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2018年6月25日 (月)

イグナチオ教会で堅信式、そしてペトロ・パウロのお祝い

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洗礼者ヨハネの誕生を祝う昨日の日曜日、午後3時半から、麹町の聖イグナチオ教会で、堅信式が行われました。あの広い聖堂はいっぱいでした。

堅信を受けられたのは、なんと137名。137名ですよ、皆さん。と、ジャパネットの前社長なみの声で叫びたくなりますが、137名です。東京に来てから、あまりの違いに驚くばかりですが、先日の合同堅信式で200名を超えていたのも驚きましたが、今回は、単独の小教区で137名です。

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堅信を受けられたのは、小学生から80歳の方まで。様々な方がおられました。皆さん、おめでとうございます。

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祭壇の横には、イグナチオの伝統だと言うことで、聖霊の七つの賜物を記したロウソクがともされ、堅信を受けた後に、このロウソクからとられた火を、受堅者一人ひとりがロウソクに受け取り、平和の挨拶を交わしました。

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ミサ後には、ホールで祝賀会。これだけの人数ですから、ホールもいっぱい。これからも小教区共同体とのつながりの中で、ともにふさわしく生きる道を探して参りましょう。私たちが告げるのは、自分が好きなことや気に入っていることや、自分の勝手な解釈ではありません。神ご自身が望まれていることを告げるのです。そして神の意思は、共同体における祈りの識別のうちに示されるものだと思います。そして神が望まれることは、往々にして、人間の社会常識からはかけ離れた神の常識であることが多いのです。

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さて6月25日の月曜日は、月末の月曜日ですから、司祭の月の集まりの日です。毎年6月のこの日は、ペトロ・パウロのお祝いのミサを捧げ、その中で、金祝や銀祝を迎えた司祭のお祝いもいたします。

今日11時のミサには教皇大使も参加され、寺西神父様ほか叙階60年のダイアモンド3名をはじめ、金銀祝の司祭が参加。そのほか大勢の教区司祭や修道会司祭が共同司式に参加してくださいました。また先日、補佐司教職からの引退が認められた幸田司教も参加し、最後に特に司祭団にお礼の挨拶をされました。

なお手元のリストによれば、本日参加されなかった方々も含めて、東京教区で働く教区と修道会司祭の中に、ダイアモンドが5名、金祝が8名、銀祝が8名おられます。神父様方、おめでとうございます。

以下本日のミサの説教原稿です。

「それでは、あなたがたは私を何者だというのか」
主イエスの弟子たちに対するこの問いかけは、二十一世紀の現実の中で、イエスの福音を告げしらせようとする私たち一人ひとりへの、現代的な問いかけでもあります。

いま私たちは情報の波に翻弄されて生きております。インターネットの普及によって、十数年前には考えられなかった簡便さで、様々な情報を手に入れることが可能になりました。どこかで事件が起これば、あっという間にその内容が、インターネット上にはあふれかえります。全く便利な社会になったものだと思います。

そのインターネットを見ていたら、こんな意味のことが書いてありました。
今や高度情報化社会である。高度情報化社会とは、結局、手にした情報をいかに捨てるかが最大の課題だ。そのためには、ますますもって考え、論理的に思考するすべを身につけなくてはならない。

これでは便利で簡単になったのか、はたまた面倒なことになったのか、よくわかりません。確かに近頃は、フェイクニュースなどとまで言って、流れている情報が真実なのか嘘なのか、それすら素人には判然とせず、時には、全くの嘘によって、とんでもない風評被害にさらされる人まで出現する始末であります。簡単で便利になったようで、その実、以前とは異なる意味で、面倒な世界にわたしたちは生きているのかも知れません。

高度情報化社会とは、以前よりもたくさんものが分かる社会ではなくて、情報の量があまりにも多すぎて、その中から取捨選択をしなければならない世界です。逆にいえば、そういった取捨選択を面倒だと怠るのであれば、他人から与えられた情報の中に身を任せて満足してしまうこともできる社会でもあります。でもそれでは簡単に偽物の情報に踊らされてしまう可能性すらあります。とんでもない情報に簡単にコントロールされてしまう可能性すらあります。

