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2017年7月29日 (土)

HIV/AIDSデスクの研修会@東京

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先週の土曜日の午後、東京四谷のニコラバレを会場に、日本カトリック司教協議会HIV/AIDSデスク主催の研修会が開催され、40名近い方々が参加してくださいました。

第5回目となる今回の研修会のテーマは、「性教育でどこまで教えるかー人権・エイズ・LGBTー教育現場からのメッセージ」でした。講師を務めてくださったのは、名古屋の南山中学高等学校男子部で長年にわたり保健体育の教員を務めておられる中谷豊美先生。信徒の教員です。

中谷先生は以前から積極的に性の問題を保健体育の授業で取り上げるとともに、ホスピタルクラウンの活動も積極的に行い、さらには学校の奇術部の顧問も務めるという、ユニークな先生です。

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カトリックの学校において、性の問題をどうやって、どこまで教えるのかは難しい課題です。しかし、いのちの尊厳を考えるとき、その誕生にかかわる性の問題を避けてしまっては、その後に巷にあふれかえる玉石混淆の情報に翻弄されてしまうことになります。ですから、そこはしっかりと押さえなくてはなりません。司教団メッセージ「いのちへのまなざし<増補新版>」には、性についてこう記してあります。

「聖書の世界は、人間を『男と女に創造された』ものとみて、性を、最初から神の祝福のもとにとらえています。それは、性を生殖から切り離すものでも、また生殖との関連においてのみ評価するものでもありません。性を人間の営み全体にかかわるものとして理解しているのです(23)」

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また教会が、だれ一人として排除しない主イエスの生き方に倣うとき、性にかかわることがらでも、同じように誰かを排除するようなことがあってよいはずがありません。HIV/AIDSデスクが設置された当初から、そのことは常にデスク委員の念頭にあり、まずはHIVに感染した人たちと距離を置こうとする態度から教会がどのように決別するのかが大きな課題の一つとなってきました。そして近年は、LGBTという言葉で代表される、性的指向の多様性が社会の中でも注目されるにつれ、教会の態度も見直すべきだという教皇フランシスコの強いリーダーシップがあります。「いのちのまなざし<増補新版>」にはこう記されています。

「性的指向のいかんにかかわらず、すべての人の尊厳が大切にされ、敬意をもって受け入れられるよう望みます。同性愛やバイセクシュアル、トランスジェンダーの人たちに対して、教会はこれまで厳しい目を向けてきました。しかし今では、そうした人たちも、尊敬と思いやりを保って迎え入れられるべきであり、差別や暴力を受けることのないよう細心の注意を払っていくべきだと考えます。例外なくすべての人が人生における神の望みを理解し実現するための必要な助けを得られるよう、教会は敬意をもってその人たちに同伴しなければなりません。結婚についての従来の教えを保持しつつも、性的指向の多様性に配慮する努力を続けていきます。(27)」

神からのたまものであるいのちの尊厳が、例外なくすべて、まずもって優先されることの大切さを、常に心に留めていたいと思います。

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2017年7月28日 (金)

まもなく平和旬間です

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日本のカトリック教会は、毎年、広島に原爆が投下された8月6日から、終戦記念日の8月15日までの10日間を、カトリック平和旬間と定め、平和について考え、祈る『時』としています。1981年に教皇ヨハネパウロ2世が来日され、広島で力強い平和アピールを発表されました。広島で教皇は、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と指摘されていました。この時期、各地では過去の歴史を真摯に振り返り、そこから教訓を学び、新しい道を歩んでいくことができるように学ぶ行事が行われますし、また戦争の犠牲になられた多くの方々の永遠の安息のために祈りが捧げられます。同時に、なかなか過去の歴史から学ぶことのできない不十分な私たちが、よりふさわしい道を見いだすことができるようにと、神様の導きをともに祈ります。

