« 2017年7月 | トップページ

2017年8月21日 (月)

横手教会司牧訪問@秋田地区

Yokote1702
この日曜日、8月20日は、秋田県の南の内陸部にある横手教会を司牧訪問しました。新潟からは車で5時間強のドライブです。

車のナビは最速として、磐越道>東北道>秋田道と遠回りを勧めますが、ちょっとイメージ的に遠すぎる。後のチョイスは、海岸線を国道7号で由利本荘まで行き、そこから内陸に走るコースと、鶴岡から最上川沿いに新庄へ抜け、そこから湯沢を通って横手へ北上するルート。今回は、行きを海岸線から由利本荘へ向かうルート、帰りを湯沢から新庄へ抜けて鶴岡へ向かうルートにいたしました。どちらもほぼ5時間強。遠いです。もっと長めの休憩を入れたりしたら、あっという間に6時間を越えるロングドライブ。ちなみに電車で行こうとしたら、いったん秋田まで直行して、そこから奥羽線を各駅停車で南下するくらいしか手がありません。

Yokote1705b
横手教会は神言会のマルティヌス・オマン師が主任司祭。インドネシア出身のオマン師は、横手で働いてもう11年です。隣接する保育園、横手マリア園の園長も務めておられます。教区のホームページなどでもお伝えしていますが、横手教会の聖堂は、先頃横手市から指定文化財に認定されています。

土曜日は教会の近くで、数名の信徒の方と懇親会。会長さん他に加えて今回は、珍しく(失礼)、若手が4名も参加。もっとも若手の皆さんは日曜日は仕事で教会にはなかなか来られないとのこと。心で教会につながっていてくださればと、願っています。

Yokote1704
日曜日のミサは9時半から。この地区にはお嫁さんとして家庭に入り定住しているフィリピン出身の信徒もおられるので、ミサには思いの外多くの方が参加してくださいました。

ちょうど横手市の町おこしなのか、「音フェス」なるものを市内で開催中。市内中心部に何カ所かのステージを設けて、ライブ演奏を披露する催しです。朝から夕方までひっきりなしに演奏が続いて、ひとつのグループの持ち時間が20分程度ですから、かなりの数の参加者です。各地からやってきたバンドなどの演奏が、市内各所で鳴り響いていました。

この音フェスでは、横手マリア園の子どもたちが演奏を披露することに。ミサが終わってからオマン神父や信徒会長さんと出かけました。横手の駅が新しく橋上駅になって、これまでの東側の出入り口に加えて西側に出入り口と駅前広場ができたとのこと。その西口広場に設けられたテントステージでの演奏でした。子どもたちのハンドベルと歌の披露で、拍手喝采。なんといってもどんなグループよりも聴衆が多かったですから。

いろいろと準備をしてくださった横手教会の皆さん、ありがとうございました。

Kgkenshu1703_2
なお、先週、8月17日には、新潟教区の保育者研修会が、新潟市内のホテルを会場に開催されました。今回で46回目となる研修会は、新潟県、山形県、秋田県にあるカトリックの保育にかかわる施設の職員が対象で、幼稚園や保育園の他、児童養護施設の職員も対象になっています。

Kgkenshu1704
今回は「食の力ー子どもの心を支える食ー」というテーマで東京教区の伊藤幸史神父が講演をしてくれました。東京教区の伊藤幸史神父といっても、実際は新潟教区の新津教会の主任司祭を務めてくれています。140名の参加者を、時に泣かせる、素晴らしいお話でした。

研修会には、チャプレンとして任命されている司祭も多く参加しましたので、午後には全員で共同司式しながら、感謝ミサを捧げて終わりとなりました。

|

2017年8月15日 (火)

聖母被昇天祭ミサ@新潟教会

Assump1702
本日は聖母被昇天祭でありました。また終戦記念日でもあります。第二次世界大戦で亡くなられた多くの方々の永遠の安息を祈り、聖母マリアの取り次ぎによって、神の平和がもたらされるようにと、ミサに参加してくださったみなさまとお祈りいたしました。

Assump1704
全国各地ではっきりとしない天気の日であったようですが、珍しく新潟市内は雨も降らず、お昼頃には青空も見られました。それでも気温は30度に達せず、思いの外涼しい8月15日でした。