そんな真偽の確実ではない情報に翻弄されている姿は、言ってしまえば、井戸端会議の「うわさ」に基づいて生きている社会と変わらないのではないかとも思います。

時に「うわさ」は、無責任にも「不幸な誰か」、自分とは異なる「不健全な誰か」を作りあげ、自分はそれとは違う、自分の方がまだましだと、つかの間の心の安定をもたらす効果も生み出します。

「うわさ」は自分の心の安定のために誰かを犠牲にする。「うわさ」は基本的に、社会にあって差別の構造を生み出す道具だと思います。大量に流される様々な情報にあっという間に取り込まれていく私たちは、いま簡単に差別を生み出す社会に生きています。

「うわさ」が生み出す漠然とした恐怖感は、人間を疑心暗鬼の暗闇におとしいれます。疑心暗鬼の暗闇に彷徨うとき、不安な心は行く先を照らしてくれる光を待っているのです。そこに一筋の光が差し込みます。「あいつが悪いやつだ。悪人だ」などと指摘する「うわさ」話であります。

漠然とした恐怖感は、何かはっきりと実態がつかめない感情で、だからこそ足元がしっかりとしていないように、不安感が増幅するのです。そのもやもやした恐怖感に目で見える形をしっかりと与え、その不安を現実のものとして肯定してくれるのが、うわさ話であります。

イエスの弟子たちへの問いかけに、弟子たちは口々に、聞いてきた話を伝えます。あちらではこう言っていた、こちらではこう言っている。それは結局、彼らが耳にしてきた噂話でしかありません。それに対してイエスは、「よしわかった。そんなうわさはどうでも良い。私が知りたいのは、結局あなた自身がどう判断しているかなのだ」

他人の言うことに惑わされないで、自分の頭でものを考えなさい。うわさに翻弄されずに、はっきりと自己決断をすること求めているのです。自己決断ができない社会は差別を生み出す社会です。自己決断を回避して、みんなと一緒になどとばかり言ってる社会は、差別を生み出す社会です。私たちはそんな社会の中で、自ら判断し決断するようにというイエスの言葉を伝えようとしています。まやかしの光に導かれ、疑心暗鬼の暗闇の中にさまよう人々に、本当の光であるイエスの言葉を伝えようとしています。

「誰かがこう言ったからではなく、みんながそう言うからではなく、あなた自身はどう言うのか。」イエスのこの問いかけこそが、暗闇に射し込む本物の光です。疑心暗鬼の暗闇に彷徨う心に本当に必要な一筋の光は、まさしく漠然とした霧のような不安感を打ち払う光であって、決してそれを肯定してしまう偽物の光ではありません。

でも、そんな光は、歓迎される光であるとは限りません。時として暗闇の中にさまよい続ける夢を打ち壊し、現実の苦しい決断へと人を招くこともあるからです。勇気を持って暗闇から出る一歩の行動を求めることもあるからです。でもわたしたちは、そんな苦しい自己決断と行動の先にこそ、本当のいやしと慰めがあるのだとも信じています。

しっかりと自分自身の信仰を証しして生き、うわさに惑わされない本物の情報である神の言葉を勇気を持って掲げ続けましょう。

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2018年6月23日 (土)

お知らせ

教皇フランシスコは、本日6月23日の正午(日本時間同日午後7時)、東京教区の補佐司教であるヤコブ幸田和生司教様から提出されていた辞任願いを受理され、幸田司教様を東京教区の「補佐司教職」から解かれました。

幸田司教様は、2005年2月19日に司教叙階を受けられてから13年、岡田大司教様とともに、東京教区の司牧と運営のために力を尽くしてこられました。幸田司教様のこれまでの補佐司教としてのお働きに心から感謝いたします。

これに伴っていくつかの点を記しておきたいと思います。

第一に、司教職は司祭職と同様に叙階の秘跡によっていますので、就任したり辞任したりする役務ではありません。今回の教皇様による辞表の受理は、司教をやめることではなく、東京教区の「補佐司教職」からの辞任です。