平和旬間にあたり、司教協議会の会長である長崎教区の高見三明大司教が、談話を発表しています。こちらのリンクから中央協議会のページに入りご一読ください。

新潟教区では、その地理的条件から、一カ所で教区全体の行事を行うことはしておらず、それぞれの地区で、この時期に平和のための様々な行事が企画されています。

新潟では、毎年7月の末に、講演会と平和祈願ミサが企画されておりますが、今年は来る7月30日の日曜日に開催されることになっています。すでに、各小教区にはお知らせが届いていることとは思いますが、あらためてお知らせ申し上げます。

7月30日(日)午後1時半より、講演会

講師:アムネスティ・インターナショナル日本 山口薫さん

平和祈願ミサ 午後3時半から 新潟教会(司教ミサ)

アムネスティ・インターナショナルは、ご存じのことだとは思いますが、国際的な人権団体として有名です。ホームページはこちらのリンクですが、そこにはこのように紹介が記載されています。

「アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGOです。人権侵害のない世の中を願う市民の輪は年々広がり、今や世界で700万人以上がアムネスティの運動に参加しています。国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞しました。」

少なくとも国際社会は、第一次と第二次世界大戦を通じて、大規模な戦争がどれほどの「害」を生み出すもなのかを悟ったに違いありません。そして核兵器が存在する現在、あれほどの大規模な戦争をはじめることは、すなわち世界の破滅を意味することも理解しているものと信じます。しかしながら、地域を限定した紛争は止むことなく頻発していますし、誰かが暴発するのではないかという疑心暗鬼も、繰り返されています。人類が、本当の意味で互いを完全に信用し信頼することは、夢物語なのかもしれません。そしてそれは結局のところ、一人一人の人間の心が反映された現実でしかありません。

平和の実現は、単に国家間の信頼だとか、核兵器の廃止だとか、紛争の停止だとか、そういった大きな目的の達成によってのみもたらされるものではなく、同時に、一人一人の回心も必要としているのです。

私たち一人一人は、何のために神によってこのいのちを与えられたのか。どう生きるようにと創造されたのか。自分自身の心に、家庭に、地域共同体に、平和がないのであれば、本当の平和は達成されないと感じます。

そして平和とは、神が最初に世界を創造されたときに生み出された秩序、神の秩序が完成されることです。私たちの現実がどれほどそこから遠いことか。かけ離れていることか。

この数日、相模原でのあの事件のことを考えるとき、私は悲しくて悲しくてたまらないのです。それは、独り犯人が悪人だと指弾することではなく、その犯人と同じ価値観が、すくなからずの人によって賛同されていることが、とても悲しいのです。

役に立たないからといって、誰かを排除しようとする心は、平和を生み出しません。違っているから、理解できないから、自分と違うからといって、誰かを排除しようとする心は、平和を生み出しません。

神に似せて、善いものとして創造されたこのいのちを、身勝手な理由をつけて卑下する心は、平和を生み出しません。

いのちの尊厳をまもろうとしない社会は、たとえ戦争をしていなくても、平和な社会ではないということを、私たちは、いま、自覚したい。そう思います。(写真は、2003年にルワンダで撮影)

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2017年7月26日 (水)

本当に、悲しいです、ね。

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いのちへのまなざし

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ちょうど一年前、相模原で障がいと共に生きておられる19名の方々が殺害されるという事件が起こりました。26名の方も怪我をされたといいます。あらためて亡くなられた方々の永遠の安息を、心からお祈りし、また傷を負わされた方々に回復と心の平安がもたらされるように、祈ります。

犯人の青年の、障がいを持った人たちに対する考え方、価値観、そしてなによりも人間のいのちに対する考え方には、まったく賛同することができません。それ以上に、事件後には、インターネット上などで、「よくやってくれた」などという賛同の言葉が少なからず見られたことは、私たちが生きているこの社会が、人間のいのちをどう捉えているのかを象徴的に表しているものとして、わたしはすくなからずの衝撃を受けました。

あらためて繰り返すまでもなく、キリスト者にとって、いのちは神から与えられた賜物であり、神はご自分の似姿として、そして善いものとして、人間のいのちを創造されたと、わたしは信じています。そしていのちの価値を計ることがゆるされているのは、その創造主である神のみであり、同じ被造物である人間がそうすることは、神に対する傲慢だと、わたしは思います。いのちは、この世界におけるその始まりから終わりまで、まもられなければなりません。一人一人のいのちの尊厳は、誰一人として奪われてはなりません。