Assump1706
ミサ後には、新潟教会では恒例ですが、バーベキューパーティー。子どもたちも参加してくれたことですから、定番のスイカ割りも行われ、短い時間でしたが楽しい夏のひとときを過ごすことができました。準備してくださったみなさま、そしてこの暑い中、鉄板の前でバーベキューに取り組んでくださったみなさま、感謝します。またタルチシオの霊名にあたり、霊的花束を贈ってくださった多くの教会の方々に、心から感謝いたします。私は、ヤコブ書5章16節の言葉、すなわち「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」を、信じています。お祈りに感謝。

Assump1707
以下、本日のミサ説教の原稿です。

東北の大震災の後、わたし自身もしばしば口にするのですが、「忘れない」という言葉が繰り返されてきました。確かに、カリタスジャパンでの経験からいっても、世界の様々な地域で、大きな災害などの被害に遭われ復興に取り組んでおられる方々や、紛争によって家を追われ避難生活を続けておられる方々の口から、「忘れないでほしい」という願いを聞かされることがしばしばあります。

困難に直面し苦悩のうちにも生きる道を模索するとき、だれからも助けの手が差し伸べられず孤立するのであれば、人間の心から希望が奪いとられてしまいます。「忘れないでほしい」という願いは、単に記憶にとどめておいてほしいという願いではなく、ともに寄り添って歩んでほしいという願いであります。それは神によってともに支え合って生きるようにと私たちのいのちが創造されているからこそ、当然の心の叫びでもあります。

イエスご自身が最後の晩餐において御聖体を制定されたときの言葉、すなわち「私の記念としてこれを行いなさい」こそは、私たちの信仰が「忘れない」ということに基づいていることを思い起こさせます。それは、単にイエスという存在を記憶にとどめておいてほしいという願いではなく、御聖体の秘跡にあずかることによって、常に主ご自身と歩みをともにするようにという招きでもあります。それは単なる過去の記憶ではなく、その出来事を今の視点からあらためて理解し、あらためてその出来事を今生きようとすることです。その意味で私たちの信仰は、「忘れない」信仰です。

旧約聖書のイザヤ書には、神ご自身の「忘れない」姿勢がこう記されています。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」(49章15節)

ここでイザヤの預言は、「忘れない」ということは、単に記憶にとどめておくことだけではなく、さらには寄り添い歩みをともにすることにとどまるのでもなく、それをはるかに越えて相手の存在を自分の心に深く刻みつけることなのだといわれます。私たちの「忘れない」信仰は、そこまでの徹底的な生き方を求めています。

教皇フランシスコは、「福音の喜び」の終わりの部分で、聖母マリアについて考察を加えています。その中で次のように述べられます。
「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります」

その上で教皇は、本日の福音に記されたマリアによるエリザベト訪問を取り上げ、次のように記します。
「マリアは、祈りかつ働くナザレの女性であり、すぐに動かれる聖母、人に手を貸すために自分の村から『急いで』出かける方です。正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力、これこそがマリアを、福音宣教する教会の模範とするのです」

聖母マリアは、ただ単に忘れないだけではなく、またその存在を心に留めているだけでもなく、思いもよらない人生の転換で不安にあったエリザベトのもとへ、ともにいるために出かけていかれました。しかも自分自身も、思いもよらない神からのお告げを受けて、人生が大きく転換するという出来事の中で翻弄されていたときに、自らの都合はさておき、手を貸すために出かけていかれた。そのマリアの「他者に向けて歩む力」を、教皇様は、「優しさと愛情の革命的な力」と表現されています。そして福音の中でエリザベトは、そういったマリアの生き方を表現して、マリアこそは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方」なのだといいます。私たちの「忘れない」信仰は、革命的な力強さを持った信仰です。

1981年に広島を訪問された教皇ヨハネパウロ二世は、平和メッセージの中で、「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」と四回も繰り返され、核兵器の廃絶と戦争のない平和の確立を訴えられました。

8月15日に私たちは毎年、第二次世界大戦の悲劇を思い起こしながら、敵味方に分かれた双方の亡くなられた方々の永遠の安息を祈り、平和への誓いを新たにしています。残念なことにいま、東アジアのこの一角では、以前にも増して核による攻撃への恐怖が増し、あたかも武力攻撃が不可避であるかのような論調さえ聞こえてきます。その現実の中で、「忘れない」信仰に生きているわたしたちは、教皇ヨハネパウロ二世の呼びかけに応えて、「過去を振り返り」、その上で将来に対してどのような責任をとる行動を今とるのか考えなくてはなりません。