第二に、従って幸田司教様は、これからも東京教区司祭団の一員である「司教」として働かれます。今後は「補佐司教」ではありませんが、これまで通り「司教」であることに変わりはありません。すでに今年度の教区人事で発表したとおり、東日本大震災の復興支援に専従するため、当分の間は主に仙台教区でお働きになられます。

第三に、「補佐司教職」は、教区司教の辞任にともなって消滅する役職ではありません。幸田司教様にあっては、ご自分が司祭として、また司教として果たすべき奉仕の役割を、私が着座する以前から、この数年にわたって祈りのうちに熟慮され、とりわけ東日本大震災後の福島における復興支援に関わる中で、最も必要とされているところで奉仕するという道を選択した結果、補佐司教職からの辞任願いであったと伺っています。従って、召命や、信仰や、倫理的な問題の結果としての辞任ではないことを明言しておきます。

心に苦しみや悲しみを抱えている人たちへの共感力を豊かにもたれている幸田司教様にあっては、これからも東京教区司祭団の一員として、東京教区と日本の教会のために、ともに力を尽くしてくださることを期待しています。幸田司教様のために、また私も含め、日本の司教団のために、みなさまのお祈りをお願いいたします。

2018年6月23日午後7時

カトリック東京教区 大司教

菊地功

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川原謙三師葬儀ミサ説教

去る5月31日に97歳で帰天された、東京教区司祭レオ川原謙三神父の葬儀ミサは、6月8日に東京カテドラルで行われました。以下当日の説教の原稿です。

なお川原神父様は生前、献体をご希望されましたので、納骨などは後日また執り行います。

川原謙三神父様は、5月31日、97年の人生に幕を下ろされました。私が東京の大司教として着座をしてまだ半年しか経過していませんが、その間に、立て続けに3名もの大先輩司祭を東京教区は失いました。司祭とは就職した職業の名前ではなく、一人の人の生き方そのものの名前です。高齢になって健康が許さなくなり、役職としての主任司祭や協力司祭から退いたとしても、また仮に立ち上がることができなくなって寝たきりになったとしても、司祭はそのいのちが終わる瞬間まで、司祭としての人生を歩み続けるのですし、その召命は永遠の召命です。その意味で、川原神父様も、引退され、また最後は寝たきりになられましたが、その人生の最後の日まで、司祭として生き抜かれたのだと思います。神父様の人生をかけた司祭としての歩みに、心から感謝したいと思います。

さて川原神父様は、10年ほど前に、自叙伝を著しておいででした。神父様が亡くなられてすぐ、その自叙伝を手にすることができましたので、少し読んでみました。そこには、神からの召命が、いかに私たち自身が気がつかないところで静かに準備されているのかが、神父様の体験を通じて記されていました。

ご自分が戦後に洗礼を受け、司祭への道を歩んだことを振り返り、神父様は自叙伝にこのように記されています。

「実は私がこうした信仰を持ち、このような仕事をするようにと、神は私が幼少の頃から計画され着々と手を打って来られたのではないか・・・。そんなことは君の思い込みに過ぎないと言われれば一言も反論できないことだが、自分の一生を振り返って自分の人生の意味を知ろうとし始めてから、この考えが少しずつ頭をもたげてきて、今は確信といえるまでになった・・・。」

神父様は、神からの召命への選択は、私たち人間の側に主導権があるのではなく、それを準備してくださる神の側にあるのだと、また、私たちはその道がいかに無駄な回り道のように見えたとしても、そこには神の配慮があるのだと信じて、準備された道をあらがうことなく進むことで、召命に応えていくことができると書かれています。

ご存じのように川原神父様は、陸軍士官学校に入られ、陸軍軍人としての人生を歩んでおられました。通信隊の士官として中国戦線に派遣され、その後、敗色の濃くなっていた時代に、パプアニューギニアのブーゲンビル島に転戦となり、そこで敗戦を迎えたと記されていました。

