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2017年7月28日 (金)

まもなく平和旬間です

Peace17
日本のカトリック教会は、毎年、広島に原爆が投下された8月6日から、終戦記念日の8月15日までの10日間を、カトリック平和旬間と定め、平和について考え、祈る『時』としています。1981年に教皇ヨハネパウロ2世が来日され、広島で力強い平和アピールを発表されました。広島で教皇は、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と指摘されていました。この時期、各地では過去の歴史を真摯に振り返り、そこから教訓を学び、新しい道を歩んでいくことができるように学ぶ行事が行われますし、また戦争の犠牲になられた多くの方々の永遠の安息のために祈りが捧げられます。同時に、なかなか過去の歴史から学ぶことのできない不十分な私たちが、よりふさわしい道を見いだすことができるようにと、神様の導きをともに祈ります。

平和旬間にあたり、司教協議会の会長である長崎教区の高見三明大司教が、談話を発表しています。こちらのリンクから中央協議会のページに入りご一読ください。

新潟教区では、その地理的条件から、一カ所で教区全体の行事を行うことはしておらず、それぞれの地区で、この時期に平和のための様々な行事が企画されています。

新潟では、毎年7月の末に、講演会と平和祈願ミサが企画されておりますが、今年は来る7月30日の日曜日に開催されることになっています。すでに、各小教区にはお知らせが届いていることとは思いますが、あらためてお知らせ申し上げます。

7月30日(日)午後1時半より、講演会

講師:アムネスティ・インターナショナル日本 山口薫さん

平和祈願ミサ 午後3時半から 新潟教会(司教ミサ)

アムネスティ・インターナショナルは、ご存じのことだとは思いますが、国際的な人権団体として有名です。ホームページはこちらのリンクですが、そこにはこのように紹介が記載されています。

「アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGOです。人権侵害のない世の中を願う市民の輪は年々広がり、今や世界で700万人以上がアムネスティの運動に参加しています。国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞しました。」

少なくとも国際社会は、第一次と第二次世界大戦を通じて、大規模な戦争がどれほどの「害」を生み出すもなのかを悟ったに違いありません。そして核兵器が存在する現在、あれほどの大規模な戦争をはじめることは、すなわち世界の破滅を意味することも理解しているものと信じます。しかしながら、地域を限定した紛争は止むことなく頻発していますし、誰かが暴発するのではないかという疑心暗鬼も、繰り返されています。人類が、本当の意味で互いを完全に信用し信頼することは、夢物語なのかもしれません。そしてそれは結局のところ、一人一人の人間の心が反映された現実でしかありません。

平和の実現は、単に国家間の信頼だとか、核兵器の廃止だとか、紛争の停止だとか、そういった大きな目的の達成によってのみもたらされるものではなく、同時に、一人一人の回心も必要としているのです。

私たち一人一人は、何のために神によってこのいのちを与えられたのか。どう生きるようにと創造されたのか。自分自身の心に、家庭に、地域共同体に、平和がないのであれば、本当の平和は達成されないと感じます。

そして平和とは、神が最初に世界を創造されたときに生み出された秩序、神の秩序が完成されることです。私たちの現実がどれほどそこから遠いことか。かけ離れていることか。

この数日、相模原でのあの事件のことを考えるとき、私は悲しくて悲しくてたまらないのです。それは、独り犯人が悪人だと指弾することではなく、その犯人と同じ価値観が、すくなからずの人によって賛同されていることが、とても悲しいのです。

役に立たないからといって、誰かを排除しようとする心は、平和を生み出しません。違っているから、理解できないから、自分と違うからといって、誰かを排除しようとする心は、平和を生み出しません。

神に似せて、善いものとして創造されたこのいのちを、身勝手な理由をつけて卑下する心は、平和を生み出しません。

いのちの尊厳をまもろうとしない社会は、たとえ戦争をしていなくても、平和な社会ではないということを、私たちは、いま、自覚したい。そう思います。(写真は、2003年にルワンダで撮影)

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