平和メッセージで教皇はこう呼びかけました。
「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。」

教会はこの現代社会にあって、「正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力」を聖母マリアに倣って生き抜かなくてはなりません。教会は、過去の悲しい記憶を、ただ単に忘れないだけではなく、その意味を現代の視点からあらためて理解し、将来へ向かって責任ある歩みを進めるようにと、社会に対して呼びかけなくてはなりません。

教会はこの現代社会にあって、紛争や混乱した状況が続く世界各地の人々に心を留め、常に寄り添って歩み続けることを示さなくてはなりません。

教会はこの現代社会にあって、虐げられ、忘れられ、孤立し、排除されている人々に、いのちの創造主である神が一人ひとりの名をその手のひらに刻まれているのだということを、伝えていかなくてはなりません。

聖母マリアの生き方が、私たち一人一人の生き方となりますように。勇気を持って「忘れない」信仰に生きることが出来るように、神様の導きを願いましょう。
 

|

2017年8月12日 (土)

聖クララ会、上越高田で30年

Clare1702b
昨日、8月11日は聖クララの祝日でした。新潟県上越市高田には、観想修道会である聖クララ会の上越修道院があります。私の前任である故佐藤敬一司教様が、聖クララ会を新潟教区に招聘し、八王子の修道院からこの地にシスター方が派遣されてきてから今年で30年。毎年8月11日は修道院で聖クララの記念ミサが捧げられますが、昨日は特に30年記念ということで多くの方が集まり、修道院の小さな聖堂は一杯になりました。

佐藤司教様は、教区の霊的な支柱として、観想修道会の存在が不可欠だと考えられ、この地に同じフランシスコファミリーのシスター方を招かれたと伺いました。もちろん教区はすべての方々の祈りによって支えられているのですが、そのなかでも、南で聖クララ会の皆さんが、そして北では聖体奉仕会の皆さんが、日々の祈りを持って教区を支える霊的支柱となってくださっています。毎日のお祈りに感謝いたします。

Clare1701
昨日のミサには、近隣で療養生活を続けておられるフランシスコ会のブルーノ神父さまと教区の高藪神父さまも参加してくださり、元気なお声を聞かせてくださいました。(写真は、ブルーノ神父と一緒に)

Clare1703
先般、聖クララ会は八王子の修道院を閉鎖されました。何名かの会員が高田に移ってこられ、共同体は少しですが大きくなりました。また閉鎖に伴い、八王子修道院にあった聖クララの御像やアシジのフランシスコの御像が、新発田建設の協力で移設され、高田修道院の庭に設置されました。普段は禁域で入ることの出来ない庭ですが、昨日は私が同行して、ミサ後の懇親会に参加された方にも見学していただきました。聖クララ会は、町中の小さな観想修道院が基本だと伺ったことがあります。高田修道院も住宅地にある小さな修道院です。この修道院で観想生活のうちに教会の霊的な支柱となってくださる方々が、一人でも現れることを祈っています。聖クララ会の召し出しのためにも祈りましょう。

以下、聖クララ会修道院での昨日のミサの説教原稿です。

聖クララ会の上越修道院がこの高田の地に創立されて30年。新潟教区にあって、その福音宣教の活動を毎日の祈りと観想の生活を持って霊的に支えてくださる会員のみなさまに、まずもって心から感謝申し上げます。

日本の16ある教区の中で、信徒総数が一万人を下回る教区はいくつかありますが、そのなかでも、新潟教区は南は新潟県の糸魚川から北は秋田県の大館まで、地理的に広大な教区です。信徒数の少なさ、つまり教会共同体の規模が小さいことと、地理的に広大で皆が集まることにおいて困難があり、さらには歴史的に見ても仏教などの伝統が文化に強く根付いている地域ですから、福音を告げ知らせることは容易ではありません。

教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」には、聖クララ会のように観想に全面的に献げられた会の修道者について、こう記されています。
 「(観想修道会の修道者は)その生活と使命をとおして、山上で祈るキリストに倣い、歴史において神が主であることをあかしし、来たるべき栄光を先取りします。・・・彼らは教会共同体に、主に対する教会の愛を見事にあかしし、秘められた使徒的豊かさによって、神の民の成長に貢献しています」

