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2016年10月 8日 (土)

日弁連の死刑廃止の宣言に関連して

報道によれば、日本弁護士連合会は10月7日、福井市で開催した人権擁護大会で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、終身刑の導入を検討する」とする宣言を採択したとのことで、日弁連が「死刑廃止」を掲げるのは初めてだといわれます。

日本社会全体には、このことに関してまったく相異なる意見が在ることは明確ですし、またカトリック教会内部にも、特に日本の教会の中では相異なる立場があることをよく承知しています。また犯罪被害者家族の心の思いも無視することは出来ないことも、確かにその通りであると思います。

しかし、すべての生命のすべてのレベルにおける完全な尊厳を信じるキリスト教の信仰は、やはり犯罪者に対する処罰にあっても、生命を奪い去ることを是とすることが出来ないと考えています。生命がすべからく神からの賜物として尊厳を有すると信仰において主張するとき、当然の論理的帰結として、その受胎の瞬間からこの世の生を終えるときまで、生命を司るのは神のみであって、人間が介入するべきではないとしか考えられないからです。

教会の教えをまとめているカテキズムの要約をみると、教会の伝統的な教えは第五戒の流れの中でいくつかの条件を前提としながらも「正当防衛」を認めており、その枠組みの中で死刑を含む刑罰について語っています。しかしその続きの部分で、カテキズムの要約の469には、次のような指摘があります。

「科される刑罰は犯罪の重大性と均衡がとれたものでなければなりません。今日では、国家は犯罪を抑止する種々の手段を用いて、犯罪者を無害化することが可能となっているので、死刑の絶対的な必要性の事例は『実質的に全くなくなったわけではないが、ごくまれなことになっています』。血を流さない手段で十分であるなら、権威はそれらの手段に限定すべきです・・・。」

教会は長い歴史を背負って現在がありますし、世界中の様々な国家体制の現実の中で存在していますから、政治の権威が関与する事柄に対しては、公的な「教え」として断定的な判断を下すことは避けています。また基本的には信仰箇条の譲れない部分を除いて、個々人の内心の自由に介入することも避けています。ですからこのカテキズムの文章も幅を持って解釈できる文章であり、『だから死刑は廃止だ』と考える人たちと、『だから死刑は必要だ』と考える人たちの両者を否定しないものとなっていますし、そのどちらかを全ての信徒に強制しようとするものでもありません。このスタンスは変わることがないでしょう。

しかし時々に教会は、様々なレベルでの発言を通じて、その幅のある「教え」を、具体的にどのように解釈するべきかを示してきました。

死刑については、教皇聖ヨハネパウロ2世に始まっていまに至るまで、死刑の抑制から廃止に向かった流れを明確に主張しています。2015年3月4日には、国連の人権理事会第28回会議において、バチカンのジュネーブにおける国連代表であるシルバノ・トマシ大司教(当時)が、この数十年の教会の立場を説明した後で、次のように述べて、現在の教会の考え方を国際社会に明確に示しました。

「さらに教皇フランシスコは、国家の立法府と司法府は「人間の生命優先と人間の尊厳」に、常に従っていなければならないと強調します。教皇はまた、法的過誤の可能性と、全体主義や独裁政権による政敵抹殺や宗教や文化的少数者への迫害のための法律の利用についても言及しました。

従って、すべての人の尊厳への敬意と共通善への敬意は、聖座の立場のよりどころである二つの柱です。これらの原則は、国際的人権法や法学の同様の発展と重なり合っています。加えて、死刑が抑止的であるという明確な積極的効果は見られないと言うことを考慮すべきであり、この刑罰の不可逆性は誤判の場合にそれを是正することが出来ないという点も考慮すべきです。

議長、我が代表団は無血の方法で共通善を護り正義を保つことが可能であると強調し、諸国がより人道的な刑罰をを支持する姿勢を明確にするように刑罰制度をあらためるように呼びかけます。この方法を廃止するにはまだ準備が出来ていないと主張する国に対しては、我が代表団はそれが可能となるように努力するよう勧めます。

結論として、議長、聖座代表団は死刑を廃止する努力を全面的に支持します。この望むべき目的に到達するために、次の段階を踏むべきです。1)社会が死刑の廃止を実行できるように社会改革を進める。2)刑務所の状況を改善し、それによって自由を奪われている人々の人間の尊厳への敬意を保つ」

以上のように述べて、現時点でカトリック教会は、死刑廃止を積極的に支持するという姿勢を明確にしました。またいつくしみの特別聖年にあたって教皇フランシスコは今年の2月、カトリック信徒である世界の政治リーダーたちに対して呼びかけ、せめてこの特別聖年の間には死刑執行を停止して欲しいと願われました。

わたしたちにとって神は絶対的な存在であり、絶対的な価値判断の基準であります。そのような大局的な見地から、つまり神の見地から、根本的に大事なことを判断し尊重するような価値基準は、入り込む余地がなくなってしまう。いま世界はそういう状態にあって、お互いに自分の狭い周囲のことばかりに目を奪われて、大局的な見地、すなわち神の立場から世界を見ることが出来なくなっているのではないかと思います。

 だから、このところ、教皇様は、例えば難民の受け入れの問題であったり、国境封鎖の問題であったり、環境問題であったり、世界経済の問題であったり、様々な個々の問題に、教会としての立場を明確に示されることが増えているのです。大局的な見地から、神の価値観を具体的に示そうとされています。抽象的な価値観ではなく、具体的な個々の課題に直接、判断の基準を示すことで、そこには譲れない絶対的な価値基準があることを示そうとされています。そしてそれは死刑の問題でも同じなのです。

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