日本のカトリック司教団は、先般、「いのちへのまなざし」と題したメッセージの「増補新版」を発表しました。16年前に発表したメッセージを改定した内容です。旧版冒頭のあいさつに記されていることが、いのちの大切さを説いているこのメッセージ全体を貫くテーマの一つです。

「この世界は人間だけのものではない。人間の幸せも、この世で完結するものではない。世界は神の手の中にあるものであり、人間の営みも、神とのかかわりの中で完成され充実していくものである」

さらにいえば、「誰一人として排除されたり忘れ去られていい人はいない」。これが私たちの牧者である教皇フランシスコの様々な言動の中心にある考えだということを念頭におくとき、自ずと私たちの言動も定まってくるのではないでしょうか。

是非一度、「いのちへのまなざし」を手にとって、読んでみてください。今年の9月2日と9日には、午後1時半から新潟教会で、「いのちへのまなざし」を学ぶ信徒養成講座があります。講師は私です。

以下は、国際ラルシュが公開している短編映像です。静岡にあるラルシュかなの家で暮らすある女性を中心に、相模原の事件に対する考えと行動を短い物語にしたものです。オリジナルは日本語ですが、国際ラルシュのフェイスブックには、英語とフランス語の字幕版が公開されています。(L'Arche Internationale)

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2017年7月16日 (日)

外国人技能実習生について学ぶ@新潟教会

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先週は木曜日と金曜日、栃木県の那須にあるベタニア修道女会の聖ヨゼフ山の家に出かけ、社会福祉法人慈生会の研修会でお話をさせていただきました。

ベタニア修道女会は、1937年に、パリ外国宣教会の宣教師ヨゼフ・フロジャック神父によって、まずは東京教区立として創立された修道会です。その霊性は、修道会のホームページにはこう記されています。

「会の霊性は、フロジャク神父の遺訓である「自ら貧しいものになる」生き方に現れています。そしてそれは、二つの源泉から汲み取ることができます。一つはベタニアの名に示された霊性、もう一つは修道会の保護の聖人とされた聖ベルナデッタの生き方です。」

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また、「『ベタニア』はヘブライ語で……神の前に身をかがめ……『神により頼む貧しい者の家』という意味があります。『ベタニア』はイエスの親しい友、ラザロと、マルタと、マリアの家がある村です。イエスが、エルザレムに向かう時、また帰りにも、好んで立ち寄り、憩われ、疲れを癒されたところです」とも記されています。

フロジャック師はさまざまな社会福祉事業に取り組まれベタニア修道女会がその活動の中心になり、その流れの中で創立されたのが社会福祉法人慈生会。現在は数々の事業を東京を中心に行っていますが、例えば、清瀬には児童養護施設、病院や高齢者施設、中野には乳児院や高齢者施設、そして栃木県の那須にはかつてフロジャック師が手に入れた広大な敷地の中に、障害者支援施設「マ・メゾン光星(以前の公聖学園)があります。

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今回は、その那須にあるベタニア修道女会の聖ヨゼフ山の家を会場に、各施設の責任者と副責任者、法人の理事や評議員の方を対象に、二日間お話をさせていただきました。

そして、昨日の土曜日、7月15日は、新潟教会を会場にして、日本カトリック難民移住移動者委員会が、東京教会管区セミナーを開催してくださいました。日本カトリック難民移住移動者委員会は、カトリック司教協議会の委員会で、カリタスジャパンなどと同じく、社会司教委員会を構成する委員会です。現在は名古屋の松浦司教が責任者です。

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それぞれの教会管区で毎年セミナーを開催されており、今年のテーマは「外国人技能実習生」。東京教会管区セミナーということで、札幌教区、仙台教区、東京教区、横浜教区からも参加者があり、新潟教区からの参加者も含めて30名を超える方々が集まってくださいました。

