いがないことは平和の確立にとって重要であることは言うまでもないことですが、それだけで、わたしたちキリスト者が語る平和は確立されるわけではないことも、常に心に留めておきたいと思います。

聖座の正義と平和評議会が著した「教会の社会教説綱要」は、教会が社会の諸問題に関わる時に必ず立ち返らなくてはならない原理原則を記していますが、そこにはこう記されています。

「聖書の啓示では、平和は、単に戦争が存在しないことではなく、それをはるかに超えたものです。それは生命の充足を意味します」(489)

もちろん同じ『綱要』は、戦争についても次のように記します。

「国際紛争を解決するために、戦争の代わりに別の解決方法を求めることが、今日ではきわめて緊急な課題となっています」(498)

そしてこういった『平和』に関する社会教説の源の一つであるヨハネ23世の「地上の平和」には、冒頭にこう記されていました。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません。」(1)

神の定めた秩序の実現こそ、「平和」であって、『地上の平和』の中では、自然法に基づく人間の権利がすべからく実現していることこそ、神の望まれる世界の実現であると説いておられます。ここで教皇が指摘される『人間の権利』とは、次のような広い範囲の権利のことであると、『地上の平和』には記されています。

「生存と尊厳ある生活水準への権利、倫理的および文化的価値に与る権利、良心に従って神を礼拝する権利、生き方を自由に選択する権利、経済における権利、集会と結社の権利、移住および移民の権利、政治に関連する権利」

教皇は自然法に基づく義務として、他者の権利を尊重し互いにそれを実現していく義務を果たしていかなくてはならないと説かれているのです。

ですから、平和を考えるとき、それは単に武力対立を避けることだけを、シングルイシューで取り上げればすむと言うことにはなりません。それは一つの側面であって、もっと広い範囲のことがらが、本当に神の秩序の確立の方向に向かっているのかどうかを識別する必要があります。

この数年、近隣の国々との間で、平和的共存とは反対の方向に向かわせるような状況が続いています。もちろん、一方的に攻撃的な姿勢を見せているとしか考えられない状況もありますし、挑発しているとしか見えない状況も存在しています。教会にとっては、とりわけ後者の国とは大変難しい関係を迫られる状況が続いています。言ってみればその国内に人質がいるのですから、外からの不用意な言動は慎まざるを得ません。そのなかにあって、軍事力を背景に持たない聖座は、様々な外交手段を駆使して、息の長い交渉に当たっています。教皇フランシスコが『福音の喜び』『の中で強調されていた原則、つまり「時は空間に勝る(222以下)」を、まさしく実行していると言えます。

ちょうど今年の長崎の平和宣言の中で、田上市長が、核兵器の廃絶に向けてこう呼びかけていました。

「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」

核兵器廃絶だけではなく、平和の確立のために、粘り強く信頼を生み続け、不信のサイクルを断ち切ることは、今とても重要なことだと思います。

武力の行使に対して自衛する権利が国家に存在することを否定はしませんが、同時に、粘り強く信頼関係を生み出すための努力を続けることも、それ以上の重要性を持っているように思います。じっくりと、幅広く、そして言ってみれば老練な駆け引きの中で、身勝手な行動を封じ込めていくことが、これまで以上にその道の関係者によって深められることを、心から期待しています。

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