教皇様は、教会共同体の成長のために、観想修道会の修道者の存在が重要であると指摘しているのです。ここでいわれる教会共同体が豊かに成長することとは、単に信徒の人数が増えることを意味しているのではなく、神の民に属する一人ひとりが霊的に成長し、日々の生活で福音に生き抜き、福音のあかしとなることをも意味しています。その結果として、信徒が増えるということもついてくるのかもしれません。新潟教区の教会共同体が豊かに成長するために、上越高田の聖クララ会の皆さんの霊的なあかしの生活は不可欠であり、私たちの模範となり、また私たちの成長を支えてくださいます。

この福音宣教について、同じ「奉献生活」の中で、教皇ヨハネパウロ二世は次のようにも指摘し、奉献生活者の福音宣教への貢献についてこう述べられます。
 「外に現れる活動以上に、宣教は、個人的なあかしによってキリストをこの世に示すことのうちに存在します。これは挑戦であり、これこそ奉献生活の第一の務めです。奉献された人々がキリストにいっそう似たものとなるよう努めれば努めるほど、キリストはすべての人の救いのために、この世においていっそうはっきりと現れ、活動するのです」

したがって、この修道院の中で生活する会員の皆さんは、隠れて籠もっているのではなく、徹底的にキリストに従うその生活のあかしを通じて、共同体としてこの場でキリストを社会に向けてあかしをすることで、教区における福音宣教に直接に貢献してもるのです。

その意味で、心からこの30年のこの地でのあかしの生活に感謝申し上げますし、これからも新潟教区を霊的に支え、私たちに信仰生活の模範を示し、社会に対してキリストをあかししていってくださいますように、お願い申し上げます。

Clare1705

さて、私たちが福音をあかしし伝えていかなければならない社会は、いまや「いのち」が危機に瀕している社会であります。近隣の国との緊張関係の中で、今にも戦争が始まるのではないかという危機感が煽られてもいますが、紛争状態が続き難民が大量に発生している地域もあります。武力紛争や戦争は人間のいのちを暴力的に奪い取る行為として、教会は常に反対の意志を表明してきました。ちょうど8月のこの時期は日本の教会にとって平和を考えるときですが、私たちは広島を訪問されたヨハネパウロ2世の平和メッセージのこの一説を思い起こしたいと思います。
 「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です」

戦争や紛争の状態に直接巻き込まれてはいない者の、私たちの国においても、いのちが危機に瀕していることには変わりがありません。そういった現実を踏まえて、司教団は先頃、「いのちへのまなざし」というメッセージを改定して発表しました。神から賜物として与えられたいのち、神の似姿として善いものとして創造された人間のいのち。その尊いいのちと人間の尊厳が、ないがしろにされるような事件が起こったり、状況が発生したりしています。

その最たるものは、昨年相模原で起こった障害と共に生きる人たち19名を殺害した事件です。犯人の青年の、障害のある人たちを役に立たない存在と決めつけ、社会から無駄を省くために彼らを抹殺することを良しとする思想や価値観には、同意できるところはまったくありません。しかしそれ以上に、その考え方に賛同する人たちが、今の日本の社会に少なからず存在することも、今回の事件は明らかにしました。独りの特異な人物の突出した考えなのではなく、ある一定数の人たちの心の底にうごめいているいのちへの価値観が浮き彫りになりました。

人間のいのちは、その存在自体が価値あるものであって、役に立つのか立たないのかで、その存在を判断されるのではないということを、わたしたちは、この社会の現実の中で伝えていきたいと思います。

人間のいのちが存在しなければ、当然人間による共同体は存在せず、共同体が存在しなければ、福音を伝えることにも意味はありません。したがって、いのちを守ることはすべての根本にあることがらであると思います。

いのちが危機に瀕しているこの社会であるからこそ、私たちは勇気を持って福音をあかししていかなければなりません。

聖クララ会の会員のみなさまには、これからも主の福音をあかしする存在として、新潟教区のみなの模範となり、その霊的生活を通じて、教区全体の福音宣教を支えてくださるようにお願い申し上げます。ともに、この社会の直中で、いのちの福音をあかしして参りましょう。