『移住者と連帯する全国ネットワーク』の鳥井一平さんに、詳しくお話を伺い、その後各教区の取り組みを分かち合って、最後は私が御言葉の祭儀の祈りを持って、午後1時から5時までの研修会を終わりといたしました。

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研修生という言葉は以前からよく聞きますが、この数年で制度が大きく変わり、現在は『技能実習生』。様々な職種での技能を研修するために来日していますが、実態はその名目とは関係のない労働であったり、手取り賃金が非常に低くなっ至り。中には、実習生の人間としての尊厳に関わるような事例があったり、客観的に見れば人身売買と非難されてしまうような事例も見受けられるなど、制度自体の問題が指摘されています。外国からの移民は受け入れないとか、単純労働者は受け入れないなど、世論の動向に反応しながら日本政府はこういった制度を定めていますが、しかし同時に、様々な分野で労働者は不足しており、加えてオリンピック・パラリンピックを控えて、今後も建築現場などで労働力の不足が見込まれる中、様々な衣をかぶって、結局は単純労働者の短期使い捨てにつながる制度でもあると思います。労働力をどうするかの議論ではなく、人間としての尊厳を持った労働者に対する政策をしっかりと議論する必要があるとの指摘が、お話の中でありました。

受け入れ側と送り出し側双方で解決しなければならない問題があるのは、30年以上前のエンタテイナーの問題と同様です。教会は、一人一人が神から生命を与えられた尊厳ある存在であることを大前提に、虐げられたり軽んじられたり排除されたりしてもよい存在はひとつもないのだということを、これからも強調していきたいと思います。一人一人を大切にする神の手が、困難に直面する人に直接差し伸べられるように、その神の手となって取り組みたいと思います。

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なお日本カトリック難民移住移動者委員会では、『技能実習制度Q&A』のタイトルで、非常にわかりやすいパンフレットを作成しています。(写真)これは英語やベトナム語など、多言語で用意されています。是非ご活用ください。お問い合わせは、各教区の滞日外国人司牧の窓口や、東京のカトリック中央協議会の難民移住移動者委員会事務局まで。

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2017年7月11日 (火)

聖地巡礼のお知らせなど

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あらためて、聖地巡礼のお知らせです。

今年もパラダイス社によって、イスラエルを中心とした聖地巡礼が企画されています。今年は11月2日(木)の夜10時頃に成田空港を出発し、11月11日(土)の夜7時過ぎに成田空港へ戻る日程です。今回の企画ではイスラエルだけではなく、途中で国境を渡り隣国のヨルダンへ参ります。最初はガリラヤ湖畔を中心に、ティベリアに3連泊。その後1泊2日でヨルダンを訪れて、またイスラエルに戻り、エリコに一泊。その後はベトレヘムに2連泊で、エルサレムへ巡礼します。

興味のある方、是非一度、お値段や日程などの詳細を、パラダイス社にお問い合わせください。横浜の信徒の方の会社です。電話は045-580-0023 (営業時間は月曜から金曜の9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024です。またメールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jp まで。担当は村上透さんです。

申し込み締め切りは9月15日。もちろん例年のように、私が同行する予定です。毎日ミサが行われます。どうぞ、ご一緒ください。

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今日は7月の教区司祭団の集まりが、新潟教会で行われました。毎年、夏のこの時期は、いつものような泊まりでの研修や話し合いは行わず、とにかく集まってミサを捧げ、その後昼食を共にしながら情報交換をすることにしています。今日は鶴岡教会の伴師を含め、新潟から長岡近隣で働く司祭17名が参加しました。

ちょうど福音にはマタイから、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」という言葉が朗読されました。あらためて、眼前に拡がる豊かに実った畑で働く働き手が遣わされますようにと、司祭団で召命のために祈りました。

もちろん教会には信徒が果たす役割も多くあり、福音宣教においても、いまでは信徒の果たす社会における生活での言葉と行いを通じた「あかし」による福音宣教には、重要な意味があります。

しかし同時に、司祭の果たす役割には、特に秘跡の授与にはじまり、共同体の牧者として護り導き、また正統な信仰を教える役割には重要なものがあります。これからも新潟教区の各地で、小教区の共同体の牧者として、率先して福音をあかししていく司祭が必要です。