実は私は数年前に、そのブーゲンビル島に一週間ばかり出かけてきたことがあります。ブーゲンビル島はパプアニューギニアからの独立を訴えて長年の戦いや運動があり、暫定政府が置かれています。暫定政府の大統領は元司祭ですが、その方の知人からの招きで出かけ、地元の司教様のところに泊めていただきました。私にとっては、当時は新潟の司教でしたから、新潟県長岡出身の山本五十六元帥の終焉の地でもあり、また私の祖父が戦争中にいたラバウルもすぐ近くの島にあります。

新潟からの司教が来たと言うことで、撃墜された山本五十六元帥搭乗機の残骸が残されている森の中まで案内していただき、そこで一緒に来られた方々や地元の方々とともに、平和のために祈りを捧げることができました。その撃墜現場までは、車を降りて片道6キロのジャングルの中を歩いて行かなくてはなりません。暑いです。蒸しています。幾たびも水路を渡らなくてはなりません。その前の日には、旧日本陸軍の要塞の跡も訪ねました。これまた片道4キロほどのジャングルの中をかき分けながら歩いてやっと到達した先に、すさまじいほどの大きさと分厚さのコンクリートの建物が残っていました。そのジャングルの中を、たった二日間歩いただけですが、歩きながら、こんな環境の中で、どうやって兵隊たちは生き延びたのだろうと考えさせられました。栄養補給もままならず、マラリニアにもかかる中で体力を消耗しながら、どうやって生き延びることができたのだろう。あまりに過酷な環境です。川原神父様の自伝にも、そのあたりの情景が、短いけれど記されていました。多くの人が命を落としていった情景が記されていました。中でも悲しく読んだのは、誰一人付きそうものもなく、負傷し体力を失い、一人で後方に引き上げていく兵隊が、道半ばで倒れ戦死していく姿であります。

今現在もそうなのですが、川原神父様が派遣された当時も、ブーゲンビル島はクリスチャンの島であります。神父様が特に記されていたのは、南方のこの島で、人々が村の中心に聖堂を築き、それを大切にし祈りのために集まってくる、その熱心な祈りの姿に感銘を受けたことでした。ほかの箇所には、そのときに耳にした美しい聖歌の響きに、心から驚いたことが記されていました。

美しい歌声は今でも変わりません。ミサに集まった聖堂一杯の人々が、素晴らしいハーモニーで聞かせる歌声は、本当に神からの恵みだと思わせるものがあります。

過酷な環境の中で多くの人が命を落としていった戦争の最中にも、神は召命への道を用意していたのだと、川原神父様は自叙伝に記されています。この過酷な環境の中で出会った祈る人々の姿と美しい歌声が、川原神父様の心にキリスト教へのあこがれの基礎としてしかっりと刻み込まれたのだと言います。

戦後に復員してからは、日雇いの仕事に出かけ、その中で銀座での靴磨きの職を得られます。そこで、かつて銀座の三越の七階にあった銀座教会の信徒の方々との出会いが、神父様の受洗と、その後の司祭への召命につながりますが、そういった靴磨きに始まる一連の出来事も、神父様に言わせると、ご自分の召命のために神さまが準備してくれた道であると言います。

私たち一人一人にも、神からの呼びかけ、召命があります。そもそも神様は、一つ一つのいのちを無為に想像されたのではなく、大切ないのちとして一つ一つに賜物を与え使命を与えられています。その使命に応えて生きることが召命に生きることであり、それはある人にとっては司祭や修道者になることです。しかしそれは司祭や修道者に留まるのではなく、様々な形で、私たちには使命を生きる道が与えれています。

そしてその召命への道は、神によって準備されている。何度も何度も、私たちの人生の中の出来事によって、神は道を示されています。ですから問題なのは、私たちがそれに気がつくのかどうかであります。示された道に身をゆだねる勇気があるかどうかであります。

一人の司祭を御父の元へお返しするとき、私たちはその後を誰が引き継ぐのかを真摯に考えなくてはなりません。川原神父様を見送り、その永遠の安息を祈りながら、神父様が人生を通じて示された福音の証しに倣い、私たちも神に与えられた使命を見いだす努力と、またその道に身をゆだねる勇気を持つことができるように、ともに祈りましょう。

