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2016年10月17日 (月)

バンコクから上越高田、そして妙高へ

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さすらいの旅を続けているわけではありませんが、(人はすべからく時の旅人であるのはその通りですけれど)、先週は新発田地区大会と新潟地区大会の後、羽田空港からタイのバンコクへ向かいました。10月13日と14日にカリタスアジアの地域委員会(理事会)が予定されていました。

カリタスアジアの地域員会は、総裁であるわたしと、それぞれの地区の代表、すなわち、南アジアのパキスタン、東南アジアのミャンマー、東アジアのマカオ、そして中央アジアのモンゴルの各委員と、バンコク事務局に勤めるコーディネーター、さらに国際カリタス事務局から一名が参加して年に最低でも3度開催されています。今回は11月に予定されている国際カリタスの代表委員会(理事会)に向けての準備もありました。

バンコク滞在中の13日、夕食に皆で出かけていると携帯に日本の緊急ニュースが。何かと思ってみると、タイのプミポン国王が亡くなられたとのこと。かねてより病気療養中と報道されていましたが、この日の午後、88歳でお亡くなりになられました。国民に敬愛された素晴らしい王様だと、多くの人から聞きました。その翌日から、町中は黒っぽい服装の人で溢れ、テレビも国王の業績をたたえる白黒の番組一本のみ。皇太子がその後を継承することになっているのですが、当分の間、タイの人々の悲しみは癒えることがないのかもしれません。

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そんなタイから土曜の夜に戻り、日曜は朝9時半から上越市の高田教会で堅信式ミサ。中学生を中心に8名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。ミサの後には、主任のフーベルト神父(フランシスコ会)のかねてよりのリクエストで、教皇様の回勅「ラウダート・シ」について、一時間ほど話をさせていただきました。あのボリュームのある回勅を1時間でまとめるのは至難の業です。今度10月末と11月頭に、新潟教会で二回にわたってお話をさせていただくのですが、それくらいでも入りきらないほど、中身の濃い回勅です。

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このお話の後、受堅者やその家族と一緒に昼食。持ち寄りの料理もあり、終わりには受堅者によるピアノ生伴奏での歌の披露もあり、楽しいひとときを過ごしました。

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そして今度は午後2時半から、赤倉にある妙高教会でミサ。高田教会の巡回ですが、聖堂には20名近い人が集まってくださいました。聖堂には立派なオルガンがありますので、他教会からオルガニストの助っ人もあり、歌ミサでした。

ここでも高田と同じように、ミサ後には「ラウダート・シ」の話を一時間。そのあと、聖堂のとなりにある山荘に移り、茶話会。妙高の山もきれいに見える素晴らしい秋晴れでした。

そのまま高速をゆっくりと走り、休み休みで、司教館に戻ったのは夜8時近く。ひとまず、長い旅が終わりました。そしてすぐ次が始まります。

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昨日は新潟県知事選挙の投票日でした。わたしは高田と妙高のミサの予定があったので、すでに期日前投票を済ませていました。この結果をどのように評価するべきか、わたしは政治評論家ではないのでそれを試みようとは思いませんが、予想とは異なる結果となりました。自民と公明が推薦した前長岡市長が圧勝かと思いきや、いわゆる野党推薦の米山さんが勝利されました。

米山新知事は、退任される現職の泉田知事の路線を継承する、すなわち福島原発の事故の原因がはっきりしないうちは、柏崎刈羽の原子力発電所の再稼働は認めないという立場を鮮明に打ち出しておられました。ですから、新潟県の民意の多数派は、その路線を選択したということでしょう。

ちょうど、「東日本大震災から8か月後の2011年11月に司教団が発表した脱原発のメッセージを補完して、科学的、哲学的、神学的な裏づけをなす。核エネルギー利用の歴史をひもとき原発事故当事国である日本の責任を問い、核技術に関する科学的な解説をなしたうえで、カトリックの教理と現代の環境思想を踏まえた核をめぐる倫理的な考察を展開する」という書籍、「いまこそ原発の廃止を」が発刊されたところです(リンクから中央協のホームページへ飛びます)

司教団のメッセージを、様々な専門家が裏付けるための文書を作成してくれました。まもなくそれにともなう新たな司教団の呼びかけも発表される予定です。

ですから、その意味では、米山新知事が誕生したことは、喜ばしいのですが、同時にそう単純に喜ぶことも出来ないとも感じています。それは特に、今般、「ラウダート・シ」についてのお話を準備していたときに強く感じた点ですが、シングルイシューの(ワンイシューともいうみたいですが)一点突破では、全体は改善された方向には向かわないと感じるからです。教皇フランシスコは総合的エコロジーという言葉を使って、様々な分野が複雑に絡み合ってできあがっている複雑な現実を、どのように総合的な視点から捉えてより良い方向を目指すのかという指摘をされています。ですから原発についてのシングルイシューでの一点突破では、その前に大きな現実の壁が立ちはだかるようなおもいがいたします。

いずれにしろ、米山新知事の誕生と今後の新潟県の進む道を、神様が祝福し、より良い方向へと導いてくださることを、心から祈っています。

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