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今日はいわゆる共謀罪の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法の施行日となりました。私は法律の専門家ではないので、その内容全体の細部にわたって意見を述べる能力はありませんが、あらためて宗教者の立場から、是非とも司法の担い手の方々には、個々人の内心の自由を尊重し護られますことをお願いいたします。内心なるものは、結局のところ他人の目にはどうしても見えないものなのですから、それを制限することは、当然他者による恣意的な介入にしかなり得ません。個々人の内心における善悪を判断できるのは、究極的にはその本人でもなければ他人でもなく、神でしかないはずです。

また法律は、常に善意の権力者の掌中にあるとは限りません。仮に善意の権力者の手を離れるようなことがあったときにも、その暴走をとどめる手段を明確にされておかれますように。もしそれが不可能ならば、将来への不安には大きなものがあります。国家の権力を担われている方々が、廃止を含めてより善の道を選択できるように、全能の神の祝福と護り、そしてより正しい道への導きがあるように、心から祈ります。

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2017年7月10日 (月)

北山原殉教祭ミサ@2017米沢

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7月1日は福者ペトロ岐部と同志殉教者の記念日ですが、その188殉教者のうち53名は、福者ルイス甘粕右衛門率いる山形県米沢の殉教者です。

1629年1月12日に、雪の中で殉教していった上杉家の家臣たち「サムライの殉教」などとも呼ばれます。その殉教の地は米沢市内数カ所に分かれますが、そのうちの大多数が処刑された北山原は、その後昭和の初期に神言会の宣教師によって場所が特定され、教会の土地として購入されました。

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現在の北山原殉教地は、住宅に囲まれた一角にありますが、当時は町外れの寂しいところだったと聞きます。この場所には、殉教を記念する十字架とその脇にたたずむ聖母と聖ヨハネの像があり、その前に列福を記念して建立された石の祭壇が備え付けられています。また同敷地の一部は米沢教会の墓地としても利用されており、殉教地と墓地は、それぞれ異なる委員会が個別に管理しています。

米沢は冬の雪も深い土地で、1月12日は北山原も深い雪に覆われています。そのため殉教祭を1月に行うことはしておりませんが、188の殉教者の記念日に合わせて、2008年の列福以来、7月の第一または第二の日曜日に、北山原を会場に殉教祭ミサを献げています。

例年は曇っていたり雨が降ることが多く、そうすると思いの外涼しいのですが、今年は太陽が厳しく照りつける晴天の日曜日。気温も30度を超える真夏日となりました。

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今年のミサは主に、山形地区内の信徒の方々が参加され、新潟県内や、遠くはベタニア修道女会のシスター方の参加もありました。また東北の被災地などを訪問しながら歌を届ける活動をしておられる浦部麻里子さんも参加され、ミサ後に歌声を披露してくださいました。


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昨年に続いて今年も、ミサ中に米沢教会の4名の信徒の方が、堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。昨年は大雨で、テントの下で堅信を授けるのも大変でしたが、今年は逆にあまりの晴天で、それはそれで、直接日にあたりながらしばらく立ち続けていただくのも大変でした。

ミサは私の司式で、主任のパリアント師、地区長の千原師、鶴岡教会の伴師の共同司式でした。来年2018年は、188殉教者列福10年になりますので、教区全体の行事として7月1日に(日)に殉教祭が行われます。記念の年ですので、是非教区のみなさまの参加をお待ちしています。

わたしたちの信仰は、常に過去の出来事の記憶を共同体として連綿と伝え続けながら、それを単に懐かしい思い出にとどめ置くのではなく、今の信仰のうちにその記憶を現在化して生きることが求められる信仰です。殉教者たちの記憶も、単に懐かしい思い出として、400年前に傑出した人たちがいたのだというだけのことではありません。その記憶から、現代にどう生きるのかという示唆を見いださなければ意味がありません。

400年前と現代では、いろいろなことが大きく変化したのはいうまでもありませんが、その中で、特にわたしたちが生きていく基本に関わる出来事としては、人間関係のあり方が大きく変化したのではないでしょうか。