数年前にブーゲンビル島に出かけた折に撮影した写真です。

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堅信式ミサ@吉祥寺教会

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6月17日の日曜日は、午前10時半から、吉祥寺教会で堅信式ミサを執り行いました。ミサ中に、25名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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吉祥寺教会は、私も所属する神言修道会の担当する小教区です。現在の主任司祭は松本勝男神父様。秋田県出身の松本神父様は、私が新潟の教区司教を務めていた数年前までは、新潟教区の秋田教会主任司祭を務めておられました。

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三千人を超える信徒を擁する巨大な小教区で、東京教区ではイグナチオに次ぐ規模ではないでしょうか。聖堂に向かい合って建つマンションの一階から三階までを信徒会館や司祭館として利用しています。司祭館と言っても、神言会にとっては東京での唯一の拠点ですから、修道院として機能しており、引退している後藤神父様も含め、5名の司祭が居住しています。

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ミサ後にはホールで祝賀会が開催され、教会学校の歌や青年たちの寸劇(司祭を含む)、そしてフィリピン人共同体の踊りと、多様性を持ったお祝いの席となりました。

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2018年6月13日 (水)

この数日の出来事は

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ちょっと忙しい毎日を過ごしています。ただいまは、カリタスアジアの年次総会のため、タイのバンコクに三日間来ております。バンコクの話は後日に。

予定が立て込んでしまい、とうとう一つの約束を忘れて電話がかかってくるという失態を犯しました。初めてのことでありました。気をつけないといけません。

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6月4日から6日は、新潟教区の司祭の集いのために、秋田県の横手市へ。横手はかまくらで有名です。毎年のこの集いには、秋田県、山形県、新潟県で働く司祭が集まり、だいたい30名の参加者。今年は、横手駅前のプラザホテルに泊り、ミサのためにはすぐ近くの横手教会へ。横手教会は20名も入れば一杯の小さな教会ですが、参加司祭で一杯になり、さらに教会の信徒の方も10名ほど参加してくださいました。しかも11時からのミサ後には、二日とも昼食を用意してくださりいろいろと話をする機会となりました。

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司祭の集いの講師は、東京教区の司教総代理である稲川神父様。婚姻の秘跡について、改訂された教会法の内容などを二日間にわたってお話しいただきました。

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6月9日には午前中に、上智大学構内のSJハウスで、全国のカトリック大学連盟の総会感謝ミサ。歴史を感じさせる聖堂でのミサでした。

その午後、このたび理事長に就任させていただいたロゴス点字図書館の社会福祉法人の文化講演会で、教会はなぜ愛の奉仕をするのかについて講演をさせていただきました。90名ほどの方に参加していただきました。おいでいただいた皆様に感謝。

6月は毎日曜日に小教区訪問と堅信が続きます。6月10日は神田教会。かつて新潟のカテドラルの主任司祭をしていただいた江部神父様が神田教会の主任です。ミサの中で、14名の方々が堅信の秘跡を受けられました。大半の受堅者が小学生から中学生で、白百合や暁星の生徒さん。そのため、暁星で働くマリア会の司祭も三名、共同司式に参加してくださいました。

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小雨模様でしたが、ミサ後には中庭に張ったテントの下で祝賀会。神田教会は、戦後に今の関口教会が完成するまで司教座が置かれたこともあり、いまでも土井枢機卿様の司教座として使われた椅子が内陣に残されています。空襲で建物自体は残ったものの窓は全壊。いまはモダンなステンドグラスが入っています。ポーランドの芸術家の作品と聞きました。伝統的な建物に、モダンなステンドグラス。独特な雰囲気でした。

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2018年6月 8日 (金)

「多様性における一致を掲げて」メッセージ

東京教区のこれからの宣教司牧の方針を定めるために、その方向性を考えたメッセージを、聖霊降臨の主日付で発表しました。

本文は二回に分けて、教区ニュースに掲載されます。すでに前半部分が6月の教区ニュースに掲載されています。こちらのリンクから、東京教区のホームページに進みますと、前半部分が掲載されていますし、PDFファイルもあります。

