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2016年11月 5日 (土)

新発田教会(しばた)献堂50周年記念行事

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新潟県の新発田市にある新発田教会が、献堂50周年を迎え、そのお祝いが11月3日行われました。

当日は雨模様の寒い日でしたが、任が他県内の近隣教会から代表の方々が参加し、100人近い参加者で聖堂は一杯になりました。

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祝賀行事は9時半からの司教ミサで始まりました。わたしが司式し、この日講演のためにおいでくださった森司教(前東京補佐司教)と主任の佐藤允広師、前主任の石黒師、新潟のラウル師、花園の高橋師、寺尾の町田師、鶴岡の伴師の共同司式でミサが捧げられました。

ミサの最中には、この聖堂で50年前に結婚式を挙げた信徒のご夫婦が、金婚式の祝福も受けました。

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ミサ後には森司教が、いつくしみの特別聖年についての記念講演。理事長を務められる東京信濃町の真生会館がちょうど新築落成したばかりでお忙しい中、新発田までおいでいただき、じっくりとお話しいただいたことに感謝します。その後、会場を、現在新築中の新発田市役所隣の公共施設に移し、祝賀会。新発田教会を初めとする近隣のフィリピン出身信徒のコーラスやダンスもあり、華やかな祝賀会でした。

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新発田教会の聖堂は、アントニン・レーモンド氏の設計で新発田建設が建築にあたりました。レーモンド氏は当時、名古屋の南山大学の校舎群を設計し、その中には神言神学院の建物も含まれています。わたし自身が長い年月を過ごした神言修道会の神学校・修道院です。その頃にちょうど一時期、神言会の日本管区長(当時は準管区)を務めた故ノッツオン神父がレーモンド氏に出会って惚れ込み、ご自分が主任を務める新発田教会の聖堂建設を依頼されたと伺っています。

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司祭館も含めて、貴重な建物として全国的な賞もいただいています。木造の聖堂ですが、同じコンセプトはレーモンド氏が設計した軽井沢の聖パウロ教会にも見られますし、札幌の日本聖公会聖ミカエル教会でも見られます。新発田教会も、年中、建築関係の見学者が絶えないと主任司祭の佐藤神父から聞いています。

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新発田教会の皆様、おめでとうございます。これからも聖堂を大切にしていってください。以下、当日ミサの説教原稿です。

新発田教会献堂50周年記念ミサ ( 2016年11月3日)

 新発田教会の聖堂が献堂されてから50年が過ぎました。50年という年月は、若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていましたが、自分自身の人生が50年を超えた頃から、思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい聖堂の献堂式の臨んだのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があり、また多くの先達たちが御父のもとへ旅立って行かれました。

 献堂50周年を記念するにあたり、新発田教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。

 この聖堂に入るとわたしは、ちょっとした特別な感情に襲われます。ご存じのように、この聖堂を設計されたアントニン・レーモンド氏は、同じ時期に名古屋の南山大学も設計され、その中にはわたしが20年以上の時を過ごしてきた神言神学院の建物も含まれています。ちょうど神言神学院も今年、竣工50周年をお祝いしているところであります。

 その神言神学院の聖堂の床は、新発田教会の床のデザインと同じイメージとなっています。ですからこの新発田教会の床を見るたびに、わたしは中学生の頃から長い時間を過ごした神学院の聖堂を思い出してしまいます。

 もちろんわたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議の教会憲章において、教会は神の民であると指摘してこう記しています。

 「キリストはこの新しい契約、すなわち、ご自分の血における新約を結び、ユダヤ人と異邦人のうちから肉に従ってではなく霊において人々を招集し、一つに結ばれた民、神の新しい民とした」(9)

 さらにはこのようにも記されています。
 教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
 ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」として存在する「神の民」であって、その共同体の存在こそが教会そのものであります。

 しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものであります。

 新発田教会に所属されている皆様は、この聖堂に入るときにどのような思いをいつも抱かれるのでしょうか。入るたびに、あまり快くない体験ばかりを思い出すのでは悲しい。そうではなくて、聖堂が、入るたびに懐かしさを生み出してくれるような、そういう心に癒やしを与える存在であって欲しいと思います。この聖堂に満ちている雰囲気は、教会共同体に満ちている雰囲気の反映です。

 先ほど朗読された福音においてイエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけられています。
 その「わたしのもと」は具体的にどこにあるのでしょう。それは、「二人三人がわたしの名のもとに集うところにわたしはいる」と主ご自身が約束されているように、そして御聖体における主の現存があるように、まさしくこの聖堂こそが。「わたしのもと」であります。

 この聖堂は、訪れる多くの人たちに、安らぎを与える場となっているでしょうか。初めてこの聖堂を訪れる人たちに、心の安らぎを感じていただける場となっているでしょうか。この聖堂に満ちている雰囲気は、教会共同体に満ちている雰囲気の反映です。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、教会のあるべき姿を明示されています。教会は、「出向いていく教会」でなければならないと教皇は言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

 もちろん教皇は、まず第一にわたしたちに具体的な行動を促して、そのように呼びかけられています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげることが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

 同時に教皇は、わたしたちが教会の歴史の中に安住することにも警告を発しておられると思います。
 わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と述べて批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなるという指摘です。

 現代社会にあって教会は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけられる主イエスとともに、その呼びかけを具体的な姿で示すようにと招かれています。
 そのためには、新たな現実を前にして、「疲れた者、重荷を負う者」の叫び声に耳を傾けるために、シャボン玉に身を任せるのではなく、常に新しい挑戦を受けて立つ姿勢を持っていなければなりません。

 日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。聖堂の雰囲気はそのわたしたちの心を即座に反映してしまいます。なぜならこの聖堂に満ちている雰囲気は、教会共同体に満ちている雰囲気の反映だからです。

 献堂50周年にあたり、この新発田教会が、守りの姿勢に籠もってしまうことなく、あらためて社会の隅々にまで呼びかける教会として開かれるように、わたしたちと道をともに歩んでくださる主イエスの導きを願いましょう。

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