現代社会では、孤独や孤立が、わたしたちの社会における人間関係を規定しているように感じます。さまざまな社会状況の中で、そして様々な年代において、わたしたちは多様な形での孤独や孤立を社会に抱え込んでいるのではないでしょうか。そういった中で、かつてのような共同体のあり方は、家庭においても地域においても、もしかしたら国のレベルでも、すでに崩壊してしまっている。共同体における相互の支えが崩壊してしまったところに、孤立や孤独が深まっているように感じます。

孤立や孤独は、一人個々人のレベルにとどまらず、世界的に見ても、グローバル化が進んで相互の依存が深化しているはずなのに、国家共同体間の孤立や排除が見いだされるのも、同じように、真の意味での共同体意識の喪失が原因としてあるのではないでしょうか。

本来理想とすべき、世界は神に作られた一つの家族であるから、その中で国も、地域も、家族も、一つの体の一部として互いに支え合わなくてはならない。

相互の支え合いは、単に一人一人にとっての生命を維持するための助けとなるだけではなく、それは一人一人の成長を促す基礎を提供するのではないでしょうか。そしてそのことは信仰においても同様です。

かつての殉教者たちが、生命を賭して信仰を護ることが出来たのは、それは単に一人一人が超人的な信仰者であったというよりも、その信仰者を支え育む共同体が存在していたからではないでしょうか。信仰は一人で孤独のうちに深めていくものではなく、共同体のうちで育てられ育まれていくものです。強い共同体の存在なしには、強い信仰者はありません。

当時、米沢に今とは比べものにならないほどの大きな規模のキリスト者共同体が存在しており、活発に祈り、学び、活動していたのは良く知られているところです。そういった強い信仰共同体があったからこそ、強い信仰者が育っていったのではないでしょうか。

殉教者たちの存在を思うとき、わたしたちに必要なことは、現代社会にあって、強い信仰共同体をどのようにして育て上げていくのかを考えてみることです。殉教者をまねて、一人超人になることを目指すのではなく、共同体をどのように育てるのかを、真摯に考えていく必要があります。

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2017年7月 3日 (月)

7/8/9月の主な予定

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今年もあっという間に半分が終わってしまいました。7月・8月・9月の夏の間の主な予定を記します。これ以外にも、今の時点で未定の予定がありますが、現時点で最終的に決まっている主な予定です。また最後に、今年の11月の聖地巡礼の宣伝もございます。

  • 7月
  • 4日・5日 東京教会管区会議 (横浜教区内)
  • 5日 HIV/AIDSデスク会議 (潮見)
  • 6日 常任司教委員会他 (潮見)
  • 7日 神学院司教会議 (潮見)
  • 9日 北山原殉教祭ミサ (米沢・北山原)
  • 10日 月曜会ミサ (新潟教会11時)
  • 11日 司祭団静修ミサ
  • 13日・14日 (社福)慈生会研修会 (那須)
  • 15日 難民移住移動者委員会東京教会管区セミナー (新潟教会)
  • 21日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 22日 HIV/AIDSデスクセミナー (東京)
  • 23日 柏崎教会堅信式 (柏崎)
  • 30日 平和旬間講演会と平和祈願ミサ (新潟教会)
  • 8月
  • 11日 クララ会ミサ (高田・クララ会)
  • 15日 聖母被昇天祭ミサ (新潟教会)
  • 17日 新潟教区保育者研修会 (新潟)
  • 20日 横手教会ミサ (秋田・横手)
  • 25日 仙台教区サポート会議 (仙台)
  • 29日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 9月
  • 2日 信徒養成講座 (新潟教会)
  • 4日・5日 教区顧問会
  • 6日 神学院常任司教会議 (潮見)
  • 7日 常任司教委員会他 (潮見)
  • 8日 カトリック新聞会議 (潮見)
  • 9日 信徒養成講座 (新潟教会)
  • 11日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 12日・13日 東北巡礼 (パラダイス社)
  • 14日・15日 秋田の聖母の日 (聖体奉仕会)
  • 22日 福音宣教省長官フィローニ枢機卿仙台訪問同行
  • 23日 加茂教会50周年 (加茂)
  • 24日 福音宣教省長官フィローニ枢機卿とのミサ (関口教会)
  • 25日~29日 司教総会 (潮見)