前半部分には10の課題が掲げられていますが、これは決定的な課題ではなく、これから検討していく課題で、多くの方の意見を伺いたいと思っています。

7月の教区報に掲載される後半は、そのうちの三つの課題を特に解説したものです。

7月の教区報が発行された段階で、教区のホームページに、日本語、英語、韓国語で全文を掲載する予定です。

教区内の多くの方々と意見を交換しながら、長期的な宣教司牧の方向性を定めていくことができればと希望しています。

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2018年6月 3日 (日)

土曜日は六本木、日曜は築地

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土曜日は午前11時から、六本木のフランシスカンチャペルセンターで、東京教区内のそれぞれの小教区にあるフィリピン出身信徒の共同体の集まりであるGFGC (Gathering of Filipino Groups and Communities)の総会ミサでした。

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この集まりは、何か独立した団体と言うよりも、基本的には各小教区共同体の枠組みの中で活動しているフィリピン人信徒のグループや共同体が、緩やかに集まっている組織です。

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ですから、各地の小教区において、その小教区共同体との関わりの中で活動することを目指している点で、私が理想としている小教区共同体における多様性と一致を具現化しているものだと感じます。

ミサは素晴らしい歌でした。ミサ後は、フィリピン文化に欠かせない(?)、写真撮影タイム。すべてのグループが入れ割り立ち替わり、私や司祭団を囲んで、写真を撮り続けました。

ミサ後は地下のホールで、これまたフィリピン文化にとって欠かせない、持ち寄りの食事タイム。

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その後に、このグループについてのプレゼンテーションを皆で聞き、私から、これからの東京教区における滞日外国人司牧の方向性についての講演をし、最後には質疑応答となりました。

参加してくださった皆さん、ありがとう。皆がそれぞれの場で、主から呼ばれ派遣された福音宣教者であることを常に心に刻んでいてください。

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そしてキリストの聖体の主日である今日は、築地教会で9時半の主日ミサでした。

築地教会は、カテドラルが関口に定められるまで、初代から4代までの教区長の時代に、カテドラルとされていた教会です。教会は聖路加国際病院のすぐ隣り。近隣の都心部にあるホテルから、多くの海外からの観光客がミサに参加されていました。

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今日のミサは、すでに亡くなられた初代から第7代までの前任司教様方の追悼ミサを兼ね、祭壇の前に歴代の写真が飾られました。

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またミサ中には、二人の小学生の女の子が、初聖体を受けられました。おめでとうございます。ミサ後に、この二人を囲んで、旧幼稚園舎を改装したホールで茶話会となりました。特に幼児洗礼から育ってきた信徒には、初聖体は重要な秘跡であり、信仰育成の通過点です。今日、主ご自身が聖体を通じてともに歩みを始められた、その主のやさしさと愛に信頼しながら、そして主の「私を忘れないでいなさい」という言葉を胸に刻んで、次のステップである堅信の時まで、大切に信仰を生きてください。

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初金を板橋教会で

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6月はイエスの御心の月ですが、その初金を、板橋教会のミサで祝うことができました。週日に小教区を訪問する機会はあまりないのですが、今回は、なるべく早く訪問してほしいという主任の久富神父様のリクエストもあり、初金の機会に集まってこられる皆さんと一緒にミサを捧げることになりました。

板橋教会は1953年以来、フランシスコ会が司牧を管轄していたこともあり、聖堂の横に立っているのは、いかにもフランシスコ会修道院の雰囲気のある建物です。いくつもの寝室が並んでいたりして、久富神父様ひとりには、確かに大きすぎるというか、さみしく感じる建物かも知れません。司牧に関しては2011年にフランシスコ会から教区司祭に移管され、現在に至っています。

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聖堂は、山小屋のような作りで、岩手県で働いていたベトレヘム外国宣教会のスイス人宣教師の設計だと伺いました。どなたか詳細をご存じですか。そしてこの聖堂の何本もある柱には、いろいろな聖人の御像が掲げてあるのですが、その一番前、右手の柱には、タルチシオの像が(写真下)。迫害時代の初代教会のローマにて、御聖体をとらえられた信徒のもとに届ける途中に殺害された殉教者ですから、侍者の保護の聖人です。