 

|

2017年8月 8日 (火)

「秋田の聖母の日」など

Seitaihoushikai14

いくつかあらためてお知らせです。

1: 聖母被昇天祭司教ミサ

聖母被昇天祭の司教司式ミサは、8月15日(火)午前10時から新潟教会です。ミサ後には恒例の懇親会(バーベキューなど)が行われます。ミサの行われる聖堂は、残念ながら冷房はありませんが、懇親会は冷房のある部屋も用意されますので、どうぞご参加ください。(写真は昨年8月15日のバーベキューの模様)

Bbq16


2:秋田の聖母の日とその前の祈りの旅

今年も9月14日と15日に「秋田の聖母の日」が行われます。秋田市の聖体奉仕会が会場です。今年はファティマの聖母御出現100年ということで、全国を巡回しているファティマの聖母像が、教皇庁大使館のご好意で秋田の聖母の日に運ばれて参ります。この聖母像は全国を巡回した後、10月25日(水)に広島の司教座聖堂で安置されることになっています。秋田聖母の日に参加ご希望の方は、聖体奉仕会に葉書でご連絡ください。詳しくはこちらのリンクから、聖体奉仕会のホームページへ。(写真は昨年の秋田の聖母の日)

Akita16

またこの聖母の日に合わせて、旅行会社のパラダイスさんが東北の祈りの旅を企画しています。今年は青森をめぐりながら、祈りの旅を続けます。私もこの旅にご一緒します。9月12日出発で12日と13日の二泊の後、14日の午前中には秋田へ到着し、秋田の聖母の日に参加します。なお旅行には秋田での宿泊も含まれています。詳しくは以下のパラダイスさんへお問い合わせください。

Seichi1401

なお、11月2日から11日の、聖地巡礼(イスラエルとヨルダン)も続けて募集中です。これも同じパラダイスさんですから、是非ともお問い合わせください。聖地巡礼は私がご一緒し、毎日ミサがあります。

パラダイス 電話:045-580-0023 

ファックス:045-580-0024

(営業時間:月曜~金曜の9時半~18時)担当は村上さんです。

e-mail: mary@junrei.co.jp

|

2017年8月 7日 (月)

神言会創立の地へ巡礼

Style1701
機会に恵まれ、神言会創立の地であるオランダのシュタイルに足を伸ばしました。神言会は、当時ドイツ国内でビスマルクによるカトリック弾圧の文化闘争の嵐が吹き荒れていたこともあり、国境を越えたオランダのシュタイルで、1875年に創立されました。創立者は、ドイツのゴッホ生まれの教区司祭聖アーノルド・ヤンセン。シュタイルからゴッホまでも、車で一時間弱の距離です。(上の写真、遙か向こうに見える二つの塔が、シュタイルの神言会聖ミカエル修道院の聖堂)

Style1702
聖アーノルド・ヤンセンの時代に建設された聖ミカエル修道院はシュタイルに今でも建っており、近くには彼が創立した聖霊会と永久礼拝会の修道院も建っています。そして、聖ミカエル修道院の地下聖堂には、1975年の列福にあたって、会員墓地から改葬された聖人の遺体が、棺の中に安置されています。(上の写真は聖堂に眠る聖アーノルド・ヤンセンの棺。その向こうのステンドグラスは、二つの手を象徴しています)

Style1706
創立者の眠る前で祈り、またその上の階に当時のまま残されている、初期の宣教師たちが派遣されていた場である大聖堂で祈り、あらためて宣教修道会である神言会のスピリットを心に刻むことができたように思います。

Style1707
ちょうど聖霊会の第三修練(刷新コース)に参加している世界中から集まった30名ほどのシスターと、インドネシア語で初めて行われた神言会の刷新コースに参加しているシニア世代の会員(第三世代と呼ばれてました)が集まってミサを捧げる日にあたり、創立者が眠る聖堂で、ミサを司式させていただきました。ミサの中では、シスター方がそれぞれの文化の聖歌を奉献したり、聖体拝領の後にはインドのシスターが感謝の踊りを献げたりと、世界中へと宣教者を派遣してきた神言会と聖霊会というアーノルド・ファミリーの霊性を象徴する時となりました。

|

« 2017年7月 | トップページ