なお今年もパラダイス社によって、聖地巡礼が企画されています。11月2日(木)の夜に成田を発ち、11月11日(土)の夜に成田へ戻ります。今回の企画ではイスラエルだけではなく、途中で国境を渡り隣国のヨルダンへ参ります。1泊2日でヨルダンを訪れて、またイスラエルに戻る行程になっています。

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興味のある方、是非一度、お値段や日程などを、パラダイス社にお問い合わせください。横浜の信徒の方の会社です。電話は045-580-0023 (営業時間は月曜から金曜の9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024です。またメールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jp まで。担当は村上透さんです。

申し込み締め切りは9月15日。現時点では、私が同行する予定です。どうぞ、ご一緒ください。

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2017年7月 1日 (土)

福岡から再び秋田へ

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今週は、水曜日の午後から福岡へ移動。日本カトリック神学院の常任司教委員会が、同神学院の福岡キャンパスで開催されるためです。

神学院の常任司教委員会とは、司教協議会の常任委員会と別物です。日本カトリック神学院は、全国16教区の司教全員が参加する神学院司教委員会によって運営されていますが、この全体会議は年に二回、司教総会に合わせて開催されます。その間に、様々な実務的な課題をこなすためにもうけられているのが、この常任司教委員会。各教会管区(東京、大阪、長崎)から、司教が二名ずつ、計6名で構成され、委員長は大塚司教。東京教会管区からは、梅村司教とわたしが委員になっています。

通常は潮見で行われますが、年に二度、実際のキャンパスに出かけていって、神学生たちとの交流の時間を持っています。というわけで、福岡キャンパスです。

福岡キャンパスには現在、神学課程の1年から3年まで、20名が在籍。そのうちの2名が、グアダルペ宣教会のメキシコ出身の神学生です。新潟教区の岡神学生は、哲学課程の2年生ですから、福岡ではなく東京キャンパスに在籍しています。東京には現在13名が在籍し、そにうちの6名が、助祭です。

水曜日の夜、夕食後に神学生との懇談会。和やかな懇談でした。翌朝は聖ペトロ聖パウロ使徒祭日でしたが、順番でわたしが朝のミサの司式をさせていただきました。

木曜の午前中が神学院常任司教委員会。昼食のカレーを神学生と一緒にいただいて、そのまま午後に福岡空港へ移動。福岡空港は現在改修工事中で、そこいら中が仮通路。どこに行けば良いものか、ちょっと迷ってしまうほどの大がかりな工事中でした。

福岡から伊丹へ飛び、乗り換えて秋田へ。秋田到着は夜の8時半です。福岡から伊丹までと、そして伊丹から秋田まで。すべていつものようにANA便ですが、これまたすべて70数名乗りの小型プロペラ機。1時間程度の飛行であれば苦にもなりませんが、伊丹から秋田までは1時間半を超えるフライト。ちょっと窮屈でありました。

先週末も秋田にいましたが、再び秋田へ来たのは、年に一度の、聖体奉仕会の会員の集いがあるため。

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金曜の朝から日曜の朝まで、聖体奉仕会で、院内外の会員が一同に集まって、年に一度の共同体の絆を深める機会となっています。また昨日の午前中は、1時間ほど、講話もさせていただきました。

本日土曜は早朝から雨模様で肌寒く感じていますが、昨晩はちょっと寝苦しいほどの暑さでした。次に聖体奉仕会に来るのは、9月14日と15日に開催される、恒例の「秋田の聖母の日」になります。

今年の秋田の聖母の日は、教皇庁大使チェノットゥ大司教も参加されますが、大使がファティマの聖母の御像を持ってきてくださいます。どうぞご参加ください。詳しくはこちらの聖体奉仕会ホームページをご参照ください。

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