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ミサ後には、集まってくださった皆さんと昼食会。北町教会から参加してくださった方もおられました。週日の昼間に時間を作って集まってくださった皆さんに、感謝します。

以下、以前、2006年にこのブログに書いた、初金についてのエントリーを再掲します。

初金のミサは伝統的に「イエスのみこころ」の信心であるといわれています。17世紀後半の聖女マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に対して主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して人々への回心を呼びかけた出来事があり、それに基づいて、9ヶ月の間、初金に聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあるといわれる伝統的信心です。イエス様がこちらをじっと見つめながら、手には燃えるような自分の心臓を持っている絵を目にしたことがありませんか。十字架上で刺し貫かれたイエスのみこころは、全人類に対する神の愛の象徴として、神の心そのものとして称えられるのです。

教皇ベネディクト十六世は、教皇ピオ十二世回勅『ハウリエティス・アクアス』発布50周年に際して、2006年5月15日付でイエズス会の総長に宛てて送った書簡のなかで、イエスのみこころへの信心は決して過去のものではなく現代的な意味があると述べながら、次のように記します。

「内面的に神を受け入れた人は皆、神によって形づくられます。神の愛を経験した人は、その愛を「召命」として生きなければなりません。人はこの「召命」にこたえなければなりません。主は「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8・17)かたです。この主に目を注ぐことによって、わたしたちは人の苦しみと必要にもっと気づくことができるようになります。
 槍で刺し貫かれたイエスの脇腹を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。この観想によって、わたしたちは、救いをもたらす神の憐れみに自分をゆだねることができるようになります。それと同時に、この観想は、神の救いのわざにあずかり、神の道具となりたいというわたしたちの望みを強めます。」(全文は中央協議会のHPで)

初金にあたり、イエスのみこころに満ちあふれた神の愛を想い、その愛に与りながら、自らも神の意志を実現する道具として生きる決意を新たにすると共に、神が作られた命を育むすべての兄弟姉妹に、思いを馳せて生きたいと思います。

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2018年6月 2日 (土)

新しい司教が3名誕生@日本

教皇様は先ほど、6月2日ローマ時間の昼12時、日本の教会のために新たに3名の司教を任命されました。

まず、長らく空位が続いていたさいたま教区の司教として、マリオ山野内倫昭(やまのうち・みちあき)師を任命されました。1955年生まれの山野内被選司教は、サレジオ会員で、現在サレジオ会の日本管区長を務めておられます。アルゼンチンで育ち、サレジオ会にもアルゼンチンで入会されていますので、当然、スペイン語に堪能です。

さらに、先頃前田大司教が枢機卿に任じられた大阪教区のために、二人の補佐司教を任命されました。

そのうちの一人はホセ・アベイヤ師。アベイヤ被選司教は、クラレチアン会員で1949年にスペイン生まれ。クラレチアン会の総会長も務められました。

もうひとりの補佐司教は、パウロ酒井俊弘師。1960年生まれの酒井被選司教は、属人区であるオプス・デイの会員で、長らく大阪教区の司牧の現場で働いておられます。

三人の司教様、おめでとうございます。それぞれの司教叙階式については、今後その日程がそれぞれの教区から発表されることになります。

残念ながら、新潟教区の後任司教人事は、まだ決定していないようです。

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2018年6月 1日 (金)

訃報:川原謙三神父様

東京教区司祭、レオ川原謙三神父様は、昨日5月31日(木)午後7時56分、帰天されました。97歳でした。

神父様のこれまでの東京教区でのお働きに感謝するとともに、ともに永遠の安息を祈りましょう。

  • なお仮通夜が秋津教会で6月3日(日)18時より行われます。
  • 通夜は、6月7日(木)18時から東京カテドラル聖マリア大聖堂にて行われます。
  • 葬儀告別式は、6月8日(金)13時から、同じく東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。

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